第七話 転機
次の日、勿論僕は学校に行って初めて研究所の外に出た。ここは僕が今まで暮らしてきた片田舎の町とは、大きく違っていた。高層ビルばかり立ち並んだ、随分と都会的な街。それが、今日から通う学校がある場所なんだ。
ここは異国だろうと予想はしていたけれど、まさか景色がここまで凄いとは思わなかった。想像していた町並みとは、大きく違う。というか、こんな高層ビルなんて今まで見たことが無かった。
僕は思わず街中で立ち止まってしまう。こんな都会的な町並みにもちゃんと緑を取り入れる工夫がされていて、歩道の脇には常緑樹の並木があった。
ふと気がつくと、僕の隣でレンティーノもぼうっと辺りを見回していた。レンティーノも、ここから出るのは初めてだと言っていた。僕より長くあの研究所で暮らしてるのに、今日初めて研究所から出るらしい。
僕らの保護者としてハビとミンが同行してくれていたから、僕らは迷子にならずに済んだ。ハビもミンもぴしっとしたスーツに身を包んで、梳かした髪を整髪料で撫で付けている。
レンティーノとミンはちゃんとした親子だし顔も似ているから良いとして、僕とハビは顔つきからして大きく違う。だから絶対に親だなんて認めてもらえないだろうと思ったけど、レンティーノもミンも二人で口を揃えて「完璧な親子だ」と言ってくれる。
ちなみにハビはこの日の為に一昨日くらいからひげ剃りをやめて、無精ひげを生やしていた。これなら実年齢より確実に五歳は上に見える。
でもそんな若い男が十歳前後の子供なんか持ってるわけないって、普通は皆そう思うよね? 大体レンティーノとミンだって本物の親子だけど、ミンが若すぎる。
「大丈夫だよ、ミンも僕も身長があるから」
不安をそのまま声に出してみると、ハビはそういって自分を指差した。確かにハビの二メートル近い身長なら、顔をあまり見られずに済むかもしれない。
背の高さだったらミンだってハビより少し低いくらいだし、よく考えれば二人ともいつでも誰かを見下ろしている。
「知ってる? 僕もハビも、年齢を偽るのが得意分野なんだよ」
悪戯っぽく笑って、ミンは歩き始める。僕は素直に感心しながら、実年齢よりも年上に見られるってどういう感覚なんだろうと答えの出ない疑問をとりとめなく考え続けた。
生徒たちはまだ登校の時間らしくて、僕たちを物珍しげな目で見ながら校門に駆け込んでいく。どうしよう、緊張してきた。
今日から僕らが通う学校は、高層ビル群の中でひときわ目立つ五階建ての学校だった。何が目立つかって、低すぎるのが目立つんだ。それに、校舎が何となく時代を逆行してるような雰囲気を持っている。
「まずは職員室に行こうか。君とレジュストゥルフェルナディアンティーノは同じクラスになっているはずだよ」
ポケットから鏡を出して入念に髪形をチェックし、細い銀のフレームの眼鏡をかけながらミンは言った。ハビもミンの隣でポケットから小さな櫛を取り出して、髪の毛をオールバックにしている。なるほど、オールバックにしている方が二十歳後半に見える。
「本当ですか、嬉しいです!」
ミンの言葉をきいたレンティーノははしゃいで、物凄く嬉しそうに笑っている。今のレンティーノからは、幸福感があふれ出ているようにすら思える。
どうやらレンティーノは緊張感を吹っ切ったらしい。僕も何となく元気付けられた。そうか、レンティーノと同じクラスか。良かった、これでクラスで孤立することはなさそうだ。
暫くして準備が整ったのか、ハビとミンは僕らを軽く振り返って笑った。振り返ったハビとミンを見て、僕は愕然とする。実際は若い二人だけど、こんなに老けることもできるなんて。
ハビもミンも、完璧に化けていた。一体、僕が目を離していた数分の間に何があったんだろう。
「さて、行こうか」
偽(片方は本物の)保護者の二人に連れられた僕とレンティーノは校舎に入り、それから職員室に入る。先生たちは誰もが僕とレンティーノを歓迎してくれて、ハビとミンに色々な説明を聞かせていた。
やがて僕とレンティーノは、担任になった男の先生に連れられて四階の教室に向かった。そこで僕らを待ち受けていたのは、たくさんの好奇の視線とたくさんの子供たち。今日からは、週に五日は彼らと半日くらい生活を共にすることになる。
とにかくこれからは、ここが僕の居場所だ。僕は深く息を吸い込み、笑ってみた。
クラスに馴染むのは意外と簡単で、それはクラスの子供達が僕らに興味を持ってくれたからだった。楽しい学校生活が始まり、時にはクラスで喧嘩したり孤立したりすることもあった。けれど、やはり楽しいのが大部分だった。楽しい時はすぐにすぎるというのは本当のようで、あっというまに五年の月日がたった。
五年の間に手にしたものは、下らない学生生活の思い出と、たくさんの友人、それから誰も僕を避けたり苛めたりしない環境かな。
下らないことで笑って、下らないことで怒って、下らないことで悲しんで。それでも、その下らなさが心地よかった。
ハビのおかげで、僕はパソコンを使えるようになっていた。したがって、週に一度あるパソコンの授業がかなり退屈になってきていた。ちょっとした遊びのつもりで先生のパソコンに侵入してみたら、バレて物凄く怒られた。
パソコンの使い方が解らない人は殆ど全員僕に聞くようになったし、レンティーノもその例外ではなかった。
僕はクラスでトップの成績を誇り、毎日を楽しく過ごしていた。レンティーノも相変わらずで、僕に続いて良い成績をもっていた。クラスの中でも結構浮いた存在で何というか浮世離れした感じのレンティーノに、恋する人も多かったみたいだ。
浮いてるって言っても、それは平均的な普通の男子に比べてかなり異色だったって言う意味。だから決して、レンティーノがクラスの中で居場所がなかったりするという訳ではなかった。
レンティーノの変わったところといえば、蜂蜜色の髪が少し伸びたこと。全体的に、縦に伸びたこと。丸っこかった輪郭が、きりっと引き締まったこと。本質的にはあまり変わっていないように思うけれど、彼の一人称が僕から私に変わったのは暫く前のことだった。
え、僕? 背が少し伸びたこと、前髪が伸びたこと、それだけ。
あとは…… 未だに蘇生が完了しないリィの年齢に、追いついちゃった。本当ならもう、リィは成人して仕事を持って、もしかしたら家庭を持っていたかもしれないのに。彼は未だに、冷たい水の中で目を閉じている。五年前と全く変わらない姿で、彼には少しも生き返る気配がない。
僕はリィと同じように、十五歳にしては小柄だとよく言われた。
ある日のことだった。僕はいつものように学校から研究所に戻ってきて、ある会話を耳にした。
「洗脳装置?」
「そうだ。今度実験するらしいぜ。人工魔力のあるあの若造を使ってな」
「ああ、あのマーティン=パストンっていうクソガキ? いい気味だな」
洗脳って、まさか。そんな。……止めなきゃ。絶対に止めなきゃ! 僕は自分の部屋に戻らず、真っ直ぐに一〇二〇号室を目指した。まずはマーティンにこれを知らせなきゃ。
一〇二〇号室にたどり着いてドアを開けてもらうと、僕は信じられない光景を目の当たりにすることになった。
「マ、マーティン? その髪」
一瞬、違う人かと思った。だけどマーティンを見間違うはずがないし、ここはマーティンの部屋だ。
マーティンは、染料のように真っ青な髪をいじくりながら僕を見ていた。昨日までは茶色かったその髪が、どうしてそんなに急に青くなってしまうのだろう? かつらかとも思ったが、そうではないようだ。
「いいだろう? 弟の瞳と同じ色だ。まあ、俺の瞳もだけど」
何事も無かったかのように、マーティンは普通にそういった。この髪は、実験の一環で染めたらしい。研究所で新しい染毛液を開発したから、マーティンが実験台になったのだ。
永久染毛液、そんな名の染毛液だった。その名の通り、この染毛液で髪を染めると伸びてくる髪まで染めた髪と同じ色になるという。
遺伝子操作をする薬品なので、今は試験的にマーティンが使っているらしい。人体に影響がないか、遺伝子に影響がないか確かめるために。
「ねえ、マーティン。君は洗脳装置の実験のこと聞いてる?」
どうしてこうも、マーティンは会う度にどこかを少しずつ蝕まれているのだろう。弟の敵を討ちたい。彼が望んでいるのは、ただそれだけなのに。
どうしてマーティンが研究員に疎まれ、悲惨な実験の対象にされているのか僕には理解できない。遺伝子を直接操作して髪の色を変えるなんて、下手したらマーティンを殺すことになりかねないのに。いいや、考えたくないけど死ぬより酷い場合だってありそうだ。
そこまでリスクを背負わせた上で、更に洗脳の実験をするなんて。そんなことをして何の意味があるというのだろう?
マーティンは、陰鬱に笑う。
「洗脳かあ。じゃあ俺、もう俺じゃなくなるなあ? 全く、笑えるね」
何を言っているんだろう、マーティンは。マーティンが洗脳されて僕のことを認識しなくなってしまったとして、そんな状況で笑うことが出来るほど僕は冷酷な芸達者ではない。
「全然笑えないよ!」
思わず感情の制御が外れてマーティンに掴みかかると、マーティンは怒ったりせず穏やかな顔で笑った。そして、そっと胸倉を掴む僕の手首を握り締めた。
いとも簡単に、僕はマーティンの胸倉を解放させられる。力の差は歴然としている。当然、僕の方が弱いに決まっている。
「今まで楽しかった、ミンイェン。これやるよ」
言いながら、マーティンは僕の手首に一本の細い紐のようなものを巻きつけた。僕が首をかしげると、マーティンは僕の手首にその紐を結びつけた。一体何のつもりなのか、よく飲み込めない。
「人工魔力って知ってるか」
ぽつりと呟くマーティンに、僕は胸の奥を締め付けられるような感覚を覚えた。どうしてそんなに、苦しそうな顔で笑うのだろう。
まるで…… そう、まるで、リィが命を落とした時みたいじゃないか。
生きたいよって顔をしながら、それでも死んでいったリィと同じ道を、マーティンは受け入れるというのだろうか?
この研究所が世界で初めて魔力を化学で解明できたのだとか、そういうことすら如何でも良くなった。僕は何としてでも、マーティンを救う。もう、大事な人をリィみたいに失いたくないんだ。
「このミサンガには魔力を込めてある。俺は実験でこの力を手に入れたんだ。副作用で時々ひでえ頭痛を感じる時があるかもしれないけど、使いたいときに切りな。これを切れば、お前も魔力が使えるようになる。ただし、一定時間だけだ」
……本当に、魔力なんてものがこの世にあるんだ。まずは、マーティンの口からつむぎだされたその事実に驚いた。
この力があるのにどうして、マーティンは洗脳の実験を受けることを拒否しないのだろう。きっと何か、裏があるにちがいない。だけど、そんなことは今考えることじゃない。
僕は頷いて、それから唐突に思った。
「マーティン、その実験はいつやるの?」
「明日」
見事に単語だけで答えてくれたマーティンに、僕はしばらく何も言い返さなかった。だけど、きっぱりとこういった。
「部屋、代わって」
真面目にそういったのに、マーティンは即答で嫌だと答えた。僕はため息をつきつつ、天井を仰ぐ。
真っ白いはずの天井には、金髪の女の人のポスターが張ってある。この部屋は本当にマーティンの私的な空間で、天井にも壁にもポスターが貼ってあったり落書きがしてあったりする。
「お願いだよマーティン、その実験は僕が受ける」
天井から目を落とし、今度は足元を見ながら僕は言った。するとマーティンは僕の肩を掴んで強く揺すってきた。
僕は驚いてマーティンを見る。マーティンは物凄い目つきで、僕を睨んでいた。
「お前って奴は! これからずっと結社のウサギのまま生きるのか?」
マーティンは真剣に怒っているようだった。
どちらかっていうといつも何かに対して不満だったり怒りだったり、そういうものを抱いて過ごしているマーティンだから、怒りの表情なんか珍しくもなんともないんだけど。
でも、こんなに怒ってるマーティンは初めて見たっていっていいぐらいかもしれない。兎に角、今すぐ殴られるんじゃないかっていうほど凄い剣幕だった。
「大丈夫、何とかしてみせるから!」
「……嫌だ、二度も弟を失うなんてっ」
唐突に怒りを消して、力なく僕の肩にかけた腕を下ろすマーティン。頑として嫌だと言い張るマーティンをじっと見て、僕は再び「実験を受けたい」と言った。
僕は、マーティンが分けてくれたこの人工魔力で洗脳装置を壊してしまおうと思ったんだ。もしも実験でその装置を使えば人間を洗脳できると証明されてしまったら、僕らはきっと一人残らず洗脳される。レンティーノもハビもマーティンも、研究員であるミンでさえも。
そんなの、絶対に嫌だから。何をしてでも阻止しなきゃならないって、思ったから。僕は深呼吸して、マーティンの目をじっと見つめた。
絶望と微かな怯え、気楽さと愛しさと諦め。他にもいろんなものが、その瞳の中に垣間見えた気がした。
「いい、マーティン? もしも僕が洗脳されたとしたら、マーティンが人工魔力で何とかして。でも考えてみてよ。マーティンが洗脳されても、僕には為す術なんてない」
しっかりと、確実に。僕はその言葉を、マーティンの目を見つめて言った。暫く無言の時が流れた。だけど、やがてマーティンが渋々引き下がってくれた。本当は自分の意見を貫きたかっただろうけど、僕の我侭をきいてくれた。
僕は、学校が休みだということを利用してこんな計画を立てたんだ。人工魔力で洗脳装置を壊して、残酷な実験を止めるんだ。ね、単純で確実でしょ?
たとえ後から研究員に嫌われたって、僕は構わない。僕はマーティンやレンティーノやハビたちを守りたいんだ。
だって、大事な友達だから。
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