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第一話・魔界荘へようこそ(1)
 あー。腹減った。胃が空になってると今も音で知らせてくれてるよ。これは人間の神秘だな。
 何か食いたいけど、財布の中も空腹だ……。俺の人生終わりかもしれない。親父、お袋、今までありが――って、思っていいものか、元はと言えば、親父とお袋が原因でこうなったではないか。無理矢理家を追い出しやがって。
 冬の冷たさを運ぶ空っ風が身に染みる。……ま、追い出されたのも、自分の責任なんだよな。ひきこもってた俺の責任だ。
 ……けど、追い出すのってひどくね? 金もなし、職歴なし、学歴なし、なしのフルコースな俺を外に放り出したらホームレス一直線じゃないか。ま、すでにそんな感じだけど。

 ……はあ。勢いで電車に乗って、知らない街に来るんじゃなかったな。帰り賃もなくなったし、どこに行けばいいのかも分からない。現在も寂れた通りをただ歩いてるだけだしな。
 もう歩くのも辛くなってきた。いよいよマズいかもしれん。どこか休める場所はないか……。
 俺は辺りを見回した。草が好き放題に伸びた空き地があるだけだ。遠くにはアパートらしき建物が見えるが、築何十年も建ってんだろうな、ここからでも寂れてんのがよく分かる。人が住んでいるのかどうかも微妙だ。
 しかし、ここら辺で住宅はあの建物くらいしか見あたらない。人通りもないし、別世界って感じだ。
 人が多そうな場所を避けてきたから、そんな場所に行き着いたのは当たり前か。ちと極端だが。
 駄目だ。立っているのも辛い。自分の体力のなさに呆れる。ここで休むか。幸い人は全く通りそうにないからな。
 衣類が詰まったバッグを降ろし、それをクッション代わりにし、座る。衣類がペシャンコになってるだろうがどうでもいい。もう着ることもないだろう。まもなく日も暮れる。風も冷たい。今夜が命日になるかもしれないな。
「ヘックシュン!」
 ああ。寒い。僕とても寒いんだパト○ッシュ――って気分だ。次は空から天使が迎えにやってくるな。と、俺が灰色の空を仰いだ時だった。

「きょーうはお鍋ー♪ 楽しいお鍋ー♪ お肉に魚にチョコレート♪」

 フランダースな雰囲気をぶち壊す歌が聞こえた。声は可愛いが恐ろしくオンチだ。それにチョコレートって何だよ、鍋に入れるもんじゃないだろ。最近の流行かもしれないが。
「あ、死体だ」
「死んでねぇよ」
 声からして歌の主か。つか、いつの間に近づいたんだ? さっきは遠くから聞こえたようだったが。
「じゃあ、粋なオレ?」
 頭を傾げ聞いてきた。
 粋? 逝き? うーん、もしや。
「行き倒れ?」
「そう、ソレ!」
 どういう間違いだよ。いや、見た目から考えれば、そんな聞き間違いもあるか。
 背は座ってる俺と同じくらいだし、顔も目がパッチリと大きく、唇も瑞々しい。茶色がかった髪は肩口で綺麗に揃えられている。実に可愛らしい女の子だ。
「ねえ、何で行き倒れてるのー?」
 年相応の幼き声で、好奇心百パーセントの瞳で聞いてくる女の子。俺は行き倒れじゃねー……と返したいとこだが、生憎今の状況は似たようなものだ。
「あっち行け」
 手でシッシッとしながら、俺は言ってやった。素直に腹が減ってると言いたかったが、俺のちっぽけなプライドがそれを拒んだ。実際は女の子の手に持ってる袋から覗く長ネギが最高のごちそうに見えるほど腹減ってるよ。

『グゥゥー』

 何とも間抜けな音が閑散とした通りに響いた。俺の腹が空腹を知らせる音だ。人間の神秘だ。
 音が完全に鳴り止んでから女の子は言った。
「お腹減ってるの?」
 捨てられた子犬を見るような純粋な目で俺を見ないでくれ。情けなくなる。が、そんな気持ちとは裏腹に俺の首はコクリと機械的に頷く。
「じゃあ、ウチくる?」
 同情されてんのかな俺。いや、人の好意は無駄にしたら駄目だって誰か偉い人が言ってた気がする。
「いいのか?」
「うん!」
 満面の笑みを浮かべ女の子は頷いた。ああ……人の優しさに涙がでそうだ。
「お鍋は人がいっぱいいたほうが楽しいもんね、早くいこ!」
 そう言い、女の子は俺の手をもの凄い力で掴み引っ張った。体は華奢なのにどこにそんな力があるのか不思議だ。俺は慌ててクッションにしてた荷物を担ぎ、歩きだした。

「ねえ、行き倒れのお兄ちゃん、名前は何ていうの?」
 俺を見上げながら女の子は聞いてきた。どうやらこの子には“行き倒れ”のイメージらしいな俺は。
「勇気だ。日野勇気ひの ゆうき
「アタシの名前は雪香ゆきかだよ、ユーキお兄ちゃん」
 ユーキお兄ちゃんか……悪くない響きだ。決して俺はロリコンとかではないと思う。どちらかというと年上の方が――げふんごほん。
「そいえば、雪香ちゃんは寒くないのか? その格好で」
 雪香はこの寒空の下、水色のワンピースだけを着ている。何も羽織ってないし、防寒対策は皆無だ。
「え? 寒くないよー」
 最近の子は寒さに強いのか? 今も風の子とかいうのが通用するのかもしれないな。
「ここだよ、アタシのウチ」
 雪香が立ち止まったのは、古ぼけたアパートだった。さっき遠目に見えていた所だ。近くで見るとさらに凄いな。お化けが二、三人住んでいてもおかしくない雰囲気が漂っている。

「ここだよ」

 雪香に案内されたのは二〇四号室。二階建てのアパートの角部屋だ。雪香がドアを開け部屋に入る。
 俺はとりあえず、玄関で待つことにしよう。雪香は誘ってくれたが、親がどうかは分からないからな。
 雪香の親か……子があんなに可愛いからな、相当――

「よう、上がんな」

 …………。
 ダレデスカ? この体格がデカくて筋肉質で肌が日焼け後のように赤黒いオッサンは? とても雪香とは似ても似つかんよ。もしかしたらアッチ系の人かもしれん。声にドスが利いてるし。
 ここは逃げよう。腹が減って死にそうだとかどうでもいい。下手したら死期がさらに早まる可能性だってある。
「ユーキおにいちゃん、どうしたの? あがらないの?」
 と、雪香がオッサンの図太い足の横から小動物のように顔を見せた。どうしよ。雪香が優しく誘ってくれたのに断っていいものかとも思うが……このオッサンと鍋を囲むのはな……。
「早く上がんな。すぐ用意ができるからよ」
「はいー」
 あ、怖くてつい返事をしてしまった。


 この建物は外見もみすぼらしいが、中身も同じだ。六畳一間に台所、トイレがあり、風呂はなし。すきま風もスースー吹き込んでくる。それも寒いが今は別の意味で寒気がする。
 原因は四角いテーブルに向き合って座る、オッサンだ。黒木さんというらしく、下の階に住む人らしい。まあ、見た目からして父親はないな。今は新聞を読んでいる。
 雪香はというと、台所でお手伝いをしている。今も雪乃さんに野菜や肉が盛られた皿を持ってトコトコとこちらに歩いてくる。実に可愛らしい。
 って……俺は何もしなくていいのだろうか。雪乃さんには待っているように言われたが、居たたまれないな。
「何か手伝おうか?」
「いーよいーよ、ユーキおにいちゃんは待ってて。もうすぐできるから」
「そ、そうか」
 そう言って雪香は台所に戻っていく。
「おう、兄ちゃん」
 新聞を閉じ、黒木さんが話しかけてきた。
「はい?」
 う、寒気が全身に迸る。やはり怖いな……アッチ系じゃなくて大工をやってる人らしいんだが、顔に迫力がありすぎる。
「腹減ってるならドンと食えよ」
 白い歯を見せ、ニカッと笑いながら黒木さんは言った。顔が怖いから爽やかさはあまり感じない。
「ありがとうございます」
 ここは人を見た目で判断してはいけないと思った方がいいか。。
「遠慮せずに食べてくださいね」
 と、魚の切り身が盛られた皿をおく雪乃さん。雪香の母親だ。腰まで伸びた艶やかな茶色がかった髪と細長の目が印象的で大人の色香が漂わせている。
「たくさん食べてね、ユーキおにいちゃん! じゃないとまた行き倒れになっちゃうよー」
 雪香が天使のように笑いながら言う。癒されるな。……たくさん食べても、このままならまた行き倒れになりそうだけどな。先のこと考えても仕方ない、今は人の優しさに甘えるとしよう。



 実に満足な食事だった。こんな楽しい食事は久しぶりだった。途中からチョコが入って激甘鍋になってしまったが。
「ごめんなさいね。片づけ手伝ってもらっちゃって」
 隣で食器を拭きながら雪乃さんは微笑みながら言う。
「いえ、ご馳走してもらったんでこのくらいさせてください」
 俺にも恩を感じる心はある。いや、寧ろ雪乃さんと後片付けをできるのなら金を払ってもいい。そのくらいの価値はある。
「勇気さん、これから泊まるところはあるんですか?」
 俺は上を向き少し考えるふりをし、
「ないですね」
「でしたら、このアパートに住みませんか?」
 食事の時に大まかに事情は話したからか、雪乃さんはそう進めてきた。少しばかりだが、ここに泊めてもらえると思ったがそれは甘い考えだったな。……てか、最低だ俺。
「……家賃払えませんよ俺。稼ぎないですから」
 今まで一度もな。
「家賃は払えるときに払えばいいですよ。私も何年も払ってませんから」
「ホントですか!?」
「ええ、大家さんが優しい方なんですよ。……それに忘れっぽいですし」
 どんな大家だよ。つか、何年も払ってないという雪乃さんも凄いな。
「本当に、払えるときに払えばいいのなら……」
 というより、今日宿なしだったら凍死へ一直線だからな。ここで断られるのは命綱を離すに等しい。
「でしたら、隣が今、一応空き部屋なんですよ。勝手に住んで構いませんよ。大家さんが戻ってきたら事情説明すればいいですから」
 おいおい。いいのか勝手に住んで。それより鍵はどうすんだよ。針金でカチャカチャと?
「鍵は頼めば開けてもらえるかと、ちょっと行ってきますね」
 と言って、雪乃さんは出ていった。大家はいないんじゃなかったか? それとも別の人か?



 俺が洗い物を終えたのと同時ぐらいに雪乃さんは戻ってきた。
「鍵は開けときましたよ」
「ありがとうございます」
「あとで布団を持っていきますね」
 本当に勝手に寝泊まりしていいのか不安だが、雪乃さんを信じることにした。


 そして、隣の部屋の前。ドアノブを握ると冷たさが伝わってくる。果たして鍵は開いてるんだろうか――ノブを回す。
「マジで開いてるよ」
 いったい雪乃さんは誰に頼んだんだろうな。大家がいない間鍵を管理してる人がいると考えるのが妥当か。
 中は真っ暗だ。さらに寒い。当たり前だが暖房とかないだろうな。けど屋根無しよりはマシだ。
 明かりはどこだ……。おそらくは隣と同じような間取りだろうし、部屋の中央あたりに電灯があったはず。暗くてよく見えん……手で探るしかないか。懐中電灯でも借りとけばよかった。――と、これか。
 電灯の紐を引っ張り、部屋に明かりが灯っていく。電気は通ってるみたいだな、しかし、当然だが何もない殺風景な部屋だ……って。

「うー、眩しいー」

 俺の目に映ったのは、部屋の角で眩しそうに手で目を覆う少女だった。


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