天使と見習い悪魔(3)
昨日の風情のある茜空とはうってかわり、今日は灰色の雲が重々しく空を覆い尽くしている。
今にも一雨来そうだなと、仰ぎ見て不安視しつつ俺はやや早足で帰路を歩いていた。
朝の天気予報じゃ夕方の降水確率は二十パーセントで、俺は八十パーセントを信じて部屋を出たため傘は持ってきてなかった。
まあ、結局は間に合ったといえるのだが、俺は急ぐあまり一つの懸念を失念していた。魔界カフェであくどいようなそうでもないような作戦会議を開いていた悪魔のことだ。
人質をとって天使さんの動きを封じるという作戦のため、ふさわしい相手を見極めるのに魔界荘で待ち伏せ見定めるという話だった。
しかし、俺が思うに魔界荘住人というのは人質は適さないような人が多いということで、俺は安心していたのだが、不安がせかせかと戻ってきた。
俺自身を忘れていたのである。
自慢には絶対にならないが、俺は魔界荘内じゃもっとも弱者だと思う。下手したら雪香よりも弱いかもしれない。
それはただの人間だし、仕方ない話だ。
もし、諦め悪く俺の帰宅時間まで奴らが粘っていたら……もしかしたら狙われるのは俺かもしれない。そんな不安だ。
だが、あのベシルの一方的な話し合いをしていた時間は昼過ぎだったし、張り込みする刑事がごとく忍耐強く待つような性格とも思えないし、楽観もしてたのだが……
「人質ゲットだぜ!」
「……俺はミニモンか」
魔界荘入り口の塀の影から現れたベシルに捕らえられたのである。虫取り網で。
ちなみにミニモンとはミニミニモンスターという子供に人気のゲームである。
「す、すみません。……あ、あの、少しの間だけ協力を……あ、」
謝りながらベシルに続いて出てきたルシルは、頭に網を被された俺を見て、目を丸くした。
ここは『お前はあの時の!』とでも言って運命の再会を装うか迷ったが、美少年にときめく趣味はないし、
「まだいたのか」
呆れ気味に俺は言った。
「……えっと、ここに住んでるんですか?」
「まあ、な」
「何? ルシルの知り合いなの?」
小首を傾げベシルが言う。覚えてないのかよ。
「ほら、喫茶店の店員さんだよ」
ルシルが説明するが、ベシルはそれでもピンと来ていないようで、
「ふぅん。別にどうでもいいけど」
心の底からそう思っている表情で言われるとさすがに少し傷つく。
「つか、この網さっさと上げてくれ」
自分で取ろうにもベシルは柄をミシミシいわせながら力一杯押さえつけてるせいで上がらない。
「私に素直に従うならそうしてあげる」
「あー、分かった。少しだけな」
時間的にはまだ夕食まではあったはずだしな。付き合ってやってもいいか。
「あの憎たらしい天使が出てきたところで、すかさず『少しでも動いたら、こいつの命はない』って脅すわけ。そして、アタシがアイツをやるわけよ」
カリカリ、と小枝で地面に描いた天使と書かれた棒人形に×印を付けるベシル。
「少しありきたりだな」
「なに? 不満なわけ?」
自分の策にケチをつけられ、俺を睨んでくるベシル。
「もう少し派手さがほしいな。そんな刑事ドラマから引っ張ってきたような台詞じゃあな」
「じゃあ、どうしろってのよ」
ベシルは唇を尖らせる。
「もっと悪役に相応しい台詞があるんだよ。よく見とけ」
と、俺は立ち上がり動きをつけながら手本を見せることにした。
「まず、天使さんは俺らを見て『何?』とか不機嫌に言うと思う。それを聞いてからベシルが『何? と聞かれたら』と返してだな、続けてルシルが『答えてあげるが世の情け――』っと言ってだな」
俺はキレのある動きで一人二役で口上を述べていった。最後の喋る猫まで完璧にやり切った俺の表情は、悔いのない演技を果たした舞台役者のような爽やかさだっただろう。
「…………」
「…………」
俺を見上げる二人は口をポカンと開け放っている。感動しているのかもしれない。或いは完璧すぎて、自分たちには難しいと思わせてしまったか。
「で」
ベシルは肩を震わせ、
「できるかあぁぁぁ!」
叫び、小枝を地面にたたきつけた。
「長すぎるし、意味不明じゃない! それに……ラブリー…とか……と、とにかく却下よ却下!」
途中チラッとルシルを見て、顔を紅潮させながらベシルは俺の台詞案をはねのける。ルシルはどうだ? 顔を向ける。
「……すみません。僕もちょっと……言ったら失敗しそうな予感もするし……やられ役の台詞のような……」
気が弱そうだからコクコク頷いて賛同するかと思ったが、意外にハッキリと言う奴だったんだな。
「じゃ、お前はどんなネタがあるんだ?」
「ネタ……?」
作戦も練り終え、後は天使さんを待つだけとなった。ちなみにルシルはとんだ期待はずれだった。ガッカリだった。
「さあ出て来なさい」
フフフ……と魔界荘の入り口に仁王立ちでベシルは不敵に笑う。
ここに立つことでとおせんぼする形になり、嫌でも関わることになる。つまりは背後に立つルシルに捕らえられている(今はまだ自由だ)俺を助けざるを得ないということだ。
雪乃さんに助けを乞うのは俺のプライドが許さんが、天使さんは別だ。普段冷たい天使さんが『仕方ないわね』とやれやれとため息を吐きながらも、俺を助ける。中々に萌えるシチュエーションではないだろうか。
時代は助けられる男だな。毎度さらわれる桃姫を助ける赤い男なんて古いぜ。
「でも、今から出掛けるってどんな仕事をしているんですか?」
ふいに疑問に思ったのかルシルは聞いてきた。俺は振り返り、
「夜のお仕事だ」
簡潔に答えてやった。
「あ、え……夜の……」
ルシルの顔が真っ赤になる。元々、日の下に出たことのないような白い肌のため、その変化は明白だ。
「ああ。毎晩客に癒しでも振りまいてるんじゃないか」
俺へ接する態度見てると想像し難いが。
「そ、そうなんですか……」
何を想像したのかは分からないが、ルシルの顔はさらに赤くなる。
「何人も相手してんだろうな多分」
「…………」
ルシルは耳まで赤くして俯く。いったいどんな想像をしたのやら。……俺は間違った説明はしてないが、キチンと正確に教えてやるか。
「あー、天使さ――ぐあ」
背後から頭を思い切り叩かれた。舌を噛んだらどうしてくれんだ。
「なに、変な言い方してんだか」
顔だけ振り向くと呆れ顔のベシルがため息を吐いていた。
「え?」
顔を上げルシルはキョトンとしている。
一層長いため息をベシルは吐き、
「ルシル、アンタも変な想像してんじゃないっての……天使の仕事はね……えっと」
言葉に詰まり、ベシルは俺を睨みつけるように見る。ど忘れでもしたのか。
「飲み屋。つまりはスナックだ。そこで働いてるらしい。俺は行ったことはないが」
アルコールは苦手だしな。客としていって天使さんにどんな態度を取られるかは気にはなるが、いつもの天使さんも、営業スマイルを浮かべる天使さんもどちらも怖いから行く気はない。
「それよ。それ。アンタの想像してるような仕事じゃないから」
「……そ、そうなんだ……」
「いったい何を想像したんだ?」
自分の中でかなり嫌らしい笑みを浮かべながら俺はルシルに問う。いや、意地悪ではない。単に俺も天使さんの仕事を知る前雪乃さんに同じことをされたから気になるだけだ。俺の想像力にはかなわないだろうがな。
「変なこと聞かないでよね!」
怒鳴るベシルはスルーし、
「恥ずかしがることはない、男はそういう生き物さ。天使さんの容姿を見て、夜のお仕事と聞かされて、想像しない方がおかしい。俺は十万は払えると思ったね。……いや、純血は大切な人に……それはどうでもいいか。さあ、言ってごらん」
俺は柔和に微笑み、両手を広げてみせる。想像の全てを打ち明けて楽になれ。
「…………」
ん? どうしたルシル。目を大きく開いて。別に驚くほどの告白じゃなかっただろ。男としてごく在り来たりな想像を話しただけだ。
「……邪魔なんだけど」
邪魔? 不機嫌な声で言うのは誰だ。これからルシルの想像を聞かせて貰う大事な場面なんだ。俺は振り返り、
「邪魔なのはそっちだ――」
その時、雷鳴が轟いた。幻聴かとも思ったが、黒に近い曇が空を覆ってるし、実際に鳴ったのだろう。俺が幻聴を疑ったのは振り返った目の前に立つ人物が纏う雰囲気が恐ろしかったからだ。
「楽しそうな話してるとこ悪いけど。退いてくれない?」
金髪碧眼の美女。スタイルも抜群で外見に文句を付ける人がいたならば、それは妬みか、視力を疑った方がいい。
それで微笑みを浮かべたりしてればいいのだが、基本的には近寄りがたい不機嫌そうな表情を四六時中浮かべている。
全ての天使がそのような雰囲気だったら、俺は善行なんかクソくらえと思っただろうが、ここにいる悪魔の話によると、天使さんは天界から役目を放り投げてきた問題児らしいし、まだ善行を積む価値はありそうだ。
「ここは通せないのよね。悪いけど、アンタはここでやられる運命なのよ!」
ベシルは予め自ら用意していた口上を叫び、ズバッと天使さんを指さす。
俺の経験からして、今の天使さんはマズい。不機嫌度が二割増しだ。俺の想像を聞かれていたのかもしれない。撤退を進言したほうがいいか。
「おっと、動かないで! 一ミリでも動いたらこいつの命はないわよ」
天使さんは動いてないが、ベシルは決め手おいた通りに台詞を進める。俺がまだ拘束されてない状況でいったい誰の命がなくなるというのか。
ちらりと後ろを見ると、ルシルは塀に隠れてこちらの様子を窺っている。逃げるの早いなおい。危険を余地したのか。
もう自棄だ。
「助けてくださいー。ころされるー」
棒読みで俺は言った。
台詞を考えたのはベシルだ。ベシルである。大事なことだから二回言っておく。
「ふん、観念なさい」
ベシルは勝ち誇ったように鼻をならす。実に頼もしい姿だが、天使さんの手をよく見て欲しい。
美しい手だが、その掌が青白い気を纏っているね。その掌をこちらに向けているね。邪魔な存在を消すのに無駄な言葉はいらないということだね。
さて、俺も逃げようかと一歩後退し――
雷光のような光が俺の目の前に広がった。
頬を冷たい滴が伝う。
「降ってきたか」
もちろん涙ではない。実力差が開きすぎているであろう相手にやられて、悔し涙を流してどうする。
「……ベシル、大丈夫?」
天使さんが去ったのを見て駆け寄ってきたルシルが、焦げた臭いを発し地に伏すベシルの側に屈んで声をかける。
それにしても、仕事に向かっただろう天使さんの表情は心なしか少しスッキリしてたな。こいつらを容赦なく倒したことでストレス解消になったのか。
「別に……ちょっと油断しただけよ」
なんか涙声になってないかベシルは。
同じく体が痺れ、地に横たわる俺は首をベシルの方に向けると、顔を隠すようにルシルに背中を向けていた。
「油断も何も力の差は歴然としてたと思うが」
「……うっさいわね。アンタがちゃんと台詞を言っていれば、万事うまく言ったはずなのに、あんな大根で……」
「俺のせいか。つか、天使さんに対し人質でどうにかしようとしたのが間違ってる。それすら敵としてしまう残忍、凶悪さ。あれは天使の皮を被った……いや……俺だったからか…」
他の住人と明らかに扱いが違う気がするし。だが落ち込むことはしない、あの態度はきっと、
「嫌われてるのね」
ベシル……それは違う。気になるがうえに冷たくしてしまう子供的な一面……そう思わしてくれないか。じゃないと俺は泣くぞ。雨に紛れて大粒の涙を流すぞ。
「勇気さん、ご飯ですよ」
と、曇天すらも晴れに変えてしまえるような澄んだ声が聞こえてきた。
俺はすぐさま立ち上がり、二階の廊下に立ちこちらを見て柔和に微笑む雪乃さんに、
「はい! 今行きます」
手を挙げて返した。
雪乃さんは軽く頷いて部屋に戻った。
「……って、なんでアンタそんな元気なわけ?」
ベシルは俺を見上げ聞いてきた。ルシルも不思議そうに俺を見る。
「ああ……」
俺は空を見上げ遠い目をする。
思い返すは過去の思い出。天使さんとの思い出だ。嬉しい少年誌的なハプニングがあったわけでもなく、不機嫌な時にばったり合っただけで痛い目にあった日々。
もう、どうせ痛い思いをするなら、わざとハプニングを起こそうかと何度、女湯に入ろうかと苦悩したことか。……その果てを考えたら痛いじゃ済まなそうだからやめたが。
そして、何度もやられる度に俺は快感を……覚えはしなかったが、回復が早くなった。一日痛みが引かなかったのが、今や十分まで短縮。要は、
「馴れだよ」
俺は言って、部屋へと向かった。
土で汚れたし着替えが必要だ。この姿でおじゃまして雪乃さんの部屋を汚すわけにはいかないからな。
雨粒が屋根を叩く音が強くなった。本降りになってきたようだ。
「…………」
俺は一度後ろを向き、庭を眺める。ようやく体を起こしたベシルと側で体を支えるルシルの姿がある。
「仕方ない。雨宿りくらいはさせてやるか」
やれやれと呟き、俺は庭へと降りていった。
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