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第三話・魔界荘へようこそ(3)
 二〇二号室の住人は、視線を降ろして雪香に挨拶をしてから、視線を戻し、見かけない人物(俺)を見て率直に『誰?』と聞いてきた。
 俺は衝撃で数秒ほど絶句したが、とりあえず、
「隣に住むことになりました、日野です」
 自己紹介をして、雪乃さんに渡された紙を一言説明して、手渡した。住人は空いてる方の手でそれを受け取り、軽く目を通すと、視線を俺に戻し、
「そう。魅栗沙羅みくり さら。よろしく」
 淡々とした口調で沙羅さんは眉をピクリとも動かさない無表情のまま名乗る。雪乃さんや雪香とは違う妖艶さを纏う雰囲気といい、どこかミステリアスな感じの女性だ。
 黒髪が闇に流れる滝のように膝裏まで伸びていて、屈めばで地面に着きそうだ。シャンプーも大変そうだな。目鼻立ちが整った凛とした顔立ちをしていて、美しい妙齢の女性だ。
 雪乃さんといい、そのような美人が隣人なんて実に喜ばしい状況なのだが、この人は雪香の言うとおりの人物だった。
「お姉ちゃん。これから仕事ー?」
 無邪気な声で雪香が聞いた。
 沙羅さんは片手にあるモノを一度見て、
「ええ、一件だけ」
 一件って何? セールスか何かですか? そうであってほしい。片手に持つモノを売りに行くんですね。貴方が持っているその鎌を。
 沙羅さんが左手に持ってる鎌。それは草刈りとかに使う鎌のように、軽く振れるほど小さくはなく、長身痩躯な沙羅さんの身の丈をゆうに越して、目算、二メートル弱ぐらいはあるだろう。黒い柄の先には三日月のように弧を描いた銀色の刃が付いている。
 さらに沙羅さんの格好――シャレじゃない――は、雪香が『黒いお姉ちゃん』と形容するように黒いノースリーブワンピースを着ている。露出した肌の部分は雪のように白く、それと相まって実に美しく感じる。
 そんな黒が多い姿と鎌から、俺は沙羅さんの仕事とやらの憶測をした。それは非現実的だったが、この寂れた建物と何故か俺に見える幽霊、黒木さんの強面などからしてもしかしたら『ありえる』と思った。思ってしまった。
 答えを聞いてみよう。
「仕事って何をしてるんですか?」
 俺の問いに、沙羅さんは短く答えてくれた。
「死神」
 それは俺の憶測と一致した。
 少しの間互いに沈黙。
「急ぐから。詳しく聞きたいのなら、また今度」
 やはり淡々と沙羅さんは言い、ドアが閉められた。まばたきすらしてなかった気がする。

「雪香ちゃん、今の本当なのか? 死神って」
 雪香なら嘘は言わないだろう。まあ、実際沙羅さんの言葉で結構信じてしまってるが。頭が毒されてきたかな。
「ホントだよー。お姉ちゃんが仕事してるの見たことあるもん」
 仕事ね、子供に見せていい光景なのか? あの鎌で首を……想像しちまったよ。血しぶきが飛んでたよ。
 いや、さすがに常識はあるだろうし、子供にそんな光景は見せないだろう。死神という仕事がどのようなのかは知らないが、とりあえず雪香に見せても大丈夫な仕事らしいな。



 次は二〇一号室か。
 もう何が来ても驚かないという覚悟はできている。何せ隣が死神だからな。
「この部屋はどんな人が住んでいるんだ?」
 だが、雪香に聞いとく。
 だって不安だし。心の準備というのがやはり必要だ。
「面白い人だよー」
 アバウトだな。明確な情報じゃないぶん不安倍増したよ。
 ま、死神以上の危ない人は出てこないだろ。名前も荒井だし普通だ。危険そうだったら、即刻逃げればいいだけさ。近所付き合いなんて知らん。

 呼び鈴を突くと、至って普通なピンポーンという高い音が鳴り、少しした後に『はい』という男の声がドアの向こうから聞こえた。俺はいつでも逃げれるように、盗塁を試みるランナーのように足を一歩自室に踏みだし、開くのを待った。
「はい。どちら様で?」
 出てきたのは二十代中頃くらいの青年。若手俳優として連ドラの主役でもしていてもおかしくない顔立ち。オシャレな眼鏡を掛けている。知的で誠実そうな外見だ。
「おはよー、シュウくん」
 元気良く片手を挙げ、雪香が挨拶する。荒木さんは屈んで視線を合わせて、
「雪香ちゃん。おはよう」
 穏やかな笑みを浮かべ挨拶をする。雪香はさしずめこのアパートのアイドルといったところだろうか。誰とでも仲がいい。
 俺は簡潔な紹介と雪乃さんに渡された紙を渡した。
荒木修あらき しゅうです。よろしくおねがいします」
 と、荒木さんは丁寧に言い、手を差し伸べ、俺も手を出して握手を交わした。触れるから幽霊ではないな。
 しかし、落ち着いた物腰の青年といった印象で、雪香の言う『面白い人』とは思えないな。付き合いやすそうな人で安心したが。そのナリでお寒いギャグでも言ったりするのか?
「シュウくん今日はこの性格なんだね」
 え? どういうこと?
「ああ、それは昨日までだったからね」
 意味不明な会話をしているが、下手に突っ込まない方がよさそうだ。
「じゃ、俺は次の部屋に行きますんで。それじゃ」
「はい、これからよろしくお願いします」
 荒木さんは丁寧に頭を下げ、ドアを閉めた。
「今日は面白い方じゃなかったみたい。残念だったね」
 残念だったというか……いったい荒木さんにどんな秘密が隠されているんだか。いや、知りたくはない。危険な香りがするから。



 二〇一号室を手早く後にし、階段をおり、やってきたのは一〇二号室。一〇一号室は空室だと雪香が教えてくれた。
 そして、この部屋に入る前にネームプレートを確認したが、今回は雪香に聞かなくてもどんな人なのか楽に想像できた。
 『天使』とネームプレートに書かれていたし。
 多分『あまつか』と読むのだろうが住んでる人は文字通り『てんし』だと推測する。死神もいたんだし天使がいてもおかしくはない。いや、ここに来てからがおかしいのかもしれないが。
 さて、天使とやらにお目通り願おう。俺は呼び鈴を押した。ちなみに俺の天使のイメージは美少女しかない。いつも笑みを絶やさない可愛い子だ。

「……留守か?」
 一度押しても反応がなく、間隔を開けてさらに二度押したが、反応無し。
「まだ寝てるのかなー」
 雪香が言い、年相応の小柄な身体を懸命に伸ばして呼び鈴を押す。いや、寝てんのなら寝かしといてあげたほうがいいんじゃないか。
 いないかもしれないし。仕方ない、郵便受けに突っ込んどくか――と、ドアに一歩近づいた時だった。
「うるさいっての」
 その瞬間衝撃が俺の鼻に走った。茶色の壁、いや、ドアが迫ってきたのだ。
 同時に透き通った、けど明らかに不機嫌だとわかる女の声が聞こえた。
「ユーキおにいちゃん、だいじょーぶ?」
 鼻を抑える俺を心配そうに見つめる雪香。まだ痛いが、
「まあ、平気だ」
 とりあえず鼻血は出ていないようだし。
「何なの雪香。朝っぱらから。こんな変な男連れて」
 女は謝ることもせず、その美麗な顔に不機嫌な皺を眉間に刻んでいる。半開きな目と寝癖で自由に毛先が跳ねたブロンドヘアー、明らかに寝起きだと分かる。格好も淡いブルーのキャミソールと、下着パンツ。豊満な胸のふくらみの頂点には突起が見える……ブラはしてないな。イカン。なるべく視線は顔に向けるようにしよう。
 まあ、俺も天使さんの立場だったら不機嫌になるね。眠りを妨げられるのは誰しもが嫌だろう。さっさと用件を済ました方が良さそうだ。
「二〇三号室に住むことになった、日野勇気です。あと、これを配りに」
 紙を差し出すと、天使さんは頭をグシャグシャ掻きながら気だるそうに受け取り、
「あっそ。じゃ」
 ドアを閉めようとするが、そうはいかん。どうしても聞きたいことが残ってるんだ。俺はしつこいセールスマンのように素早く足をドアに挟み、閉まるのを妨げた。
「何のつもり?」
 力づくで閉めようとしないでくれ。靴越しでも痛くなってきた。馬鹿力だな。
「アンタは天使てんしなのか?」
「それが何?」
 と、天使さんはあっさりと認めた……よな?
「いえ、別に……」
 更に天使さんの表情は不機嫌な色合いを濃くしていく。顔もそうだが、威圧感といえばいいのか、これ以上口を開けば殺されてしまいそうな雰囲気を漂わせている。
「じゃ、さっさと消えて」
 そう言い放ち、天使さんは俺の足を強引に蹴ってどかし、衝撃で変形しそうなくらい勢いよくドアを閉めた。
 アレが天使かよ……容姿以外は天使のイメージとはかけ離れてるよ。よく形容されてるような『天使の微笑み』は全くなし。
 まだ決めつけるのはよくないか、寝起きだしな。仕方ない。普段はいつも微笑みを浮かべているに違いない。そう思わせといてくれ。



 一〇三号室は留守で、雪香に訪ねたところ、大家の部屋とのこと。帰ってきたらしっかりと挨拶をしとこう。今んところ勝手に住んでるようなもんだし。
 一〇四号室は黒木さんの部屋で、日曜だしきっと寝てるだろうと、あのオッサンなら昼頃まで寝てるだろうと考え、郵便受けにつっこんできた。ちゃんと人のことを考え、配慮できる俺カッコイイ。決して、黒木さんの顔が怖いからとかではない。

「おつかれさまでした」
 雪乃さんの部屋に戻り、雪乃さんが容れてくれたお茶を飲んでいる、温まります。
 そういえばこの部屋、冬だというのに暖房器具がない。部屋の温度は外気と差があまり変わらないと感じる。
 なのに、雪乃さんも、雪香も、寒がる素振りは一切見せない。雪香にいたっては半袖Tシャツに膝丈のスカートだ。見てる方が寒々しくなる。
 この部屋で唯一暖がとれるお茶を一口飲み、俺はここまでに蓄積していた疑問を雪乃さんにぶつけた。
「雪乃さん。このアパートの住人って、あの……おかしな人が多くないですか? 死神とか、天使とか――」
 他にも強面の人とか、幽霊少女とかもいるが。
 俺の問いに、雪乃さんは口元に手を当てクスッと笑い、
「勇気さん、このアパートの名前は見ませんでしたか?」
 名前? すいません。全然記憶にありません。ここに来たときは腹が減ったりしていて、注意散漫でしたから。
「えっと……覚えてませんね」
 雪乃さんはもう一度クスッと笑う。
「魔界荘。それがここの名です」
「……まかいそう……」
 オウム返しにつぶやき、思考する。まかいって、ゲームとかでよく登場する『魔界』のことだよな。他に当てはまりそうな漢字が見つからんし。
 ゲームの魔界は大体、敵の本拠みたいなのが多く、魔王やら悪魔やらがいる世界か。
 そしてこのアパートが魔界荘。
 名前とは程遠いな。オンボロ荘って名のほうがしっくりくる。
「で、その魔界荘って名前と住人に何か関係があるんですか?」

「ここに住んでいる人は魔界から来ているんです」

 ……どうやら。俺はまだ驚く必要がありそうだな。



 と、まあ、雪乃さんが放った言葉にしばし言葉が詰まったりしたわけだが。割とポテトチップスうす塩味のようにアッサリ信じちまってる俺がいる。昨日今日で耐性がついていたからかもしれない。というより、元々俺は、テレビの超常現象を特集した番組は信じてはいないが、世界のどこかじゃそういう場所に繋がってたりとかあってもいいじゃないかと思っていた。
 マンホールに落ちたら、見渡す限りの草原が広がっていたり、トンネルの向こうに温泉街があったりとか。
 さすがに日本のどこか(山奥とか)に魔界村という村があって――パンツ一丁のオッサンを想像した――その村から集団でこの町にやってきた……何てことはないだろう。
 万が一の可能性としてドッキリというのも考えられるが、一般人にしないだろ。するとしたら、麻衣はなんだ? ホログラム発生装置を使って裏で声優が声当ててたのか? 雪乃さんに魅栗さんや天使さんに、その他は劇団員か? だとしたら俺はその劇団で共に汗水流したいと申し出る。
 そして大オチとしては大脱出マジックばりの大爆発があるかもしれないな。この辺りじゃ、火薬使っても近所迷惑はないだろうし、この建物が元々解体予定の廃屋であってもおかしくはない。
 まあ、そんなことはないし。あったとしても相応の対応すればいいだけだ。素人レベルで最良のリアクションを取れる用意はしておくか。
 で、雪乃さんがいう魔界とは正真正銘……というのもおかしな話ではあるが、異世界。この世界ではない、あるいは、地図には絶対に載ってはいない場所にあるであろう、魔界のことを指しているんだろう。
「……魔界ですか」
「はい」
 雪乃さんが頷く。
「どうしてですか?」
「そうですね……」
 と、雪乃さんは上を見て考え込む。魔王の世界征服のためとか言うんじゃなかろうか。ま、そうだとしても俺は雪乃さんの味方をする。この世界にはあまり執着はないし。
「何となく……ですね」
 雪乃さんはニッコリと微笑み、あっさりとした答えた。いいのかよそんな理由で魔界を飛び出して。
「魔界もいい所ですけど、こちらの世界もいい所でしたから」
 ……いい所ね。この世界がですか。雪乃さんには悪いが俺はあまりそうは思わないな。ま、価値観は人によって違うけどな。
「あの、雪乃さんは何者なんですか?」
 何となく想像はつくが。名前から。
「雪女。ですよ」
 イタズラっぽくフーと息を吐く雪乃さん。その息は小さな吹雪のようにキラキラとした氷つぶてが見える。雪乃さん共々美しい光景だ。
「じゃ、麻衣も魔界から来たんですか?」
 俺の部屋に住み憑いてる、幽霊少女のことも聞いてみる。麻衣も魔界の住人だったら、死者は魔界に行くことになるということになるのか。
「いえ、数十年前からあの部屋に住み着いたんです。魔界の方ではありません」
 数十年って、幅広いな。魔界では人間とは寿命とか違うのか? というか、雪乃さんは何歳だろう。いや、そんなことより、
「あの、ホントにここに俺住んでもいいんですか? 魔界の住人じゃないんですけど」
「構いませんよ。普通のアパートですから。魔界荘って名前なんで、そのような人が集まってるだけですから」
 それを聞いて安心した。追い出されずにすみそうだ。
「でも、前に隣に住んでた方は一週間で引っ越しましたけど。その前の方は一ヶ月……」
 恐らくは見えなかったんだな。
 見えずに麻衣と過ごしていたんなら何かと騒がしそうだ。天真爛漫っぽいし。



「確かに魔界荘だ」

 建物の正面。俺の背丈ぐらいの高さの塀に、長方形の板が張り付けられ、『魔界荘』と書かれている。長年風雨に曝されたんだろう、板は黒くくすんでいる。
 何気なく板の表面を撫でる。指が汚れた。
 俺はこの魔界荘で新たな人生を始めようと心に誓った。



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