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王太子とダジャレ侍女 作者:菜宮 雪
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2.重い前髪の侍女

 フェールが待ち望んだ「その日」――重い前髪の侍女がひとりきりになる日――は数日後にめぐってきた。
 フェールは、他の侍女や侍従が近くにいないことを目視で確認した上で、退室しかけた件の侍女を呼び止めた。

「待て、そなたに訊きたいことがある」
「はい、王太子殿下」
 侍女は振り返り、両手で白いエプロンの裾を広げて頭を下げる。普通の使用人の動作であり、頭のてっぺんにあるつむじが見えたが、それが特別に笑えることでもない。細い首の上に乗っているきれいな卵のような顔。顔の作りが滑稽というわけでもなく、肌がきれいで、むしろ美人の部類だと思われる。

 フェールは唇を捻じ曲げた顔で侍女に詰め寄った。
「そなた、名は?」
「アンジェリン・ヴェーノと申します」
「ヴェーノ? 侍従長のロイエンニの血筋の者か?」
「ロイエンニ・ヴェーノは私の……父でございます」
 彼女の肩には力が入っているように見えた。
「ではアンジェリン・ヴェーノに訊ねる。それほど私のことがおかしいか」
 アンジェリンは、驚いたように瞬きした。
「はい? あの……」
「そなた、いつもここを出ると、皆で私のことを笑っているではないか。何を笑っている」
 アンジェリンは下を向いて返答しなかった。
「答えろ! 聞いているのか! なぜ黙っているのだ。どこを見ている」
 フェールはうつむくアンジェリンとの距離を詰め、彼女の重そうな前髪を持ち上げた。
 前髪の下に隠されていた緑色の大きな瞳は、恐ろしい物を見たかのように大きく見開かれ、彼女は軽い悲鳴をあげて数歩下がった。
 悲鳴を上げられたフェールの方は、彼女の髪からあわてて手を放した後、しばらく言葉を失っていた。

 アンジェリンは前髪を手で押さえ、必死で額を隠し、背を丸めて震えていた。
 フェールは今度はやさしく声をかけた。
「すまぬ……女性に対し無礼にも断りなく前髪に触れてしまったことは謝罪する。そなた……以外にも大きな目をしていたのだな。せっかくのきれいな緑色の瞳が前髪で隠れてしまってもったいない。その暑苦しい前髪をどうにかしたらどうだ」
「見苦しくて失礼しました。額を出すなと父に言われておりますので……私はこれでよいのでございます」
「前髪の事情はよくわかったが、そなたはまだ私の質問のすべてに答えていない。なぜ、私を笑う」
「あのっ……笑っているわけではなく……あの……その……」
 アンジェリンは口ごもった。
 フェールはまた怒りがふつふつとこみ上げてきた。
「そなたは前髪のことは即答できても、この私がなぜ笑われているのかという問いには答えられないのだな。ならばもうよい。今日限りで城勤めをやめろ。この私を侮辱する者をそばに置くことはできぬ」

 一方的な解雇宣告に、アンジェリンは真っ青になった。
「申し訳ありませんでした。私は殿下のことを笑っているわけではなく……その……私の趣味のことで、皆さまが……」
「なんだそれは」
「恥ずかしながら、私、言葉遊びが趣味でございまして……」
「もっとわかりやすく説明しろ」
「つまり、その、洒落シャレ駄洒落ダジャレでございます。最初は同期の兵に披露したら、うわさで広がってしまいまして、皆様が私を見ると、何か駄洒落を言うことを望まれるのです。それで、いつもここのお仕事を終えると、扉を守っている方々に駄洒落をひとつ披露することが習慣になってしまいました」
「駄洒落……だと?」

 思いがけない答えに、吹き出しそうになったフェールだったが、まだ不快感は心にのさばっている。
「そなたは妙なことを言う。では、今から出すつもりだった駄洒落をここで披露してみせよ」
 アンジェリンはそれほど大きくない身を縮めて、頭を下げている。
「私の駄洒落など、本当にただの言葉遊びで、つまらないものなのです。王太子殿下の前で堂々と言えることではございません」
「兵どもにはよくて、この私には披露できぬか」
「いいえ、あの……高貴なお方相手にこのような下等な娯楽を披露することなど、やったことがなくて……ただ、恥ずかしいのでございます。本当にどうしようもなく取るに足らぬものですから」
「かまわぬ。どのようなものか知ってみたいのだ」
 アンジェリンは王子の機嫌をこれ以上そこねてはいけないと判断したらしく、姿勢を正した。
「では、今日披露する予定の駄洒落を言ってみます。無礼をお許しください」
「うむ」
「『城【しろ】に雪が積もって真っ白【しろ】です』」
「……」

 フェールは、口を少し開いてアンジェリンの顔を穴が開くほど見つめた。
 アンジェリンは、ポカンとした顔になっているフェールをちらっと見るなり真っ赤になり、唇を意味不明にくにゃくにゃさせると、また背を丸めた。
「しっ、失礼しました」

 フェールが次の言葉を発するには少し時間がかかった。
「そ……それが駄洒落か。もっと他にあるのか?」
「では、もう一つだけよろしいでしょうか。『城【しろ】の壁を白【しろ】く塗りました』」
 フェールは、クッ、と喉を鳴らし、こわばっていた顔を崩した。
「おもしろい。それで? 続きは作れるか?」
「えっと……『城【しろ】がまぶしくて白目【しろめ】をむきました』……す、すみません。こんなのではおもしろくなかったですね」
 アンジェリンはすでに真っ赤になっている顔にさらに血が集まるほど深く頭を下げた。

「ふっ、確かににつまらない。城と白という色で遊んだのだとわかった。そなたは私に問い詰められて、白目をむきそうな気持ちだと言いたいのか」
「いいえ、そんな、とんでもないことでございます。ただの思いつきで申しただけでございます」
 アンジェリンは肩を震わせていた。笑っているわけではなく、怖がっているようだ。フェールはそんなアンジェリンを頭からつま先まで観察した。

 ――歳はおそらく二十歳にもなっていないようだな。侍従長のロイエンニに似たところはない。母親似か。かわいらしい顔に似合わない駄洒落をいつも考えているとは、おかしな侍女がいたものだ。

 フェールが思い返しても、アンジェリンがいつから侍女として仕えていたかなど、憶えていなかった。城には侍女などいくらでもいる。人数が多い上、入れ替わりも激しく、いちいち名前や顔などを記憶する必要はない。

「くっ……まいった。まったく、駄洒落はどうしようなくくだらない娯楽だ。しかし心が明るくなることはわかった。兵たちがそなたの言葉を待ち望むわけも理解できた。楽しませてもらった」
「き、恐縮でございます。駄洒落を聞いてくださり、ありがとうございました」
 アンジェリンは、泣きそうな顔になってペコペコと頭を何度も下げ続ける。
 フェールはこの侍女を少し困らせてやりたくなった。扉の外で散々笑っていたくせに、こんな顔で謝罪しまくられたら誰でも折れてしまう。
「笑わせてもらって感謝すべきなのはこちらだ。どうだ? そなた、明日から毎日私のためにここへ来て駄洒落を言ってくれないか。兵たちに披露する前に聞きたい」
「あ、あのっ、ありがたいお言葉でございますが、思いつかない日もありまして……」
「そういう日は共に考えてみよう。このところ忙しくて、まともに笑ったことがなかった。くだらない言葉遊びで私を心から笑わせてほしいのだ。仕事を終えたら必ずここへ来い。ひとこと駄洒落を言ってもらうだけだ。時間は取らせない。私もそこの兵たちのように笑ってみたい」
 王子直々の頼みに、アンジェリンはまだ半泣きの赤い顔のまま小さな声で返事をした。
「はい……承知しました」


 翌日の朝、フェールの部屋にアンジェリンの姿は見当たらなかった。フェールはそこにいた侍従に訊ねた。
「昨日の夜に来ていた侍女は、今日はこの部屋の当番ではないのか」
 侍従は少し考えていた。
「昨日は誰の当番だったのかは、自分は把握しておりませんので、侍女長の方に確認いたします。お時間を少々いただけるならすぐに聞いてまいりますが、何か失態でもございましたか」
「いや、失態ではなく、その侍女に礼をしたいと思っているのだ。彼女の名は……ああ、訊いたのにうっかり忘れてしまった。たぶん私よりも若く、茶金色の髪を後ろで束ねていた」
「若い侍女……こちらに出入りできる十代の侍女は二人しかおりません。どちらも似たような茶色がかった金の髪色でございました」
「背の高さは普通ぐらいで、卵形の顔で、肌の美しい女性だ」
「ココルテーゼ・ホミジドでしょうか」
「いや、そんな名前ではなかった。見たところ、静かで地味な感じはするのだが、重そうな前髪の下に見え隠れしている目がとても印象的で……大きな緑の目だった。侍従長の娘らしい」
「では、アンジェリン・ヴェーノの方でございましょう」
「そうだ! 思い出したぞ。彼女はアンジェリン・ヴェーノと名乗った」
「呼んでまいりましょうか? 今日は非番で自宅へ戻っているかもしれませんが」
「いや、彼女よりも先に花屋を呼んでくれ。彼女に駄洒落のほうびを贈りたいのだ」
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