お茶の時間もそこそこに、ジードは自邸の持つ広大な庭園に出た。七日前に夕暮れのカルマ駅から連れ帰った娘を捜すためだった。
彼女に関する責任は、次期当主たるこの自分がすべて負う。そう家人に宣言した手前もある。女官長のパドマに面倒を押しつけたままというのもよくはないだろう。一般常識を含め、教えられることがあれば、自分が導いてやらなければ。そんな風に、彼はおのれに向かって言い聞かせていた。
あの娘、未明は、メイド見習いとして屋敷に住み込み、いまは簡単な手伝いを覚えることから教育が始められている。パドマに彼女の所在を訊ねると、こんな答えが返ってきた。――今日は、午後からお庭の手入れを見学してもらおうかと思っておりますけれど。そうご心配なさらなくても……力仕事というわけじゃございませんからね。
部屋を抜け出し、庭を歩き回る。トピアリーの一群を抜けた先に、捜している娘の後姿を見つけ、ジードは思わず駆け出していた。
未明の左腕には、すでに大きな白百合の束があった。ジードの亡き母、イレイラのために設けられた花園で摘んだのだろう。具合のいいことに、周囲には庭師の姿もなければ、ほかのメイドたちもいない。そう考えている自分に気づき、ジードは慌てて頭を振っていた。
「ミハル」
声をかけると、彼女は弾かれたように顔を上げた。その頬がわずかに紅潮する。ジードは大股に近づくと、未明の腕に収まっている花束に目をやった。その中には、大陸の固有種である、有名なあの花がなかった。
「そうか。それを摘むためにこっちの庭園に来たんだな」
ジードは肯き、目の前に広がる花の群れを見やった。そこには一面、どこか素朴な美しさの漂う小ぶりの花が咲いている。晩秋の緩やかな風を受けて揺れる、愛らしい花々。
学名をユニシオス・フューレ。「無償の愛」を意味する、ユニスの花だ。
原種の花は黒で、元々は低地には咲かない高山植物であったらしい。霊山として知られるカルマ山に自生していた野生種を、キニッサのとある神官が神殿に持ち帰り、栽培を試みたのが現今の始まりとされている。星の形に開いた花弁は五枚であることがほとんどだが、まれに、六枚のものも存在する。
「それを見つけた者には幸運が訪れるそうだ。白のユニスならなおさら希少性が高く、『ご利益』があると聞くな」
白いユニスは愛の象徴として聖書にも記されている。人工交配から生まれた紫種ほどめずらしいわけではないが、その清楚な色は広く一般に好まれ、親しまれている。ジード自身、もっとも好きなのはやはり白色種だった。
話の内容はほとんど理解できていないのだろう。未明の顔には曖昧な微笑みが浮かんでいる。ジードは苦笑した。
「花を愛でるのに理屈などは不要だな。――こうすればいい」
ジードは未明の腕の中から一輪のユニスを抜き取ると、茎の部分を適当に手折ってから彼女の髪に挿した。思わぬ行為に驚いたのか、未明の大きな瞳がさらにまん丸になった。
「……、……」
うろたえたようになにかを口走るのが聞こえた。元より聴き取れるはずもないそれらの言葉は、ジードの耳をただやさしく撫でた。小鳥の囀り。歌うような声。
可愛い、と心底思った。
「ジードさま」
たどたどしく名前を呼ばれた瞬間、彼ははっと我に返った。慌てて未明の髪から手を離し、やみくもに咳払いをする。その時だった。
「あ、ありがと、ございます」
大陸共通語での謝辞。確かに未明はいま、そう言った。ジードは目を見開き、思わず口元に手をやった。当の未明は、照れからか、視線を逸らせてその場に屈み込んだ。と、ふいにその瞳が輝いた。
「あ――」
歓声を上げながら手を伸ばした先には、一輪の花房があった。ところが、次の瞬間。
小さな悲鳴とともに、未明は顔を歪ませた。茎の辺りに触れた指先を見ると、ぽつんと血がにじんでいる。
棘にやられたのだ、そう理解するより先に、ジードの腕は素早く動いていた。彼は未明の右手をつかむと、その細い人差し指を、なんの躊躇もなく口に含んだ。
「――」
絶句し、硬直する未明。顔のみならず首筋も耳たぶも見事に赤く染まっていく。けれどジードはその行為をやめようとはしない。くわえた指先を、その傷口を、丹念に舌で舐め、労わるようにやさしく吸う。
しばらくそうしたあと、ジードはそっと口元から未明の指を離した。それから、照れたように笑って言った。
「……母が昔、よくこんな風に傷の手当てをしてくれたんだ。私もそうだが、弟のアドリオもやんちゃで、庭で遊んではどこかしら怪我をして……そのたびにこうして――」
そこまで語ったところで、ジードはふと気づいた。未明の指を傷つけた花の、その特徴に。
「ミハル、それは……その花は」
あらためて手を伸ばし、茎に用心しながら花弁を検める。びろうどのようにやわらかな、白い花びらが六枚。
幸運の白いユニスが、風に揺れていた。
思わず顔をほころばせて未明を見る。真っ赤な頬を隠すようにしてうつむく彼女に、ジードの胸がどうしようもないほど強く疼いた。彼はなにも言わずにその花を手折り、未明の抱えている花束の上にそうっと乗せた。
それから、小さな声でつぶやいた。
「傷口の手当てを、きちんとしておいた方がいい」
それだけ言うと、ジードは静かにその場を立ち去った。いま、いったい自分はどんな顔をしていることだろう。足早に邸内に戻り、自室のベッドにその身体を投げ出す。唇に触れると、あまりにやわらかい肌の感触が、あのふんわりと甘い香りが、鮮やかに蘇り、彼をやさしく包み込んだ。
――六枚の花びらを持つユニスは、幸運の使者。
「見つけたのは私もはじめてだが……言い伝えも、あながち間違ってはいなかったんだな」
ぼうっと熱を帯びた眼差しのまま、ジードは独りごちていた。
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