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  センロノハテニ 作者:日比谷碌樹
第一部
第二話 救いの手

 まるで取り調べ室みたいな小部屋の、質素な木製の椅子にあたしは座らされた。真隣には、さっきの若い駅員がぴったり張り付き、逃がすまじとあたしを監視している。あたしはこれ以上ないくらいに身を固めた。気を抜くと涙がこぼれそうだった。
 あと、たった三十分かそこらで、乗り換えの駅に着くはずだった。そしたらそこからは二十分くらいで地元の駅に行ける。もう家に着いていたっておかしくなかったかもしれないのに。それなのに、いったいどうしてこんなことになっちゃったんだろう。

 ……ここはいったい、どこなんだろう。考えずにはいられない。日本……じゃないのか、それとも、「リトル○○」みたいな、どこかの外国人街なのか。まとまらない頭で、あたしは必死に可能性を潰していった。頼みの綱の携帯は圏外――ですらなく、ブラックアウトを起こしていた。下宿を出る際、たっぷり時間をかけて充電したはずなのに。
 とにかく……どこであるにせよ、そこにあたしがいまいるという、その理由は……記憶障害? 拉致? 或いは、或いは――。

 その状態で数十分が過ぎた。唐突に、荒々しい足音が聞こえた。きっとさっきの駅長さん(推定)に違いない。扉が開き、果たして彼が現れた。そしてその後ろから、またもや見知らぬ誰かが続いて入ってきた。すかさず駅長さんがあたしを怒鳴りつけた。うつむいていたあたしは思わずびくり、と肩を震わせた。
 すると、駅長さんの隣に立つその人が、なにごとかつぶやいて彼を制してくれた。あたしは恐る恐る顔を上げた。
 若い男の人だった。年齢はおそらく二十二、三くらい。ものすごく背が高い。百八十センチは優にありそうだ。外国の映画にでも出てきそうな、彫りの深いきれいな顔。肩までの灰色の髪。青灰色っぽい、ぞろっとしたマントを羽織り、肩にはシルクのような生地のケープ。あたしはその時初めて、ここがひどく寒いことに気づいた。……数十分前は夏だったはずだ。あたしは真夏の東京から帰郷する途中だった。目眩を感じ、ぐらり、と身体が揺れた。
 その男の人が短くなにかを叫んだ。同時にあたしは倒れ込みそうになるところを彼の手で支えられた。正直、放っておいて欲しかった。だってもしもこれが悪夢(ゆめ)なら、床にでも転がり落ちた拍子に頭を打てば、目が覚めるかもしれないからだ。
 彼はため息をついた。あたしの様子に、事情を訊き出すのは無理だと踏んだためかもしれない。あたしの左肩に手を置いたまま、駅長さんになにごとか告げる。露骨に渋った顔をしているところを見ると、無理なお願いでもしたのだろうか。あたしは二人の遣り取りをただぼんやりと眺めた。
 数分後、駅長さんは両手を軽く広げるジェスチャーをした。折れた、というニュアンスがこもっているらしい。それを見るなりマントの男の人が、あたしに右手を差し出した。立て、ということだろうか。
 どこに連れて行かれるのかわからないけれど、ともかく現状を把握して、一刻も早く家に帰らなくちゃ。あたしは自らを必死で奮い立たせ、誰とも知らぬ彼の手を取った。



 晩餐の一時間ほど前のこと、ウェス・ハーシュ家の伝令室に設えられた電話が鳴った。五大陸でも技術革新の進んだ交易都市ロマド、その中枢となるこのヴィネックの町を治めるウェス・ハーシュ一族。市街ではまだめずらしい電話が引かれているのも、この家ならではの特例的措置である。
ロア・イデス(もしもし)
 応対したのはメイド頭のパドマだ。電話はカルマ駅の責任者であるノーゼス駅舎長からだった。なにかと懇意の仲ではあるが、今日の彼の口調はいつもとは違い、ひどく緊迫していた。
「ああ、パドマ殿か。こちらノーゼスだが、当主のオルグ・ヴィネック卿はそこにおられるか」
 パドマは怪訝に眉を寄せた。「七日間会議に出席するため、先月オサイオン市にお発ちになったばかりじゃありませんか。ご存知でしょう」
「あ、ああ……そうでしたかな。それでは、次期当主、オルグ・ジード様は」
「おられますけれど。ちょうど今、秋期休暇で大学府(エコルガルト)からお戻りになっていらっしゃいますからね。でも、いったいなんのご用件ですの? じきに晩餐ですのよ、込み入ったご用事なら明日以降に──」
 ノーゼスは額を押さえた。パドマは有能極まりない女性だが、この融通の利かなさには毎度ながら手を焼かせられる。まったく、これだから女ってのは……。彼は咳払いをしつつも辛抱強く続けた。
「とにかく早くジード様をお呼びしてくれ。理由はご本人に直接申し上げたい」
 パドマは黙り込んだ。彼女はぶつくさ言いながらも、ノーゼスに従ってくれたようだ。五分ほどの間があり、やがて低く美麗な声が電話口に響いた。
「ジードだが。ノーゼスか? どうしたんだ、いったい。緊急事態でも起きたのか」
「ああ、これはジード様! 単刀直入に申し上げますが、実は先ほど、下りの便が着いたんでございますがね、ええ、例の定期便です、三ヶ月ごとの。その乗客の中にですね、どうにも珍妙な小娘が混ざり込んでおりまして」
 青年は眉を寄せた。「珍妙な小娘?」
「はい、それがもう珍妙としか申し上げようが。この季節だというのにまるで下着のような服装だわ、そもそもそれが見たこともない服だわ、あげく言葉も通じやしません。どこから来たのか訊ねてもまるで会話にもならんのです。文字どおり、お話にならないってやつでして」
 ノーゼスは一気にまくし立てた。ジードは受話器を耳から離し、息をついた。
「単刀直入に願いたい。ただの難民の娘じゃないのか。それでどうして私のところに連絡が来るんだ」
「ああ、いえ、はい。それがですね、ジード様。その小娘、中央政府発行の恒久手形を持っていたんですよ」
 ジードの顔色が変わった。「……なに? 『天上の切符(イグノード)』をか? しかし、あれは……」
「見間違いなんかじゃございませんよ。そりゃ私も、本物を拝見したことは一度しかありゃしませんがね。五大陸でも所有者が限られていることも承知です。ですがね、本当なんです。贋物(ニセモノ)とも思えません、ええ、断言します」
 ノーゼスは興奮を隠そうともせずに言い切った。ジードは考え込み、その形の良いあごを撫でた。
「……わかった。これから行く。その娘をそこに勾留しておいてくれ」
 彼はそう答えるなり電話を切った。そしてメイド頭のパドマを呼んだ。



 ジードは邸前に用意させた二頭立ての馬車に乗り込むと、カルマ駅に向けて出発した。駅は中心市街地から二ノール(五キロ)ほど離れた聖山、カルマ山(オルド・カルマ)の麓にある。街は黄昏に染まっていた。枯葉が風に舞い散り、馬車の前を通り過ぎていく。じきに冬が訪れる気配がした。

 ──「天上の切符(イグノード)」を持っている娘だと? そんなばかな……。あれは父上ですらまだ持ち得ていないというのに。難民のような小娘が、なぜそんなものを──。

 大方、ノーゼスの勘違いだろう。そうは思ったものの、放置するわけにもいかなかった。それにもし故意に作られた偽造品であるとすれば、なおさらその娘を逃がすことはできない。紙幣を含め、旅券類の偽造は連邦法の下で固く禁じられているからだ。
 十分ほどで目的地に到着し、馬車を車停めに寄せると、彼は駅舎に向かった。待ちかねた様子のノーゼスが駆け寄ってきた。ジードは軽く頭を下げた。
「ジード様! ご足労いただき、申し訳ございません」
「いや。それで、例の恒久手形は? 本当に本物なのか」
「間違いございませんよ。──これです。その小娘の衣服に無造作に突っ込まれておりまして、多少歪んでしまっていますがね」
 ノーゼスは黒い手袋をした手で恭しく問題の切符を差し出した。受け取ったジードは、一瞬、息を呑んだ。
「……これは……本物だ」
 彼とて、世界に数枚しか発行歴のないこの伝説の手形については、本物を見た回数など限られている。しかし、理屈ではなかった。浅葱色の紙の中央に、巨木、それに絡みつく双頭の蛇の図柄。そして神の祝詞が隠し文字として彫り込まれている。「天上の切符(イグノード)」。──間違いなく、本物だ。ジードは顔を上げた。
「その娘は」
「こちらでございます」
 ノーゼスは彼を駅舎の奥の待機部屋に案内した。偽造旅券などを使って町に入ろうとする連中を留め置くためにおもに使われる部屋だ。駅長に続いて入室した彼は、椅子に座る小柄な娘を見て思わず瞠目した。
 年の頃は十五、六といったところか。茶色がかった艶のある長い黒髪に、子ども相手に売られている玩具人形を思わせる、小さくまとまった顔。髪よりもさらに見慣れぬ漆黒の双眸。形良く整ってはいるものの、確かに独特な風貌だ。
 それになにより、ノーゼスの言うとおり、彼女はジードが見たこともない服装をしていた。肩も腕もあらわに出した白い上着に、薄い水色の、これもあり得ないほど丈の短いズボン。足元を見れば、かろうじて靴は履いているのだが、派手な色のついた爪がむき出しになっている。──正直、目のやり場に困る。それが第一印象だった。
「こら、娘、だんまりを決め込もうったってそうはいかんぞ。やんごとなきお方の前で、その態度はなんだ」
 ノーゼスは無骨に声を荒らげた。娘は怯えているらしく、その細い肩がびくりと震えるのがわかった。ジードは右手を上げ、彼を制していた。どう言葉をかけたものか思案していると、娘の身体がふらりと揺れ、椅子から崩折れそうになった。ジードは反射的に彼女の腕を支えた。
 とたんに、彼の心臓が鳴った。
 娘の身体は、見た目以上に華奢で、信じられないほどやわらかかった。薄い革手袋越しではあったが、その未知なる感触ははっきりと彼の手に伝わってきた。
「……いまここで詳細を訊き出すのは無理だろう。相当疲弊しているようだ。ノーゼス、この娘の身柄は、いったん我がウェス・ハーシュ家で預からせてもらう。いいな」
「えっ……いや、しかしですね……お父上もご不在だというのに、ジード様お一人の権限では……」
 ノーゼスは渋った。駅舎長としてカルマ駅を管轄しているのは彼である。いくらヴィネックの町を実質束ねているウェス・ハーシュ家と言えど、家長の留守中に勝手にそんな真似をして良いものだろうか。しかしジードは断固として言い切った。
「私は次期当主だ。父上の留守にはその全権限を代わりに(あずか)っている。問題などありはしない、いいな」
 ノーゼスはあきらめたように両手を広げた。なにがあっても知りませんよ、という意味を込めて。


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