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  幻影 作者:水島佳頼
第二十二話 幻影
 その日の夜、僕は新しい薬品の成分を書いたリストをパソコンで編集していた。電話がかかってきたから、パソコンをやりながら出る。
「もしもし?」 
 番号は確かめなかった。だから誰がかけてきたのか解らなかった。けれど、僕が電話に出ると同時に、レンティーノの声がした。
「クライドと接触できましたよ。私に好感を持ってくださったようです」
 それをきいて僕は、思わず握り拳を天井に突き上げて叫んでいた。リィに近づけた。リィに手が届く。
 夏になったら二人で天体観測ができる。秋になったら十五夜の月をみられる。冬になったら雪の降る野原で雪合戦でもしよう。そして春になったら、花でも見ながらリィが再びこの世に舞い戻ったことを喜び合おう。
「やったっ!」
 本当に嬉しかった。心の底から嬉しかった。だけど、事態がそう簡単にはこぶわけがなかった。
 僕が狂喜のあまり叫び散らしていると、彼が一言で僕を制する。
「ですが聞いてください、とんでもないことが起こっています」
 冷静な彼の声に、僕はぴたりと動きを止める。なに、とんでもないことって。
 僕が呆けた声を上げると、レンティーノはこういった。
「ハビが帝王側のお嬢さんに暴行を加えて半殺しにしてしまったのです。その光景を間近でみてしまったクライドは、ハビに殴りかかりました」
「えっ」
「大変なことになりましたよ、クライドはハビのことを敵だと断言しましたから」
 うわ、まって。状況が飲み込めない、どうしたの? 何が起きたの?
 そんな、ハビのことを敵だなんて。敵、なんでまた。待って、その前に帝王側のお嬢さんって何のこと?
 僕が混乱していると、またしても冷静な声でレンティーノが言った。
「ハビの二つの人格のうち、破壊的な方が現れてしまったのです。よりにもよって、クライドの目の前で」
 その後、繰り返しレンティーノの話をきいてこんなことが解った。ハビの店にいる従業員の中に帝王の手下がいて、その子がクライドをさらおうとした。そして、ハビに「死んで」と口走った。
 その途端にハビの第二人格のスイッチが入ってしまい、ハビは女の子と一対一で殺し合いになる。ハビは女の子の頭をワインボトルで殴打し、骨が折れるくらいの強さで蹴り飛ばした。
 残忍な性格に変貌したハビは、女の子を甚振るのを楽しんでいた。それがクライドを怒らせる理由になってしまった。
 クライドがハビを蹴り、床に倒したところでマーティンが来た。今まで連絡をよこしてくれなかったマーティンだけど、ちゃんとハビの援護に入ってくれたようだ。
 クライドはマーティンを本当に嫌っているようで、彼に対しては態度が悪く、睨んだり怒鳴ったりするという。
 きわめつけに、帝王軍の到着。イノセント=エクルストンと仲間が現れて、イノセントの仲間の一人が女の子を病院に連れて行った。
 そして、イノセントがクライドを人質にして店からずらかろうとしたところ、クライドが彼から逃げ出した。ハビやマーティンは追おうとしたけれど、イノセントの仲間に阻まれて戦場となっていた店の中から出られなかった。
 レンティーノがこのことを知ったのは、店の防犯カメラを見たからだった。
 なお、この映像を見たハビは自分が二重人格者であるということを今更確信したという。マーティンは帝王軍との乱闘で大怪我を負い、ハビに担いでもらってレンティーノの家に運び込まれた。
 レンティーノはその後一人で店に行き、防犯カメラを取って来て映像をみたのだとか。セルジとノーチェとは、今夜会っていないらしい。二人は無事で、クライドやクライドの仲間に好かれているという。
 まさかこんなことになるなんて思ってなかった。レンティーノに頼んで、件の防犯カメラをここまで持ってきてもらうことにする。
 百聞一見に如かず、聞くより見る方が早い。詳しいことは、彼らがここに戻ってから話してもらおう。
 レンティーノとセルジ、ノーチェの三人は乱闘に加わっていなかったからよかったものの、ハビとマーティンは本当に酷い有様らしい。
 聞いていて胸が痛んだ。どうしてそんなことになっちゃうんだろう。僕は、すぐに戻ってくるようにレンティーノに告げた。
 彼らは翌日の昼に、全員揃って帰還した。ハビとマーティンは確かに酷い有様で、全身が包帯とガーゼだらけになっていた。
 マーティンはともかく、ハビがこんなに傷だらけになっているところなんかみたことがない。僕は身震いして、ハビとマーティンを交互に見た。
「クライド=カルヴァートをとりにがしちまった」
 ポケットからタバコを取り出しながら、マーティンは言う。そんなマーティンの手をハビがおさえて、タバコを吸わないように忠告している。
 まったくいつもどおりのハビだった。傷だらけだということを除けば、いつもと全く変わらないハビだった。
「気にしないでマーティン、皆も」
 僕は平静を装って笑顔でいたけれど、本当はとても苛立っていた。なんで二人はこんなに傷だらけなんだろう。帝王軍が本当に憎たらしい。即刻潰すべきだと思う。
「生きて帰ってきてくれてありがとう」
 僕はそう呟いて、部屋に戻った。
 帝王軍やクライドのこと、そしてリィのこと。全てが頭をごちゃごちゃにさせ、僕を苛立たせた。
 リィを生き返らせたかった、ただそれだけだったのに。なんでこんな事になってるんだろう? 少なくとも帝王は関係ない。引っ込んでいて欲しい。クライドもクライドだ、早く捕まってよ。
「ミンイェン、お昼食べないの?」
 廊下からハビの声が聞こえた。だけど僕は布団に包まって、外界の全てを遮断した。そしていつのまにか眠りに落ちる。
 僕はまた、夢を見た。なんと悪夢がグレードアップしていた。嬉しくもなんとも無い。あの酒屋で血の海に沈むリィを見た僕は、一生懸命リィを起こそうとする。だけど無理で、半分泣きながらリィを背負う。
 するとハビとマーティンが現れて、彼らもまた父親に刺し殺されるんだ。リィはともかく、ハビは大きすぎて背負えない。なおかつ三人一緒なんて絶対無理。何もできない僕は、情けないことに途方にくれて泣き叫ぶ。その間にも三人の身体はどんどん冷たくなり、僕は恐怖で狂いそうになる。
 目を覚ましたとたんに、周りを見回した。三人の死体は転がっていなかったけれど、代わりに生きたレンティーノがいた。
「大分うなされていましたよ」
 静かにそういって、レンティーノは僕の枕元に小さなテーブルをおき、そのうえでリンゴをむいている。僕の好物がリンゴだってことは、レンティーノも知っていると思う。
 レンティーノは細い指でリンゴを持って、小さな銀色のナイフでその皮を丁寧にむいていた。リンゴの皮はちゃんと一本につながっていて、なおかつその皮の幅はどれだけ剥き続けていても均一だ。これって職人芸?
「ねえレンティーノ、」
 今何時? そう訊ねようとしたとたん、レンティーノが僕の質問をさえぎってこう言った。
「夜の九時ですよ」
 まるで超能力者だよ、レンティーノ。僕はしばらく呆然としていたけれど、やがて悪夢を思い出してきつく目を閉じてしまう。
「怖いのですか?」
 こくりと頷くと、レンティーノはリンゴとナイフをテーブルの上の皿に置いた。そして、僕を見てにこりと微笑む。十歳でここにきてから今まで、いつだって傍にあったこの笑顔。
 僕は寝たままの姿勢でレンティーノに手を伸ばした。彼はその手をぎゅっと握ってくれる。
 暖かく、華奢で綺麗な手。いつだって僕の傍にあったこの手。細くて繊細で壊れそうなこの手は、実はとても強い。だから、悪夢でさえ追い返してくれる。
「貴方は大丈夫ですよ。私がいます。皆が傍にいます。誰も勝手にいなくなったりしません」
 心に染み入ってくるようなその声は、いつだって僕を導いてくれた。幼い頃からずっと。いまでも変わらずに。
 ずっと当たり前のようにそばにあった、とても大切でなくてはならないもの。
「ありがとう」
 心から感謝を込めてそういえば、レンティーノは僕の手をそっと離してまたリンゴの皮をむき始める。途中からむき始めたのに、むかれて平紐みたいになったリンゴの皮の太さは変わっていない。
 やがてレンティーノはリンゴをむき終わって、皿の上で食べやすい大きさにきってくれる。
「どうぞ」
 差し出されたお皿に乗ったリンゴを、僕は夢中で食べた。すっきりとした味、しゃりしゃりした感触。
 リンゴはよく冷えていて、とてもおいしかった。空腹だったから、異常においしく感じていたのかもしれない。
「ミンイェン、少しの間全てのことを忘れてみたらどうですか?」
 彼にそういわれる。
 貴方は色々溜めすぎているのです。貴方は無理をしすぎている。このまま無理し続けたら、貴方はいずれ壊れてしまう。レンティーノはそういった。
 だけど、本当に壊れそうなのは僕の方じゃなくて皆だよ。想いをそのまま声に出してみたら、レンティーノは軽く笑う。
「だからこそ、貴方に休んで欲しいのですよ」
 レンティーノは綺麗に笑う。その笑顔を見ると僕は、それもそうなのかもしれないと思ってしまう。
 昔からそう。彼には妙な説得力があるんだ。
「ごめんね」
 いつもこきつかってごめんね。危険な目にあわせてごめん。こんなこと、最初から全て僕がしていればよかったんだ。
 ハビやマーティンを傷つけてしまったのは、紛れもなく僕自身だ。そして僕は、友達皆を危険にさらした。
「貴方が謝ることはなにもありませんよ。ですから、安心して休んで下さい」
 危険にさらされても、レンティーノはこんな風に笑う。どうしてだろう。
「私の言うことを信じられませんか」
 そんな風に悲しげにいわれてしまったら、僕は何も言い返せなくなる。黙って従うことにした。全てを忘れて気楽に暮らすなんて無理だけど、少なくともクライドのことだけは考えないようにしようと思う。
 クライドのことを考えずに暮らし始めてから二ヶ月あまりが過ぎた頃、僕は奇妙な新入社員を洗脳した。海賊なんだって。訳解らないよね、何で海賊が製薬会社に入社するの?
 それから三ヵ月後に、今度は山賊が入社した。体中傷だらけで、近寄ったら噛み付いてきそうなその人は、何故か僕の会社に裏の顔があることを知っていた。
 それで、クライド=カルヴァートの仲間でありイノセント=エクルストンの弟のグレンを追うためにここにきたといった。彼は知識も教養も無くて、獣みたいに凶暴な奴だった。だけど、その根性は結構気に入ったから入社させてあげた。
 決して「彼に逆らったら殺されそうだから」なんて理由で入社させた訳じゃないよ。
 僕はのんびりと過ごしていた。本当は早くリィにあいたくて仕方なかったけど、無理に休んでいた。すると、ちょっとずつ状況が変わり始めた。
 丁度冬の休暇が来る頃になって、僕の会社でも一週間ほど社員全員に休暇を出した。その時に、情報が舞い込んできたんだ。クライドたちが漁師町にいるという情報が。
 すぐ捕まえてしまおうと僕は思った。だけどマーティンが、いつものようににやりと笑って言ったんだ。
「イノセント=エクルストンに盗聴器をしかけた。まあ聞きな」
 手渡されたカセットテープを再生してみると、クライドはイノセントにこんなことを話していた。
「イノセント、喫茶店覚えてるか? そうそう、戦場になっちゃったあの店。じゃあ、店長さん覚えてる? あの、背が高くて優しそうな」
「うん、あんな人だと思ってなかったけど」
「俺、あの人を助けなきゃならないんだ。レイチェルにそう頼まれた。俺もハビさんをあのまま放っておくわけに行かないと思うし」
「俺、ハビさんに言わなきゃならないことがいっぱいある。あの人から貰った手紙、読み返すたびに苦しくなるんだ。だから、夏休みにハビさんを探しに行こうと思う。人工魔力の研究機関がどこにあるか知ってるか?」
 対するイノセントの受け答えはとても簡潔だった。否定と肯定を示す言葉しか言っていなかったような気がする。
 問題はクライドの発言だよね。彼が良心的で正義感が強い人で本当によかったよ。もしもクライドがマーティンみたいな性格だったら、逆にハビを殺しに行くんじゃないかと僕は思う。
 よかったね、これでクライドは自分からこっちに向かってきてくれる。僕の手間が省けたよ。それに、誰も傷つけずにクライドを捕らえられる。皆ありがとうね。もう少しで、全てが終わるんだ。全てが終わってリィが生き返ったら、きっと皆もリィのこと気に入ってくれるはずだよ。


 僕はその日中庭に出て、ひとりで夜の空気を浴びていた。僕、クライド=カルヴァートが本当に欲しい。絶対手に入れたい。
 早くリィをこの世に呼び戻してあげたいんだ。待っててね、リィ。ごめんね、こんなに待たせてしまって。
 でも、今度こそ本当にもう少しだよ。僕はあの子を手に入れる。そしてあの子の全ての魔力を貰うんだ。
 リィ、僕は必ずきみを生き返らせるよ。きっと成功する。これでまた同じ月を見られるよ。父親に虐待される毎日なんてもうない。だからリィ、二人で新しい時を刻んでいこう? 止まってしまった時を、二人で一緒に動かしていこうよ。
 クライドは、自分からこっちに向かってきているんだ。ハビを追って。ハビを更生させようという魂胆で。
 くもの巣に気づかずに草むらを飛び回る蝶のように。極上のおもてなしをしなくちゃ。羽から触覚まで、余すことなく全てを食い尽くしてあげる。
 さあ、クライド。はやくおいで。全てが終わったら、君も僕のコレクションにいれてあげるから。君なら素敵な芸術品になるんじゃないかな。
 ね、だから僕を退屈にさせないでよ。楽しませて? 君の全ての魔力で。そしてリィを生き返らせることに貢献してよ。悪いようにはしないから。
 ふと見上げた空には満月がでていた。リィが大好きだった、淡く穏やかで優しい月の光。
 悪夢にうなされる日々も、きっともう少しで終わるよね。
 
 終
 『魔幻の鐘』悪役キャラ、ミンイェンの物語でした。お読みくださってありがとうございます。初出は2006年7月ですが、改稿しつつ、ここ『小説家になろう』にて再掲載してみました。
 この物語は、そのまま魔幻の鐘二章に繋がるようになっているはずです。解りにくいところもありますが。
 ミンイェンは我侭ですが、実はどこまでも他人主義者です。自己中にみえるけれど、実はいつだって友達やリィのために一生懸命なので。そんな彼は、今でもリィの幻影を追い求めて日々暮らしています。
 魔幻が完結する時に、この『幻影』にも本当の意味での終りがきます。この物語の結末は、作者もまだ解りません。
 一ついえるのは、クライドもミンイェンも本当の意味での『悪役』ではないということでしょうか。
 顔貌がそれぞれ違うように、価値観もひとそれぞれです。ですからクライドとミンイェンでは、正義のあり方も、友情のあり方も、善悪のあり方も異なるんです。
 幻影をお読みくださった方は、是非ミンイェンサイドの視点で魔幻を思い返してみてください。
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