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覚醒
作:隆武


「や、やめてくれ! 助けてくれ!」
 逃げようと背を向けた男に、「気」を放つ。
「ぐああー!」
 鈍い音が響く。奴の両手両足の骨が砕ける音だ。
 無様に倒れた男の襟元を掴み、身体を起こす。
「た、助けてくれ……ど、どうして俺を……」
(どうして? あんたは、自分に何の罪もないと思っているのか?)
 男の顔をまじまじと見る。
(似ている)
 そう感じた瞬間、男の腹に手刀を放った。
「うっ、がはっ!」
 男の内蔵を抉った。飛び出した血だらけの腸をわしづかみにし、男の目の前に突きつける。ぬるっと、手から滑り落ちた。床に落ちた腸が蠕動運動している。
「がああーあー!」
 叫ぶ男の身体が、ガタガタと震えている。
(まだだ……まだ死なせない……)


 人気の無い橋の上に立った。その下には、穏やかだが広い川が流れている。
 空を見上げると、無数の星が煌めいていた。
 静かだ。
 ふと、手が震えているのに気がついた。
 たった今、あの男の命を奪った手……
(あいつだ……)
 奴の顔が浮かんだ。ついさっき、殺した男の顔だ。
 自分と似ていた。だから、間違いない。
 あいつが父親だ。あいつの血が、僕の中に流れている。
(これで……これで、僕の役目は終わった……やっと……)
 全部で四人。あいつが、最後の四人目だった。
 この四人が、今の僕を作り上げた。
 十七年前、あの男達が一人の女性を襲わなければ、こんな事にはならなかった。
 今の僕が存在することもなかった。
(生まれたくなかった……)
 身体が震える。頬に冷たいものが流れた。
「もうすぐ終わるよ。もうすぐ……」
 ふと、母の最期の姿……部屋で首を吊っている姿が目に浮かんだ。
(僕が死ねば、すべて終わりです。あなたを苦しめていたもの、すべてがこの世から消えますよ、母さん……)
 橋の手摺り越えようと、手をかけた。
「なあ、にいちゃん、タバコめぐんでくれや」
 突然、声をかけられた。振り向くと、ボロボロの服の五十歳くらいのおじさんが立っている。
 あまりに唐突で、言葉に詰まる。
「ぼ、僕、タバコ吸いません」
「ありゃ? 大きいから大人だと思ったら、よく見ると子供じゃねえか? にいちゃん、いくつだ?」
「……十六です」
「十六? こんな夜中に何してるんだ? 早く家に帰りなや」
 また言葉に詰まった。
 帰る家なんてない。
「ここは、夜はすこぶる冷えるぞ。ここで会ったのも何かの縁だ。今日は旨いもん拾ってきたから、お前にも分けてやるさ。ついてきな」
 こっちの返事を待たずに、おじさんはそそくさと歩き出した。
(ど、どうしよう……)
 さっきまで何も感じてなかったのに、「旨いもん」という一言が、激しい空腹感を呼び覚ました。


 川沿いを少し歩くと、小さい小屋が見えた。近くで見ると、段ボールとゴミ袋で作られていることが分かった。生ゴミのような、いや、生ゴミの酸っぱい匂いが漂っている。
「汚ねえ住処だが、ホームレスにしてはいいほうだ」
 おじさんは笑いながら、川から水を汲んできた。
「最近のゴミはスゲーぞ。こんな旨いもん、平気で捨てられてるんだからな」
 そう言いながら、どこかのゴミ袋から集めてきたのであろう、野菜や魚の切れ端を取り出した。
「ちゃんと火を通せば食える……」
 慣れた手つきで野菜と魚を細かく切り、水の入った、汚れた鍋に入れていった。
 あまり、見栄えは良くない。食欲が半減した。
「ほらよ、食いな」
 やはり汚れた食器と箸を渡された。それがさらに食欲を消失させる。だが、断るのはこのおじさんに悪いような気もする。それに、もうすぐ死ぬんだ。何を食べても問題ない。
「い、いただきます……」
 よく煮立った野菜の一切れを口に入れた。
 一瞬、身体の動きが止まる。
「お、おいしい……」
 見た目とのギャップがありすぎる。
「そうだろ? ほれ、もっと食え」
 一気に食欲が戻った。


 鍋はすぐに空になった。
「ごちそうさまでした」
 このおじさんに感謝しなければ。死ぬ前に、おいしいものが食べられたのだから。
「にいちゃん、まだ死ぬ気は収まらないかい?」
 どきっとした。
「やっぱりな……。あの橋の上で思い詰めた顔をしてたから、もしかしたらって思ってたんだよ。十六といえば、まだ人生の楽しみも知らねえだろ? 死ぬことはいつでもできる。もうちょっと生きてみてもいいんじゃないかい?」
(人生の楽しみ……)
 自分の知らない楽しみが、世の中にはたくさんあるのだろう。だが、僕は楽しんじゃいけない。
 僕は、楽しんだり、幸せになってはいけない。
「まあ、こんなホームレスのおっさんに言われても、説得力ねえか」
 そう言っておじさんは大声で笑った。つられて顔がほころぶ。
「にいちゃん、名前は?」
がい……藤堂嵬とうどうがいです」
「へえ……格好いい名だな」
 おじさんは名乗らなかった。昔は小さな料亭を経営していたそうだ。ある時、信頼していた友人に頼まれて借金の保証人になった。ところが、その友人が逃げてしまい、おじさんが返済に追われることになった。家も店も全て取られ、それでも借金は返せず、とうとう夜逃げしたらしい。
「まさか自分がホームレスになるとは思わなかったよ」
 そう言うとおじさんは大声で笑った。
「嵬、今晩はもう遅いから、ここに泊まっていけ」


 薄暗い小屋の天井を見つめた。
 隣ではおじさんが、いびきをかいている。誰かが側で寝ているなんて、初めてかも知れない。
 相変わらず生ゴミ臭さはあるが、何故か心が落ち着いた。
 このおじさんは知らない……僕が、殺人鬼であることを。
「化け物」
 殺した四人は皆、死ぬ間際に僕のことをそう呼んだ。
「あんたの息子だよ」
 それだけ言った。
 また手が震え始めた。手が、あの凶行を思い出している。
 これは、あんな残酷な殺し方をした自分に対する恐怖なのか?
 それとも、自分の使命を成し遂げたことに対する喜びなのか?
「お前は、私の恨み、憎しみの塊! 一度も……一度も、愛おしいとは思ったことはない!」
 母から聞いた最後の言葉だ。その夜、母は死んだ。首を吊った母の姿を目にしたとき、彼女の過去の記憶が、僕の中に流れ込んできた。
 それが、僕の能力ちからが覚醒した瞬間だった。
 今なら理解できる。何故、母が僕に笑顔を見せなかったのか。何故、いつも冷たい目で僕を見ていたのか……
(僕は望まれずに生まれた)
 暗い天井が、霞んで見えた。
「イテ!」
 突然、おじさんが叫んで、起きあがった。
「痛!」
 頭に何かが当たった。石だ。次々と小屋の中に飛んでくる。
「な、何?」
「くっ、またあのガキどもか! が、嵬! 段ボールで頭を隠せ! 外に出るなよ!」
 言われるままに段ボールの板で頭を守った。
「おい! ゴミ! 出てこいよ!」
 外から数人の笑い声と叫び声が聞こえる。
「出て来ねーと、燃やしちまうぞー」
「や、やめてくれ!」
 おじさんが小屋を飛び出した。
「お! 出てきたぞ! ほら、始まりだー!」
 外の様子を伺うと、五人の若い男達がエアガンで、逃げるおじさんを撃ち始めた。
「あ、ああ、や、やめてくれ!」
 小屋から離れるように逃げる。
「おい! 弾があんまりねーんだよ! 遠くへ逃げるな!」
 男の一人が、小石を投げつけた。その直後、おじさんが倒れる。足に直撃したようだ。
「おじさん!」
 慌てて駆け寄った。
「が、嵬! どうして出てきた! 早く逃げろ。お前もやられるぞ」
「お! なんだ、ゴミがもう一匹いたぞ!」
 男達が歩み寄ってくる。二十歳前後か、あるいは自分とそれほど歳は離れていないかもしれない。
(こいつら……)
 このおじさんを標的にして、射撃ゲームをしている。
「なんだよ、もう一匹いるんだったら、もっと弾を持ってくればよかったな」
 一人がエアガンを構えながら言った。
「ほら、早く逃げろよ! 動かねえもの撃っても、面白くねえだろ!」
 暗闇でも、この男がにやけているのがわかる。
 自分さえ楽しめればいいと考えている。
 他人を痛めつけることで優越感に浸り、生きている実感を得ようとしている男達。
 嫌悪感を抱いた。
(……殺す)
 奴らを睨み「気」を放とうとしたとき、腕を捕まれた。
「嵬! 逆らうな! 逃げろ!」
「おじさん……」
 突然、着信音が鳴り響いた。
「何だよ、今面白いところなのに」
 エアガンを持っていた男が携帯電話で話し始めた。
「おい! セイジがまた女を引っかけたってよ! 行こうぜ!」
「セイジのやつ、またかよ。やっぱイケメンだとすぐ引っかけられるなあ」
「さっさと行こうぜ! 今度は俺が一番な!」
 男達は、歓喜の声を上げながらその場を去っていった。
「はあ……助かった。嵬、ケガはないか?」
 声が出なかった。
「嵬、あんな奴ら、相手にするな。あいつらは限度を知らん。刃向かえば、痛い目をみるのはこっちだ。抵抗しないのが一番だ……」
(いや、やろうと思えば、一瞬であいつらを殺せた)
 心の中で叫んだ。僕も限度を知らない。自分の能力ちからの限度を……
「あいつらにとって俺はゴミだ。ゴミが何をされようと、誰も傷つかない。誰も……」
「そ、そんな……おじさんが傷ついているじゃないか! おじさんはゴミなんかじゃない。人間だよ!」
 おじさんが悲しい眼差しで僕を見た。
「嵬、俺のように……社会のゴミなんかになるなよ」
 そう呟くと、おじさんは痛めた左足を引きずりながら小屋に戻った。


 外が明るくなってきた。
 おじさんは、あれから黙って寝たままだ。
 僕は疑問で頭がいっぱいだった。
 「俺はゴミだ」と言ったおじさんの言葉を思い出す。じゃあ、エアガンを撃ったあの若い男達は何なんだ? 人間か?
 ふと、殺した男達の言葉を思い出す。僕を「化け物」と呼んだ。じゃあ、お前達は何なんだ? お前たちが人間なのか?
 サイレンの音が聞こえてきた。パトカーが川沿いの土手を走っているようだ。
(……見つかったんだ)
 昨夜、殺した男……父であろう男の遺体が、発見されたのだろう。十七年前、母を集団で暴行した男達は、その後、何食わぬ顔で普通の家庭を築いていた。
(あいつらが……人間)
 僕は人間ではない。それは分かっている。
 だが、あいつらが人間だというのなら、人間になんてなりたいとは思わない。
(あんな奴らが、人間であるはずがない)
 そうだ。あいつらは人間じゃないんだ。僕と同じ、生きていてはいけない存在なんだ。
「うう……」
 うめき声が聞こえた。おじさんが痛めた左足をさすっている。
「おじさん、大丈夫?」
「あ、ああ……ちょっとずきずきしてな……」
 どうも左足のふくらはぎに、石が直撃したらしい。腫れてどす黒くなっている。
「ひどいな……」
 おじさんの足を凝視する。次の瞬間、透き通るように足の骨が見えた。
(折れてないけど、ヒビが入ってる……)
 初めて、自分の能力をまともなことに使った気がした。
「おじさん、足に負担をかけちゃだめだよ。骨にヒビが入ってるかもしれないから」
「くそ……あのガキどもめ。歩けないと飯が探せないじゃないか」
 落ち込むように頭を垂れた。
「おじさん、食べ物は僕が持ってくるよ」
 このおじさんには、死ぬ前においしいものを食べさせてくれた恩がある。
「いや、それはいかん。お前はもう、家に帰れ。親が心配してるぞ」
 言葉に詰まった。心配してくれる親……僕は、今まで誰かに心配して貰ったことがあったのだろうか?
「……親は死んだんだ。母は四年前に、父は……つい先日」
 正確には、昨夜だ。昨夜、父を殺した。
「そうか……すまんことを聞いたな。それで、自分も死のうと思ったのか?」
 また言葉に詰まった。一瞬、本当の事を話してしまいたくなった。
「何か食べるものを探してくるよ」
 ごまかすように小屋を出た。
 朝日が眩しかった。目の前の川で顔を洗った。そこで初めて、自分の腕に血が付いていることに気付いた。昨夜の返り血だ。
 慌てて服を確認した。上下とも黒い服なので、血が付いていてもただのシミにしか見えない。だが、皮膚に付いた血は明らかに分かる。
 もう一度、腕と顔、そして首もとを洗った。乾いて、かさぶたのようになった血が、小さな塊となって流れ落ちた。
(血が付いたまま町に出ていたら、すぐ捕まるだろうな)
 ふと、そのまま警察に捕まってもいいような気がした。
 だが、すぐさま思い返した。
(僕は未成年だ……死刑にならない)
 だめだ。僕は、死ななければならないんだ。
「早く、死なないと……」
 おじさんに、恩返しをしてから死のう。


 小さな商店街に入った。まだ早朝のため、人気は少ないが、魚屋や飲食店では人が動いている。
 魚屋の前に立った時、ふと気付いた。
(お金……ないや)
 盗むか? でも、そんなことして得たものをあのおじさんに渡したくない。
 魚をさばいている老人と目が合った。
「らっしゃい! でも、まだ準備中だがね」
「あ、あの……何か、捨てる場所で食べられそうなところを分けてくれませんか? お金ないんです」
 正直に言った。ダメならどこかのゴミを探せばいい。
「はあ? なんだ、お前さん、その若さで物乞いか?」
 呆れた顔で老人が言った。何も言えない。その通りだ。
「まあ、欲しいものをすぐ盗もうとする奴らに比べればマシだ。しょうがねえ、こいつをやる」
 と、一匹の魚をビニール袋に入れて渡してくれた。
「え? あ、あの……いいんですか?」
「早く、持ってけ! 店の他のもんに見つかるとうるさいからな」
 そう言うと、老人はまた魚をさばき始めた。
「ありがとう」
 頭を下げた。胸の辺りに温かいものを感じた。


「おじさん! これ!」
 小屋に戻り、おじさんに魚を見せる。
「おお! 嵬、買ってきてくれたのか?」
「ううん、僕、お金持ってないもん」
「なに? じゃあ盗んだのか?」
 おじさんが、慌てた顔になる。
「盗んでないよ。親切な魚屋さんに貰ったんだ。とにかく食べようよ。どうやって料理するの?」
 おじさんから魚のさばき方を教わる。うまく包丁が走らない。
「これ、包丁がわるいよ。こんなに錆びてちゃ」
「お前が不器用過ぎるんだ。だいたい、こんなところに良い包丁があるわけないだろ」
 そういうと大笑いした。僕も笑った。
 笑うたびに、心の重みが取れた感じがする。
 焼き魚だけの朝食だったが、どこか心が和んだ。
「嵬、釣りをしたことがあるか?」
「釣り? したことない」
「よし、じゃあ教えてやろう。まあ、この川じゃあ小さいのしか釣れないがな」
 そう言うとおじさんは、足を引きずりながら、小屋の裏から竹竿を二本持ってきた。
「ほら、あの辺りの石をひっくり返してみろ。魚の餌になりそうなものが隠れてるぞ」
 初めて釣りというものをした。ただ、待っているだけなのに、おじさんの竿には魚がかかる。
「うまく釣れないよ……」
 お昼近くになったが、数匹しか釣れなかった。
「まあ、最初はそんなもんだ。お前も、初めてにしてはよく釣れてるぞ」
「本当?」
「ああ」
 そう言うとおじさんは、優しく微笑んだ。それが凄く嬉しかった。
 昼は少し豪華になった。
 おじさんは小屋の奥から、油と小麦粉、そして卵を出してきた。
「卵はすこし古いが、大丈夫だろう……」
 そう言いながら、あの汚れた鍋で釣った魚を揚げていった。
「すごい! これって、天ぷら?」
 はしゃぐ僕に、おじさんが揚げたての一匹をくれた。
「塩をまぶして食え」
 軽く塩をかけて、一口で食べる。
「どうだ?」
「うん! おいしい!」
 おじさんは満足そうに微笑んだ。


 昼ご飯の片づけを終え、一息ついた。目の前に流れる川は、相変わらず緩やかに流れている。
(こんなに落ち着いた時間を過ごしたのは初めてかも知れない……)
 少なくともこの四年間、落ち着けたことはなかった。最後の最後に、楽しい時間を過ごせた。
 本当に楽しかった。
 もう、十分だ。もう……
「おじさん。そろそろ行くよ」
 川を見つめたまま言った。
「これから、どうするんだ?」
 これから……もう決まっている。最後の始末をするんだ。
「もう、死ぬなんて、考えるなよ」
 一瞬、言葉に詰まる。が、すぐに笑顔を作った。
「うん。大丈夫。おじさんと会って、なんだか死ぬ気が失せちゃった」
 このおじさんに心配させたくない。
「そうか。そりゃ、良かった」
 おじさんが満足そうに微笑んだ。その優しい笑顔を見て、目頭が熱くなった。
「僕、親戚の人を頼ってみる。だからもう大丈夫」
 親戚なんていない。でも、そう言えば、おじさんはきっと安心する。
「そうか……。嵬、お前がそんな境遇になったのには、きっと何か意味がある。俺はそう思う。今は分からないかも知れない。だが、いつかきっと分かる時が来る。お前は純粋だ。目を見れば分かる。お前のような穢れを知らない子は、死んじゃだめだ……負けるな……」
 おじさんが声を詰まらせた。
(こめん、おじさん。僕は穢れているんだ。生まれた時から穢れている、殺人鬼なんだよ)
「おじさん、ありがとう。僕、頑張るよ」
(おじさんに会えて本当に良かった。僕ね、初めて人に優しくされたんだ。死ぬ前に、初めて人に優しくされた……)
 涙が流れた。
 母の死から、この四年間。早く死にたくて仕方なかった。この苦しみから、重みから、逃れられる日を待ち望んだ。
 だが、ここに来て少しだけ、生き続けたい気持ちになった。
「さようなら、おじさん」
 おじさんに背を向け歩いた。
「嵬……」
 おじさんの声が聞こえた。でも振り向いて、おじさんの顔を見たら、心に中で何かが崩れるような気がした。思いを断ち切るかのように走った。


 おじさんと最初に出会った橋の上に立った。
(ここでは死ねない)
 ここで死ぬのは、あのおじさんに申し訳ない気がした。
(別の場所を探そう……)
 背後をパトカーが通った。過ぎ去るパトカーを目で追う。
(今、どうなってるんだろう)
 ふと、昨夜の凶行場所が気になった。これまで、気になったことなど一度もなかったのだが、今回は妙に気になった。無意識に、足がパトカーの走っていった方向に向いた。
 パトカーは、昨夜の凶行とは違う場所に停まっていた。大きなビルとビルの間に警察が集まり、それを囲むように人集りが出来ている。
「すみません、何かあったのですか?」
 野次馬の中の、近くの男性に聞いた。
「ああ、なんか若い女性が殺されていたらしい。かわいそうに……」
 若い女性?
「今朝も、この近くのマンションで男が殺されてたそうだ。それは惨い殺され方だったそうだよ。俺が思うに、その事件とあの娘は関係あるな。きっと犯人の顔を見たから口封じにやられたんじゃないか」
 男の惨殺……それは、僕がやったんだ。でも、娘なんて知らない。
「へえ……」
 関心がないように言った。だが、心の中では動揺していた。
(何だよ、それ。僕が関係ない人を殺したってことにされているのか?)
 ふと、殺された女性が倒れていたであろう場所が目に入った。何かが光る。小さな金属物が、太陽の光に反射したようだ。
(イヤリング?)
 おそらく、殺された女性が付けていたものだろう。
 そう思った瞬間、そのイヤリングから、彼女の記憶が流れ込んできた。

「おい! ちゃんとビデオ回しとけよ! 見ろよ、この女の必死な顔を」
 男の声が聞こえる。
「いや! やめて! だれかー!」
 数人の男が身体を押さえつけ、服を裂いている。別の男が、その場面をビデオで撮影しているようだ。
「イテ! こいつ噛みやがった! ふざけんな!」
 男が顔を激しく殴る。
「おい! やめろ! セイジ! 顔が潰れてると、ビデオが売れねーんだよ」
「うるせえ! こいつ、俺のモノを噛みやがったんだぞ! なめんじゃねえぞ! こら!」
 そう叫びながら、何度も殴ってきた。

 数回目の殴打で、突然記憶が途切れた。そこが、彼女の死の瞬間だとすぐに分かった。
(ひどい……)
 彼女はここで殺されたんじゃない。誰かの部屋で殺され、ここに捨てられたんだ。
 声の感じから、彼女の歳は自分とそれほど離れていないように思えた。
(まだ、やりたいことがたくさんあっただろうに……)
 ふと、おじさんの言葉が頭に浮かんだ。
「まだ人生の楽しみも知らねえだろ?」
 僕は人生を楽しんじゃいけない。でも、この娘には楽しむ権利があったはずだ。
(あの声、どこかで……)
 男達の声に聞き覚えがあった。彼女の記憶をもう一度たどる。「セイジ」という名前に引っかかりを覚えた。
(昨夜のやつらか!)
 おじさんをエアガンで撃ってきた、あいつらの声だ。またあの時の嫌悪感が蘇る。
 と、同時に後悔の念が押し寄せてきた。
(あの時、あいつらを殺していたら)
 彼女は死なずに済んだかも知れない。
(僕のせいだ)
 頭に血が昇った。あの時、セイジという男が他の連中を呼びだした。ということは、彼女が殺されたのはセイジの部屋ということになる。
 怒りを込めた目で、もう一度彼女のイヤリングを睨む。彼女の記憶が、時間を遡るように頭に流れ込んできた。
(もっと! もっと情報をくれ! セイジの居場所が分かる情報を!)


 セイジの住むマンションは、彼女の遺体があった場所からそれほど遠くなかった。まだ警察も聞き込みで周囲をうろついていることもあり、暗くなるのを待ってから、奴のマンションに向かった。
 入り口の豪華なマンションの前に立つ。
(ずいぶんと大きなマンションだな)
 セイジという男は、ここに一人で住んでいるようだ。仲間のたまり場にでもなっているのだろう。
 ここから先は、暗証番号を入力して玄関を開けるか、入居者に中から開けて貰うしか手はない。普通の人なら……
 入り口脇の暗証ボタンに手を軽くかざす。ついさっき、このボタンを押して入った人の残存する記憶を読み取った。すぐさまその番号を押す。
 扉が開いた。何事もないように入る。彼女の記憶通りの部屋の位置を探しだし、その前に立った。
(ここか……)
 中を透視する。
 居る。一人だ。
(他の連中はいないのか)
 一度に片づけたかったが、相手が一人の方がじっくり彼女の無念を晴らせる。
 玄関のチャイムを鳴らした。
 しばらく間があったが、扉が開いた。
「誰だ? お前」
 彼女の記憶通りの顔が現れた。
「セイジさん?」
「だから、誰だ、お前」
 威嚇するようにセイジが睨んできた。
「噛まれた傷はどうですか?」
 セイジの顔が一瞬、引きつった。軽く「気」を放ち、奥に吹き飛ばす。
「うあ!」
 中に入り、部屋の鍵を閉めた。
「な、何だ! お前!」
 起きあがろうとするセイジの顎を殴り砕いた。
「がががああー!」
 顎が不自然にゆがみ、口から血が流れ落ちる。
「いい男が台無しですね」
 冷たく言った。
 部屋の中をゆっくりと見渡す。部屋の様子も、彼女の記憶通りだ。
 高価そうな物がたくさんある。ふと、小さなビデオカメラに目が止まった。暴行を撮影していたカメラだ。
「そうか。あんた、撮影したビデオを売って金儲けしてたんだ」
 どうやら、撮影した映像の編集機器もあるようだ。被害にあったのは、殺された彼女だけではないことは察しが付く。
 セイジが隙をついて逃げようと玄関へ走った。一睨みする。
「ぐがあ」
 奴の身体が浮き上がり、大きく弧を描いて、部屋の奥へ落下した。
「はがああー」
 セイジの顔が恐怖で引きつっている。今、何が起こっているのか理解できないようだ。
「あんた、恐いのか? 女性を集団で襲い、殴り殺したあんたが、何を怖がってるんだ?」
 「気」を放ち、奴の右足を砕いた。
 苦痛の叫び声が響く。
「泣き叫ぶ女性を見て、楽しんでいたんだろ? どうだ? 自分が泣き叫ぶ立場になった気分は?」
 さらに奴の左足を砕いた。また叫び声が響く。
「ここは防音設備が整っているんだろ? 女性が叫んでも外に聞こえないように」
 ゆっくりとセイジに近づく。
 突然、セイジが黒い物をこちらに向けた。次の瞬間、爆音と共に火を吹く。
(くっ……)
 一瞬、左頬に衝撃が走った。
「うがあああー!」
 続けて数発、撃ってきた。だが、今度は身体に当たることなく「気」で弾き落とした。
「ああ、はがああ、ば、ばげもの……」
 砕けた顎で叫んでいる。
「あんた、拳銃なんか持ってたのか」
 軽く左頬をさすった。弾丸が当たった場所だ。あと少し「気」を張るのが遅れていたら、頭が吹き飛んでいただろう。
 恐怖が走った。
 死ぬことにではない。自分の能力に恐怖したのだ。
(僕は、弾丸をも弾き返せるのか?)
 拳銃で撃たれたのは初めてだ。だが、それすら自分には通じないことを知った。
(僕は、どうしてこんな能力を持ったのだろう)
 また疑問が湧き出る。母が死んだあの日から……この能力に目覚めたあの日から、ずっと持ち続けていた疑問。
「た、たしゅへて……」
 セイジが震えながら言った。涙を流している。助けて、と言いたいのだろう。
「助けて欲しい?」
 セイジが震えながら頷く。
「じゃあ、教えてよ。どうして、僕は生まれてきたんだ? 何故、こんな能力を持っているんだ? 教えてくれよ! そうしたら、助けてやる」
 セイジが頭を何度も横に振る。分からない、と言いたげに。
「僕は何者だ? 何故、こんな……こんな世界に生まれてきたんだ?」
 セイジにゆっくりと近づいた。
「お前達は何者だ! お前達が人間なのか? じゃあ、僕は一体何なんだ!」
「がああー、た、た、たしゅへて」
「僕は人間じゃないのか!」
 奴の頭を鷲掴みにし、一気に「気」を放った。
 弾ける音と共に、奴の脳が周囲に飛び散る。
(どうして……どうして、僕を生んだんだ……母さん……)
 頬に熱いものが流れた。その場に崩れるように座り込む。
(助けて……誰か……僕を殺して……)
 生温かい血が付いた手を見つめた。また震えている。
 やはりこれは、恐怖の震えなんだ。僕は、ずっと恐怖していたんだ。人を殺すことに。
(もう……もう、嫌だ……)
 両手で、自分の頭を貫こうとしたとき、突然、セイジの記憶が流れ込んできた。

「じゃあな、セイジ。また女引っかけたら、連絡くれよ。ま、タマを噛まれたお前はしばらくカメラマンだがな」
「うるせえ! しばらく撮影は休みだ。自分がやれねえのに引っかけるかよ!」
「はっ! まあ、期待せずに待ってるぜ! よし、またゲームでもしてくるか!」
「おい、やりすぎんなよ! 警察がうろついてるんだからな」
「殺人事件が二件連続で起こってるんだぜ? ホームレス一匹がどうなっても、警察はそれどころじゃねーだろ?」
「それもそうか」
「買ったばかりのボウガンの威力も試したいしな」

 ほんの少し前の記憶のようだ。あいつらは、またおじさんを襲いに行ったんだ。
(おじさん……)
 まだ震えている手で、涙を拭き、部屋を飛び出した。


 途中、あの橋の上を通った。ここからでは見えるはずがない、あの小屋の方向を見た。
 うっすらと明るい気がする。
 嫌な予感がした。小屋の様子を透視する。
 紅く踊る塊が脳裏に映る。
(も、燃えてる!)
 血の気が引くのを感じた。全速力で向かう。
 小屋の周りにあの五人の男達が立っているのが見えた。小屋は勢い良く燃えている。
「おじさん!」
 炎に向かって叫ぶ。
「お! ゴミの仲間が来たぞ! おい! 早く助けださねーと、死んじまうぞ! あいつ、出てこねーからさ」
 笑いながら一人が言った。
「くっ!」
 こいつらは、後で始末する。おじさんを助けるのが先だ!
 炎の勢いが凄まじい。こんなに燃えるものなのか? 熱くて、小屋に近づけない。
(お、おじさん!)
 中を透視する。おじさんが倒れているのが見えた。腹部に、矢のようなものが刺さっているようだ。
「ぬあー!」
 炎に向かって走った。
「あいつ、バカだ。火の中に自分から入ろうとしているぜ」
 あざ笑いながら、誰かが言った。
(覚えていろ! お前達、絶対に許さない!)
 熱い。炎が邪魔だ。
 身体が焼ける!
(くそ! 熱くて進めない!)
 炎が邪魔だ!
(邪魔だ!)
「邪魔だ! どけ!」
 声が大きく響いた。
 と同時に、炎が裂けた。道が開ける。熱さはまったく感じなくなった。
「おじさん!」
 倒れているおじさんに駆け寄って抱きかかえた。すぐさま燃えさかる小屋を飛び出す。
 男達は呆然としている。
「な、何だよ……おまえ、今、何したんだ? 炎が急に裂けたぞ」
 そんな言葉を無視し、おじさんを川沿いにゆっくりと下ろした。
「が……嵬……来て……くれたのか……」
 かすれた声で言った。喉が焼けてしまっているようだ。
「うん、おじさん、しっかり……」
 だが、もう手遅れであることを感じていた。おじさんの呼吸がだんだんと荒くなる。
「おじさん、僕、おじさんに聞いて貰いたかったことがあったんだ」
 おじさんには、本当の事を知って貰いたい。
「僕、おじさんの言うような純粋な人間じゃないんだ。穢れてるんだよ……僕、何人も人を……」
 殺してるんだ、と言おうとしたとき、おじさんの温かい手が頬に触れた。
「おま……えは、純……粋だよ……嵬……生きろよ……」
「お、おじさん」
 その手を握り返す。魚臭く、どこか懐かしい手。
 突然、おじさんが大きく息を吸った。次の瞬間、おじさんは目を見開いたまま動かなくなった。
「お、おじさん? おじさん! 死んじゃいやだ! おじさん!」
 おじさんの身体を大きく揺する。何の反応もない。
「い、いやだよ! おじさん! いやだー!」
 叫び声と共に、涙が溢れ出た
 初めて声を出して泣いた。母が死んだ時にも泣かなかった僕が、声を出して。
(いやだよ……おじさん……どうして、おじさんが……)
「なんだよ、やっぱり矢が当たってたんじぇねーか」
 誰かが言った。
「でも、火を付けたのはお前だろ? お前が殺したんだよ」
「矢が致命傷だぜ、きっと。だって、ほら、ほとんど焼けてねーじゃん」
「いや、一酸化炭素中毒かもしんないぜ」
 笑いながら、会話を交わしている。
(どうして……こんな奴らが生きているんだ?)
 疑問が湧く。
(どうして、おじさんが死ななければいけないんだ?)
 心が壊れそうだ。
「この……このおじさんが……お前達に……何を……何をしたんだ?」
 しゃくり上げながら、男達に言った。涙が止まらない。
「はあ? お前、俺達に言ってんの?」
 ボウガンを向けられた。こいつが、おじさんを射抜いたんだ。
 ゆっくりと立ち上がる。
「何、泣いてんだ? お前達はなあ、社会のゴミなんだよ! 生きててもしょうがねえゴミなんだよ! だから、俺達が掃除してやってるんだ!」
 そういうと、奴は矢を放った。
 同時に「気」を放つ。矢が弾き返され、放った男の頭を貫通した。
「う、うわ!」
 矢が刺さったまま、ゆっくりと倒れる仲間を見て、他の連中の顔が引きつるのが分かった。
「社会のゴミ? じゃあ、お前達は何なんだ?」
 残った四人をゆっくりと見渡した。
(掃除だと?)
 燃えさかる小屋の近くに立っている、ポリタンクを持った奴と目が合う。そのタンクには、ガソリンが入っていたようだ。
(こいつが、燃やしたのか……)
 手を大きく振り扇いだ。まるで、強い風が吹いたように、小屋の炎が大きく延び、タンクを持った奴を飲み込んだ。
「うわーあー!」
 隣で燃える小屋よりも、凄まじい勢いで男から火柱が立った。
「お! おい! 早く消せ!」
 だが、誰もどうして良いのか分からない様子だった。
「か、川へ、川へ入れ!」
 誰かが叫んだが、燃えさかる男は、その場に倒れ込み動かなくなった。
「な、何なんだ! お、お前、何をしたんだ?」
 そう叫ぶ男を一睨みする。次の瞬間、顔が潰れ、脳が飛び散った。そのまま後ろへ倒れる。
「ひっ! ば、化け物だ! た、助けて!」
 残った二人が、逃げ去ろうとする。奴らの足に「気」を放つ。
「うあ!」
 二人同時に倒れた。
「逃げるなよ」
 自分でも冷めた声だと思った。二人が怯えた目でこっちを見ている。
「僕が恐いのか?」
 二人に歩み寄る。
(どうして、僕はこの世に生まれたんだ?)
 どうして、こんなに辛い目に遭うんだ。
「た、助けて! お、お願いです! 助けてください」
 一人が、泣き叫びながら懇願した。もう一人は、恐怖で声も出ないようだ。
「どうして? どうして、助けて欲しいんだ? おじさんだって、生きたかったはずだ。なのに、お前達は殺した! あの女の人だって生きたかったはずだ。なのに、お前達は殺した。それなのに、自分だけは助かりたいのか?」
(こんな奴らが、どうして人間なんだ?)
「お、俺は、あのおやじに何もしてない! だ、だから助けて」
 声が出なかった奴が、やっと言った。
「どうして……そんなに生き延びたいんだ?」
(僕は、ずっと死にたかったのに! 生きることが、辛くて! 哀しくて! 苦痛でしかなかったのに!)
 命乞いをする二人を見つめた。ふと、殺された女性の記憶が蘇る。服を破り裂くセイジに抵抗しようとする彼女を、この二人は抑えつけていた。
(こいつらが、人間……)
 自分の快楽だけを求め、他人がどんな苦痛を味わおうが気にしない。自分が窮地に追いやられると、ひたすら命乞いをする。
(どうして、お前達が人間なんだ……)
 命乞いをする二人を見ていて、ふと、心の中に光が現れた。これまで、自分自身でも見えていなかった心の奥を照らし出す光だ。
(そうか……そういうことだったのか……)
 この四年間の疑問が、一気に解けた気がした。
「お前達は人間だ。そうだ、人間なんだよ……」
(そう、そして僕は人間じゃない)
 身体の奥底から、力が湧き出るのを感じる。周囲が青白く光る。いや、自分の身体が光っているのだ。
(どうして、気付かなかったんだろう……)
 内側からあふれ出す力を掌に集める。
「ぬん!」
 手から放たれた青白い光が塊となって、二人の男に直撃した。
「ぐごあっ!」
 一瞬の断末魔の声が響き、二人の身体はバラバラに砕け散った。
 小屋が燃える音だけが聞こえている。
(そうだ……あいつらが人間なんだ……)
 全てが理解できた。
 手は震えていない。もう、二度と震えることはないだろう。
 ゆっくりと、おじさんの遺体の側に歩み寄った。
「おじさん。僕、勘違いをしていたんだね」
 おじさんの言葉が、頭に蘇ってきた。
「嵬、お前がそんな境遇になったのには、きっと何か意味がある」
 そうだ。意味があったんだ。僕が、こういう能力を持ったことも意味があったんだ。
 ただ、勘違いをしていたから、それに気付けなかったんだ。
「僕は、人間というものが、清く、純粋なものだと思っていたんだ。でも、それは間違いだったんだね。人間は、ゴミよりも穢れた存在だったんだ」
 だから僕が、この世に生まれたんだ。人間を一瞬で消し去る能力を持って。
「おじさん、僕、生きるよ。やっと……やっと、分かったんだ。僕がこの世に生まれた理由が……」

(完)














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