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  センロノハテニ 作者:日比谷碌樹
第三部
第四十九話 暴露
 

 議官長が告げたその一言に、議場の空気ははっきりと変質した。緊張と昂揚が、素っ気ない造りの室内を、湯気のようにじわじわと包み込んでいく。そんな中、ヴァリーは思わず椅子から腰を浮かせていた。
「おい、いまのはいったいどういう意味だ? ウル……なんとかのために身を捧げるだと? まさかそりゃあ、俺らのことを――」
「不敬な! (たっと)き魅了の神の名を、そのようにぞんざいに呼び捨てるとは!」
「まったくもって信じられぬ。出自とて大してすぐれているわけでもない、このような者が、なぜ……」
 居並ぶ十人の議官たちの間から、口々に非難と嘆きの声が上がった。だがそれを制したのは、当のヴァリーでもなければ彼の隣に掛けるジードでもなかった。
「静まらぬか。――そなたもだ、ヴァルシリー・イェセニック・ウィドラーよ。まずは落ち着いて話を聞いてくれぬかの」
 本名(・・)を出され、ヴァリーは瞠目した。威厳に圧されたのか、彼らしくもなく無言で椅子に座り直し、神妙な面持ちで中央の老人をねめつける。
 沈黙の中、やがて議官長はふたたび口を開いた。
「創世の真実については、オルグ・ジード、そなたはすでに知っておろう? あれの……イシュレーのもとで、直接ウルディノシス神と交信しておるはず。そう――そなたらが、かの神の魂を受け継ぐ、六名の男の生まれ変わりであることも、聞き及んでいるはずじゃな」
 議場がわずかにざわついた。神殿間では最大の禁忌とされる「神降ろしの儀」を行ったのか、そんな意味の嘆声も漏れ聞こえた。
 ジードは肯いたものの、わけがわからないのはヴァリーだ。「はぁ? 生まれ変わり? 六人……なんだそりゃあ、いったいなんの話なんだよ。ゼーレンディアに伝わるお伽話かなんかかよ」
 議官長の言葉が、あくまで厳粛に続いた。
「青年よ、これはお伽話などではない。……よいか、心して聞くのだ。そなたがなぜあの切符を――『天上の切符(イグノード)』を受け取るにいたったか、その理由も含め、これから私が話すことは、すべて一片のまがいなき真実なのだ」



「色付けの儀」。それはあたしには、まるで聞き覚えのない言葉だった。けれど、あたしを庇うようにしてその左脇に抱き寄せる旦那様にとっては、そうでもなかったらしい。
「なるほどな。だいたい読めてきたぜ。要するにあれか、ウェス・ゴート家の醜聞の一件。あの時の儀式をもういちどやろうってわけか。――で? 前回は見事に失敗してたが、今回は成功する見込みでもあるってのか、ええ?」
 ばかにし切ったような皮肉っぽい口調にも、テオの顔色はぴくりとも変わらない。旦那様はさらに続けた。
「まぁ、その失敗を踏まえて、今度はてめぇが力を貸してやったってとこなんだろうが。言っとくがな、こんなやつに加担したところで、いいことなんかないぜ。てめぇの目がいい加減節穴だったとしても、こいつの性根が腐り切ってることくらいはわかるだろ」
 ここでテオはようやく口を開いた。感情のにじまない、それはものすごく冷たい声だった。
「性根が腐り切っているのは神殿とて同じことだ。私の人生は連中によって踏みにじられ、滅茶苦茶にされた。その屈辱がどれほどのものか、蹂躙する側の人間である貴様にはとうていわかるまい」
 旦那様は、そんなテオを真っ直ぐに見つめた。
「お前……二十年前、『春の街(ウェイ・モルド)』をうろついてた餓鬼だな。髪の色にしても、その海の底みてぇに真っ青な瞳にしても……よく憶えてる。街角であいつに……ミサキのやつとぶつかって、言葉を交わしてただろう。こんな華やかな祭りの日なのに、あの子はひどくつらそうな顔をしてたって、ずっとあとになってミサキが言ってたよ」
 テオの顔色が、はっきりと変わった。動揺しているのは明らかだった。
「確かに俺は為政の立場にいる人間だ。だから、憎しみを向けるのなら、俺に向けてくれ。アドリオもミハルも無関係のはずだ、そうだろ。それに――神殿ったってピンキリだぞ。俺が言っていいこっちゃねぇけど、神官だって人の子だからな。中にはどうしようもねぇやつだっているかもしれんが、けどな、義父上は……ノルド神官長だけは別だ。彼を蔑むのだけは――」
「あの老いぼれのなにが別格だというのだ? 貴様に連なる穢れた一門の当主など、『色付けの儀』による粛清を受けて当然なのだ! テオルーグよ、そんな男の妄言に惑わされてはならんぞ。二体の贄も依坐(ヨリマシ)も手に入ったのだ、さあ、とっとと儀式を始めようではないか」
 嗄れ声が響いた。白いローブに覆われたテオの肩が、かすかに跳ねた。
「半年前の失敗は、資格を有した贄がそろうことによって補えるのだろう。この小娘に――依坐の娘に魂を奪われているという男であるなら誰でもかまわぬと、そう言っていたからな。そう……あの時も実に惜しかったのだ。ウェス・ハーシュ家の小僧が二人もそろっていながら、死んだのは嫡男の方だけ。そこの若造を屠ってさえいれば、こんな二度手間をかけることもなかったというのに」
 あまりな言い草に、あたしはぱくぱくと口を開けた。なのに反論しようにも、言葉が出てこない。そんなあたしの肩を、旦那様はぎゅっと力強く抱いた。
「たいそうな執念だな。ええ? オルヌ。てめぇのつまらねぇ野望のために、あんな生真面目な男の家庭をゴミ屑同然に引っ掻き回してよ。事件のあとはさぞ寝覚めがよかっただろうな」
 旦那様の視線が、今度はテオじゃなく、もう一人の――あの蓬髪の男の人に向けられた。あたしはつられたように身を硬くしていた。だって、ウェス・ゴート家の醜聞って言ったら、確かあたしの失くなった記憶にも関わっているはずの出来事だ。そう――そこであたしは例のあの彼、カシアンと知り合っているはずなのだ。
 憎々しげに責められても、相手の男の人はむしろ楽しそうですらあった。彼は、人質として自由を奪ったままのアドリオ様のあごに、ゆっくりと手のひらを這わせながらこう返した。
「ふ、ふ。これはまた異なことを……学友同士とはいえ、犬猿の仲でもあるのだろう? 貴様とあの役立たずの大貴族とやらは。それを、いまさら義憤に駆られたとでも?」
 嘲りに満ちた声色だった。そう言いつつも、彼はわざとらしく首を左右に振っている。
「いまにして思えば、確かに我ながら早計に過ぎたものよ。名にし負うウェス・ゴートの頭領が、あれほど使えぬぼんくらだとはな。腰は据わらぬ、頭は働かぬ。あんな男を後ろ盾になど、そもそも無意味の極致だったのだ。ふん……よほど奥方の方が篭絡(・・)のし甲斐があったというものだな。美しく、賢く……いや、少々賢すぎたのが玉に瑕だったが。なんにせよ、あれほどの女が、なぜあんな凡庸な男に貞節を誓うのか、いやいや女心はまったくわからぬ」
 男の人の頬に、下劣な笑みが浮かんだ。事情を知らないあたしでさえ、嫌悪に鳥肌が立つほどの。――けれど、旦那様の怒りは、あたしなんかの比じゃないみたいだった。
「てめぇ、オルヌ……それ以上ぬかしやがったら命の保証はねぇぞ。自分がどれほどの罪を犯したのかわかってんのか? てめぇのせいでクリスティアは自分を責め続けて、挙句――」
「死にはしなかったろうが。罪だと? そもそもあの女が私の言うことを聞き入れて、あの屋敷から早々に立ち去ってさえいれば、ああいう事態には至らなかったのだ。それにウェス・ゴート卿もだ。最終的にあの女を追い詰めたのは、私ではなく、夫たる卿ではないか。違うか?」
 悪びれもせずに言い放たれたせりふの前に、旦那様の堪忍袋の緒がとうとう切れたらしい。彼の腕が、あたしの肩から無造作に離れた。どうするつもりなのかは明白だ。でも、アドリオ様が――人質として拘束されたままのアドリオ様が、まだ向こう側(・・・・)に――。
 ところが、その次の瞬間だった。
 入口の扉が、ものすごい衝撃音とともに破られたのである。



 馬車に揺られている間も、聖山(オルド・カルマ)に登っている間も、頭にあるのは彼女、未明のことだけだった。なぜここを目指したのか、それも単純な理由だ。傷も癒えぬ身体でベッドから這い出し、廊下をふらふらと彷徨っていた時、神殿の小姓たちがこんな風に話しているのをたまたま耳にしたからだ。

 ――ウェス・ハーシュ卿と、彼が連れてきた風変わりな黒髪の娘さんが、先ほど慌しく出て行かれたようですね。行き先? それがどうも自邸ではないらしくて。なんでも聖山に知り合いがいて、その相手を訪ねに行くのだとか。ずいぶんまた急な話ですが。

 彼は、カシアンは、その言葉を聞くなり神殿を飛び出した。文字どおり着の身着のまま、足代すらも持たずにだ。キニッサの繁華街でどうにか遠距離馬車を拾い、ロマドのヴィネック街区を目指してひたすら北上する。思えば意識を失ってからというもの、水すらまともに口にしていない。だが空腹などはまるで感じなかった。ただ、無性に渇きを覚えた。それがなんのために湧き起こる欲求なのかは、本能的に知っていた。
 麓に辿り着くと、なんの装備も持たぬまま、彼は山を登り始めた。無謀と言われようが、思い止まることなどできなかった。そうして昼の山中をやみくもに歩き回り、やがて宵闇が訪れる頃だったろうか。
 周辺の空間をぼんやり霞ませる白い靄が、遥か前方に見えた。
 それが(しるべ)だと、わかっていたわけではない。だがカシアンは駆け出した。靄の中に未明の微笑が隠れているような――あのやさしい、華奢な手が、自分に向かって伸ばされているような、そんな気がした。未明に逢えれば、逢うことさえできれば、この狂おしいほどの渇望もきっと薄らぐに違いない。――そう信じていた。この瞬間までは。

「てめぇのせいでクリスティアは自分を責め続けて、挙句――」
「死にはしなかったろうが。最終的にあの女を追い詰めたのは私ではなく、夫たる卿だ、違うか」

 木々の間にぽつんと建つ、粗末な庵の扉を押し開けようとしたその時、カシアンの耳に飛び込んできたのは、聞き憶えのある男たちの争う声だった。一人はそう、もはや違えようもないあの男――現ウェス・ハーシュ卿ことオルグ・ヴィネックだ。そして、彼の糾弾の矛先が向けられているその相手は――。
「……ラルモ……オルヌ……!」
 忘れ得ぬ、因縁の元副神官。父をいいように丸め込み、手なずけ、陰謀の片棒を担がせた憎むべき怪僧。いや、この際、その事実すらどうでもいい。カシアンはドアを蹴破り、室内へとなだれ込んだ。果たして、そこにいたのは、想像したとおりの人物だった。
「か……カシアン? お前、なんでここに……」
「いまのはどういう意味だ。オルヌ……貴様、死にはしなかった(・・・・・・・・)とはどういう意味なんだ、ええ!?」
 髪を振り乱しながら、血走った眼でカシアンは怒鳴った。ヴィネックも、そのそばに佇む未明の姿さえ、視界から消えていた。激しい動悸が全身を震わせる。対するオルヌは、だが一欠けらの動揺すら窺わせることはない。
「ふ……誰かと思えば、あの役立たずの倅か。ちょうどいいところに来てくれたものだ、なぁテオルーグよ。ウェス・ハーシュ卿でも用が足りるとは言っていたが、先代(・・)ならばともかく、この男がそこの小娘に惹かれているとはどうも思えぬ。そうであるならより確実な、そう……依坐の娘恋しさのあまり正気を失ったこの哀れな小蟲の方が、よほど勝率も上がろうというもの」
 彼は楽しげな哂い声を漏らした。一方のテオルーグは沈黙を守ったままだ。カシアンがふたたび吼えた。
「私の質問に答えろ! 貴様、母についてなにを知っているのだ……まさか、まさか貴様が母を……」
「死んではいない。――だがそいつが彼女を嵌めたってのは、どうやら事実らしいな」
 カシアンは弾かれたように声の主を見た。オルグ・ヴィネックだった。冷ややかな中に怒りと蔑みの込められた、それはこれまでの彼の飄々とした言動からは想像もつかないせりふだった。



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