王が用意した小姓の手で、楽師トニオに鎧が着せつけられていく。騎士の子テオとして生を受けたのは事実だが、着甲の記憶はない。幼い頃を過ごした城にも、確かに鎧は飾られていた。騎士の子なら憧れるべき甲冑は、幼いテオには恐ろしいものだった。見上げるほどに大きく、厳めしいもの。今我が身に纏われていくそれは冷たく硬く、そして恐ろしく重い。細かい鎖で編まれた鎖帷子だけでもよろめきそうなのに、さらに胴鎧がつけられる。少し大きすぎるそれは、楽師の肩にずっしりと重い。さらに、両手両脚をも鋼板が留めつけられていく。こんなものを着けて動けるはずがない。身を守るより、動きを妨げる効果のほうが高いんじゃないのか? 不安に駆られる楽師を見上げ、小姓が冷笑を浮かべる。
「あなたも、こんな重たいものを着るんですか?」
着甲の楽師が真顔で尋ね、小姓が呆れた顔になった。
「ぼくはまだ小姓の身です。こんな鎧を着るのを許されるのは、叙任された騎士の方だけ……」
新たに姿を現した赤毛の少年にぎっと睨まれ、小姓が慌てて口をつぐむ。赤毛のほうは十五、六くらい。小姓のほうはもっと幼い。
「トニオ殿。騎馬試合を陛下から命じられた以上、今日一日、あなたには騎士として振る舞って頂く。陛下の命で、今日一日のみ、おれがあなたの盾持ちを務めます」
赤毛が慇懃に頭を下げる。不本意ですがと言葉にこそしないが、ハッキリ顔にそう書いてある。
「ギル・デ・ローデさん、ですね?」
楽師がにっこりとして、赤毛が慌てた。
「おれの名前……」
「存じてます。なんでこんなことになったのか、私にもよくわかりません。申し訳ないですけど、よろしくお願いします」
トニオは愛想良く続けた。楽師如きの盾持ちなどさせられるのは、由緒正しいデ・ローデ家のお子には相当の屈辱であるはず。幼い頃から宮廷に出ているトニオは、そのあたりは充分心得ている。そして、まるっきり作法を知らないトニオにとって「自分の盾持ち」は貴重だ。こんな重たいものを着せられたら、自力で騎乗できるかさえ不安だ。手を貸してくれる「従者」がいるなら有り難い。愛想がいいのは楽師の習性でもあるが、本当にほっとしたからでもある。主人よりはるかに身分の高い盾持ちが、兜を差し出す。
「もうかぶらないといけないんですか?」
トニオが怯えたような声をあげた。
「騎乗してからかぶるんなら、おれは手伝えません」
ひとりでかぶれるのか? と眼が嗤った。差し出された兜を受け取り、かぶってみる。目庇で視界が遮られ、音も違って聞こえる。「盾持ち」の手が目庇を上げ、兜を直した。少しだけ収まりがマシになる。
「死にたくなければ、兜ははずさないほうがいい。そして、早めに降参なさることだ」
あくまで見下したギルの態度に、さすがのトニオもむかっとする。だが、その通りだ。だが、王の期待するのはなんだろう。楽師に早々と降参させて、分をわからせるのが目的か? それとも。
「あなたはさっき、今日一日は騎士として振る舞えと言いましたね?」
きっぱりとしたトニオの口調に、赤毛のギルがたじろいだ。
「命惜しさにさっさと降参するのは、およそ騎士らしくないと思いますが?」
「あんたは騎士じゃない」
「確かに私は騎士じゃない。だが、陛下のご命令である以上、ご期待には添わなくてはならない。あなたも同じだ。今日一日、あなたはこの私の従者であれと命じられた。それは王命なのでしょう?」
赤毛の少年がぐっと詰まった。
「行きましょう。馬を引いて下さい」
楽師がきっぱりと命じ、にわか盾持ちが手綱をとった。装甲の楽師は馬の鼻面を軽く撫で、そしてひらりと騎乗した。小姓が小さく声をあげた。初めて鎧を着た人間が、ひらりと馬に乗れたりはしない。盾持ちのほうは楽師の手綱をとる屈辱に震えていて、気がつかない。トニオのほうも、小姓の反応までは気がつかない。そんな余裕は到底ない。小姓が扉を押し開き、明るい日ざしに目が眩む。そして歓声。ぐるりとめぐらされた矢来の周囲に、ぎっしりと観客が集まっている。バルコンには天蓋が掛けられ、国王が陣取る。隣に座を占めるマリウスは、いつにもまして青白い。ファンファーレが鳴り響き、対戦者が姿を現す。白銀に輝く装甲に、流れる黒髪。同じく白銀の馬具の見事な黒駒の騎士は華やかな羽飾りの兜を片手に、もう一方の手を上げて見せる。ご婦人方の嬌声があがり、貴婦人たちも袖をめぐらす。黒髪の美青年がにっこりと答え、国王の前に進んで優雅に挨拶をしている。
ギド。相手は、バロウ大公家のギド公子。トニオの手が兜を外し、王の前へと駒を進める。観客がざわざわとする。トニオ? 楽師のトニオ? 事情をよく知らないのは、トニオだけではないらしい。観客も皆どよめいている。王の前にふたりの対戦者が駒を並べ、それぞれの盾持ちが武器を持って参じ、検査に差し出す。剣と盾。最初の武器は、長剣。兜を被りなおし、目庇を下す。左腕に盾を受け取り、右手に剣を受け取る。
「始め!」
号令がかかり、ふたりが剣をかざして刀礼をする。トニオの剣がわずかに震え、ギドが不安そうにそれを認める。心配するような色を認めて、楽師の頭に血が上った。ナイーダを抱くギドの姿が頭をよぎる。ナイーダの腰を抱いて踊る色男ギド。これは、ナイーダを娶るかもしれない男だ!
楽師が先に馬腹を蹴り、攻め込んだ。悲鳴のような歓声にどよめきが続く。楽師の剣に手応えがある。わずかだが、掠った。楽師の剣はギドの胴を掠り、かすかだが傷をつけている。黒髪の騎士に一瞬の隙。剣を返して突きを入れ、その剣を思い切りはたかれる。腕が痺れる。だが、ギドはまだ手加減している。手加減なぞ、欲しくない。馬を離し、隙を伺う。落としてやる。公子さまを、落馬させてやる!
トニオの馬が走り出し、ギドの黒駒もそれに応える。二振りの剣は空中でガシと打ち合い、トニオの手がまた痺れて震えた。凄い力。なんとか保った剣で次を攻める。騎士はすいと身を引いて、楽師のほうが平衡を失う。鐙から足が抜ける。間に合わせの鐙は大きすぎ、楽師の長靴が滑り抜ける。きゃあッツ! 観客席から悲鳴が上がる。派手な音を立てて楽師が落馬し、地に倒れた。く。唇を噛むトニオの際を、主を落とした馬が駆け抜けていく。すっと手が差し出された。ギドの手が伸びて、トニオを助け起こす。
「大丈夫か?」
「なぜ馬を下りるんですか? なぜ止めを刺さないッ!」
楽師の抗議に騎士が苦笑いを浮かべる。
「お前を殺す気はない。降参しろ」
「イヤだ!」
「トニオ、お前は……」
「騎士として闘えと命じられた以上、騎士として闘って見せる」
後ろに跳んで身構える。
「お前は優れた楽師だ。こんな茶番で……」
楽師がまた攻め込み、騎士がよろめく。楽師の剣がまともにその腹に入り、審判が得点を宣言する。物凄い歓声が沸きあがった。長剣勝負あり! トニオ殿、先取一点! ギドの顔色が変わる。楽師に負けただと? この俺が? だが、白銀の鎧の真ん中が、確かにハッキリと凹んでいる。それを確認した騎士が、ぐらりと揺らいだ。楽師がすっと手を差し出す。
「確かに、止めを刺しておくべきだったな」
ギドがにやりとして、楽師の手をきゅっと握った。
「油断した俺の負けだ」
潔い台詞に楽師のほうが頬を染める。今の攻めは、卑怯だったかもしれない。
「トニオ。お前はただの楽師じゃない」
断言されて、トニオは唾を飲み込んだ。ギド・バロウ。国王に対抗するバロウ大公の嫡男だが、王に忠誠を誓う王の騎士。
「先取一点は許したが、後はやらん」
ギドは嬉しそうに笑い、そして優雅に頭を下げて勝者への礼を表した。
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