ショートヘア
「おはよう」
「おは――って、どうしたのその髪!」
「イメチェン。似合ってるでしょ?」
登校してきた由香里の、これまでとは異なる姿に驚き、学級委員長が目をパチクリさせている。
驚くのも無理はない。幼少期からずっとロングヘアーを貫いてきた由香里が、髪をバッサリと切り、どこか大人の色気の漂うショートヘアへと変身していたのだから。
かくいう幼稚園の頃から付き合いになる俺も、由香里のショートヘア姿を見るのは初めてだ。
正直にいうけど、今の俺は凄くドキドキしている。
由香里にはショートが似合うだろうなとずっと思っていたけど、実際に目にすると、想像以上にきまっていた。
幼馴染として、近くで由香里を見てきた者として断言しよう。由香里は紛れもない美少女だ。
「いきなりでびっくりしたけど、凄く似合っている」
最初こそ驚いていた委員長だけど、由香里の新たな一面を発見し、素直に感心しているようだ。
小顔で目鼻立ちの整った由香里には、どんな髪形も似合う。
これまでは可愛いらしい印象が強かった由香里だが、ショートヘアとなったことで、クールで大人びた印象が前面に現れ、かっこ可愛い女子としての魅力が全開だ。
他の女子生徒たちも由香里の変化に気づき、いつの間にか彼女の周りには、女子たちの輪が出来上がっていた。
由香里の新たな魅力を褒め称える声が一番多く、次に多かったのが、由香里がイメチェンに至った理由に関する質問だ。
「――もしかして、恋?」
一人の女子生徒が何気なく発した言葉に、由香里の頬は微かに紅潮する。
その表情を見て、俺は確信した。
由香里がイメチェンを図るきっかけになったのは、一昨日の放課後に俺達がしていたあの会話だ。
由香里はきっと、あの会話を聞いていたに違いない――
一昨日の放課後。俺は友人達と一緒に、教室で談笑を交わしていた。
面子は吉野、桂木、芝浦に俺を加えた男四人。
元々は来週に控える中間テストの話題から始まったのだが、次第に話は脱線していき、芝浦が口にした好きな女性芸能人の話をきっかけに、テーマは好みの女性に関することに完全移行した。
年上か年下か。身長はどれくらいか。どんな性格が好ましいか。そんな流れで会話は進んで行き、話題はやがて、髪形についてに及んだ。
たぶん、由香里が偶然聞いたのは、会話のこの部分だったんだと思う。
「俺は黒髪ロングのストレート一択だな」
最初に語ったのは芝浦だった。芝浦には二人の姉がいるのだが、二人はいわゆるギャルっぽいタイプであり、その反動もあって、女性には清楚なイメージを求める傾向がある。
「俺はセミロングくらいかな。ポニーテールなんかになってると最高」
次に桂木が答える。桂木とも付き合いは長いが、確かに桂木がこれまでに想いを寄せて来た女子は、運動部を中心に、ポニーテールの子が多かったような気がする。
「俺はショート派」
これは俺の発言だ。俺が異性の好みに関する話題を口にすることはかなり珍しいので、みんな関心しながら聞いていた。
「お前はよく分かってる。いいよな、ショート―—」
「――ねえ、蓮」
あの言葉を聞いて髪形を変えてくるくらいだ。由香里の中の気持ちは、とても大きいはず――
「蓮ってば!」
「おっ?」
一昨日のことを思い出していたため、由香里が目の前にいることに気が付かなかった。
間近で見るショートヘアーの由香里の姿に、俺は普段以上に緊張してしまった。
見慣れたはずの幼馴染が、今日はとても眩しい。
「ちょっと相談したいことがあるんだけど、少し付き合ってもらってもいい?」
「別にいいけど、どうした、かしこまって?」
「とりあえずついてきて」
「ああ」
由香里に手を引かれ、校舎裏の方へと向かった。
「ここなら大丈夫かな」
「周りに人がいるとしにくい話しか?」
「ちょっとね」
由香里は目に見えてそわそわしている。これは相当緊張しているな。
「私ね。今、恋してるの」
「何となく、気づいてたよ」
「えっ、そうなの?」
「由香里って、分かりやすいから」
「……なら、ストレートに言っちゃうね」
無言で頷き、由香里の言葉を待つ。
「私、吉野くんのことが好きなの」
俺の思った通りだった。
由香里は吉野ことが好き。だからこそ、吉野好みのショートにイメチェンしてきた。少しでも、あいつの気を惹きたくて。
俺はあの時の会話で、「ショートヘア派だ」と言い。それに対し吉野は、「お前は分かってる」と俺の意見を肯定した。
そのやり取りを、由香里は聞いていたのだろう。
今回の件を抜きにしても、由香里が吉野に好意を寄せていることは、何となく察していた。
由香里はいつも、俺ではなく、吉野の方を見ていたから。
「蓮って吉野くんと仲良かったよね。協力してもらいたくて」
吉野の友人で由香里と親しくているのは俺だけ。我ながら、橋渡し役としてピッタリの立ち位置にいる。
「いいぜ。俺に出来ることなら、協力してやる」
俺は意外と演技派だと思う。心中を表には出さす、冷静に言葉を返せている。
由香里が想い人の名を口にしたことで、俺も気持ちに整理をつけることが出来そうだ。
由香里には幸せでいてもらいたいし、その手助けが出来るなら、俺は自分の気持ちに蓋をしよう。
「吉野くんて、彼女とかいるのかな?」
「いないとは思うけど、それとなく探ってみるよ」
由香里の恋路を、全力で応援してやろうと思う。
吉野は良い奴だし、由香里が惹かれるのも分かる。
もちろん恋が実るかどうかは本人たちしだいなわけだけど、もしも恋人同士になれたなら、とてもお似合いの二人だと思う。
「吉野くんの話をしたのは、蓮が初めてなんだ。蓮になら、何でも相談できるから」
「信頼してもらえて嬉しいね」
そう、何でも相談できる気心しれた幼馴染。それが、由香里にとっての俺なのだ。
たぶん、異性として意識してもらうには、俺は近くにいすぎたんだと思う。
「あっ、もうすぐホームルーム始まっちゃうね。とりあえず戻ろうか」
「先に戻っててくれないか。電話がかかってきたみたいだ」
「あまり遅れないようにね」
「分かってるよ」
スマホを耳元に持っていく仕草をしながら、教室に戻っていく由香里の背中を見送る。
本当は電話なんてかかってきてないけど、少しだけ一人になりたくて、咄嗟に小芝居を打ってしまった。
気持ちの整理はつけたつもりだったけど、失恋のショックというのは、思っていた以上に心にずっしりとくるらしい。
本音を言うと、有り得ないと分かっていながらも、由香里が髪形を変えてきたのは、俺の好みを耳にしたからではと少しだけ期待していた自分もいた。
泣いたりはしないけど、たぶん今の俺は、周りに心配されてしまうくらいには、表情が沈んでると思う。
流石に、こんな顔で由香里の隣は歩けない。
「ショートの由香里、可愛かったな」
由香里が想いを寄せる吉野よりも先に、俺はショートヘアの由香里の姿を見ることが出来た。
図らずも得た役得。俺はそれだけで満足だ。
今度こそ、気持ちの整理はついた。
表情も、無理なく笑えるようになったはず。
もう大丈夫。いつも通りの俺だ……たぶん。
「やべえ! そろそろ戻らないと」
予鈴を耳にし、俺は駆け足で校舎に駆け込んだ。
了