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登場人物

マリウス・エセルクス  湖仙国王太子
トニオ         その楽師
ミカル         王太子づきの衛士長
        

シルバニウス      湖仙国国王、マリウスの父

ナイーダ・エセルクス  先王の王女
カルロ・カバリエ    その家老  
フロリス・カバリエ   カルロの長男 
エルサ         ナイーダの侍女

ヨハネス・バロウ    バロウ大公 
ギド・バロウ      ヨハネスの嫡男  


第一部 王太子の楽師
第一章 立太の義 その1
 一 王太子の居室

 ぱさりと軽い音を立てて、白テンの縁取りのマントが滑り落ちた。恭しく受け取った女官は声も立てず、退出していく。まだ幼い主の顔は厳しく緊張していて、気安く声をかけられるような雰囲気ではない。今日十三になり正式に王太子となったマリウスは、年に似合わぬ難しい表情を浮かべていた。これから起こるであろう争いの数々、それらをどう処していくのか。

「殿下」
 控えていた青年が穏やかな声をかける。
「トニオ」
 マリウスの貌がふっとほぐれた。
「いたのか。お前は宴会に引っ張り出されているものとばかり思っていた」
「逃げ出してきました。私は『殿下の』楽師ですから」
 金茶色の巻き毛の青年がにっこりとする。かつて「奏楽の天使」と呼ばれ、美声をもてはやされた少年楽師も、もう十八の若者だ。とはいうものの、その顔はまだあどけない。十三才の主よりも無垢に見える。
「下で今やっている舞曲はお前の曲だろう? いなくてもいいのか?」
 広間のさざめきは届いている。聞き分けるのは難しくとも、華やかな音楽が漏れ聞こえてくる。
「この祝祭は殿下のために開かれたもの。あの曲も殿下のために書いたものです」
 楽師は穏やかに微笑み、リュートをとった。かすかに聞こえる楽にあわせ、その旋律を爪弾いている。華やかに楽しげな舞曲。マリウスはにっこりとした。白皙の頬が薄紅に染まり、薄青い眼が優しい色を浮かべる。ほとんど色のない金髪がさらりと流れ、月光に輝く。

 ほとんど色のない金髪。マリウスの不安は、その髪に端を発していた。

 二 大広間

 パン!

 音高く頬を張られて、大広間のど真ん中で黒髪の美丈夫が呆然としている。舞曲を奏でていた楽人たちまでが動きを止め、唐突なる静寂に皆が息を呑み込む。
 思わぬ平手打ちを食らったのは漆黒の髪のギド。舶来ものの華やかな金襴のチュニックに、黒のホーズ。靴の先はつんと尖り、最新流行のスタイル。しかもそれが完璧に似合う色男だ。宮廷中の女たちの憧れの的であり、王をも凌ぐ権勢を誇るヨハネス大公の嫡男でもある。そのギドが今衆目のなか、頬に手をあてて呆然としている。

「ギド。そなたの悪評は耳にしている。国一番の女たらし。その評判は事実であったようだな」

 波打つ黒髪を煌かせ、美姫が断じた。深く青い瞳が閃光を放つ。
「ほかの女たちの如く、このナイーダも簡単に落とせるとでもお思いか?」
「姫……」
 ギドは言葉が続かない。いつもならスラスラと口をつくのに、今はまるで出てこない。
 ナイーダはふっと笑みを浮かべた。ふっくらとした紅い口元、サファイヤの如くに輝く瞳。
「この私を甘く見るなよ。伊達に黒夜叉姫などと呼ばれているわけではない」
「神聖なる姫を甘くなど、けして……」

 ギドははっきりとたじろいた。次の王となるべきは白金の髪の呪われたマリウスではなく、神聖な姫たるナイーダさま。それが由緒ある貴族たちの主張であり、ギドの父ヨハネス大公の主張でもある。自分の王子マリウスを王太子と定めた国王は、立太の儀にそのナイーダを招いた。ナイーダが拒み、ヨハネス大公と組んで王に反旗を翻すこともありえた。十七才のナイーダはそれをせず、だから甘く見たものは確かにあろう。
 大公は自分の息子ギドとこの姫を娶わせようとしている。男勝りの姫などギドは気が進まなかったが、実際に会ってみるとすこぶる魅力的な姫君だ。例え父が禁じていても、舞踏には誘ったに違いない。そのしなやかな腰を抱き、ついいつものようにキュッとやった。これを嫌がられたことはない。ギドは「いい男」なのだ。女たらしというよりは、女のほうから群がってくる。据膳食わぬほどに潔癖とは確かに言えぬが、「女たらし」は酷だろう。この美丈夫といつか、と夢見る女にはことかかぬ。あわよくばこの魅力的な大貴族の子を産みたいと思う女さえ、掃いて捨てるほどにいる。そして、それを果たした女はまだない。ギドは今年二十五になる。
 「神聖な姫君」のほうは、くるりと踵を返した。男のような口調とは裏腹に、なよやかな姿。すらりと均整のとれた体つきだが、痩せぎすではない。重い甲冑を着て軍を率いているのがとても信じられぬほど、女らしい身体をしている。宮廷中が、この美しい姫君を注視していた。波打つ黒髪に抜けるように白い肌。そして、強く煌く瞳。万世一系の正しき王統の姫君なら、かくあれかしという姿だ。

「姫さま」
 黄金の首飾りをかけた貫禄ある男が近づく。
「愚息が失礼でも致しましたか?」
「大公殿下」
 ナイーダがすっと手を差し出す。大公殿下のほうは恭しくその手に口付け、臣下の礼を示した。
「ご無沙汰しておりました。お元気そうでなにより」
 優雅に微笑んだかと思うと、姫君はずいと近づいた。顔をあげた大公の耳にささやく。
「それが礼儀と思えばこそ、令息の舞踏の誘い受け申した。この私を篭絡せよとでも命じられたか?」
「滅相もない」
 大公のほうは鷹揚に応える。さすがに動揺などは見せない。
「姫さまがあまりに魅力的であらせられるがゆえの失礼。どうかお赦しのほど」
 姫君が小さく舌打ちをする。
「楽長!」
 手を止めている楽師たちに大公が声をあげ、そしてリュート弾きがひとり足らないのに気づく。
「トニオはどこだ?」
 年配の楽長が目を伏せた。
「王子のところか?」
「トニオというのは、今噂のリュート弾きか?」
 ナイーダの声音がわずかにうわずったが、気づいたものはいない。
「お聞き及びでしたか」
 大公が笑顔を作る。
「呼びにやりましょうか?」
「マリウスが召しているのだろう? そもそも、本来マリウスの『専属』だと聞いたが?」
「ほかならぬ姫さまの御所望、王太子殿下とてイヤとは仰せにはなりますまい」
 ヨハネス大公がニヤリとした。「王太子」の名を貸してやったのだから、楽師のひとりくらい寄越してもバチはあたらぬ。ナイーダもにこりとした。
「では、お言葉に甘えよう。その楽師のリュートだけは必ず聞いてこいと、侍女たちからしつこく言われている」
「聞くだけ、ですかな?」
 姫君がニヤっと笑った。
「それはつまり、眺めたほうが楽しい類の楽師、という意味か?」
 大公は意味ありげにニヤニヤとした。王にもマリウス王子にも気に入られてはいるが、女性たちの支持も絶大な若い楽師。「神聖なる姫君」も所詮は小娘。ギドに平手打ちなど食わせたのも、意外と脈ありの証拠かもしれぬ。ギドのほうも珍しく動揺していた。イヤだなどと言いおったが実はまんざらでもないのであろう。ヨハネス大公はほくそ笑みを隠しながら、王太子の楽師を召還させた。

  
 
 

 
 

 

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