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第一部 王太子の楽師
第十四章 ギドの告白
「殿下!」
 マリウスの身体がぐらりとした。伸ばそうとしたトニオの腕は動かない。動かせないようにぎっちりと包帯が巻かれているのだ。膝をついていたギドが慌てて駆け寄り、ぎりぎりで抱きとめる。
「……すまない」
 マリウスが薄眼をあけ、弱弱しく謝った。
「そなたは王の手で叙任された王の騎士。その主君の命とあれば、当然私の命をも奪わねばならない」
「殿下。殿下のお父上はそんなことは命じない」
「母上のことは?」
 マリウスが静かに尋ね、ギドがすっと面を伏せる。しばらくしてあげたその顔は、いつもの色男の顔ではない。
「殿下。王妃さまの、ミラベルさまの不幸な死は、陛下にも私にも一生の痛手。殿下はミラベルさまの遺されたひとり子。陛下にも私にも殿下のことだけをお頼みになって、ミラベルさまは死出の旅に赴かれた。リューカスさまとのお約束、そして元老院とのお約束をたがえてマリウス殿下を立太させられたのも、それがミラベルさまの御遺志だからです」
「母上の?」
 ギドが頷く。
「いくつもの約束を違え、多くのものを敵に回し、ミラベルさまの遺児である貴方を日嗣の御子と定められた。それを不当とそしり、御身を奪おうとするものはいくらもいます。味方に思えるものの中にも、陛下に忠誠を誓うものの中にも」
 マリウスが眼を逸らした。それはマリウスも承知している。無条件で信頼しているのは、ミカルとトニオのふたりだけだ。何の後ろ盾もないこのふたりには、しがらみとなる家族もない。ミカルは早くに両親を亡くしている。そしてトニオはイタリアで拾われた捨て子。マリウスはそう信じている。
「ミカルは何か隠している。陛下の尋問にもガンとして口を割らない。あのミカルが隠し事とは、穏やかではない。殿下は御存知なのですか?」
「ミカル! ミカルはどうなったんですか!」
 トニオが大声をあげた。ミカルは国王の手に捕らわれの身だ。黙っていてくれと頼んだのはトニオだ。陛下の尋問に素直に答えなければミカルは……
「知らない」
 さらりとギドが答える。
「だが、あの男を拷問にかけてもムダなことくらい、陛下はよく御承知だ。クロだと陛下が判断されれば、その場で手打ちになさる」
「ギド!」
 トニオがまた大声をあげる。
「大丈夫」
 ギドが微笑む。
「ミカルは殿下に忠実だ。その点さえゆるがなければ、死を賜ることはない」
「……トニオは?」
 マリウスが呟いた。
「トニオのあの腕……」
「だから、試せと仰せになった。手合わせてみてよくわかった。トニオには才がある。訓練と経験さえ積めば、このギドの強敵にもなりうる資質」
 トニオが何か言おうとして、そしてとどまる。トニオは動転している。
「昔、陛下は厳しい粛清を断行された。謀反を問われて潰された家は相当にある。処刑を免れた妻子の多くが身分剥奪の上追放の憂き目を見ている。トニオ。お前もその手だな?」
「私は……」
 騎士の子として生まれながら、身分を剥奪されて追放された。確かにそうだ。
「生まれたときの名前、覚えているのか?」
 トニオは慌てて首を振った。
「幼い頃の記憶はぐちゃぐちゃです。ハッキリと覚えているのは、お前の名は今日からトニオだと……」
 何度も何度も繰り返した話。幼い頃にユダヤ人の宝石商アブニールに拾われた、捨て子。そういうことになっている。そして、それは完全にウソとも言えない。捨て子ではないが、アブニールに拾われたことにかわりない。今日からトニオと名乗りなさい。そうアブニールに言われたのは本当だ。
「お前と初めて会った日のこと、私もよく覚えてるぞ」
 トニオは思わず紅くなった。十三の時だ。イタリアやフランス、フランドルですでに名を上げていた少年楽師は、ここ湖仙の地でもひっぱりだこだった。大陸の新しい歌を歌う「奏楽の天使」。愛らしい世俗楽師は大公家のいささか風紀の乱れた宴会に呼ばれ、酔客たちの玩具になった。酔った貴族たちの悪戯が限度を超えそうになったとき、さらりと庇ってくれたのがギドだった。いつも必ず守ってくれていた保護者アブニールは、大公に呼ばれていなかった。
「あの頃から、お前はイタリア人じゃないと思ってた。お前はここの、湖仙の人間だ」
 ギドがにっこりとする。
「お前自身も知らないのかもしれないけどな」
 トニオはおたおたしながらギドを見つめた。
「あ……アブニールは、私はイタリア人だといつも言っていました」
「彼は、お前の本当の素性を知っていたのか?」
「……知らない。知らないはずです」
 トニオの声が震えた。大公ともリューカスさまとも懇意だった宝石商アブニール・ベン・ツィオンは、カルロ・カバリエから「テオ」を預かった。どうしても楽師になりたい、大陸を見たいと駄々をこねる息子にカルロが負けて、名と身分を秘すことを条件にそれを許した。その後ろにリューカス・エセルクスの意思が働いていたことは、テオは知らない。そして、カルロ・カバリエがあっさりテオを手放したことで、アブニールも「テオ」の素性を疑っていた。「テオ」はカルロの子ではない。フロリスの双子の弟じゃない。そういう噂は確かにあった。
「もし私の父が陛下の敵であったら……」
 震える声で「トニオ」が言った。
「私の父は、殿下の敵かもしれない」
 きっぱりとした声でギドが言い、マリウスを見つめた。マリウスが見つめ返す。賊は黒幕は「黒髭」だと言った。ギドは髭を剃っているが、大公は蓄髯している。頬から顎まで黒々としたヒゲを蓄え、刈り込んで形を整えている。
「だからこそ殿下も、このギドをお疑いです」
「ギド。そなたがずっとここを離れないのは、そなたの父上を疑っているからか?」
 ギドは黙って頭を下げた。
「私の衛士、女官の中にも、そなたの父上の推薦で入ったものが多くいる」
「恐れながら」
 ギドは思い詰めたような顔をあげた。
「ヨハネス・バロウ大公の実力は、国王陛下を凌ぎます。約束をたがえて貴方を立太されたことで、陛下から離れたものはあまりにも多い。陛下もそれは重々御承知」
「ギド!」
 思わずトニオが声をあげた。危険すぎる発言。その「心を変えたもの」の名を列挙しろと言われたら、この男は答えるのか?

「わかった」
 マリウスはあっさりと答え、静かにトニオを遮った。
「ギド。そなたの気持ち有難く受け取る。そなたの父が誰であろうと、そなたを信じる。トニオの素性がどうあろうと、トニオを信じているように」
「有難き幸せ」 
 ギドは改めて膝をつき、頭を垂れた。トニオは震えていた。真実を知っても、マリウス殿下は同じことを言われるだろうか。もしもナイーダが、あるいはカルロ・カバリエがマリウスの暗殺を命じたらどうするのだ? トニオの心が拒絶した。ナイーダはそんなことは命じない。カルロがもし命じるならば、そのときこそ私は父を裏切る。マリウス殿下の為に剣を抜いた私は、既に父を裏切っているのかもしれない。

「殿下」 
 寝台のトニオがおずおずと呟く。
「私などのために、ついていて下さったのですか?」
 マリウスがにっこりとした。眼の周りが紅くなり、白い顔はいつもよりさらに蒼白だ。
「どうか、お休みになって下さい」
「殿下。私からもお願い申し上げる」
 ギドがまた真剣な声で続けた。
「殿下はもう三日、まともにお休みになってない」
「そんなことはない。ここで何度もウトウトとした」
「ウトウトしただけなんですか!」
 トニオが身を起こそうとする。
「それも、三日も? それじゃ殿下のほうが……」
「隣室の寝台をお使い下さい」
「わかった」 
 マリウスは素直に頷き、隣室に向った。安心したとたん眠気に襲われる。乱れのない寝台に潜り込み、すぐに寝息をたてはじめた。ギドの運び込ませたその寝台も、使われた形跡はなかった。
 






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