第十九話 湖
朝、目が覚めると隣には少女の姿がある。
最近は彼女たちと一緒に寝ることも多くなって、朝のこの状況にも随分と慣れていた。
今日の隣はアオイ。彼女は早起きだから既に起きていた。けれど他の人を起こさないように、まだ布団の中にいたようだ。
そして彼女と目が合う。
向けられる、穏やかな笑み。チトセはこの笑みが好きだった。彼女らしく、そして心地好いこの笑みが。
今日の彼女は、いつもと少し違う。
いつもアリシアがしているように、手を伸ばして抱き着き、甘えてくる。いつも彼女からそうしてくることはなかったから、それは新鮮で、そして嬉しくもある。
一度唇を交えると、それから勢いづいて何度もついばむようにキスをした。
とろんとした表情。普段は見せることのないそれが、更に行為をエスカレートさせていく。
抱き合い、互いの温度を感じる。そして背を撫で、うなじに手を添え、その体の熱を収めていく。
それは児戯にも等しい、幼稚な行為だったかもしれない。
けれど、少しだけ進展した、愛情を確かめるための行為であった。
暫く続いたその行為は、他の皆が起きてくることで終わりを告げる。少しだけ特別な二人の時間は、やけに官能的に感じられた。
朝食を終えて挨拶を済ませると、アヤメに見送られながら、屋敷を出た。
それから主都ランブルクを出て、西へとバスを走らせる。
その向こうには小さな街があり、大きな湖があることから、漁が盛んに行われているそうだ。
その付近は高地の地形であり、涼しいことから避暑地としても使われている。主都からほど近いということもあって、比較的高級なリゾート地であるとも言えるだろう。
そして着いたのは、湖畔の街。
閑静な街の向こうには、海と見間違えるほどの巨大な湖。
ときおり吹いてくる風は涼しく、清涼さを感じさせる。
十人でぞろぞろと歩いていくと、さほど多くない町民たちはすぐに気付いたようだ。そして三十代ほどの男性がすぐに駆けよってきて頭を下げる。
「アオイお嬢様。お久しぶりでございます。アヤメ様に似てお美しくなられまして」
「ありがとう。皆の姿が見えないようだけど、何かあったのかしら?」
どうやらアオイは避暑地としてここを何度も訪れているらしく、町民には慕われているようだ。
男性は実は、と話を始めた。
「ここ最近、湖にモンスターが現れまして。漁がまともにできなくなってしまったのですよ。我々にとっては死活問題ですから」
アオイはチトセの方を見る。
チトセは小さく頷き、前に出た。
「では俺たちで何とかしますよ」
「ですが危険が伴いますので」
「大丈夫よ。彼、とても頼りになるの」
アオイに言われて、チトセはつい誇らしくなる。
案内するように言われた男性は、渋々承諾して、湖の方に向かう。
広大な湖にモンスターがいるということだったが、それは特に珍しいことではないらしい。さほど協力ではないモンスターであれば、漁師が銛で突き殺して、食卓に上がることになるそうだ。
しかしどうやら巨大モンスターが現れたということで、ジョブ持ち以外の者では太刀打ちできなくなったらしい。
チトセは湖の端に立ち、スキル【探知】を使用する。
探知に引っかかる半径は90メートル。
しかしその中には小魚はヒットするものの、目立ったモンスターはいない。
さもありなん、この湖は長径10キロメートル近い広さがあるのだ。すぐに見つかるなら苦労はない。
それから話を聞いてみると、どうやらいつも襲われるわけではないが、湖を縦横無尽に動き回っているため、どこでも襲われる危険性があるとのことだった。
対象は全長十メートル近い巨大魚。食われた村人も既に何人か出ているそうだ。
「では光を試してみましょうか?」
リディアがそう提案する。
船で湖に出ているところを襲われては一たまりも無いので、とりあえずその案で行くことにする。
リディアは杖を取り出し、スキル【ライト】を使用。
比較的大きめの光球がいくつも生み出される。
個数制限はないためいくつでも出すことができるが、数に応じて魔力が使用され続けるため、チトセではそうはいかないだろう。
色とりどりの光球が湖に散らばっていく。
それを見ながら、チトセはやる事も無くなったので、釣竿をインベントリから取り出した。【誘引】のスキルの付いた少し高い釣竿である。
魚の切り身を付けて、湖に投入。
それを見て、アリシアはすぐにその隣で釣りを始める。
チトセは探知に引っかかる魚の群れに合わせて、釣竿を動かす。
そしてスキルを発動させるとすぐにヒット。釣竿を持ち上げ、リールを巻き上げる。
釣れたのは、小魚。アオイは隣にやってきて、それをしめる。
アリシアもまた、同様の手法ですぐに魚を釣れる。
それを見て、ヨウコやナタリも釣りを始める。しかし、スキル【探知】によって魚を探知しているからこその効率であって、そうでなければすぐに取ることなどできるはずもない。
やがて、ヨウコとナタリは飽きて釣竿を投げた。
チトセもまた、暇を持て余してインベントリを整理したり、ステータスウィンドウを確認したりする。
水明郷千歳 Lv85
固有ジョブ
【転生者Lv41】
メインジョブ
【剣士Lv62】
【戦士Lv50】
【侍Lv28】
【弓使いLv49】
【槍使いLv32】
【盗賊Lv45】
【魔法使いLv69】
【僧侶Lv58】
【獣使いLv42】
転生者ジョブが40になったことで新たなスキルを取得できたくらいで、これといった発展はない。高レベルになるほど能力が急上昇する、ということもなかった。
チトセは取得したばかりのスキルを確認する。
【ボイド】全精神力を使用して対象をスキル発動不可能にする。有効時間は残り精神力依存する。
精神力は魔力のことであり、中々使い勝手が良くない。
そしてどうにも転生者ジョブについているスキルは集団戦を前提としている面が強く、個人戦には役に立たないようなものばかりである。
いまだならぬ、最強の座に着く大望。
そして自らの限界も、近づいていた。
チトセはウィンドウを消して、目の前の湖に視線を落とす。もし、駄目だったなら。
そう考えて、頭を振る。
必ずや、彼女たちと並ぶ英傑になるのだと。
それから何時間かした頃には、既にモンスター狩りの雰囲気はなくなっていた。
何匹か魚のモンスターを釣り上げたが、それらは一撃で仕留めることができる程度の強さであった。
カナミとメイベルは金網の上で魚を焼いており、片っ端から釣り上げた物を口にしている。夕食前だというのに、そんなに食べていいのだろうか。
もっとも、カナミはいつも何かを食べているような気がしないでもない。
そうして釣りにも飽きてきてそろそろやめようかと思ったとき、巨大な影が光球に照らし出された。
「チトセくん! 来ました!」
魚影はずんずんと光球に近づいてくる。チトセはすかさずスキル【サンダー】をぶち込む。魚はびくりと震えて、そして勢いよく向かって来る。
「離れろ! 突っ込んでくる!」
水しぶきを上げて、巨大な魚が飛び出した。
それに合わせてリディアはスキル【ファイア】を使用。
ジョブ自体についているものであり、即時の発動以外に利点のないスキル。だが、生み出された業火は巨大な魚を飲み込んだ。
一瞬にして燃え上がる巨大な魚。だが、それはスキル【アクア】を用いて一瞬にして鎮火させ、そしてその水流に乗って襲い掛かってくる。
「アオイ! 撃ち落としてくれ!」
弓使いのジョブをレンタル。
アオイは用意していた弓を構え、矢を放つ。放たれた矢は正確に敵へと突き刺さるが、その巨躯にはさほど効果はなかった。
そして敵はカナミとメイベルに向かって巨大な口を開けた。
チトセは即座に二人にジョブをレンタル。
カナミは敵を回避すると同時に剣で口の端を切りつける。肉が裂け、体液が飛び散る。そして反対側のメイベルに狙いを定めた巨大魚は、水流の流れを変えてメイベルへと体当たりをかます。
咄嗟に斧でそれを受け止めながら、メイベルは後退。
次の瞬間、巨大魚は空へと舞い上がった。
そして浮かび上がる魔方陣。
チトセとリディアはすぐさまスキル【アース】により防壁を作り上げ、そこに少女たちは避難する。そこでヨウコはスキル【妖精の粉】を発動、周囲に光が撒き散らされ、身体能力が強化される。
同時にリディアは【ヘイスト】、チトセは【エンチャント】によりバフを掛ける。
そして水色の魔方陣が浮かんだ僅か数秒後。
スキル【スプラッシュレイン】が発動。
超高圧の水が撃ち出され、辺りに降り注ぐ。
ドス、と鈍い音がして、土壁が削られていく。そして崩壊。
チトセとカナミは前に出て盾を構えるが、それでもすべてを受けきることはできない。
傷が増え、血がにじむ。
チトセはそのたびにヒールを使用し、傷を治していく。
そして攻撃が止むと同時にサツキとエリカが飛び出した。
サツキはスキル【遠当て】により胴体へと斬撃を飛ばし、エリカはスキル【投擲】により手にした槍を投げ飛ばす。
それらを受けて巨大魚は一瞬仰け反り、そこにアリシアの投擲した短剣が突き刺さる。そして【麻痺毒】が発動。
硬直した姿を確認すると、チトセはスキル【ボイド】を使用。途端、全身の魔力が失われていく。激しい疲労と共に、魔方陣が浮かび上がり、それは敵へと向かっていく。
使用コストが高く、命中率も高くないスキル。だが、今なら当たる確信があった。
魔方陣に包まれた敵は、周囲に生み出されていた水を失って、地に落ちる。
じたばたする敵へとカナミとメイベルが飛び掛かり、リディアは大魔法を発動、キャスティングタイムに入る。
カナミは左右の目をつぶし、視界を奪う。メイベルは胴体へと重い一撃を叩きこんだ。
それでもなお暴れる敵。
ナタリはモーモーさんを召喚、そして巨大化、強化のバフを掛け、突撃命令を出す。
巨大なカバは魚を捉え、地面に押さえつける。
「離れてください!」
リディアの一声で、一斉に少女たちは飛びのき、モーモーさんは送還される。
自由になった巨大魚が飛び退こうとした瞬間。
その頭上に氷のギロチンが生み出された。
音もなく、それは落ちる。
頭部を一刀両断。モンスターはぴくぴくと痙攣したまま、頭を失った。
チトセはそれを見て、感嘆する。彼女のスキルさえあれば、どんなモンスターであろうと一撃で仕留めることができるのではないだろうか、と。
暫くして戻ってきたジョブを確認していると、チトセはレベルが上がっていたことに気が付く。まともにダメージを与えたわけではないので、どうやらスキル【ボイド】はスキル使用不可の状態異常だけでなく、MPダメージを与える効果があるらしい。
これはレベル上げにいいかもしれないと思うものの、大量の魔力を持つボスモンスターくらいにしか有効ではなく、その際もダメージを与えた方が効率は良い。
ともかく、チトセはモンスターをインベントリに収納し、街に戻ることにした。