死神のお仕事(1)
秋深し 隣は何を する人ぞ
という松尾芭蕉だったか、小林一茶だったかが残した句が頭に浮かんだ秋。
魔界荘から見える景色もすっかり色合いが変わり、どうにも言い表せない不思議な色の植物達が頭を垂れている。
さて、この句を俳人はどのような意味を込めて創ったは俺には判らないが、そのままの意味として受け取って、隣人が何をしている人かと言うと俺には分からない。
近年の近所付き合いの薄さによって判らないのではない。むしろ魔界荘住人は全員が家族のような絆があると俺は思っている。いずれは隣の住人と本当の家族に――げふんげふん。
だが、隣の住人、まずは白峰家から見てみると、一人娘である雪香は年相応の学生という身分であることは知っている。
知らないのはその親である雪乃さんだ。俺が朝バイトに行く時もたまに見送ってくれるし、夕方帰ってきてからもおいしい夕飯を用意して待っててくれる。お、こう言うと既に家族っぽい――ゴホンゴホン。
俺が休みの日も家にいるようだし、出かけた姿を見ても、少しして買い物袋を手にさげて帰ってくる。
生活が貧窮してるわけでもなさそうだし、収入源は未だ謎に包まれている。
以前それとなく訊ねたところ『うふふ。秘密です』とニッコリ微笑んで言ってくれて、俺はときめきを覚え――あー、結局分からず終いだった。
雪乃さんは、その不思議さを着飾って美しさを増してるし、俺としても別に深い詮索はしようとは思わない。
もう一方のお隣さん。暗闇で見る滝のような長い髪を持つ、魅栗沙羅。夜道で不意に会ったら今でも心臓が止まりそうになる雰囲気を纏う彼女が何をしているか、それは既に聞いてはいる。
それは死神だ。
死神というと、卍解やらを駆使し、次々と強敵を打ち破るバトル漫画のイメージとか、黒いノートを所持しリンゴしか食べなかったりするが、一般的には死を告げる者だろうか。
多分、魅栗さんもそういった事をしているのだろうと思っているが、実際はどうかは分からない。何故なら魅栗さんの仕事現場に立ち会ったことがないからだ。
ほら、イメージって大事だからさ。今は、暗いけど根はいい人という感じだし。わざわざ探偵紛いな尾行でもして、身の丈もある柄の先端に銀色の三日月のような刃を付けた鎌で、人の魂を切り取ってたりするのを見たりしたら、隣に殺人鬼がいるような感覚になってしまうかもしれんし。
だからさ、隣が何をしてようが、気にしなくていいんじゃないの。今の関係で満足してるし。例えばお隣さんがちょっと強面だけど気のいい人だと思ってたら、職業が外見通りそのスジの人と知ったら今後の付き合い方考えちゃうだろうし。好奇心は身を滅ぼすかもしれないからな。俺はいつも安全志向しかできない臆病者さ。
だが、それは唐突に知ることとなってしまった。
俺は風邪を引いた。
起床したときから頭痛はするし、鼻水は垂れるし、おまけに咽が痛かった。医者に見せずとも風邪だと分かる症状である。
そのことを同居人の幽霊は『夏が終わったのに風邪引くなんて……』と、晴れ渡った空を眺めながら雨が降らないかと心配したりして、遠回しに人を“バカ”だと伝えてくれたからハリセンで殴っといた。
つか、部屋から出られんくせに天気の心配をしてどうするんや。
――おっと、流れていないはずの浪速の血が出てしまった。
とりあえず、熱を計るため雪乃さんの部屋に行き、体温計を借りることにした。以前、風邪菌とは無縁なひきこもり生活だったし、たまの風邪症状になると体温が気になる。三十八とかいう数字になるのを見ると何故かテンションが上がったり。
で、結局雪乃さんは“人間用の”体温計は持ってなかった。
なんでも、市販品の体温計では反応しないらしいとのこと。確かに、お二人の体温は、人間ならば死後数時間経ったぐらいに低いようだからな。
ちなみにもちろんマスクは着用して行った。うつすわけにいかないし。
そして雪乃さんが病院を紹介してくれるというのを丁重にお断りし、街にある市立病院におそらくは三十九度はあると自己診断した怠い体を引きずるようにして来たわけだ。
紹介されたのが魔界病院とかだったら嫌だしな。風邪の治療と称して改造人間にされたらかなわんし。仮面ラ○ダーみたいな変身ヒーローになったら格好いいかもしれんが、イーイー喚く雑魚キャラにされる可能性だってある。そうなったら、デパート屋上でやるようなヒーローショーしか働き口がなくなる。
診察を終え、結果は見たまんま風邪だということを医師に告げられ、既に休むことはなつきさんに伝えてあるから自宅静養するかと、病院内に併設された薬局で薬を受け取りに行こうとした時――見てしまった。
それは、このような施設にはそぐわない人物、というかモノを持っていた。一歩でも踏み入れた瞬間、警備員に止められてもおかしくはない。
だが、その人物は入り口で目を光らせる警備員の脇を何事もなく通り過ぎた。
普通なら、身の丈もある鎌を持った人物がいたら距離を取りつつその場から撤退するが、隣人という間柄だしと、
「こんにちはー。魅栗さんも風邪でもひいたんですか?」
世間話を振ってみたんだが、魅栗さんは俺なんかアウトオブ眼中と言わんばかりに無視して通り過ぎました。
「あのー、魅栗さん?」
やや不安になりつつ、もう一度声を掛けるが、振り返ることもなく黒髪を揺らしながら階段を上がっていった。
んー。このまま病室に向かうのか? 知り合いのお見舞いなのか……鎌を持って? ……まあ、悪い想像というか“仕事”をこなそうとする姿しか想像できないわけだが。
「……行って見るか」
まだお見舞いに来たという可能性が消失したわけでもないし、やっぱり死神がどんなものかという僅かな好奇心が勝っていたりする。身を滅ぼすまでは突っ込みはしないけど。
三階。幾多の病室が並ぶ階である。
俺は適度な距離を保ちつつ、魅栗さんを追ってこの階に来た。
看護士に美女をストーカーするモテない男だと思われないよう、骨折した悪友をからかい半分で見舞いに来た。という風を装いながら尾行し、一つの病室前に着いた。
どうやら個室のようだ。ネームプレートは一人分の名前を入れることしかできないみたいだし。
「……聖沢優」
ひじりさわゆう。か、性別はどちらともとれないな。女の可能性が高そうだが。
それにしても魅栗さんはこんな病室に何のようだ。個室……症状が重い? そして魅栗さんは死神。……まさか。
「あ、また来てくれたんですね!」
病院らしい清潔感漂う白いドアの向こうから明るい声が聞こえた。
魅栗さんじゃないことは確かだ。もしそうだったら、意外な一面発見てな感じだし。ここに入院してる人の声だろう。
また、ってことは以前にも来たことがあるのか。それに喜々とした声って事は、今から魂を刈りますという状況ではないようだ。単なるお見舞いと考えるのが妥当だろう。
ちょっと意外だとは思ったが、友人がいてもおかしくないだろう。
「あの、」
ふいに後ろから声を掛けられ、振り返ると白衣の天使がいた。心まで白そうな若い看護士だ。俺、何かあったらここに入院しよ。
「優ちゃんの知り合いですか?」
てっきり怪しい人物扱いされるかと思いきや、それだけで特効薬になりえそうな優しげな笑みを浮かべ聞いてきた。
「あ、いや、知り合いじゃないですが……知り合いが中に……」
まさしく、しどろもどろに俺は手を無意味にワタワタとさせながら答えた。怪しさがより増したな。
「えっと、中にいるんですか?」
「まあ、多分」
「でしたら入ります? 優ちゃんも喜ぶかと思います」
俺の返答もまたずに看護士はドアを引いて、
「調子はどう?」
言いながら病室へと入る。いいのかね俺が入っても。ま、魅栗さんに知り合いだと言ってもらえばいいか。
「あ、はい。いいで――あ、」
ベッド端に腰を掛け看護士に答えた、おそらくは(他にいないし)聖沢優が、ドア近くに立つ知らない人物(俺だ)を見つけ、小さく声をあげた。
「ドアの前にいたんだけど、知ってる人?」
看護士はチラリとこちらを見てから、聖沢さんに聞く。「知らない」と答えられるであろうことは明白で、少女の病室前にしばし立っていた怪しい人物扱いもされたくはないし、
「え、いや俺はそこの……」
と、ベッド脇に立つ黒い人物を見てハッとなった。
本当に怪しい人物というか危険な人物はそこに鎌を持ってボーっと立っていますよと言いたくなった。何故、注意しないんだ? この病院は刃物の持ち込みオーケーなのか?
「あ、はい。知り合いです。こんにちは」
聖沢さんはそう言って、ニッコリとこちらに向かって微笑んだ。
聖沢優という少女――見た目は十代後半だろうか――は、儚げに咲く一輪の白百合と表現したくなる美しさがあった。
色素が薄い、黒と言うにはやや物足りない肩下までの髪に縁取られた顔は、癒し系にジャンル分けされるだろう、小振りな鼻と口に、ぱっちりとした瞳をしている。顔色はやや日光が足りないといった感じだな。魅栗さんよりはマシだが。
水色に丸い白がちりばめられた水玉模様のパジャマを着た身体も華奢で、ここでの生活の長さを物語るようだ。
だが、暗さというのは感じられず、看護士とのやり取りも笑顔を絶やさず、明るく会話をしていた。
簡単に病状について訊ねたりした後、
看護士はこちらを一瞥してから病室を後にしドアが閉じられるのを見て、聖沢さんは魅栗さんとその隣に立つ俺へと身体を向ける。
「あの、あなたも死神さんなんですか?」
純粋が詰まったような瞳で、そう訊ねてきた。魔界荘住人以外から死神なんて言葉を聞いたのは初めてだな。
「いや、日野勇気というただの一般人だが」
そう答えると、聖沢さんは驚きを表すように、二度まばたきをして、
「そうなんですか。あ、私は聖沢優といいます。死神さんと知り合いなんですよね?」
「まあ、隣人だし知り合いといえばそうだけど、魅栗さんが死神って知ってるのか? あと、何故俺を知り合いだと答えてくれたんだ?」
「はい。死神さんがそう言ってくれましたから。知り合いだと答えたのは、死神さんの姿は今、他の人には見えないらしいので、それが見えていた日野さんも死神だと思ったんです。すみません」
なるほど。看護士にはこの場に居た魅栗さんの姿が見えなかったと。聖沢さんの機転がなけりゃ、今頃看護士の冷めた瞳が向けられてただろう。というか、何故俺には姿を消しているらしき魅栗さんが見えるんだか。
「……魔に敏感になってきてる」
読心でもされたか、魅栗さんがそう心中で思った疑問を答えてくれた。
魔に敏感って、魔界荘住人と関わってるからか、或いはあの周辺がパワースポットのように変な気が密集しているのか、要するにそういう魔と関わることによって、俺が敏感にかぎ分けられるようになったと。何となくだが、そういうことらしいな。ファンタジー的思考だが。
「……大体合ってる」
マジで読心術を心得てんじゃなかろか、魅栗さんは。だとしたら俺の妄想が筒抜けということに……なんてこった。
ん? 待てよ。魅栗さんがステルス化してたということは、最初に魅栗さんを見かけて挨拶した場面を他人から見たら、幻覚が見えてる奴に思われたなきっと。
「えっと、ところで魅栗さんは何故ここに? 聖沢さんに死神だと伝えてるみたいですけど」
頭の片隅で一つの漢字が浮かんではいるのだが、違う答えが返ってくるとも思い、魅栗さんに聞いてみた。
しかし、その答えを返してくれたのは聖沢さんだった。
「私、あと数日で死ぬみたいなんです」
そう穏やかに言った少女は綺麗に微笑んでいた。
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