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  センロノハテニ 作者:日比谷碌樹
第一部
第一話 帰郷
 
 車体が不意に大きく揺れ、うとうととまどろんでいたあたしは目を開けた。強い西日が目映いばかりに差し込んでくる。思いきり伸びをし、時計を見やる。四時――あと三十分で乗り換えの駅だ。
 四人掛けのボックスシート。気づくと前の席の人はいなくなっていた。隣の女の人も。東京駅からいったい何本の電車を乗り換えてきたことか。それもあと一本の辛抱だ。


 あたし、久世(くぜ)未明(みはる)は、都内の大学に通う十八歳の苦学生。実家は東京から新幹線で二時間ほどの海沿いの町。学校が夏期休暇に入ってからというもの、毎日のようにバイトに明け暮れ、ようやく三日間のお休みをもらって帰郷する最中である。といっても貧乏学生のあたしには、新幹線の切符を買うほどの余裕なんてない。その代わり体力ならある、ということで、お決まりの「青春十八きっぷ」を金券ショップで購入し、鈍行を乗り継いで帰ることにしたのだ。
 携帯の着信音が鳴った。電話じゃなくメールだ。内容を確認するとお母さんからで、「いまどこ?」と件名のみ素っ気なく書かれている。機械音痴のお母さんらしい。「もうじき着くよ」と返信を書き込みながらあたしは微笑んだ。
 車窓の向こうには田園風景が広がっていた。東京にいる時には無性に懐かしかった光景。うちも似たようなものだからだ。……もうじき、帰れる。今日はきっとご馳走。お母さんの手作りのちらし寿司にローストチキン。クリスマスじゃなくても、我が家のイベントの料理は決まってる。それに高校生の妹の榛名(はるな)、今年で十歳になるキジトラの茶々(ちゃちゃ)。あたしが大学に入学した次の日に事故で死んじゃったお父さんのお墓参りにも行かなきゃ。それから地元のたくさんの友達。三日間の休暇でやりたいことはいっぱいある。
 とにかくあと三十分。トンネルに入ったらしく、車内が急に暗くなる。眠らないようにしていよう、そう思ったのに、あたしの瞼はなぜだか急激に重くなった。



 ガタン、ガタン、キッ、キィ――
 聞き慣れない、耳障りな衝撃音がした。ひどくレトロな、まるでSLみたいな音。あたしは飛び起きた。
「え?」
 目が点になった。まだ夢を見ているのかと思った。……なに、これ? どゆこと?
 近代的な、ホワイトとシルバーでまとめられていたはずのメタリックな内装が、がらりと一変していた。ワックスを塗られているのか、渋い色に輝く板張りの床、黒褐色の壁、暗緑色のびろうど張りの椅子、同じく板張りの天井。分厚いカーテン。なんていうか、まるで、そう、映画でしか見たことない欧米の古い客車みたいな雰囲気。
 ……って、なんであたしがそんなとこに? やばい、まさか乗り換えを忘れてこんな事態に?
 あたしは相当なパニックに陥っていた。よく考えたら、いくら寝過ごしたからっていきなり電車が様変わりする理由になんかならないんだけど、この時は思考回路がショートしてしまっていたのかもれない。
 とにかく、あたしは立ち上がり、手荷物をまとめると通路に出た。同時に車体が完全に止まった。どうやら駅に到着したらしい。あたしは慌てて乗降扉に取り付き、ホームへ降り立った。



 あたしは文字どおり呆然としてその場に立ち尽くした。
 そこはまるで見知らぬ外国の駅だった。コンクリート、ではなく、石造りのホームに、赤茶色のレンガでできた駅舎。どん、と背中を押され、あたしはよろけた。電車──ではなく汽車なのかもしれない。なにしろ先頭車両の方から黒煙らしきものがうっすらたなびいているのだから──から続々と降りてくる人々が、列をなして改札を抜けていく。改札といっても自動ではなく、黒い帽子に黒いマントを着込んだ駅長らしきひげの男の人が一人一人の切符を入念にチェックしているのが窺える。……なんなの、これ? どっかのテーマパーク?
 ふらふらと座り込んでしまったあたしの腕を、誰かが強引に引っ張り上げた。痛い。顔をしかめるも離してはくれず、あたしはそのままひげの男の人の前に突き出された。二人は思いっきり胡散臭そうな眼差しであたしを上から下まで眺めている。彼らは耳打ちし合い、そのうちあたしに右手を突き出してきた。
「はぇ?」
 あたしは寝惚けたような返事をした。だって、いきなりそんなジェスチャーをされても、わけがわからない。ひげの男の人は苛々となにかを怒鳴っている。──やばい。まったく理解不能。ていうか、なんで日本語じゃないの?

 ……ここ、いったいどこなの?

 埒が明かないと踏んだのか、若い方の、駅員らしい男の人が、唐突にあたしの穿いているショートパンツのポケットに手を突っ込んだ。あたしは仰天した。
「な、な、なにすんのちょっと! 離してよっ」
 わめくあたしには目もくれず、彼はポケットの中から一枚の紙切れを引っ張り出した。あ、そうか、わかった。要するに乗車券のチェックをしようとしていたんだ。ほっと胸を撫で下ろすあたし。
 ところが、事態はここからさらに思わぬ方向へと進んだ。
 「青春十八きっぷ」を見た駅員の顔色が変わった。彼はひげの男の人の眼前にそれを突き出した。奪うようにして凝視し、あたしに向かってなにごとか問いかけてくる。……なに? なんて言ってるの? その切符、確かに正規の窓口じゃなく、金券ショップでばら売りで買ったんだけど。ごめんなさい、だってお金なかったんだもん。うちはそんなに裕福じゃないから学費だって最初っから奨学金狙いだったし、生活費も七割までは自分で稼ぐためにバイト三昧の生活で、ここんとこ毎日寝不足で――。
 彼は重々しい顔つきで首を左右に振った。あたしの足元からすうっと血の気が引いていく。よくわからないけれど、どうやらとてつもない失態を犯してしまったらしい。あたしは二人に両脇からがっちりと腕をつかまれ、そのまま駅舎の中へと連れ込まれた。脈絡もなく、家族の顔が脳裏を過ぎった。


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