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  センロノハテニ 作者:日比谷碌樹
第二部
第四話 美沙紀の忠告

 里佳子と香奈は、夕食の始まる午後七時に合わせてゲレンデから戻ってきた。相当楽しんだらしく、二人とも頬が紅潮している。あたしたちはダイニングに集まり、食事が始まった。
「未明、大丈夫? 具合、ほんとに良くなったの?」
 瀬川君も入れて、四人で乾杯したあと、香奈が心配そうに訊ねてきた。あたしは笑顔で肯いた。
「うん、ごめん。明日は朝から行けるから」
「きっと気が抜けたんだよ。あたしもよく、夏休みとかGWになった途端に熱出したりすることあるもん」
 里佳子がしたり顔でそう言った。
「でももったいなかったね、貴重な半日を寝て過ごすなんて」
「あ、だけど、この辺ちょっと歩いたりしてたんだよ。瀬川君がいろいろ案内してくれたんで」
「へえ? そうなの?」
 そこへ、美沙紀さんが、しゃぶしゃぶ用の薄い豚肉を載せた大皿を持って現れた。あたしたちは歓声を上げた。
「お待たせ。地元のブランド豚でね、『夢ごろも』って言うの。脂身がすごくさっぱりしてて女性に好評なのよ」
「すごい、ほんと、きれいな色ですね」
「お代わり自由だから、好きなだけ食べてね」
 美沙紀さんはすごく可愛らしい笑顔でそう言った。ほんとに、こういう表情はまるで少女のようにすら見えてしまう。
「いろいろ案内って、どんなとこ行ってきたの? 未明」
 早速しゃぶしゃぶ鍋の中で肉を泳がせながら香奈が言った。
「えーと、近くの神社とか、あと、古いトンネルとか。廃線跡なんだって、煉瓦造りで雰囲気があってね。なんか良かったよ」
「えっ……」
 あたしの答えにいち早く反応したのは香奈でも里佳子でもなく、空いた食器を片付けようとしていた美沙紀さんだった。彼女は空になったノンアルコールカクテルの瓶を持ったまま、じっとあたしを見つめている。ふと、視線を感じて隣を見ると、瀬川君は額に手を当てていた。しまった、という表情だった。
「淳、あんた……あの隧道へ行ったの? 未明さんを連れて? 近づかないようにってあれほど……」
 美沙紀さんは明らかに怒っている。あたしはうろたえた。なんで? 言っちゃいけないことだったの?
「いや、だってさ。別に危険なことなんてなかったぜ、中にも入ってはいないし……母さん、神経質になり過ぎだって。神隠しってのもただの迷信だろ。事実、俺、子どもの頃からなんども行ってるけど、いままで一度だって──」
 瀬川君は後ろめたそうに弁明を始めた。あたしをはじめ、香奈も里佳子も、ぽかんとしてそんな二人を見守っている。
「そういうことじゃないのよ」
 美沙紀さんの声が彼の言葉を遮った。怒りのためか、それとも別の感情のためなのか、わずかに震えていた。その直後、彼女ははっとしたようにあたしたちを見、無理やり笑顔を作った。
「ごめんなさい。でも、危険なところには近づかないでもらいたいの。……じゃあ、なにか、足りないものがあったら言ってちょうだいね」
 それだけ言うと、彼女は厨房に戻ってしまった。瀬川君はため息をついている。里佳子は小声で彼に訊ねた。
「ねぇ、どうしちゃったの、美沙紀さん。めっちゃ怒ってなかった?」
 瀬川君は温んだウーロン茶を飲み干すと口を開いた。
「昔からなんだよ。俺があの廃隧道に行くの厭がっててさ。理由訊いても教えてくれないんだ。変質者が出るかもしれないからだめだ、ってそればっかで。まずった、明後日から俺、超こき使われそう」
 あたしたちが帰るのは明後日の午後だから、その夜からはスタッフの一人として彼も働くことになっているんだろう。あたしは申し訳ない思いで謝った。
「ごめん。あたしがうっかり言っちゃったせいで」
「いや、違う、こっちこそごめん。久世のせいじゃないって。俺もそのこと言うの忘れてたわけだし、気にしないでよ」
 そう言われてもなんだか複雑だ。妙な雰囲気になってしまった場をどうにかしようと、瀬川君はスノボの話に話題を振った。



 夕食を終え、あたしたち女子はそろって三人部屋に引き上げた。「スノウハウス」には温泉、しかも露天風呂があるので、そこを貸切にさせてもらって雪見風呂を楽しもうという話になり、着替えを用意してから別棟に向かった。
「ええ、もちろんいいわよ。うちのお風呂は源泉かけ流しで、加水加温一切なしだから、もう明日の朝はお肌つるつるになってること請け合いよ」
 フロントに姿を見せた美沙紀さんは快活な笑顔を浮かべてそう言った。あたしはなんとなくほっとしていた。でも、里佳子たちと一緒にそのまま露天風呂に行こうとしたあたしを、彼女はなぜか引きとめた。
「あの……未明さん、今日、具合悪くなっちゃったでしょ。温泉に行く前に、お薬とか渡したいんだけど、ちょっと、いいかしら」
「えっ――薬、ですか? でも……」
 あたしは正直戸惑った。確かに倒れはしたけれど、いまはすっかり快復しているのに。けど、美沙紀さんの表情は、どこか、すがるようなっていうのか、真剣そのものだった。それでいて、できればあたしにはあまり関わりたくないというか──率直に言って、いますぐここから帰って欲しいみたいな空気がなぜか伝わってきた。
「わかりました」
 あたしは肯いた。里佳子と香奈には先に行ってもらった。ほかに誰もいなくなったフロントで、美沙紀さんは素早く本題を切り出した。
「おかしなことを言うと思うかもしれないけれど、聞いて欲しいの。未明さん、あなた、あの廃隧道に行ったのね? その時……なにか感じなかった?」
 なにか。……なにか、って……なに?
「なんて言ったらいいのか、説明のしようがないんだけど……いえ、感じなかったのならそれでいいの。でも、あなたは……その……」
 美沙紀さんはあたしを凝視し、口ごもった。彼女がなにを言いたいのかその趣旨がよくわからず、あたしはただ黙っていた。
「ごめんなさい、わけのわからないことを言って。……でも、とにかく、あそこには近づかない方がいいわ。地元の人もあまり近寄らない場所だし、行方不明者も過去には本当に出ているらしいのよ。私も……」
「え?」
 あたしは思わず訊き返した。でも美沙紀さんは言葉をそこで切った。
「いえ、なんでもないわ。引き止めてごめんなさい。じゃあ、お風呂、楽しんでね」
 それ以上話すつもりはないみたいだった。あたしは釈然としないながらも露天風呂に向かった。脱衣所で服を脱いでいる間、結局美沙紀さんはなにを言いたかったのかを考えてみる。
 ……わからない。ただ、でも、確かにあの廃隧道には独特の雰囲気があった。数十メートル先の出口を覗き込んだ時に感じたのは、真冬とは思えないおかしな一陣の風だ。一瞬だったから錯覚かもしれない。でも、あの風は……なんだか日本の風じゃあないみたいな……。
「未明、ねぇ、あたしたち言ってたんだけどさ」
 浴場に入り、湯船に浸かるなり里佳子が近寄ってきた。
「え? なにを?」
「ほら、昼間、あんたが瀬川君と行ってきたっていう、トンネル? いまはもう使われてないっていう」
「ああ……」
 あたしはほんのりと乳青色に濁ったお湯をすくいあげ、肩を撫でた。硫黄の匂いが強いけど、ほんとにつるつるして気持ちいい。
「そこさ、行ってみない? これから」
「ええ?」
 あたしは思わず大声を出していた。里佳子は口元に人差し指を当てている。
「声大きいって。だってさぁ、美沙紀さん、なんだか知らないけど超テンパってたじゃん。ああいう風に言われちゃうと逆に行きたくなっちゃわない?」
 それは……わかんないでもないけど、でも、なんでいまから? もう十時近いんだし、さすがに夜ってのは……。
「夜の方がさらに雰囲気盛り上がるじゃん。あたしも行ってみたいし、ねぇ、案内してよ、未明」
 香奈までが瞳を輝かせて迫ってきた。どうやら肝試し感覚でいるらしい。あたしはさすがに渋った。なにしろたったいま、美沙紀さんに釘を刺されたばかりなのだから。
「いや、でもさ、ならせめて明日にしない?」
「だめだよぅ、だって明日じゃ瀬川君もいるじゃん。美沙紀さんに怒られちゃったから、きっと反対されちゃうよ。だから瀬川君がいない時じゃないと。ってなると夜しかないでしょ」
 香奈のせりふには説得力があった。あたしは黙り込んだ。なんとなく、押し切られそうな予感がしていた。

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