チャプター9
日曜日。夜八時。
僕は扉の鍵を開けて、吉川の父親が眠る荒地に踏み入った。
無風状態のしんとした、心地のいい夜だった。一ヶ月前のことを思うと、寒さもいくらか和らいだ。先週と比べても。もうすぐ三月だ。厚かましい冬も最後にはきちんとわきまえ、春は危なげなく訪れる。澄み切った夜空が雲ひとつの介入も許さず展開し、おびただしい数の星の群れが瞬き合って、その中心で完全な月が金色の光を放っていた。歩きながら僕は何度も大きく息を吸い込んで、エッジの効いたクリアな空気を体内に溜め込んだ。
空き地の中心部、吉川の父親を埋めた辺りに差し掛かる。そこには黒い岩のような塊があって、僕が近づくとそれはシュッと伸び上がり、人の形に変わって言葉を発した。
「こんばんは」
「…何してるんだ?」
「お墓参り」
僕はシャベルをもてあそぶ吉川の正面に立ち、背中の死体をそっと降ろした。
三十分前。
吉川が父親を刺した路地裏で、僕は遠山の首を絞めた。
金曜日に僕は遠山のノートにこんなメモを挟んでおいた。
『返事をしたいがもう少しだけ考えたい 日曜の夜 七時半に路地裏で』
そのメモは遠山を殺す前に回収した。死体と一緒に埋めるつもりだ。
吉川のリサーチによると、日曜の七時から八時に路地裏を通る人間はいない。イレギュラー因子は僕と遠山だけだった。それにあの路地裏は、小さい頃に遠山と遊んだ思い出の場所でもある。だからあそこで殺した。
「美奈、殺したんだ」
機械のような声音で吉川が言う。吉川が持っているシャベルは僕があらかじめ持ち込んでおいたもの。扉の鍵も数日前のロレンスで頼み込み、適当な理由をつけて吉川から借りていた。
「どうやって入った?」
「合鍵は二つ作るのが常識なのよ」
吉川はコートのポケットからキーホルダーを取り出して得意気に僕に見せる。それから僕のそばに来て、遠山の顔の近くに膝をついて、遠山の髪を撫でた。
「美奈は私たちを見ていたの?」
「そうらしい」
僕は幼なじみの死体を見下ろす。
「警察に言うって言い出したから、殺した」
吉川だけを告発しようとしていたことは伏せた。
「ひどいな。私の大切な『お友達』だったのに」
僕は何も答えずに墓穴を掘り始めた。
吉川はまったく僕を手伝おうとせず、土の上に座り込んでずっと、遠山の頬に触れていた。背中を向けていたので表情はうかがえなかったが、僕にはその黒い影がどことなく淋しそうに見えた。
遠山を埋葬して手を合わせてしまうと、僕と吉川は扉に向かってゆっくりと歩いた。
「DVD、全部観たよ」
「本当?」
「二回観た」
「うれしいな」
吉川は弾む声でそう言った後、一言も口を利かなくなってしまった。見ると、どうにも浮かない横顔をしていたので、僕もそれ以上何も言わないことにした。
扉を出て鍵を閉める。
吉川が外灯の真下で足を止めて、いやに真剣な顔付きで振り返った。
「岡部」
「なに?」
「あんた、初めて殺したんだよね?」
「当たり前だろ」
「なのにそんなに落ち着いてるの?」
言われて僕は自分の感情を確認する。
「そうだね」
「……あんた、やっぱりおかしいわ」
吉川は優美な指先でこめかみを押さえた。最近見慣れている顔に、見慣れない要素が浮かぶ。
「吉川は、あれが初めてじゃなかったの?」
「初めてよ。だけど、あんたみたいじゃいられなかった」
「そうは見えなかったけど」
「……隠してたのよ。悟られないようにしてた。あんたじゃなければ気づくわよ。……でもあんたは、何も偽ってないんでしょう?」
「うん」
吉川は躊躇うように下を向いて、スニーカーのかかとで地面をガリガリと削った。様子がおかしい。
「ちゃんと確認しておきたいんだけど、……どうして美奈を殺したの?」
「ブランコに乗るのが嫌だったんだ」
「…どういう意味?」
「冗談だよ」
吉川はあくまでシリアスに僕を見てくる。どうしてだろう。めずらしく僕は少し苛々しているようだ。このままだと何か余計なことを言ってしまいそうな気がする。そこで僕は頭を切り替えるために、目まで閉じて考えてみた。
僕は何故、遠山を殺さなければならなかったのか。
言葉をつむぎあげる。
「遠山は、僕にとっての不都合を招く可能性があったから。殺したかったわけじゃない。小さい頃から知ってる友達だった。ただ、それでも僕が生きていくうえで妨げになるものなら、消したほうがいいと思ったんだ」
「私も、妨げになるんじゃないの?」
吉川は言葉を用意していたのか、即座に、しかし、かすれた声で言った。
「そうだね」と僕は答えた。
「君は僕が殺人を犯したことを知る唯一の人物だ。もしも次に何らかの不都合が生じるとしたら、それはきっと、吉川のことだろうね」
「……そうよね」
吉川は僕の顔から視線のフレームを外そうとしない。僕も見返して、時間が経過する。
「でも、」
僕は吉川の瞳にわずかに浮かぶものが不安だということにようやく気づき、嫌気が差して、耐え切れずに視線を逸らし、思い直してまた見つめた。
「できれば僕は、君を殺したくない」
吉川は何も言わなかった。
ただ、すっと目を細めて、幻想童話のような笑顔を僕に見せた。
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