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  幻影 作者:水島佳頼
第十二話 孤高の最高権力者
 ベッドの傍に人が寄ってくる気配があって、僕はそっと首だけそっちに向ける。警戒はしていたけれど、入ってきたのが帝王じゃないことは解っていた。だって、微妙に薔薇と消毒液の香りがした気がしたから。
「起きてください、ミンイェン。行きましょう」
 悪戯っぽく笑ったレンティーノに引っ張られ、僕は半ば強制的にベッドから降ろされた。
「どこに行くの?」
 レンティーノに手を引かれながらそう訊ねてみると、彼は笑いながら歩調を緩めた。
 廊下には誰もいない。それにより、また孤独感が戻ってくる。押し寄せてくる不安の波に必死で耐え、僕はレンティーノを見上げた。
「朝ごはんですよ。貴方、まだ何も食べていないでしょう」
 至って普通のその声。平常どおりで、何も変なところなんてないその声。僕はそれを聞いて少しだけ安心したけれど、やっぱり帝王が来るのが怖かった。
 レンティーノは、多分何も知らないんだ。僕が抱えたこの不安の理由を、きっと何も知らない。だからそんなに、穏やかでいられるんだ。
「レンティーノ、帝王のこと知ってる?」
 どうしようもない不安に締め付けられていた僕は、レンティーノにこの気持ちを聞いてもらおうと思った。
 そして口に出してみると、レンティーノは飄々(ひょうひょう)とこう言った。
「ええ、知っていますよ。会うのですよね」
 少なからず、僕は驚いたし戸惑った。だって、レンティーノはこのことを知らないと思った。ハビはマーティンから聞いた情報を、僕にだけ伝えてくれたと思っていたから。
 ということは、もしかして。皆は僕が帝王と会うことを、解っていて言ってくれなかったのかな。何それ、どういうこと?
「何で言ってくれなかったの? 知ってたんでしょ?」
 ちょっと裏切られた気分になって、僕は八つ当たり気味にレンティーノにそういった。だって、知っていたくせに皆で黙っているなんて。酷いよ。あんまりだ。
「あまりに衝撃的なバッドニュースでしたから、どうやって貴方に伝えるべきかハビとマーティンと三人で議論していたのですよ」
 長い議論の結果にハビに伝えてもらうことになったとレンティーノは言い、僕を見下ろしながら軽く首をかしげて見せてくる。その態度が、言外に「何か問題でもありますか?」と告げているように感じた。
 問題、大有りだよ。だって僕、殺されるかもしれないんだよ。相手は帝王だよ? 伝説に等しいくらい実在感がない人なんだよ?
 怖くない方がおかしいよ、それに何もされずに済む方があり得ないと思う。
「何でそんなに平然としていられるの? 僕、殺されるかもしれないのに」
 思わず食って掛かったけれど、レンティーノはいつものようにそんな僕を軽くかわして穏やかに笑う。
 いつもそうだ。いつもこうやって、僕はレンティーノの笑顔にうまく丸め込まれてしまう。
 僕が睨みつけるようにしてレンティーノを見ていると、彼は笑顔のままこう言った。
「貴方を信じているからですよ」
 信じている。この言葉は魔法の言葉だ。少なくとも、僕はそう思った。
 たった一言こういわれただけなのに、弛んでいた足元が急にしっかり固まったような気がした。
 僕はレンティーノを見上げて疑問の視線を送った。どうしてそう思うの? そうたずねようとした矢先、レンティーノはそっと口を開いた。
「私は、貴方が大丈夫だと信じています。ですが、もし万が一のことがあった場合は私たちを呼んでくださいね。私達が、貴方をちゃんと護りますから」
 僕は頷いて、笑った。レンティーノはいつも、僕の求めている優しい言葉をくれる。
 レンティーノやハビには随分と元気付けられた。彼らに出会えていなかったら、僕は帝王から逃げるために最上階から飛び降りたりするような人間になっていたかもしれない。だけど、彼らがいてくれるから自分をちょっと大事にできるようになった。
 レンティーノやハビ、それからマーティンには本当に感謝してる。彼らがいるから今の僕があるんだからね。
 僕とレンティーノは、一階にある食堂に向かった。そこで朝ごはんを食べて、暫く談笑する。話は弾んで、読書の話題になる。後からレンティーノに本を一冊貸してもらえることになった。
 僕とレンティーノはそのまま食堂で別れ、僕は第二研究室に戻った。研究室に戻ってすぐ、僕は仕事に取り掛かる。今日はとても気分が良いから、パソコンが起動するまでの数分間がいつもより短く感じた。
 まず最初にメールをチェックする。何もきていなかったから、僕はプログラムの調整を始めた。“分解装置”と呼ばれた機械の調子が悪いって話を聞いたから、プログラムのチェックをしてみる。思ったとおりいろんなバグがでてきたから、バグを取り除きつつプログラムの改良をした。
 “分解装置”だけじゃなくて、いろんな装置が不具合を訴えだしたから仕事は増える一方。最近の僕の仕事は、こんな感じのものが多いな。
 これが終わったら、すぐにあの最高権力者に会いに行こう。今頃きっと出して欲しくて暴れてるに違いないよ。そんな無様な彼を見るのが、楽しみで仕方ない。僕を洗脳しようとしたあの人が、僕に洗脳されようとしているんだから。彼の第一声は何なんだろう? 早くきいてみたい。
 楽しみだ楽しみだと思いながらやっていたら、意外と早く仕事が片付いてしまった。僕は、初めてミンやレンティーノと出逢ったあの部屋へと向かう。あんな大事な場所によりにもよってあの人を幽閉するなんて、僕も判断力が鈍っていたと今更思う。
 でも彼は、あの白いだけの空間に閉じ込められた僕の気持ちを、ちょっとは解ってくれるかもしれない。まあ、解ってもらえなくたって別にいいんだけどね。どうせ洗脳しちゃうから。
 僕はカードキーを使って一〇九六号室の扉を開けた。久しぶりにくぐる、初めて貰った部屋のドア。昔から僕はリィと同じ部屋で過ごしていたから、この部屋が僕にとって本当に初めての一人部屋だった。
 部屋の奥を見渡してみると、ベッドの上に座り込んだ最高権力者と目が合った。
「お目覚め?」
「私をとらえてどうするつもりだ」
 何だ、つまらない。普通すぎるよね、こんな第一声。もっと暴れて、叫んで、壊れてくれれば面白いのに。
 僕は彼を見下ろして、にやりと笑ってあげる。そう、初めて出会ったとき彼が浮かべた笑みと同じ笑みをおくってあげたんだ。
「率直にいうよ、パソコン貸して。リィの蘇生を早くしたいんだ。データが欲しい」
 単刀直入に本題から言ってみれば、最高権力者はいきなり笑い始めた。けたたましいという表現が似合うくらい、大声を張り上げて笑う。
 そしてやっと笑いがおさまってきた頃に、彼は僕を見上げながら嘲笑を浮かべた。
「ふん、蘇生か。あんな話を信じて六年間も生きてきたのか」
 その言葉に、僕は体じゅうの血を凍らされたような錯覚に陥った。何、それ。どういうこと?
「できるわけがないだろう、六年もたった今。常識で考えろ。ココを使え」
 自分の頭を指差しながら、最高権力者はなおも嘲笑を浮かべ続ける。僕は足元がふらつくのを感じて近くの壁にもたれかかった。
 最高権力者は、ポケットに手を突っ込んだり出したりという無意味な動作を繰り返しながら僕から目をそらした。そして再び狂ったように笑いだし、僕にあざけりの目を向ける。
「死後六年も放置したんだ。生き返るわけがないだろう、馬鹿馬鹿しい」
 狂って欲しいと思った。壊れて欲しいと思った。叫んで欲しいと思った。だけどそれが現実になった今、僕は酷くショックを受けていた。
 最高権力者は狂った。だけど、衝撃的なことを何度も何度も吐き捨てた。馬鹿じゃないのかとか、生き返るはずがないとか。何度も何度もそう言って、何度も何度も笑って、彼は何度も何度も僕を嘲った。
「嘘だ!」
 笑い続ける最高権力者を黙らせるために、僕はありったけの力を込めて叫んだ。そして、最高権力者の胸倉を掴み上げる。そのまま殴ってしまおうかと思ったけれど、ふと思いとどまる。
 最高権力者は泣いていた。顔をゆがませて、喉を震わせて、両の目からとめどなく涙を流して。僕は拍子抜けして、最高権力者の胸元を解放してしまう。
 彼はベッドの上に崩れ落ち、しゃくりあげて泣いた。何だか物凄く悪いことをしてしまった気がして、けれど悪いことをしたのは相手も同じだと考えて、僕は途方にくれた。
「データが欲しけりゃ自分で研究してみろ。私が長い間必死に築き上げてきたものを、ことごとく破壊しおって! 私が二十年もかけて集めた世界中の研究員をお前は盗んだ! 私の大切なものを、私の全てを、お前はっ!」
 泣き喚き、自分の膝を自分の拳で強く殴りつける最高権力者。彼が泣き叫んで喚いて自傷に走っているところを見ても、僕は嬉しいとか良い気味だとか、そういう感情を抱けなかった。
 気づいたんだ、僕がしてしまったことに。だけど、約束を破った最高権力者を赦したくも無くて戸惑う。たった今リィが生き返らないと告げられて、絶望すら感じていたのに。この男を殴りたくなったのに。
 なのに僕は、なぜか今になってこの最高権力者のことを可哀想だって思ってる。
「ははっ、もう良い。全てお前にくれてやるわ」
 涙でぐちゃぐちゃになった顔に再び狂気的な笑みを浮かべて、最高権力者はポケットから四角い箱状の物を出した。これは、リモコン?
 何をするつもりなのか解らなかったけれど、僕は最高権力者からそれを取り上げようとした。しかし。
「あばよ。私が苦しんだ以上に、貴様が足掻くがいい」
 言葉と同時に、彼はそのリモコンにたった一つだけついていたボタンを押した。とたんに、上の方の階で物凄い爆音が轟いた。激しい振動で、立っていられなくなる。
「はははははは! 全てくれてやる、全身で受けろ!」
 轟音の中で、最高権力者が声を張り上げて笑う。耳障りな轟音の中に、また耳障りな音が増える。
 僕は必死に踏ん張って、ぐらつく床の上で倒れないように自分を支えた。そして、彼の手を引っ張った。
「何無茶言ってるの、逃げなきゃここ潰れるよ!」
 ここで人が死ぬのは嫌だった。ここは僕とレンティーノとミンの思い出の場所だから。その素晴らしい思い出に、最高権力者の最期の場所なんて嫌なものをプラスしたくないんだ。
「私はこの研究所と運命を共にする! 逃げたければ勝手に逃げるがいい」
 僕はもう少し粘っていたかったけど、はがれた天井が肩を直撃してよろめいた。床にはいつくばった姿勢で、彼を見上げる。
 そして彼が再び何かいいかけたそのとき、真っ白な天井がはがれて最高権力者の頭を直撃した。彼は最後の最後まで孤高だった。最高権力者と名のつく者に相応しい、達観した笑みを浮かべて彼は倒れた。真っ白なベッドシーツに、大輪の薔薇を思わす真紅の染みができる。
 僕は、しばらくのあいだ呆然と彼を見ていた。だけど、鳴り響く轟音にはっとする。こうしてはいられないと思い、僕は肩を押さえながらくるりと踵を返した。
 特殊ライトが壊れてしまったのか、白い壁にはちゃんと扉が見えた。僕は体当たりでその扉を破る。振動の影響で扉が大きくひしゃげていたから、僕のような力のない人にも簡単に扉を破ることが出来たんだと思う。
 僕はふらつきながら、歩き続けた。第二研究室に向かう。だって、そこにはリィがいるんだ。もしもリィの水槽が割れてしまったりしたら、僕は立ち直れない。
「ミンイェン!」
 僕の名を叫ぶ声が聞こえた。振り返ると、マーティンとレンティーノが廊下の向こうから走ってくるところだった。
 二人は崩れかけた天井を見て、上手く落下物から身を守りながら僕の両隣に来てくれる。
「何があった、言いな」
 マーティンの声で、僕はかなり安堵した。
「最高権力者が、上の方の部屋を遠隔操作で」
 理由を簡略化して話してみると、落ちてくる瓦礫がれきから僕を守ってくれながら、レンティーノがマーティンを見た。
「爆破でしょうね、これは」
「解ってる。ミンイェン、俺が倒れたらお前のベッド貸しな」
 レンティーノのあの一瞥が合図だったのだろうか。マーティンはそっと目を閉じて何か呟いた。
 今、何が起こったのか僕には理解できなかった。轟音も振動も瓦礫が崩れる音も、一瞬にして全てが止まったのだ。一瞬、自分が死んだから全て止まって見えたのかと思った。
 だけど隣のレンティーノがふらついたマーティンを支えたから、これが現実に起きていることなのだと悟る。
「ミンイェン。急ぎましょう、リィシュイさんのところへ」
 そう言いながらマーティンの腕を自分の肩に回して、レンティーノは走り出す。僕も彼の隣を走った。僕は第二研究室に駆け込み、息を切らしながら部屋の奥まで進む。
 ベッドの周りを見て、僕は心臓を鷲掴みにされた気がした。飛散した硝子の欠片や、潰れてしまった芸術品。床に流れ出た保存液。僕が作った芸術品の殆どが壊れてしまっていた。でも、奇跡的にリィは無事だった。ちょっと安堵して、僕はリィの水槽に触れた。
 しばらくそうしていたけれど、僕は芸術品の成れの果てを、そっと手で拾い上げた。冷たく濡れたその胎児の身体には、もとはなかった裂傷や切傷が沢山刻まれていた。
 遅れて僕の部屋にたどり着いたレンティーノは、まず眉根を寄せた。そして、僕の隣に歩み寄ってきた。じゃりっ、と硝子の欠片を踏みつける音がする。彼の肩を借りてぐったりとしているマーティンは、見たところ完全に意識を失っていた。
「このままでは彼が持ちません。手術用の寝台に寝かせておきますから、その間にベッドを何とかしておいてくれませんか?」
 レンティーノの指示に僕が頷くと、彼は部屋の隅にある手術台にマーティンを寝かせに行った。
 あの寝台は長いこと使っていない。でも、必要になるときもあるから処分せずにとっておいてあったんだ。正解だったかな、とっておいて。
 僕はベッドのシーツを剥ぎ、硝子の欠片を叩き落とした。だけど小さい欠片が取りきれていないだろうから、このシーツは使わずに別のものを使うことにする。
 換えのシーツをかけ終わった時、レンティーノがこっちに来てくれた。そして、床に散乱した硝子の欠片や潰れた芸術品を拾い上げる。
「詳しく聞かせてくれますか? 貴方と最高権力者の間に、何があったのか」
 半分に割れてしまった水槽の中に硝子の欠片と芸術品を入れながら、レンティーノは言った。僕はそれには答えず、廊下に出てしもべを呼んだ。そして、レンティーノが片付けてくれている割れたホルマリン漬けを代わりに片付けさせた。
 床もベッドも綺麗になったところで、マーティンを僕のベッドにうつす。そこでやっと、僕はレンティーノに話を聞かせた。
 彼は長い話に付き合ってくれた。真剣に話を聞いてくれた。そして、聞き終わってすぐにこう言った。
「本人に『くれてやる』って言われたんですよね。ならばもう、貴方が最高権力者に対して罪悪を感じる必要はないと思います」
 この言葉を聞いたとき、僕はきっととても間抜けな顔をしていたと思う。そう、多分泣きそうな顔をしていた。
 だって、凄く嬉しかったし安心したから。レンティーノが優しい言葉をくれるだけで、どす黒くよどんだ気分だって一瞬で純白に変わる。
「問題はマーティンですよ。早く意識が回復すると良いのですが」
 ベッドに仰向けに寝ているマーティンを覗き込んで、レンティーノは心配そうな顔をした。僕はレンティーノを見て、それからマーティンを見た。
 辛うじて息をしているマーティンだけど、目を閉ざしたまま殆ど動かない。寝返りも打たないし、腕や足を動かしたりもしない。なんだか、睡眠薬を大量に飲んだミンを見つけてしまったときのことを思い出してしまう。たぶん、レンティーノも同じことを思っているんじゃないかな。
「マーティン、大丈夫かなあ」
 このままマーティンが死んでしまったらどうしよう。いつも僕のことを弟のように可愛がってくれて、信頼してくれて、守ってくれたマーティンがいなくなるなんて。
 もうこれ以上誰も失いたくないんだ。どうして皆、僕の元を去っていくのだろう。悪いところがあるなら何処だって直す。何だってする。だからもう、二度と僕の大切な人を奪わないで。
 僕はやるせない思いに、両の拳を握り締める。力を入れすぎた拳がふるふると震えているのが自分で解る。と、その手をレンティーノが優しく包んでくれた。驚いて顔を上げると、レンティーノはそっと微笑んでいる。
「彼は、研究所の崩壊を止められるのは自分しかいないと言っていました。そして、強力な魔法を使ったのですよ。ですからきっと、今のマーティンは心も身体もつかれきった状態なのでしょう。疲れているだけですから、命に別状は無いと思います。そう信じましょう」
 大丈夫です、マーティンは死にませんよ。そう何度も繰り返すレンティーノ。僕はマーティンを覗き込み、それからレンティーノを見上げた。レンティーノを信じよう。マーティンは無事だと信じよう。
 やがてレンティーノは僕から手を離し、マーティンの布団を胸の辺りまでずりあげてから自分の部屋に戻っていった。僕はマーティンをじっと見つめ、それから彼に笑顔を向けた。
 早く元気になってくれると良いな、そう思いつつ部屋の入り口の方を振り返って僕は叫びそうになった。
 部屋の入り口に、いるはずのない人間がいた。


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