7-11 My HERO
「う、うそっすよね、イサ先輩……」
しかし魔王は狙いをロリシアに定めたままだ。
決して揺らがず、笑わない。
「なにしようとしているんすか……
そんな、タチの悪い冗談、やめてくださいよ、ほんとに」
「これはあいつが望んだことだ」
「そんな……」
仮面の男に話が通じる気がしなかった。
彼は自分とはまったく違う倫理観で動いている。
慶喜は観客席を見上げ、精一杯叫ぶ。
「ロリシアちゃん、どうして!」
彼の訴えるような声に、ロリシアはあくまでも笑っていた。
まるで泣く息子を宥める母親のように、少し困ったように。
慶喜はなりふり構わずわめき散らす。
「廉造先輩! ちょっとぼさっとしてないで、
ロリシアちゃんを安全なところにやってくださいよ!
逃げて、ロリシアちゃんも早く逃げて!
なんなんすか、みんな! なんでこんなの、おかしいでしょう!」
だが、誰も動かない。
誰も。
まるで世界が慶喜の敵に回ったかのようだ。
どうして自分がこんな仕打ちを受けなければいけないのか。
勝手にもてはやされて、勝手に失望されて。
勝手にこんなところに放り込まれて、今度はロリシアが撃たれる?
そんなことってあるだろうか。
慶喜は泣いていた。
「なんなんすか、これ!
どうして、ここまで! こんなことを!」
「お前はなにもわかっていない、慶喜。
この戦いの決着が持つ意味も、自分の価値も。
だからこそ、彼女は自らの命を捨てようとした」
「わかんないっすよこんなの!
だってこれは無理矢理!」
再び慶喜は実力行使に出た。男に掴みかかる。
だが仮面の男はその手を身じろぎだけで振り払った。
ただそれだけのことで、慶喜は地面を転がる。
「見えるだろう、この魔術が。
どうすればいいかわかるか?
そうだ、俺を止めてみせればいいんだ。
わからないなら教えてやるさ。
剣を抜けばいい。俺に斬りかかってみせろ」
「そんな……無理っすよ、そんな……!」
「ならば防いでみろよ。お前の術で。
反魔障壁だ。簡単だろう?」
「先輩ぃぃぃ!」
仮面の男は指先を伸ばし、ロリシアを指す。
その少女は目を閉じ、まるで祈るように両手を組み合わせていて。
慶喜は右腕を掲げた。
「ぼくだって、ぼくだってえええ!」
コードを紡ぐ。
紡ぐんだ。
何度だって繰り返してきた単純な法術だ。
できる、大丈夫だ、できる。
難しいことはなにもないじゃないか。
ノートに四角形を書くようなものだ。
大丈夫だから、だから――
仮面の男の指から、魔術が放たれた。
シルベニアの魔法のような閃熱波は、まっすぐに飛ぶ。
その光景が、慶喜の目にはスローモーションで映っていた。
守る。
守るんだ。
「ぼくが、守る、守るからああああああ!」
そして、
彼の詠出したコードは、
――霧散した。
閃熱はロリシアの胸を貫く。
少女は衝撃に打ちのめされ、崩れ落ちる。
霞む視界で、慶喜は手を伸ばす。
届くはずもない。
彼女の声なき声が、慶喜には聞こえた……ような気がした。
ヨシノブさま……立派な魔王に、なって……
と。
◆◆
ロリシアはイサギにこう言った。
『わたしがヨシノブさまを立派な魔王にすることができれば、
それはデュテュさまやお姉さまへの恩返しになれると思うんです』
しかし。
『一時の怒りでも、魔術が使えるようになれば、
ヨシノブさまは勝てるんですよね?
それなら、わたしはやってみるだけの価値はあると思います。
たぶん、わたしはそのためにここまで来たんです』
でも。
『ヨシノブさまはこれからの魔族国連邦を背負って立つ人です。
400年に一度の召還陣によって呼び出された方です。
元々、わたしなんかとは命の価値が違うんです』
けれど。
『いいんです、イサさま。
わたしはヨシノブさまのことをよく知っています。
あの人はきっと大丈夫です。
暗黒大陸に戻れば、もっとたくさんの人たちが魔王さまのそばにはいます。
デュテュさまだって、他の方々だって……
みんなわたしよりもずっと強いですし、頭もいいんです。
すぐにヨシノブさまも、わたしのことなんて忘れてくれると思います。
だから、お願いします』
……
『でも、こんなことを頼んで……ごめんなさい。
……わたしは、悪い子です。
ヨシノブさまは、優しい人でした。
でも優しいだけじゃ……だめなんです。
だから――』
◆◆
幸せを描いていたあの頃の生活は、
心臓を打ち抜かれて倒れてゆくロリシアの微笑みに塗り潰された。
「うそだろ」
すべての色は、消えてゆく。
なにもかも。
慶喜はその場に崩れ落ちる。
こんなことは望んでいなかったのに。
「なんで」
全身に絶望がのしかかる。
とても立ってはいられない。
なぜロリシアが、死ななければならなかったのか。
ロリシアは自分のせいで。
「そんな」
自分のせいで。
自分のせいだ。
自分が弱いから。
弱いことが罪だから。
「ぼくは……」
打ちのめされ、土をこそぐ。
肩の痛みが遠ざかる。
イサギや廉造はずっと前からこんな思いと戦っていたのか。
とてもではないが、自分には耐えきれない。
せめて、
せめて一矢報いなければ、ロリシアに顔向けできないのに。
慶喜は涙で濡れた顔をあげた。
仮面の男はいつの間にかいなくなっていた。
竜王バハムルギュスは退屈そうにこちらを見下ろしている。
戦意の失われたものなど、狩る気もしないということか。
ならば思い知らせてやる。
封術を施されたものの絶大なる魔力を。
慶喜のメガネの奥の目が徐々に赤く染まる。
まるで復讐に燃えるかのように。
体に火がついたようだ。
この思いを貫けば、恐らくは竜王程度――
「やってやる……」
「ほう」
「みせてやる、ぼくの力を……
ぼくは禁術師だ……
魔族国連邦を背負って立つ魔王なんだ……!
おまえなんて!」
「ならば来い、小僧」
竜王が石突きで強く地面を叩く。
地鳴りがして、慶喜はわずかに足下をふらつかせた。
「あああああ!」
叫ぶ。
けれど。
目を疑った。
慶喜が描いたコードは、やはり意味を持たなかった。
魔術は発動しなかったのだ。
「なんで、だよ……」
喉から出た声は枯れていた。
ロリシアが命を賭けてまで、自分を叱咤激励してくれたのに。
それでも、だめなのか。
これが自分の限界か。
ここまでなのか。
目の前が真っ暗になる。
薄いレンズ一枚隔てた世界は、暗闇だ。
これがアルバリススだ。
自分が今まで生きてきた世界の、本当の姿なのだ。
常に死はそこにあったのに。
廉造があんなに簡単に見つかったから、慶喜は忘れていたのだ。
いつだって自分は死の淵にいたことを。
慶喜の足を引きずり込む男がいた。
リミノを襲っていた、あのふたりの冒険者だ。
彼らは窪んだ眼窩に闇を蓄え、慶喜に絡みつく。
このまま、地獄にまで落ちていくのだろう。
天国に旅立ったロリシアとは、もう二度と会えない。
怖い。
いやだ。
でも、仕方ないのだろう。
自分はロリシアを見殺しにしてしまったのだから。
こんな命では絶対につり合わない。
あんなに優しくて、可愛らしい子が自分なんかのために死んだのだ。
バハムルギュスに殴られて、慶喜は地面を転がった。
「なにをしているか!
立て! 先ほどまでの威勢はどうしたぁ!」
もう取り返せるはずがない。
もう終わってしまった。
打たれた頬がジンジンと痛む。
口の中に入った砂がじゃりじゃりとして気持ち悪い。
ああそうだ。
このまま死んでしまおう。
だって生きていられるはずがないじゃないか。
イサギや廉造やデュテュやリミノに責められて。
そのたびに自分のために死んだロリシアを思い出すのだ。
無理だ。とても耐えられない。
バハムルギュスの足音が少しずつ近づいてくる。
自分にトドメを刺してくれるのだろう。
痛いのかな、と思う。
でもロリシアだってすごく痛かったのだ。
それぐらいは受け止めなきゃ、と思う。
少しでも、彼女の痛みを理解しないと。
ああ。
どうして失敗してしまったのだろう。
なにがいけなかったのだろう。
そうだ。もしもう一度アルバリススに召還されたのなら。
今度こそは守りたいものを守れるだけの力を手に入れよう。
やり直せるものなら。
今一度。初めから。
そうしたらクローゼットの中に閉じ込められていた自分も、
リミノやロリシアをたすけられるだろうか。
イサギや廉造と肩を並べることもできるだろうか。
失敗せずに、できるだろうか。
ごめんなさい、ロリシアちゃん。
ごめんなさい。
ぼくがよわかったから。
ほんとうに、ごめんなさい。
……。
だが、彼の物語は終わらない――。
「慶喜!」
闘技場の上段から、仮面の男が叫ぶ。
慶喜に顔をあげる気力はない。
その声も届いているのかどうかは、怪しいものだ。
されど仮面の男は叫ぶ。
「ロリシアはお前のために、ここまで体を張ろうとしていた!
お前のことはなんでも知っていると言っていたけれどな!
だが、そいつは間違っている!
間違っているんだ!」
そんなのはわかっている。
もういいから、死なせてくれよ、と。
ぼくになにを期待しても、もうだめだよ。
もう失敗してしまったんだ、と。
慶喜は思う。
だが、違う。
彼はもう仮面をつけていない。
イサギのままだ。
そしてそのイサギは必死に叫ぶ。
渾身の力で、なにかを訴えてくる。
「命など捧げなくても、男は立ち上がる!
俺たちにはたったひとつの言葉さえあればいい!
そうだろう、慶喜!」
彼は一体、なにを言っているのか。
己がやったことではないか。
彼女は、命を捧げたのだ。
何の価値もない、このぼくなんかに。
だが、イサギは叫ぶ。
懸命に、がむしゃらに。
「お前は一度失った! もうそれで十分だ!
もう一度手放す気か、この少女の命を!
それこそ大馬鹿野郎のやることだ!」
……え?
内なる衝動に突き動かされて。
慶喜は身を起こす。
その目で、見た。
イサギは少女を抱えている。
先ほど胸を撃たれたはずの。
いや、彼女にはどこにも外傷はない。
でも、どうして。
慶喜は知らなかったけれど。
イサギが打ち出したのは、廉造がドラゴン族を呼び寄せるために天空に放ったものと同じ魔術だ。
イサギが廉造にコードを聞き、このために習得したものだった。
直進、回転、光と音を巻き散らし、そして――
そこに威力はなかったのだ。
「あ、あああ、あああ……」
慶喜の口から嗚咽が漏れた。
ありとあらゆる色がまぶたの裏に氾濫する。
もはや彼には自分の感情がわからない。
けれど、ただ安堵していた。
ひたすらに深く、安堵をしていた。
「お前が戦わなければ、彼女はこうなるところだったんだ!
万策尽きたか!? そうでないのなら、戦え!
戦うんだ、慶喜! お前にはまだできることがあるだろう!」
イサギの怒鳴り声が響く。
「もう一生分の後悔は済んだはずだろ!?
なら立ち上がるときだぜ!
お前は未来から、今この瞬間に帰ってきたんだ!」
喉が張り裂けそうなほどに、イサギは叫ぶ。
その一言一句が、慶喜の手足に血を通わせてゆく。
「女の死を乗り越えて前に進むような物語が望みか!?
そんなんじゃねえだろ! お前のなりたかったヒーローは!
てめえも女も救って、守り切ってみせろよ! なあ、慶喜!」
その熱さが、慶喜に流れ込んでくる。
呼応するかのように、魔力の充足感がこみ上げる。
「これはお前の戦いなんだ!
お前が選んで、お前が勝ち取るんだ!
お前だけの異世界冒険記に、お前だけの物語を描けよ!
それがお前の――慶喜の魔王譚だろう!」
間近でイサギの檄を聞いて、ロリシアがゆっくりと目を開けてゆく。
一体なぜ自分が生きているのかわからず、
彼女は状況を飲み込めていないようだけれど。
いい。
生きていてくれるなら、それで。
生きているんだ。
いいじゃないか。
慶喜はゆっくりと立ち上がった。
涙を拭いもせず、竜王を見やる。
「ほう」とバハムルギュスは片目をつり上げた。
「茶番は終いか。仕切り直しといくか? 魔王」
「……」
そうだ。
戦うんだ。
今度こそ。
二度も失敗したんだ。
今度こそ。
三度目の正直って言うじゃないか。
どうだっていいけれど。
そんな言葉にでも、すがってやる。
慶喜は魔術を詠出しようとして。
けれど、やめた。
魔術が使えなかったら、
自分はまた自信を失ってしまうかもしれない。
立ち向かう勇気がせっかく生まれたのに。
だから、いい。
他にもまだできることがある。
勝つのだ。
ロリシアの目の前で。
壁をぶち破れ。
ぶっ壊してみせろよ、慶喜。
口内でつぶやき、慶喜は眼鏡を外した。
一年間、毎日使っていた黒縁の眼鏡。
禁術により視力が回復した自分にとって、無用の長物なのに。
自分はこんなものを頼りにして。
もういいだろう。
ぼくの居場所は、アルバリススだ。
少女の、ロリシアの生きる世界だ。
旅の間に油にまみれていたその眼鏡を。
慶喜は手の中で握り潰す。
「……変わるんだ、ここで、
今、ここで!」
破片を土にばらまき、慶喜は剣を抜く。
右手にミラージュを。そして左手にカラドボルグを。
重さも痛みも感じない。
ただあるのは、胸の中の熱情だけ。
「ぼくは魔王……魔王、ヨシノブだ!」
それでも、力の差は歴然としていて。
一年間で習熟した大陸正式剣術も、歯が立たず。
二本の晶剣を振り回し、何度挑んでも。
竜王バハムルギュスの槍術の前に弾き飛ばされて。
必死に食らいつき、がむしゃらに立ち向かい。
思いを願いまだ足りず、けれども一歩も引かず。
傷だらけになりながら、剣を振るう慶喜は雄叫びをあげ。
その覚悟を決めた男の顔つきを見て。
ロリシアは瞳に涙を浮かべていた。
「ヨシノブさま……」
見上げれば、イサギもまた、
真剣な顔で慶喜の戦う様を見守っている。
イサギと目が合う。
その瞬間、ロリシアは自らの行ないを省みる。
自分はこのひとに自分を殺してくれと頼んだのに、
彼はそうではない第三の選択をしてくれたのだ。
このひとは身を切る覚悟をして、たったひとりで悪役を買って出て。
誰から恨まれても構わないと思いながら、決して信念を曲げず。
そして、自分たちのために考え抜いて決断してくれたのだ。
なんて強いひとなんだろう。
こんなひとに自分は、なんてひどいことを。
合わせる顔などない。
ロリシアは思わず目を逸らした。
「あの……わたし……」
「ちょうど100人なんだ」
「……え?」
イサギはロリシアをゆっくりと下ろす。
ひとりでは立っていられない少女に、腕を貸しながら告げる。
「この半年で俺が殺した罪なき人々の数さ。
ひとりひとりに人生があり、ひとりひとりに物語があったはずだ。
俺はそんなやつらを、ひとりずつねじり殺して来た。
お前に尊敬されるような男じゃない」
「……イサ、さま」
「だがな、それは誰かに頼まれたから殺したんじゃない。
これは俺が選んだんだ。俺が選んだ俺の道なんだ。
だから俺はお前を殺さないよ、ロリシア。絶対に殺さない。
お前は生きるべきなんだ。
慶喜のそばで、慶喜とふたりで。
いや、ずっと一緒じゃなくたっていい。
男と女だ。色んなこともあるさ。
だが、これだけは間違いないよ。
幸せになることができるやつは、
そうなることが当然のように、幸せになるべきなんだ、絶対に。
それが俺の……いや、俺たちの、
俺たちが見たかった、アルバリススの姿なんだよ」
「あ……ああ……」
ロリシアは胸を抑えた。
イサギの言葉はわかる。
わからないけれど、とてもわかる。
取り返しの付かないことをするところだったのだ。
「それにな、きっとリミノだったらこう言うと思うぜ」
「……お姉さま、が……?」
ああ、とうなずき、イサギは少しだけはにかむ。
「あいつは国が滅ぼされて、仲間がひとり、またひとりといなくなる旅の中、
何年も孤立無援の絶望を味わいながら、それでも必死に逃げ延びていたんだ。
俺の知っている限り、一番タフなやつさ。
だからきっと、少し目をつり上げてさ、言うんだ。
『たかだか10年ちょっとしか生きていないような赤子が、自己犠牲で死のうとするなんて100年早い』ってな」
それは頬を張られるよりもずっと衝撃的な言葉だった。
自分はなんて軽率だったのだろう、と思う。
視野狭窄な子供だ。
後悔が押し寄せてきた。
ロリシアは己の考えが足りなかったことを悔やむ。
イサギはもっと大事なことを知っていたのに。
魔王城に拾われて、ブラザハスで教育を受けて。
旅をしてこんなところまで来たから、思い上がっていたのだ。
自分は怒りや恨みや、そんなもので慶喜の力を引き出せると思い込んでいたのだ。
なにもかも自分の思い通りになるなんて、そんなの絶対にうそだ。
誰よりも近くで、慶喜を見てきたはずなのに。
彼は他人の痛みを自分のことのように思ってしまうひとだ。
だから誰かを傷つけることができないのだ。
戦いを正当化する術を持たない慶喜を、立ち上がらせることは難しい。
そんなことができると思ったのは、傲慢だ。
死ぬのは覚悟ではない。
痛みも苦しみも共に背負うことこそが、覚悟だ。
だから、祈るより他はない。
傷つけるたびに傷つく彼には、
結局、願うことしかできないのだ。
ロリシアは泣きながら、胸を握り、
抗い続ける慶喜に向かって。
思いの丈を、叫ぶ。
涙を振り絞り、願う。
「お願いします、ヨシノブさま!
勝って、勝ってください!
そうしたらわたし、なんでもしますから!
もう、ワガママも言いません!
生意気な態度も取りません!
ヨシノブさまの言うこと、なんでも、
ずっと、ずっとなんでも、言う通りにしますから!
ヨシノブさま、お願いします!
だから――
勝ってくださいっ!」
魔族のために。ロリシアのために。
なによりも、慶喜自身のために。
その言葉はきっと、慶喜の胸にも届いただろう。
男が戦う理由など、それだけで十分なのだから。
次回、七章end。
7-12『やさしさに包まれたなら』