ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
  幻影 作者:水島佳頼
第四話 孤独の反対側
 母さんが病院に搬入されて意識不明になっていると、僕はこの研究所でリィ蘇生を手伝うことになってから二日目に聞いた。原因は働きすぎによるもので、母さんは運が悪ければ一生目を覚まさないらしい。
 母さんは父さんの酒代を稼ぐために頑張りすぎてたんだ。でもあの男にそんなに尽くす価値があるなんて、僕には思えない。僕は母さんとあまり話さなかったら、母さんが父さんを本当に好きだったかなんてよく解らないけど。だって母さんはいつも僕が眠ってから帰って来たし、起きた直後かさもなくば起きる前に仕事に行っちゃっていたから。
 一瞬だけ、父親を殺してよかったって思ってしまった。思ってからすぐ、その恐ろしい思考を一生懸命振り払う。
 だんだん自分が壊れていくのを感じる。僕をこの世に辛うじてつなぎとめているのは、強く手の甲を引っかいて無理に出した血の赤い色と、その温もりだけだった。傷の痛みは、異常になりつつある僕の思考を正そうとしてくれる。
 流れる血と鈍い痛みだけが前の僕と変わらずにある部分で、この血の色が赤であるかぎり僕は僕なんだって無理な理論をたてて、僕は白い部屋から一歩も出ようとしなかった。
 蘇生の手伝いだって、具体的に指示されたわけじゃなかったし。僕は誰かに会うのが嫌だった。
「ミンイェン、また血ぃ出したの?」
 この傷がミンに見つかると、決まって彼は僕を気遣うように手を消毒してくれる。何の文句も言わずに、呆れもせずに。まるで自分と血のつながりのある息子に接するように、ミンは僕に接してくれた。こんな手、要らないのに。鋭利な刃物を手渡されたら、すぐにでも斬り落とすのに。
 こんな僕に生きている資格なんて無い。十年も生きたんだからもういいよ、もう。僕がいなくなっても、研究員たちがリィを蘇生させてくれるだろうし。
 どうして皆優しいんだろう。この研究所にいる人は、ミンだけじゃなくて皆が僕に優しく接してくれる。まるで家族みたいに、僕のことを優しく気遣ってくれる。だから僕は、誰かに会うのが嫌なんだ。
 僕は殺人者だ。リィを救うことすらできなかった、愚かで無能な殺人者だ。みんなの優しさが、僕にとっては痛かった。
「……こんにちは」
 ミンが帰った後思考に沈んでいると、ふいに声をかけられた。僕はベッドの上で上体を捻り、入り口のほうを見る。
「だ、誰?」
 そこにいたのは、蜂蜜色の髪をした肌の白い……
「ミン?」
 だと思う。でも、それにしては小さいし、肩幅も狭いし、丸い眼鏡なんてかけてるし、髪が長い。それに、輪郭が丸っこい。
 極めつけは、彼のその外見の年齢。彼は、僕と同じくらいの少年だった。
「違います、僕はレジュストゥルフェルナディアンティーノ」
「……へ?」
「レンティーノって呼んでください、長いので」
 にこり。ふんわりと笑みを浮かべる彼の姿は、やっぱりミンにそっくりだった。多分、彼はミンの息子なんだ。
 僕は暫く無言でいたけれど、ふいに名乗っていないことを思い出した。少し考えてから、適当に名前だけ呟いておく。
明焔ミンイェン
「宜しくお願いします。ミンイェン、で良いですか?」
 こくりと頷いておく。
 何だか気まずい。この研究所にいる人は殆どが外国人みたいだし、僕はまだ部屋の外なんて出ていないからここが何処なのか未だに解ってない。それに僕は、こういう礼儀正しい人との接し方なんか知らない。
「手…… 傷だらけですね。誰かにやられたのですか?」
 突然、レンティーノが話しかけてきた。僕は驚いたけど、何だか無性に苛ついてぶっきらぼうに答えた。
「いや、自分でやった」
「勿体無い、こんなに綺麗な手なのに。もっと自分を大切にして下さい」
「君に言われる筋合いなんて無い!」
 レンティーノの穏やかな言葉に、僕は激昂した。どうして何も知らないくせにそんな善人面ができるのだろう。
 僕は兄を奪われた。家族とも離別した。酒屋の店主も失った。自分の家に帰ることも許されず、故郷での居場所もない。ただ真っ白な空間に閉じ込められ、外部との接触はゼロに等しい。
 そんな状態の中で、一体どうやって自分を大切にしろというのだろう?
「ありますよ。僕はあなたを知っている。だから、それだけのことですが」
「良く知りもしないくせに!」
 ……僕は、完璧にレンティーノに当り散らしていた。何もできない自分のもどかしさを、全てレンティーノにぶつけていた。レンティーノは文句も言わずに、僕の怒りを笑顔で受け止めた。彼は、そういうところまでミンにそっくりだ。
「知ってますよ、ミンイェン。貴方はここから遠く離れた東の大陸で生まれ育ち、酒場で暴れたお父さんを刺して逃げてきたのですよね。貴方がお父さんの手を刃物に添えたことも幸いして、貴方のお父さんは店主を殺して自殺したと思われています。貴方は罪に問われませんよ。そして、貴方のお兄さんは防腐剤につけられて研究材料にされているのですよね」
 ミンにそっくりなレンティーノは、僕よりも僕のことを良く知っていた。それはもう、怖いくらいに。レンティーノは笑顔のまま、淡々と僕のことを語った。それが余計、怖かった。
「研究材料」
 レンティーノの言ったことを繰り返して、僕は呟いた。リィの蘇生は確かに実験的だけど、絶対成功させてくれるってあの偉い人は言った。
 無論、僕はそれを信じ続けている。だけど、材料って響きが嫌だ。
「新しい人体蘇生実験の対象なんですって。上手くいけば生き返りますよ、リィシュイさん」
 僕よりも僕のことを知っているレンティーノだから、麗水の名を知っていても別に驚かなかった。そこは別に気にするところじゃないね。
 だけど、レンティーノは今「上手くいけば」って言った。問題はこの発言だよ。それって、もしかすると上手くいかない可能性もあるってこと……?
「失敗したら?」
「大丈夫ですよ、遺体が残っている限り何度でも可能らしいですから」
 レンティーノはそういいながら、深い眼差しで僕を見る。
「何で詳しいの?」
 問えば、レンティーノはにっこりと笑った。それから僕の枕元にある花瓶を手にして、洗面台に持っていく。
 どうしてこんな細かいどうでもいいような仕草でさえ、ミンに似ているんだろう。親子ってこんなに似るもの? だとしたら僕は、あの酒びたりのどうしようもない男と似ていなきゃならない。そんなの、嫌だ。
「僕の父も蘇生した人間なんですよ。ただ、蘇生した時に不具合が少し生じるようで、それを改善するために貴方のお兄さんで新しい蘇生方法を実験するのだそうです。現時点で一番大きな不具合は、歳をとることができないことです」
 レンティーノは花瓶の水を洗面台に捨てながら、そう言った。白い指先、綺麗な手の甲。きっと大事にされて育ってきたんだろう。レンティーノには傷なんて全くなかった。少なくとも、今僕から見えている範囲内ではゼロだ。
「僕は、蘇生した人間の生殖能力についての実験で生まれたただの道具なのですよ。僕の成長は常に監視されていて、常に記録されているのです」
 自嘲気味に笑いながら、花瓶に水を入れるレンティーノ。蛇口をしめる時にキュッと小さな音がしたけれど、それきりこの部屋から音は消えた。
 生まれた時から実験台で観察の対象だったレンティーノは、今までどういう気持ちで生きてきたんだろう。僕みたいに普通の家で生まれて、ちょっと家庭環境に問題はあったけれど普通に暮らして、全く普通の幸せを感じている人たちのことをどう思っていたんだろう。
 笑っているのにどこか陰鬱そうなレンティーノは、身体に傷こそないけれど心にはたくさんの傷を持っているに違いない。
 なのに僕は、知らずにレンティーノを傷つけた。身勝手に怒って、不躾に質問して。レンティーノの心に刻まれた傷の上を、もう一度なぞるような真似をした。
「ごめん、僕、酷いことを」
「気にしなくて良いのですよ、ミンイェン。中庭にでも行きませんか?」
 レンティーノの誘いに頷いて、僕はカードを使って部屋から出た。そして、真っ白な廊下をふたりで歩く。
 たどり着いた中庭は本当に綺麗なところで、色とりどりの花が咲き誇る花壇やミンの背丈ほども高さがある薔薇のアーチなどで周りを囲まれていた。
 もちろん研究所の白い壁が四方にあるんだけど、上を見れば嘘のように澄んだ青空が四角く切り取られたように広がっている。
 見たこともない鳥が、四角い空に浮かぶ白い雲に向かって飛んでいるのを見た。リィも連れてきたかったな、と心の隅で思う。彼が蘇生したら、ここに一緒にこよう。そして、色々な話をするんだ。
「素敵なところでしょう? 僕のお気に入りの場所です。僕は最近、ここで本を読むのが日課になっているのですよ。もし僕が部屋にいないようでしたら、ここにいらして下さい」
 レンティーノはにっこりと微笑んで、中庭の真ん中に置かれた小さなテーブルと椅子のところへ寄っていく。そのテーブルと椅子は組にして使うものらしくて、両方につる草のようなデザインを施されていた。この模様、レンティーノに良く似合う。
 椅子は向かい合えるように二つあった。僕はレンティーノが座っていない方の椅子に腰掛ける。するとレンティーノは席を立って、壁際に歩いていった。そして彼は、傍にあった薔薇のアーチから一本、真紅の薔薇を摘んで持ってくる。
「どうぞ」
 そういって、薔薇の花を差し出すレンティーノ。
「あ、ありがとう」
 おずおずと受け取る僕。
 正直、僕には薔薇なんて似合わないと思うけど。同じ赤なら、僕には薔薇よりも血の方が似合っているかもしれないけど。でも、レンティーノが笑顔で僕を見てるから。友情の印かな、なんて思って受け取ることにした。
 受け取ると同時に、指先にチクリと棘がささった。
「痛っ」
「ああっ、大丈夫ですか!」
 レンティーノは慌ててスーツのようにぴしっとした服のポケットに手を突っ込んで、そこから純白のハンカチを取り出した。
 それを僕の指に当てて、レンティーノはしっかり謝ってきた。これは受け取った側の僕の不注意だから、レンティーノが悪いなんてことはないと思うんだけど。
「あ、ダメだよ汚れる」
 僕の血を吸い取る白いハンカチを見て、僕は唐突にレンティーノを振り払った。だけどレンティーノは笑って、僕を見ている。
「いいえ、見てください」
 ハンカチを広げて、レンティーノはそれをよく見せてくれた。真っ白なハンカチの隅のほうに、真っ赤な模様が出来てしまっていた。僕が汚してしまった、もとは汚れの無かった白。
「貴方の血、薔薇の花びらみたいじゃないですか。それに、ハンカチの代わりなんていくらでもあるんですよ」
 ……初めて聞いた。血が薔薇の花びらみたいだなんて。この人、大分狂ってる。僕と同じように。
 僕が唖然としていると、レンティーノは髪を首の後ろで纏めながら言った。折角髪を纏めたけど結ぶものを持ってなかったのか、レンティーノはすぐに髪を放して元のように伸ばしっぱなしの状態にした。
「ハビに言われるんですよ、僕には薔薇が似合うって。父さんにも良く言われます」
 にっこりと微笑むレンティーノ。僕も微笑み返した。すると、急に視界が暗くなった。誰かに後ろから両手で目隠しされたんだ。
 思わず暴れようとしたけど、後ろから穏やかな声が聞こえたので自粛する。穏やかだけど、低い声。後ろの人はもう大人なんだろうか。
「だーれだ?」
「すみませんわかりません」
 誰だよ。今時こんなことする人っているんだ。背後に立つ人は僕よりも随分と大きくて、僕の目を隠している彼の手は大きくてごつごつしていた。
 そっと手を外されて後ろを振り返ると、ここに連れ込まれた日に出くわしたリィと同い年くらいの人が立っていた。近くで見ると、余計背が高く見える。
 彼はにっこりと笑った。相変わらず、笑顔の裏に何か暗いものをもってるように感じる人だ。
「ミンイェン君、だね」
「明焔でいいです」
 僕がそう言うと、何だか人の良さそうな笑みを浮かべて彼は笑った。レンティーノが言ってたハビって人は、この人なんだろうか。
「じゃあハビって呼んで。僕のこと知ってる?」
「ミンから少し聞きました」
 やっぱり、このあり得ないぐらい大きな人がハビって人だった。顔つきはリィと同じくらいの年齢に見えるのに、なんでこんなにも大きいんだろう。いいなぁ。僕もこれくらい長身になってみたい。
「僕は今十六歳。ここでバイト中だよ。身長、百九十八センチ」
 ハビはそういって、僕を見下ろす。百九十八って、僕より何センチ高いのさ? あり得ない、十六歳でそんなに背が高いなんて。
 百九十センチも身長があれば、たとえ年齢が二十をすぎていようが僕の国では「あり得ない」って言われた。なのにハビは、そんな僕の国の平均を楽々と抜かしてる。きっと家具は何から何まで大きいんだろうな。長身すぎるのも、生活するのに大変そうで困るね。
 リィは大人になったとしても、おそらく百七十センチくらいで身長が止まっちゃうんじゃないかな。そしてきっと、僕も。
 僕はそれから、ハビについて多くのことを知った。ハビが学校とカフェ・ロジェッタに行く傍ら、ここでバイトをしてること。来年で学校を卒業して、ここに住み込みで働くってこと。実は今も、半分住み込み状態なんだとか。
 ここの研究員と一緒に、バスケをやって遊ぶともいっていた。この研究所内にバスケなんて出来る場所があるなんて。僕はハビが研究員と遊んでいることよりもそっちの方に驚いた。
「ミンイェンは学校に行ってた?」
 僕は頷いて、ハビを見上げる。
 楽しかった学校生活。友達は多くなかったけど、いつも隣にリィがいた。思い出すと涙が出そうになる。だけど僕は笑って、無理に笑って、リィのことは考えないようにした。
「うん。僕の成績はクラスでも上のほうだったよ」
「じゃあ後でおいで、一〇六七号室。レンティーノの隣の部屋だから」
 ハビはそう言い置いて、中庭から研究棟に戻っていった。研究員に呼ばれているのだと言っていた。
「ハビは多忙な方なのです。ですが、いつも僕に良くしてくれるんですよ」
 レンティーノはとても優しく笑って、僕を見た。僕と身長が同じくらいのレンティーノだから、いつでも目線が正面で合う。
「薔薇、嫌いですか?」
 僕の手に視線を向けて、彼は言った。僕は首を横に振って薔薇を見つめた。
「嫌いじゃないよ、でも僕には似合わないと思う」
「良く似合ってますよ。ミンイェンの肌は白いですから、薔薇の赤がよく映えます」
 そんなこと言われても、僕は一応男なんだけど。それ、女の人に使う褒め言葉じゃない?
 ……だけど、レンティーノに言われればなんでも嬉しくなってしまうものなんだよね。不思議なことに。
「そろそろお昼ですよ。ご一緒にいかがですか」
 レンティーノは笑顔で僕にそういった。僕は彼とすっかり打ち解けていたから、喜んで彼についていった。

 ―――麗水、必ず助けるよ。だからお願い。
 少しだけ、こうしてシアワセでいる許可を下さい。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。