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パスカルード
作:ケルベロス



清水幸成からの手紙


 熱めのコーヒーをちびちび啜りながら手紙の封を開けた。コーヒーの湯気で眼鏡が曇る。眼鏡をTシャツの裾で拭きながら手紙の封を開けた。
 いつものように6時に目を覚まし、コーヒーを飲んで新聞に目を通す。違う事といえば新聞受けに一通の手紙が入っていた事ぐらいだ。大学に通っていた時の恩師、清水幸成教授からの手紙だった。政田清人は、この後愛犬とジョギングに出かけ7時に妻を起して仕事に向かうはずだった。
 しかし、この一通の手紙がすべてが変えた。
 中には3枚の便箋。几帳面な小さい文字が敷き詰められている。白髪を七三に分け太いフレームの眼鏡をかけたあの清水教授が頭によみがえってきた。あれから、10年以上経っている。教授も随分と老けてしまっているだろう。
 過去を懐かしみ手紙に目を通す穏やかな表情が読み進むにつれ徐々に強張っていった。
 手紙を読み終えると政田は体を硬直させて一点を見つめていた。珍しく早く起きてきた妻の幸恵に肩を叩かれ、我に返った。冷え切ったコーヒーを飲み干すと、仕事で急用が入ったからと慌ててスーツに着替え始めた。幸恵は、夫の異変に気付き何やら言いたそうであったが政田は、はぶらかすようにして足早に家を出た。

 しばらく車を走らせ携帯を取り出す。会社にも休みの電話を入れなければならないが、その前に話を聞きたい相手がいた。
 車を脇に寄せると、携帯のメモリーを探った。400件以上入っている電話帳の相手はそのほとんどが仕事関係である。名字では探り出せない。結局「てつやん」とあだ名で登録していた事を思い出した。大学を卒業してから1度しか会っていない。それも、8年ほど前のことだ。果たして、この番号で繋がるかどうか?
 長い呼び出し音の後、機嫌の悪そうな低い声が耳に入ってきた。
「もしもし、二ノ宮哲也さんの携帯でよろしいでしょうか?」
「あー。そうだけど・・・。ん?」
 そう言ってしばらくの沈黙があった。
「キヨトか?携帯にキヨトって出ていたけど政田清人か?」
「すまない。寝ていたようだな。」
「いや、こっちこそ、愛想の悪い声だったろう。少し寝ぼけていてな。しかし、どうした?随分久しぶりじゃないか。」
 この様子では二ノ宮の方には清水教授からの手紙はきていないようだ。話そうかどうか迷ったが二ノ宮にも当然知る権利がある。いや、黙っていても清水教授から、その内連絡があるだろう。
「実は、桂譲二が死んだそうだ。」
 電話の向こうで何かを床に落とす音が聞こえた。
「桂が死んだ?事故か?」
「いや、脳梗塞らしい。清水教授から手紙が来た。」
「脳梗塞?まだ、桂は俺たちと同じ歳だから33だぞ。」
「33歳で脳梗塞だって十分有り得るだろうが教授は十数年前の俺たちの研究が原因ではないかと手紙で心配されていた。」
 政田はそう言っている自分の鼓動が驚くほど早くなっているのに気が付いた。
 二ノ宮に「そんなはずはない。」「今更十数年も前の研究が原因なんて有り得ない。」と否定してほしかった。
 しかし、電話の向こうから聞こえてくるのは二ノ宮の唸るような溜息だ。
 しばらくして、二ノ宮からやっと出た言葉は政田の心中を見透かしたような期待道理の言葉だった。
「研究は中止されたはずだ。桂の死は関係ないだろう。」
 だが、その声に力はない。二ノ宮も自分に言い聞かせているのだ。
 二ノ宮の言うように卒業を前に研究は中止された。いや、中止する事によりすべてがなかった事にできると信じ込みたかったのだ。
「10年以上経っているのだぞ。あの研究から。なぜ、今更・・・。ありえないだろ。」
 短い沈黙にも耐えかねて二ノ宮が再び呟くように言った。
「当時の研究員の誰かが研究を完成させたのかも知れないぞ。未完成で終わったはずの研究を十数年かけて完成させたのかも知れない。あの研究が完成していれば人を突然死のような恰好で何の疑いを持たれる事もなく殺すなど容易な事だろう。」
 政田が言った。二ノ宮哲也もおそらく口には出さないが同じ事を思っていたはずだ。政田は二ノ宮の口からその言葉を聞くよりは、自分で言ってしまった方が不安が減ると本能的に悟って先に口に出したのかもしれない。
 二ノ宮はしばらく黙り、電話の向こうで何やら考えている様子であった。しばらくして、
「今夜、会えないか。」
 と言った。
「今すぐでも構わんが。」
「いや、どうしても仕事で会わなくちゃならない相手がいてな。7時には終わるから、その後でいいか。」
 政田は同意した。
 夜の7時までには随分と時間はある。それまでに清水教授本人に詳しい事情を聞き、当時の研究員達とも連絡をとっておく必要がある。












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