第八話 洗脳装置
実験当日は、五月の第二土曜日。
僕は一日中、マーティンの部屋にいた。今日のことは、ハビにもミンにもレンティーノにも秘密だ。
金髪や黒髪の女の人が流し目でこっちを見ているポスターとにらめっこしながら、僕は研究員を待った。つくづく思うけど、マーティンの部屋はちょっと僕にとっては大人すぎる。ハビやミンとはまた違う意味で、マーティンも大人だから。
やがて昼過ぎになると、ドアの向こうからナンバーで呼ばれた。
「一〇二〇」
「はい」
この瞬間から僕は、被験体一〇二〇号になった。被験体一〇二〇、本名はマーティン=パストン。
だけど殆どの研究員は、マーティンのことを番号で呼んでいる。マーティンは色んな研究員から嫌われてるんだ。
だけど僕は、マーティンのことが嫌いじゃない。ハビやミンやレンティーノも、当然マーティンを嫌ったりしてない。おかしいのは、研究員の方なんだ。
僕はドアを開けて、実体のない白い壁を抜けて廊下に出た。すると待ち受けていた研究員が一瞬意外そうな顔をして、それから意地悪い目で僕を見た。否、見下した。見たとか見下ろしたとか、そういうことじゃなくて。
そうか、マーティンはきっといつもこんな風にこの人に見下されてるんだ。マーティンが何をしたっていうんだろう。弟の為に一生懸命になってる、その努力を認めてあげようとか思わないのかな。
「貴様は一〇九六じゃないのか?」
その研究員が浮かべた嫌味っぽい笑みが一体何を意味するのか、僕には解らなかった。というか、解らなくても良いと思った。
この人はマーティンの敵だ。だから僕も、この人を敵に回す。
「僕は一〇二〇です」
勝負に挑むような気分で、僕は研究員を見上げた。すると研究員は、僕を馬鹿にしたような目で見た後あからさまな嘲笑を浮かべた。そして、歩き始める。僕は彼の後を追いながら、何だか猛烈に腹を立てていた。
「フン、一〇二〇は逃げたのか。無様な野郎だぜ、全く」
「一〇二〇は僕だ! マーティンは無様なんかじゃない!」
気づいたら怒鳴っていた。だって、研究員がマーティンを侮辱したから。たとえ誰であろうと、僕の目の前で友人を侮辱したら絶対に許さない。
研究員は相変わらず僕を見下したまま、嫌な笑みを浮かべ続けていた。僕は彼から目を逸らし、不満を思いっきり顔に出しながら歩き続けた。
暫く廊下を歩いていると、前方に広がっている廊下の向こうから誰かがふらりと現れた。そして、僕を目指して一直線に走ってくる。
「あれ」
どう見てもそれはレンティーノだった。いつも通りの上品なスーツに身を包んで、古風な丸眼鏡をかけている。問題は、その形相にあった。
物凄く必死そうだ。一体、レンティーノに何があったのだろう?
「ミンイェン、父さんが、父さんがっ」
髪も服も乱れてるし、眼鏡もずれている。なのに、それも直そうとせずにレンティーノは僕の肩を掴んで揺さぶってくる。
僕らは、出会った頃は同じくらいの身長だった。でも、今となってはレンティーノとの身長差がかなり開いている。だから僕は、レンティーノを見上げた姿勢のまま揺すられていた。この姿勢で揺すられると、喉が痛い。
「ちょっと、レンティーノ? まずは落ち着いて!」
僕はレンティーノの腕を掴んで叫んだ。レンティーノは息を荒げて僕を見下ろし、それから首を横に振る。
「私は一体どうすれば良いのです!」
レンティーノは泣きそうな顔でそう言い、僕の肩から力なく腕を外す。僕はレンティーノを見上げて、言葉の続きを待った。
彼は暫く何かを否定するように首を振ったり自分の髪を鷲掴みにしたりしていたけれど、やがてぽつりと呟いた。
「父さんが…… 死んだ」
髪を両手で鷲掴みにしながら、レンティーノはそういったのだ。僕は一瞬、それが幻聴なのかと思った。だけど、それが現実であるという証にレンティーノがおかしくなっている。
レンティーノは震えながら僕を見下ろして、その場にへたり込みそうになっている。僕はそんなレンティーノに手を貸そうとしたけれど、不意に強い力で腕を引っ張られた。
痛みに顔をしかめながら腕を掴んでいる人物を見やる。あの、いけ好かない研究員だ。
「待ってよ!」
腕を振り解こうとするけれど、無駄だった。研究員は強く僕の腕を握り締め、絶対に離そうとはしない。
「スケジュールを厳守しろ、一〇二〇! 今のお前には、下らないことに付き合っている暇はないんだ」
……下らない? それを聞いて、僕は返す言葉をなくした。
もしかしたら大切な誰かが死んでしまったかもしれない、そんな時によく下らないなんて言える。この男が仮にも研究員なら、ミンは同僚だ。なのに、何て態度をとるのだろう。
強制的に歩かされながら、後ろを振り返る。レンティーノは廊下にへたり込んで放心していた。小刻みに震える手を、自分の胸に抱きしめるようにしながら。見ていて痛々しかった。
僕は手を離してくれない研究員に殺意のこもった一瞥を投げかけて、レンティーノに向かって叫んだ。
「すぐに戻ってくるから!」
この言葉がちゃんとレンティーノに届いたかどうかは、解らない。だけど、届いてくれることを祈った。
ミンに何があったのだろう。心配だし、何だか嫌な予感もする。もしもミンが本当に死んだなんて言ったら、僕はどうすればいい?
僕が俯いていると、研究員がふと足を止めた。何事かと思って研究員を見上げると、いきなり頬をつかまれる。そして、何故か白いカチューシャで前髪を上げさせられた。
取ろうとしたけれど、腕をつかまれて取れずに終わる。
「髪なんか伸ばしてんじゃねえよ、男の癖に」
研究員は吐き捨てるようにそう言うと、再び僕の手を引いて歩き始める。僕はこんな男に触れられていたくなかったから、彼の手を振り払って自分で歩いた。
無言で歩き続けると、行く手に第二研究室が見えた。研究員が乱暴な口調で、この部屋に入れと言った。
本当にこの研究員は嫌な奴だ。訳もなく高圧的だし、僕を見下してるし、何より僕のことを番号でしか呼ばない。同じ研究員でも、ミンは僕を番号で呼んだことなんか一度もないのに。この研究員は、僕を人間として扱ってくれてないんだ。
僕はこの研究員を睨みつけたあと、用意されていた椅子に腰掛けた。椅子の傍には怪しげな器具や機械がたくさんおいてある。
電源装置やら小型のパソコン、それから何十本ものコードが取り付けられた箱状の物体。その機械にはスイッチやボタンがたくさんついていて、コードのうちの数本は電源に伸びていた。コードの殆どは身体に貼り付けるためにあるらしく、先端にテープが貼られている。
パソコンにはスクリーンセーバーが起動しているから、画面にどんなデータが表示されているのか読み取ることはできなかった。
でも研究員の一人がマウスに触れてスクリーンセーバーが解除された時に、画面に写真つきの個人データが表示されているのが見えた。
白衣の男。髪の毛が黒い。ほんの数秒の短い間だったから、それくらいしか解らなかった。だって、早速コードを取り付けられそうになったから。
額にコード付のテープを貼りつけられた瞬間、僕はあらかじめ斜めに切っておいた爪でマーティンのミサンガを切った。
とたんに、嫌な音が世界を覆う。機械が唸る音が酷くなり、ブザーのような電子音が鳴り止まない。
僕は耳を塞ぎ、額からテープを引き剥がしながら念じた。
この空間の時が止まるように。そんなことしか念じられなかった。だけど、確実に効果があった。
世界から音が消えた。静寂の中で辺りを見回せば、研究員たちは微動だにしなくなっている。僕は椅子から腰を上げて、一直線にパソコンへと向かった。
「……この男って」
それは、研究所の最高権力者だった。リィを生き返らせてくれるって言った、あのおじさん。解った、これはきっとデータに該当する人物に誰かを服従させるための装置なんだ。
パソコンの横にプリントされた紙の束があった。ざっと目を通すと、それはこの装置のマニュアルだった。僕はキーボードに触れて、最高権力者のデータを書き換えて自分のものにした。そして、微動だにしない研究員たちを見る。
―――実験、してみようと思うんだ。
よく考え直せばとても悪いことだって理解できる。倫理的な面から見たら、洗脳なんて最低の行為だね。
だけど『倫理的な面から見たら最低の行為』を、今まさに僕がされようとしていた。研究員たちは僕を見ても洗脳をためらうことはなかったし、一度だって気遣う声をくれなかった。これくらい、当然の報いだよね?
もう五年もたつのにリィを蘇生させてくれないし、かと思えば洗脳装置なんて開発してるし。自分は何も良い事なんてしていないくせに、偉そうな態度で命令してきたり。本当に、この研究員達には愛想が尽きるよ。洗脳が上手くいったら、リィの蘇生を最優先にするように命令を下してみようか。
僕は、一番嫌いな研究員を椅子に座らせた。そして、額にコードを取り付ける。マニュアルを見ると、額だけじゃなくて色んな所に電極をつけるようにかいてあった。僕は、書いてある通りにコードをとりつけた。そして、自分の頭につけていた白いカチューシャを研究員につけてあげた。
これで準備はおしまい。僕は装置の電源を入れて、パソコンの“転送”ボタンを押した。
一瞬何も起こらないかと思った。でも次の瞬間には部屋中の電気がバチバチと音を立てて、不規則に弱まったり強まったりしだした。
椅子に座った研究員は、喚き、もがいて、身体をかきむしるように皮膚に爪を立てた。しばらくして研究員の叫び声が嗄れてきた頃、電気が点滅をやめた。
彼はがくりと項垂れ、動かなくなった。僕はその光景を、ただ呆然と見ていた。椅子の上で正気を失っているこの男は、もしかしたら僕かマーティンが辿っていたかもしれない運命を辿った。ということは、僕やマーティンがこんな風に悶え苦しんでいたかもしれないんだ。何て恐ろしいことなんだろう。
僕が呆気に取られていると、ぴくりと『被験体』が動いた。そして、ゆっくりとした動作で顔を上げて僕を捉える。
研究員は僕を真っ直ぐに見つめ、嬉しそうにこう言った。
「明焔様……」
どう反応して良いのか解らなかった。さっきまで僕を見下していた、乱暴で理不尽なことしかしなかったこの男が僕を真っ直ぐに見てる。なおかつ、様付けで。
もしもこれが僕やマーティンだったら、最高権力者を様付けで呼んでいたんだろう。それこそ、彼の飼い犬になったかのように。ぞっとした。
「さ、様ぁ?」
拍子抜けしていた僕は、研究員にそういった。すると研究員は満面の笑みで頷いて、僕を見上げた。
「明焔様、何を望んでらっしゃるのですか?」
慕うように、縋るように。さっきまでのこの男からは想像も出来ないような態度で、彼は言う。
そう、僕らはもう対等な関係じゃない。彼の中で、僕は神なんだ。少し怖くなった。
僕は、慕われている。責任感を持たなきゃならない。だけど、次第に僕の中で何かが壊れはじめた。
……この男が僕たちみたいに番号で呼ばれている被験体に対して、いつもあんな酷い態度をとっていたのなら。彼らと同じように、僕も研究員たちを壊してしまえば良い。
「ねえ、きいて?」
話しかけてみれば、主人にすがる犬のような目で僕を見上げる研究員。今の気持ちを一言で表すならば、もうこれしかないよ。
愉快。
散々マーティンや僕を侮辱しておいたくせに、こんな機械で力を加えられればすぐに自我を手放し、別人に豹変する。人間って、弱い生き物だね。
「この部屋にいる人、みーんなこの機械で洗脳して?」
言った瞬間、魔法がきれたようで皆普通に動き出した。そして、僕と研究員を見て驚愕の表情を顔に浮かべている。僕は強い頭痛を感じて、その場にうずくまった。マーティンが言った人工魔力の副作用って、これなんだ。頭を抱えながら、それでも僕は下僕を観察した。
僕の下僕は、小柄で見るからにインテリの研究員を捕まえた。凄い早業でコードを取り付け、洗脳を進めていく僕の下僕。恐ろしいと思うと同時に、感動した。
今日から彼は、僕の手駒。そして、手駒はどんどん増えてゆく。これならリィを生き返らせるプロジェクトだって、楽に進む。
下僕はどんどん増えたから、抵抗する研究員を二人係りで押さえつけて洗脳するなんていう荒業もやってのけてくれた。ほどなくして、部屋にいた全ての研究員が僕の下僕と化した。しめて二十人程度。その中に、当然だけど最高権力者の姿はなかった。
下僕たちは、全員そろって僕を見つめている。ごめんね、リィ。もう僕のことを弟って呼べだなんて言えないね。時が僕を変えてしまったんだ、良い方にも悪い方にも。
だけどリィ、僕はいつまでもリィのことを大切に思ってるよ。だからリィ、もう少しだけ待っていて。
最高の芸術品やしもべたちを用意して、リィを必ず生き返らせるから。
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