幸せですから――
「ふんふんふふ〜ん♪」
思わず鼻歌。
いやぁ、幸せな私は最近自制心ってものがなくって困っちゃいますなぁ。
反省はしてないけどね、てへへ。
旦那様を三十分かけてお送りした玄関に未だ立っている私。
さすがに呆れられちゃったかなぁと思ったけど、さりげなく向こうも抱きしめてきたりするから……そ、その、止まらなくなっちゃうといいますか。
カッコイイ旦那様が悪い。と自分を棚に上げておく。
……そんなことより、お掃除お掃除っと。
踵を返したとき、タイミングよく電話が鳴った。
可愛いってお腹を抱えて笑う旦那様に言われたとてとて走りを直すのと、電話を取ること。優先順位を即座に決め、電話へと急ぐことにした。
だって無意識だし……とてとて走り。
子機さんを手に取り、ピッと鳴るボタンを押すと、耳に当てた。
『はぁい? わかる? 《みっきぃ》よ』
高校時代の友人からだった。
確か、大学にいってるはず。
私と同い年だけど、人生っていろいろあるんだなぁって自分と比べてしまう。
どっちも幸せなんだろうけどね。
「わかるよ。っていうか、久しぶりだねぇ♪ どうしたの?」
『新婚生活を満喫してる君に、応援メッセージを送ろうと思ったわけですよ』
「も……もうッ!」
私の旦那様を知っているみっきぃはいつもこうやって茶化してくる。
でも、本当に今日はどうしたんだろう。急だなぁ。
『最近はどう? 燃え盛りすぎてもう萎んでたりしない? 線香花火な人生もオツかもしれないけどさ』
「私と旦那様はずっとラヴラヴですッ!」
『ふ〜ん……旦那様ねぇ?』
しまった。
旦那様、なんて呼んでるのがばれたら茶化しの餌にされるだけだってわかってるのに……言ってしまった。
電話向こうにいるみっきぃが意地悪な算段をしてる気がして怖い。
『……幸せ、なんだね』
しんみりと、そんな当たり前なことを言ってくるみっきぃ。
なんか調子が狂うなぁ……いや、別い弄ってほしいなんていう願望があるわけじゃないですから嬉しいのは嬉しいんですけどねなんかいつものみっきぃじゃないというかなんといいますか。
『アンタって、旦那様が裏でこそこそと別の女と会ってる〜とか、考えたりすることはないの? 愛してるっていう言葉の中身は、実は空っぽなんじゃないかとか思ったりしない?』
「う〜ん」
難しい。
難しいことを言われてるから、素直にそう受け止める。
いや……私が高卒なだけで国語が大の苦手だったからだろうけど。
つまり、旦那様とのことに不安がないかってことだよね。
「別にないよ。旦那様も私も、幸せだから♪
何かを隠すこともしてないし、自分を創ってるわけでもないから不満なんかないし。
籍は入れてないけど、私が選んだ一生過ごせる人だから。
いっつも自然体だからねぇ」
『……』
あらら、黙らせちゃいましたよ。
電話だとこういうときに困るなぁ。
言葉を捜していると、小さくクスッという笑い声が聞こえた。
途端、耳をキーンとさせるほどの笑い声が。
うう……これが初期微動と主要動というやつですね。勉強になります。
『ふふ……やっぱり凄いな、アンタは』
「どういうこと?」
『難しいことばっかり考えてなくて、直進的ってこと。昔からそうだったよねぇ』
むむぅ。これは皮肉でしょうか。ケンカは買いたくないです。
意地悪口調のみっきぃが言葉を続ける。
『旦那様とくっつくときも、場所も雰囲気も距離も考えない雄たけびのようなもんだったし……キスと肌の重ねと結婚の約束と永遠の愛の誓いが、同じ日だったよね。あれは奇想天外だよ。今でも、アンタ一人じゃないかな?』
「う、うう……」
思い出したら今でも恥ずかしいことをこの人は……意図的だなッ。
私は反論を試みる。
「で、でもッ。旦那様はそんなところが可愛いよって笑いながら言ってくれるもんッ!」
『……ごめん。それって多分おもしろがられてるっていうか』
お茶を濁すような言い方に首を傾げる。
みっきぃはいつもの調子にもどったようだ。うんうん、やっぱりみっきぃはみっきぃだ。
「みっきぃもね、昔から難しいことばっかり言ってたけど……恋はね、頭でするものじゃないから。
愛は二人でするものだし、自分のすべてを委ねられるっていう人を好きな人っていうんだよ」
『……そういう人が見つからない場合は、どうしたらいいんだろうねぇ』
みっきぃは昔っから頭が良い。
だから多分、恋もしたことがない。
私と話してるときは違うけど、他人との関係を計算するような性格してるから……叩いたら馬鹿になるかな?
『そろそろ青春も終わるし、このまま一人っていうのも物淋しくてねぇ……アンタはいいよ、悩みとかなさそうだし、っていうかそれでこそアンタだもんね。うんうん』
「むむぅ……私だって悩みくらいあるもん」
今日の晩御飯の献立でしょ。自由な時間には旦那様のどんなことを考えるかって悩んでるし、サプライズを用意してもいいかなっとか悩みモード全開中。
前に……その……エ、エプロンだけでお出迎えしたときの旦那様、ちょっと可愛かったから、第二弾を企画したいなぁって思ってたり。
ほらほら、結構悩み多いんだよ。
『子供っぽいアンタはモテモテだったからなぁ……旦那様以外でも、きっとアンタを狙ってた人は多かったよ。
もっとゴージャスな未来が広がってたとか、考えたりしないの?』
「ううん……そういうのは考えてないなぁ。
だって、旦那様を旦那様にできるのが嬉しくてたまらないから♪」
本音だから、ちょっと恥ずかしいけどはっきりと言う。
ううん、旦那様に電話がしたくなってきたなぁ。
こう、ムズムズするというか……発作? 電池切れ?
はぁっという溜息が聞こえた。
『なんというか、アンタたちのほうには夫の家事貢献への不満なんて、なさそうよね』
「う〜ん……というか、私がおろおろしてていつも旦那様がてきぱきしてくれるのよね」
最初なんて、料理ができなかった私のために花嫁修業紛いのことをしてくれてたし。
ずっと優しくしてくれてるからなぁ。
先輩と後輩みたいな? いや、先生と生徒みたいのほうが合うかも。
だから私も一生懸命になれるし、お疲れのときは静かにするようにしてるし、気配り上手な奥さんになれた……つもりなんだからッ。
『理想の夫婦生活ってわけね、安心したわ』
「……?」
なんで安心?
そんな疑問を察したように、みっきぃが言葉を続けた。
『だって、私にとってアンタたちは羨ましい存在だからさ。
私もそういう風にラヴラヴになりたいなぁとか……ちょっとだけ思ってたり、ね。
でもまあ、アンタのようには絶対なれないと思うけど』
「ア、アハハハハ……」
私もそう思う。
でも、みっきぃは姉御肌だから後輩に慕われてそうだけど。
「ねぇ、後輩さんとかにはいないの? 良い子」
『へ?』
あまりにもすっとんきょんすぎる声を返された。
『い、いないいない。いるはずがないっしょ。うんうん、いないいない……』
……むむぅ、怪しい。
内に眠る名探偵の資質を今一度開花させ、ビシッと言う。
「ズバリ、気になる子はいるけど友達かなぁって思ってるってわけだね!」
『ぐッ』
わわぁ、図星だったんだ……凄い女のカン♪
ふむふむ、みっきぃにも春の兆しがあるのかぁ。
「何か困ったことがあったら、私を頼って良いからね♪ うふふふふ♪」
『うう……立場が逆転する日が来るとは思ってもいなかった』
そういえば、私がぐぅの音もでないことは多いけど、反対は初めてだなぁ。
変わるもんなんだね。あの頃とはいろんなことが、全然違う。
幼稚園、小学校、中学校、高校――その期間よりも短い期間で、環境が大きく変化した。
高校生だった私と、妻の私。やっぱり違う気がする。
別の人生が広がってる、かぁ……少しだけ、その感情がわかった気がする。
でも、それはある意味衝動みたいなものだし。
納得……なんてものはできないんだろう。
妙に寂しくなるときもあるにはある。納得できるようなことじゃ、ない。
「でも……旦那様は受け止めてくれるんだよね」
いきなり電話したときも、しどろもどろになって切ろうとした私を励ますように会話を続けてくれた。
忙しいはずなのに、私をしっかりと抱きとめてくれた。
その温かさを思い出すだけで――迷いはなくなる。
『……まあ、幸せなようでなにより。今度同窓会とかするつもりだから、旦那様も連れてきな。
今度朝駆け夜這いの電話するにゃ〜?』
「あ……うん。待ってるね」
もうすこしみっきぃと話していたかったけど、これ以上になると距離が離れているってことを実感することになりそうだから、やめておく。
みっきぃが切らない。私が切らない。その無言を数秒味わって、唐突に切る。
多分、みっきぃも同じだと思う。
ぼんやりと子機を見つめ、そっとそれを置いた。
深呼吸する。
晩御飯どうしようかな……なんて思いつつ、旦那様のことを思い浮かべる私は、幸せだろう。
とてとてと歩いた私の足が踏みしめたのは、あの頃私が歩いていた黒いコンクリートの交通路じゃなく、学校の階段でもない。カーペットの敷かれたリビングの床。
それが今私のいる人生。後悔なく選んだ、道だ。
なんとなく、旦那様の声が聞きたくなった私は、自然と微笑めていた。
幸せの色がどんななのかはわからない。私の掴む幸せも何色なのかわからないけど、幸せなことには変わらない―― |