『斜陽の彼方』
にしびのかなた
プロローグ・・・・・
日常に潜む危険な罠。
19歳「若杉 碧」は自分の意に反し その大きな渦に巻き込まれていく・・・・
明日にも そして誰にでも起こり得る 現実味を帯びたその 大きな渦
忍び寄る恐怖の旋律と 次第に明かされていく驚愕の事実。
巨悪な組織と暗躍する謎の男達の影・・・・
残された わずかな手掛かりを元に 捜査に本腰を入れない警察に
頼らず 1人の男が北都「秋田」を舞台に勇猛果敢に「闇」と対峙する。
ストーリー キーワードは
「日常」
「流れ」
「困惑」
「疑惑」
「緊迫」
「奮闘」
「潜入」
「激走」
1 日常
外はすっかり昼間の顔になっているらしい。季節のうつろいに無頓着なままでも太陽の輝きだけは 毎年 毎年 几帳面に表情を変える事を忘れない。道を行く中年女性同士の楽しげなカン高い声が近付いては離れていく日常のリズムに身を置いている。
「若杉 碧」は前日の疲れきった身体を起こして「ふぅう」とため息をついた。
まだ慣れていないバイトのせいだろうか手際悪く出掛ける準備に取り掛かった。
碧は早朝の仕事はムリという理由から夜のバイトにしたのだが 結局昼に起きるのも苦手なことが実証され周囲や自分自身に対して テレ笑いするしかなかった。 それでも起床が苦手な理由を密かに探している・・・
「バイト先と家が遠〜いし」と探し出した理由に逃げ込んだもののバイト先である川反エリアから城東エリアの自宅アパートまでは多少 渋滞に遭っても 自慢の愛車「黒メタbB」で ものの15分も走れば着いてしまう距離だから
言い訳にも使えない「誰も起こして〜くんないしぃ」とつぶやいたものの当然説得力がないだけでなく 自己管理の甘さを露呈させる結果になるのは明白だ。
渋々と 今日あたり ノリの悪いのが確実なファンデーションに手を伸ばす。
駅の西地区は旧市街地で古くから ここ「秋田市」の発展を支えてきたエリアだ。
秋田駅に隣接する位置に緑を湛える久保田城。その堀が広小路通り沿いに存在感を示し このエリアが城下町として栄えていた当時をしのばせる。その城跡と堀は 静かに街の発展を見守り続け 現在は千秋公園として市民に憩いを提供し 特に桜前線の北上する時期になると 市民は愛着を持ってこの憩いの場に集う。
今でも経済の中心でオフィスビルや官庁関係のビルが林立し「北都」の顔にもなっている。
駅の東地区は旧の田園地帯で今でも所々に水田が存在する住宅地。 秋田は全国区で知られるブランド米「あきたこまち」でその名を知らしめているのだが 都市化の波は この 米どころにも影響を及ぼし 年々 雄物川水系の清流を直接引き込める条件を満たした 周辺部の水田に耕作の中心は移りつつある。
碧は この両エリアとも好きだった。都会的なキラキラした西地区と 疲れた身体をそっと優しく包み込み ホッとさせてくれる東地区。
そして街を東西に縦断する時 車窓に流れるグラデーションが 好きだった。
ただ奥羽本線を越える陸橋と地下道の慢性的な渋滞にはカンベンして欲しいと強く感じていた。しかも 地下道には変な人が出没する噂も・・・・
19になって憧れの「黒メタbB」のハンドルを握る碧はチョット有頂天だった。
そのために高校在学中からバイトで頑張ってきたし 皆と一緒の時でさえムダな買い物や不要な出費を極力控えていた。碧は家庭が少し複雑で小遣いが少なかったのは仕方ないにしても それを理由に 同級生や中学の頃の友達の誘いを断るのが嫌だった。だから 声が掛かった時は多少 財布が寒くても出掛けることにしていた。
そんな負い目を感じながら 少しずつ皆から一歩下がって行動や発言をするようになって行き いつしか自らイジラれキャラを買って出る損な役回りを演じていた。そして最近 そんな自分に気付き始めていた・・・・・・
卒業と同時に毎日顔を合わせなくて正直ホッとする反面 たまに無性に会いたくなる悪友の顔が浮かんできたりする これぐらいの距離が心地よいのかもしれないと 最近感じ始めた頃に 出会った「黒メタbB」に夢中だった。
碧の好きな時間 好きな場所 文句も言わないで彼女のワガママに付き合ってくれるのだから ありがたい。ただローンの引き落とし日が近付くと複雑な目を「彼氏」に向けずにはいられない・・・・・その彼氏は無口でチョイワル系そしてガングロだ。
自分で「ガングロ」って言っておきながら「古っ!」と自分にツッコミを入れては 慌てて周囲を見回すオチャメな19歳。
この日も秋田駅付近の渋滞につかまった。 ハンドルに添えた手を軽く上下にタッピングしている時 携帯の着信を知らせる振動音が聴こえた。生活のリズムが逆転しているからマナーモードに設定していることが多く 気付くのが遅れた。ちょうど渋滞の真っ只中だったから助手席に置いたカバンから白いスライド携帯をまさぐり出し 少し傷の付いた液晶面に目を移した。
「かずなり」とせわしく点滅している。
相手は「鈴本一也」碧にとって「ガングロ彼氏」以外のもう1人のカレシだ。
同じ高校の「タメ」で高校の時から付き合っていて卒業後も続いている。
少しワガママな碧にはちょうどイイ感じで癒しを与えてくれるから ケンカや
すれ違いなんかの よくある危機を経験しつつも 今日まで続いていた。
「今どこぉ?」「今日バイトぉ?」といつもの調子。
バイトは不規則シフトだったし定休日以外にも別のバイトを掛け持ちしていた関係で 碧自身 休みや時間の感覚がつかみにくくなっていて手帳を見ないとスケジュール調整出来ない芸能人状態?で マネージャーが欲しいと 冗談混じりで考え始めていた。
一也の電話は「近いうちに逢いたい」といった内容だったが バイトのシフト調整を申し出るほど 顔もないから 「この日休ませて下さい」と言える立場になく ただ先輩達のシフトの都合に合わせて休みをもらうしかない
新入りの身分だから しばらくの間 約束しようにも できそうもない・・・・
バイト先は秋田最大の歓楽街「川反」。赤レンガ通りと横町通りが交差する
場所で 1階にラーメン屋が入る雑居ビルの3階に在った。
暗くなると一斉に電飾がきらめき 完全な別世界となるこのビルも 開店時間前で拍子抜けした感じだ その明かりのない電飾看板には「メガクラブ千秋」とカラー蛍光管で型どってある。
俗に言う 典型的なキャバクラだ。そのビルの角でハンドルを左に切って進む。
ここは大町というちゃんとした町名なのだが 通称「川反」と呼ばれ歴史に冠たる文豪達が 小説の舞台にした有名な夜の街で ここから発信され今でも 伝説として語り継がれる「秋田美人」発祥の地でもある。
これだけだと文化の香りがし美しくも はかない 文学の香りがしないでもないが 現在の川反は普通の夜の街となっている。その夜の街をバイト先に選んだのは時給がイイのと 少しだけ華やかな世界への憧れだった。
多少の後ろめたさが 無かったと言えば嘘になるが お客の男たちとの接触がない事を自分への そして 彼氏や家族への説得材料として その店を選んだ。
店のキャストと呼ばれる女の子達は お客のカラオケの相手をしたりイロイロな会話の相手をするのだが 碧にとって それ自体 苦手な領域だった。
店専用の駐車場の端に慎重に愛車を停める。ほとんど出勤していないらしく
簡単に入れられたが中心街の駐車場だからスペースが狭く慎重になってしまう。そうでなくてもファミレスの駐車場でBMWにぶつけてしまった苦い経験をしているから なおさらだ。
傷付けてしまったガングロの彼氏を独り残して店の入っているビルに 渋滞を言い訳に出来る安心感から軽い足取りで向かう。ほんの数分で いつも見慣れた雑居ビルに到着した。さっき通過した後に電飾看板が点灯されたようだ。
少し焦ってエレベーターを5階に昇る。
機械音のする狭い空間には色鮮やかに店のイベントがこれでもかと言わんばかりに張ってあり イヤでも仕事モードにさせられる。
普通キャバクラは1階か2階の出店が多い。常連客でもない限りスッと入るには上階だと不利になり 売り上げに影響してしまうのだが「メガクラブ千秋」は常連客を中心に 静かな人気があったから3階でも 客の入りは悪くなかった。
5階も店が借りている。ちょっとした事務机とミーティングやまかないの食事や休憩を交代でとる 大きなテーブルとパイプイスがあり その奥にカーテンで仕切られた着替え用のロッカースペースになっているのだが キャストが多い時で15人ぐらい出勤するから金曜の夜やイベント当日 ここは大変なコトになる。着替え 食事 メイク直しが錯綜し接触事故は日常茶飯事のようだ。
主に裏方的な仕事をしている碧の 出勤時間帯は 人がいなくて落ち着ける。
5階スタッフスペースを見渡すと 売り上げ棒グラフと赤いリボンが壁一面に張り出してあり キャスト指名料やドリンク売り上げポイントを数値化して明記してありキャスト達にとっては発奮材料になったり胃が痛む材料となったりと喜こもごもの縮図。
この川反で指名料やドリンク料を有料にしている店は少なく かなり自信がないと有料化できない。この「メガクラブ千秋」は知的で明るい をコンセプトにし 高額だがキャストの質が川反中トップクラスとして定評がありそれがワンランク上の客を引き付ける相乗効果となり成功しているキャバの1つだ。
碧もそのグラフから高校の合格発表の掲示板を連想させるのかあまりイイ気分にはなれない。受験から発表まで眠れぬ夜が何度かあった苦い記憶が蘇る。
「一体 いつまで 競争社会と付き合わされるのか・・・・・」
このグラフ結果が毎月の表彰式で全キャストの憧れやねたみの視線にさらされながら授与される賞金につながるのだから 碧同様キャスト達も このグラフを複雑な思いを いだきつつ 毎晩目にしているのだ。
1番高く伸びているグラフに興味を惹かれて 上から下へと目を移しキャスト名で視線を止める「アヤカ」だ。バイトも1ヵ月近くやっていると売れっ子系の名前と顔は一致してくる。
芸能界でもやっていけそうな美貌と相手を饒舌にさせる笑顔や気配りテクは 碧もドリンクメイクやサブヘルプで「技」を見てはナンバーワンと認めている「やっぱアヤカさんだぁ〜すんごいっ」この世界に染まっていない碧は 密かに羨望の眼差しで「あんなキレイだったらなぁ〜」美貌と同時に収入も想像し 思わず ため息が漏れてしまう・・・・
時間に遅れていることを思い出し慌てて着替えてエレベーターに飛び乗る。
店に入ると裏方さん達は もう揃っていて慌しく働いている。その横を申し訳なさげに 小さくなって 通過し いつもの仕事 ウーロン茶を作り始めた。
店の内装はベージュのカーペットに黒いサークルスタンドタイプのテーブルの周囲をモケット地のソファーが直列ボックス状に配置されていて 全体を淡いブルーの電光灯がソフトに包み込み心理的な 癒しを与る空間に仕上がっている。
モケット地ソファーの背もたれ上部のウォールミラーも空間の一体化や演出に彩りを添える。 光の演出だけでない モケット地は上品で質感に重みがあり光に反応する特質を持っている。大迫力カラオケスクリーンから発する光に応じて心理安定色のアイボリーからベージュまで色調が微妙に変化する。
華やかで神秘的に全体が青く揺れる この空間が 碧は なにげに好きだった。
この店で裏方として働いている碧だったが 客席から見える位置なのとテーブルメイクのヘルプに その青い空間に入り込む関係で たびたび客の目にとまり 指名のオファーが他のキャストやマネージャーの耳に入る。 その結果 碧にキャスト転身の説得工作が展開されるのも一度や二度ではなかった。
そのたびに碧は断るのだったが そのたびに 異質に突き刺さる視線を横顔にヒシヒシと感じていた。この視線を浴びた瞬間から碧は大きな渦に巻き込まれていくことになる・・・・・・
2 流れ
その視線の先には
「アヤカ」がいた。何かを探るような視線に碧はハッと息をのみ 思わず視線を戻したが 動揺からか 片付けているテーブルのグラスを倒してしまった。ヤバっ・・・
もしかして 新人のくせに目立つから?それともジェラシー?
それとも・・・
それからも時々トップキャストの視線が自分に注がれているのに遭遇し 気味の悪さを覚えた碧はキャストの一人
「サリナ」に頼ろうとした。サリナは入りたての慣れない頃から 碧を気に掛けてタイミングのいいアドバイスや失敗した後のフォローをしてくれたりと碧にとって頼れる姉貴的存在だった。
サリナが早番の日 客の入りがイマイチなのを確かめて そっと近付き違う方向に視線を置いたまま
「あのっ 聞いて欲しいコトあるんですっ・・・」
かなり控えたアクションだ。
フロア内の私語はマネージャーから制限されている。それ以上にアヤカ そして その派閥の視線が気になった。
唯一慕っているサリナが 碧の接近によってアヤカ派との軋轢に巻き込まれるのを恐れたからに他ならない。アヤカは店のトップキャストとして君臨しているだけでなく
この外界から隔てられた小さな世界で 今や最大派閥を束ねる領袖でもあるのだ。
碧はサリナから組織に属すのが「苦手」だと聞いた事がある。
事実この店でも特定の派に属すことを避けた。属すことによる拘束にイヤというほど苦い思いをさせられたらしい・・・・「自分らしく生きたい」
サリナは高校を卒業し就職した酒屋チェーンの事務を半年で あっさり辞めて 煌びやかな この世界に飛び込み それなりの評価を得るに至った・・・
生き生きした先輩の横顔にある種の憧れにも似た瞳を向けサリナの話を聞いていた。碧が右も左も解らず 不安に窮していた入店間もない頃の事・・・・・・
だから自分自身の軽はずみな言動が災いし サリナを窮地に追い込む そんな
ワケにはいかない。碧は最大限の配慮で接していた サリナもそんなココロ配りが出来る妹分を誰よりも可愛がってくれたが 妹分が最大派閥からの迫害や孤立するのを案じ 同じように さりげなく 接してくれていた・・・
駐車場にはラストまで飲んで騒ぎ疲れ 車中で仮眠していたり 酔いつぶれてタクシーで強制送還させられた客の車が放置されている事がよくある。
開店準備の碧は1番奥に駐車していて時々そんな醜態を横目でチラ見しながら ため息混じりに
「もお〜っ」と首を前後左右に忙しく振り苦手な車庫出しをする。
これが2度3度となると怒り心頭で客の車じゃなきゃケリ入れでもしたくなる。
黒メタbBを慎重に出し 店の裏口がどうにか見通せる暗がりに愛車を停めて
出てくるキャスト達を遠目にぼんやりと見ていた。
店内で振りまく笑顔がないのと 幻想の世界で煌く衣装から普段着に着替えた様子はカラオケボックスから歌い疲れて出てくる普通の女の子と同じだ。当然といえば当然だが少し拍子抜けした風景にも映る。
ほとんどタクシーに分乗して 赤レンガ通りを北に向かい 山王大通りに出る。
碧の頬に笑みがさした。裏口から「頼れる姉貴 サリナ」が出てきたからだ・・・
可愛い妹分から「話」が有りそうな雰囲気を察すると 周囲の視線に配慮してあえて遅く出てきてくれる。
「やっぱ 解ってくれてるよぉ〜 サリナさんっ」
ゆっくり愛車を滑らせて 運転席から手をイッパイに伸ばしドアを半開きにして「おつかれですっ」と無垢な笑顔を向けた。
「おすっ どしたァ?」乗り込むと同時に碧にも無償無垢な笑顔を返す。
「ガスト行きましょっ」妹の提案にニコッとうなずいた。キャストの多くは山王大通りを東に向かい広小路通りを右折し一方通行の通りを迂回し家路につく。
碧は山王大通りを西に向けて走り出す。
この通りは広くて街路樹が整備されていて走りやすい 特にこの時間帯には 黒メタbBのためにあるサーキットのようでガングロ彼氏は得意げに走る走る。自慢の「脚」を披露しながら 速攻 八橋公園前にあるガストに到着する。
1番奥のボックス席を選んで 碧はお気に入りのキッシュセット756円を注文した。
さりなも「じゃ同じもの」と言ってくれた事に 碧は気を良くした。
「パイ生地に貝をのせて牛乳 生クリーム 卵なんかをベースにして焼いたフランスの代表的な家庭料理なんですよっ」
と碧の口先は自慢げで しばらくの間 碧先生の独演会だった。
「トマトの色合いがっ・・・」「ズッキーニの味わぁ・・・」
キッシュセットが運ばれ独演会が中断したタイミングを待っていたサリナが
「そだ 話しって キャストやれって またマネージャーに言われたとか?」
「ちっがいますぅ〜 そんなことぢゃ ないんですっ」
と唇をとがらせた後
周囲をスッと見渡し 少しだけ身体を サリナに近付け 神妙な表情になった。
「アヤカさんってぇ〜 どぉ〜思いますっ?」一瞬サリナは怪訝な顔をしたが真顔でこう言った
「そっかァ みど もホレたんだぁ〜〜」数秒の間があり
「カンペキに ちっがいますっ! もぉっ・・・」キャストでない 碧は本名でバイトをしていたから 皆からも サリナ からも「みど」と呼ばれていた。
「ここんトコぉ〜すんごぃっ視線 感じるんですよぉ アヤカさんの・・・」
「アヤカのっ?」
「それって みどにホレてんだよっ」
「そうぢゃなくてぇ・・・」
店では サリナが先輩で年上だから 入店した頃のアヤカの面倒を ちゃんとみていた。 しかし
「売れている」が全ての価値基準となるこの世界。数ヶ月もするとアヤカは文字通り
「売れっ子キャスト」になり サリナ先輩や他の先輩に対しても 少しバカにした態度に出ることも目立ち始めていた矢先 その面白くない名前を聞かされ
サリナは少し不機嫌になっていた。
最近では派閥の数にモノを言わせ 派閥に入らない そして自分の思い通りにならない新人に陰湿な嫌がらせをしているようだ。
マネージャーの
「藤近義忠」も売り上げ目標を優先するあまり最大派閥トップであるアヤカの ご機嫌うかがいをしていて 店内での人間関係の
「和」より表面に表れる部分だけを取り繕う言動が目立っていた。独り言ともつかぬ調子で サリナがつぶやく・・
「あの子が入ってから 店の雰囲気 悪くなったな〜」
と視線を大通りに移して しばらく何かを思い起こしているように見える。
視線を外したまま
「目立つから ニラまれる」碧が投げかけて サリナが否定する予定にしていた「せりふ」が今 逆になってしまった。
最低最悪の展開にジョークも言えない碧。
「あの子 また 新人を・・・」と言いかけて 慌てて視線を碧に戻した。明らかに言ってはいけないことを口走った後悔の色が見え隠れしている。普段見せない 作り笑いを浮かべ・・・続ける
「で・でも みど さぁ何かされたワケじゃないよねっ」
問い掛けというより自分自身への弁解めいた言葉に碧は背中に走る冷たいモノの正体に おびえた。
「ココ笑うトコだよっ!」と笑い飛ばして欲しかった。そのうちあの子のマンションに呼ばれて可愛がられるョ的な事を イタズラめいた笑顔で言ってほしかった。そしたら また
「だからぁ〜そうぢゃなくてぇ〜・・・」と応酬すべき言葉と サリナが底抜けに笑えるような表情作りまで準備していたのに・・・・・
帰りの黒メタbBは闇に飲み込まれるようにいつものサーキットを今夜は重く走った。
そして そんなやり取りも忘れかけていた数日後・・・碧は避けられない悪夢をつきつけられる事になる。いつもの開店準備をしているところへ意外な人物がスッと近付いてきた。キャストの「ナルミ」だ。
ナルミはアヤカ派の「ナンバー2」的な存在で目付きが鋭い。決して美系とは言えないが 相手に合わせて取り入るのが上手で碧にとって苦手なタイプ・・
こんな時間に店にいるなんて有り得ないうえに 薄ら笑いを浮かべていたから 碧は少し身構え 拭いていたコップを慎重に水切り棚に置く。
ナルミは周囲の視線がない事を さりげなく確認しながら 話しを切り出した
「あのさぁ アヤカが話 とかしたいって言ってるから時間空けといてよ」
「あのっ 何の話なんです?」
「さ〜ぁ 内容とか知らないしぃ」
「今日のラストが1時頃だから その後〜待ってるから ヨロ」
そう言い残すと開いた携帯を耳元に持っていきながらスタッフ出口から消えて行く。きっとアヤカに報告の電話でもしているのだろう いつもと同じで相手によって使い分ける 得意の営業的トークが やっぱり碧は好きになれない。
ナルミは「自分の客」を作るために「おんな」を武器にしているとサリナから聞いた事があり そんな裏事情も碧がナルミを敬遠している理由の1つだ・・・
「でも アヤカさん 何なんだろっ・・・・」幾多の不安が頭をかすめる・・・
真っ先に相談すべき サリナだが ガストでの会話がよみがえる。信頼出来るアネキから こぼれ出たの「あせり」。 これ以上サリナに迷惑を掛けられない。
碧は この夜仕事が手につかなかった。生ハムロールにハムを入れ忘れたり ロシアンタコ焼きを具無しで出したりチーズサラミをスライスしないで丸ごと盛り付けたり 普段考えられないミスを連発していた。サリナが心配げな視線を投げかけたが今夜は その視線に甘えられない事情がある。それを説明できないからツライ。碧は身体に覆いかぶさる孤独に独り耐えていた・・・・
今夜のラストはナルミが言った通り1時だった。日によって時間が違うのだが
だいたい1時から1時半ぐらいになる。いつもより時間を掛けて着替えをした
碧は重い足取りでエレベーターに乗り1階に降りる。モーター音に続いて扉がスライドする。降りるしかない・・・エントランス横は少し奥まった郵便受けコーナーになっているが わずかに人の気配がする。
エレベーターの着床に合わせて顔をのぞかせたのはアヤカだった。私服で見るのは初めて というより衣装以外で意識して見たのが初めてと言ったほうが正しいのかもしれない。
一瞬ホッとした。ナルミも一緒かと思っていたがアヤカ1人だ。てコトは新人を威嚇するつもりは無いらしいと悟ったからだ。ドキッとするくらい端整な顔立ちから発せられる 第一声に全神経を集中させる・・・・・
「おつかれ〜ゴメンネ 呼び出しちゃって」・・・・予想もしない優しい口調だ。碧は心の準備なく出会い頭事故に遭った感じだ。返す言葉を考えたが 中々
出てこない。 そして
「は・はぃ」と言うのが精一杯だった・・・・・・・・
アヤカはゆっくりと碧に背を向け 歩き始める。夜の街に誘うかのように・・・
3 困惑
「ミルキ 行こっか」碧の都合も聞かずに 先に進める。駐車場の黒メタbBが気になったが そんな事言えるはずもない。先を行くアヤカを急ぎ足で合わせ追いついた。横町通りを西に向かっている。ここを真直ぐ行くと「お寺銀座」にぶつかる。北都だけあって城下町に隣接するかたちで門前町が形成されているが この寺の数は異常としか言えない 古びた山門と森が南北につながる。
ここが かつて城下町の西の外れ これより西一体は田園地帯であった名残りを示す生き証人にもなる。そんな うっそうとした森に擁かれた無数の寺は この時間になると 相当不気味だ。
黙って歩いていたアヤカがうつむいたまま
「キャスト・・・やってみない?」
「は?」聴こえてはいたが声の大小よりアヤカが言うであろう言葉にしては意外だった。ある程度新人イジメ系の言葉を覚悟していたからだ。
「あなただったら絶対大丈夫だと思うけど」・・・・・しばらくの沈黙は答えを催促しているのだろう。断る事は決めていたが その言葉を発するのに時間が必要だった・・・・・
アヤカが碧のコトを
「あなた」って呼んだのに 少しだけ距離を感じたのか
「あのっ 苦手なんですよね〜 そうゆぅの・・」と言いかけて
「あ ゴメンなさい ヘンな意味ぢゃなくて なんか・・向いてないんですよ」
すでに 歓喜寺の山門前だ そこを右に折れて北に向かう。
「じゃ キャストじゃなくていいから たまにヘルプで入ってくれない?」
アヤカが言う ヘルプの
「意図」を探している 困惑顔の碧に
「アタシのお客さんが来た時 とかぁ 適当に 挨拶だけしてほしい」
「あいさつ ぐらいなら・・・」の言葉に
「ありがとぉ」と同時に強く重ねた。
もう 長松寺の山門前だ ここを左に折れて西に向かう。
「でも キャストしたく なったら 待ってるから」
「は・・はっ はい」ほとんど聴こえない声で返した・・・・・
碧が好きなラーメンチェーン店
「幸楽苑」とスーパー「長崎屋」のある旭北錦町の交差点にさしかかる。
そして「ミルキーウェイ」が見えた頃
アヤカの言いたいコトは終わっていたようだ・・・
目的のミルキーウェイに到着して アヤカの本題を待ってみたが「大した話」が出ないまま 1時間ほどで解放された。
アヤカは携帯でタクシーを呼んでいる。
ついでに 送って行くと言われたが愛車のコトがあるから丁寧に断った。本音は これ以上一緒にいるとまた面倒な「お願い」されそうな予感がしたからだ。
駐車場へは 遠回りし山王大通りから帰った。この時間の 寺はマジカンベンしてほしい気分だ。
アヤカの言いたいキーワードは
「キャスト転身」
「ヘルプ」みたいだ。これから連想されるのは
「アタシの派閥に入りなよ!」ってコトかな・・・・
「はぁあ 今の アヤカさん敵にすると この店だけじゃなく 川反でやってけなさげだしぃ・・・」
メガクラブ千秋をはじめ川反でキャバを何店舗か経営しているのが
「千秋企画」という会社だ。本部は仙台市にあり 東北一帯で
「夜の店」をチェーン化し 手広く事業展開しているから間接的にでもアヤカの影響は及びそうだ・・・
次の日から 碧は今まで以上にアヤカを意識しなくてはいけなくなった。
アヤカとアヤカの客の「一挙手一投足」に時間の許す限り注視せざるを得ない。
改めて見るとアヤカの客層が年齢や職業に幅が広いことを気付かされる。
しかし これに感心した自分を悔やむ結果になるのを 今の碧は未だ知らない。
アヤカのエリアだけが なぜか決まっている。店の1番奥でマネージャーが立つレジに1番近い席だ。普通は客が好きな席を選ぶのだがアヤカだけ違った。
しかもマネージャーの藤近も黙認しているのだから 碧は釈然としない・・・・
そして・・毎週木曜日の午後11時頃に決まって やってくる3人の常連客がいる
アヤカを指名してナルミがヘルプに付く。3人ともサングラスを外さないから
その奥の表情を詳細に うかがい知るコトは出来ないが 注意深く観察すると
1人はロシア系らしい。40前後のチョットいい男だ。もう1人も40前後で微妙にアジア系らしいが判別しにくい そして2人とも共通して無口だ。
そして その2人を連れてくる20代前半だろうか かなり軽いノリの男。
店に入ってから出るまで 独りで喋って独りでカラオケしている。
あとの2人は たまに うなずいたり 愛想笑いを浮かべる程度だ・・・
毎週 同じメンバーで アヤカを指名して 午前1時頃に帰っていく。そして決まって相当な金額を使ってくれる「上客」のようだ。あとの2人は何が楽しくて来店しているのか 碧には全然 理解出来なかった。
勘が鋭い碧には
「遊ぶのが」目的じゃなく
「定期的に来る」のが目的に映った。
そして・・・その
「勘」が思いもよらぬ
「闇」の部分を燻り出すことになる・・・・・・・・
支払いはいつもロシア系の無口な外人が現金でしていた。ぶ厚いルイヴィトンマルチカラーの長財布から 札の束が見える。しかも お釣りを受け取らない。
碧が「ドル」を目にしたのは初めてだったし お釣りをもらわないなんてことテレビのワンシーンでしか見たことが無い
「お金持ちの外人さん」くらいに感じていたし 改めてこれが
「大人の世界」なんだ。漠然と その光景を眺めていた。
次の週の事。例の常連客が来ている時にアヤカから碧に手招きが飛んだ 渋々奥のボックス席に行く。
「ウチの新人さんでぇす」と3人に紹介している。その中の軽薄男は
「隣に座ってョ」と誘うがアヤカの
「そういう子じゃないのっ!」
で助かったが こんな人とか生理的に絶対ムリ!不快感をあらわにした。自己紹介するはずが 碧は本名を言うわけにもいかず 頭を下げて持ち場に戻った。
アヤカが後からやってきて
「最初はアレで いいけど次から愛想良くしてね」とだけ言い残して戻って行った。頭ごなしにキレられると覚悟していただけに
拍子抜けした碧だった。軽薄男は論外だったが ロシア系はチョイイケだ。
そして もう1人の微妙な中年から
「油臭さ」がしていた。自動車整備か何かしているのかと その時は気にも止めなかった しかし・・・
その臭いが後で重要な意味を持ち 点と点を一筋の線として結ぶことになる。
4 疑惑
何とか休みをもらったある日の夕方 碧は高校時代からの親友
「カオリ」と2人 山王十字路から北に入った新国道沿いのマックで 話に華を咲かせていた。
バイトが休みだったのと 久し振りに会えた親友だったから バイトのこと 彼氏のこと・・・時が経つのを忘れていた。
ふと新国道に目を移すとヘッドライトを点灯している車が目立ち始めたのに気付き 宴たけなわの
「2人クラス会」はお開きになる。
マックを出てカオリに別れを告げ 駐車場で独り待つbBの元に戻る。時計は
午後6時を過ぎていた。
待たせ続けた「彼」 bBの懐に潜り込み エンジンを回す。即座に反応し 彼の男らしい低く心地よい振動が碧を迎える。いつ聴いてもメチャ魅力的な声・・・
「さぁ〜て帰ろっと」シフトをDに入れて新国道を左折しようとウインカーを点滅させた碧とbBの前に思いがけない光景が飛び込んできた。
国道向かいのモス駐車場から 白のマーチが出てくるのだが ハンドルを握っているのが 碧が苦手としている
あの「軽薄男」だったのだ。しかも助手席に
「イケメンのロシア風」そして後部座席に
「油臭い微妙男」
木曜11時の「顔」
全員集合!!だ。
「すんごいメンツ!」もう碧は止まらない。ウインカーとは逆方向に急ハンドルを切る。一瞬の出来事に山王十字路方面に流れていた車の波から いっせいにクラクションの嵐が黒メタbBに浴びせられる。と同時にタイヤが悲鳴をあげ新国道を北に飛ばす そう 先行しているマーチを追う。
いつもの事だが 気紛れで 突拍子のない事を平気でやってしまう碧に付き合えるのは 黒メタの彼氏だけかもしれない。
「カンベンしろよぉ〜〜」黒メタ彼氏の悲痛な叫び声が夕闇の新国道に響く。
新国道を疾走するマーチは 右にA・Q・Aを左にオートバックスを見ながらサークルK前 操車場の信号を左折する。
黒メタbBは忍者のように闇に紛れ 一定の距離を置き追尾している。何で追跡しているのか碧には説明がつかない。あえて言うなら
「単なる好奇心」・・・ワクワクしながらハンドルを握る。困った19歳だ。
この辺りは「八橋エリア」になる 新国道から外れると住宅や工場が目立ち都市化の波を感じる地区だ。
スーパー銭湯の前を通過し 秋田港へ注ぐ草生津川沿いを北上し広大な工場に入っていった。操業していなさそうで 廃墟に近い感じだ。看板が出ていないので何をしている工場か分からないが科学工場のようだ・・・
その工場が見渡せる道肩に停車し様子を伺う。 どれだけ経過しただろうか
3人が工場に隣接する事務所から出てくるのが見えた。ロシア人が小さな手提げ袋を持っている。入る時は何も持っていなかったから 建物の中で調達したものだろう。
またマーチに乗り込み 今来た道を逆に走る。そう 山王十字路方面へ・・・・
碧の中でワクワク度が一気にアップする。 急いで尾行を再開し 夜の市街地へ・・・
「な〜んかありげ・・ヤバそな感じぃ」ハンドルを握る手に力が入る。
山王十字路を左折し山王大通りを東に向かい日銀前で右折
「赤レンガ通り」を南に入る。予想通りの展開に
「ビンゴぉ〜」碧は楽しげに声を上げる。彼氏は完全に憔悴しきった様子・・
赤レンガ郷土館 道路向かいの 立体駐車場にマーチはスッと入っていった。
碧はメガクラブ千秋の駐車場に彼氏を停め マーチが姿を消した駐車場へ急いで向かう。ちょうど駐車場を出た3人が北に向かって並んで歩いているところだった。足音を忍ばせて近付くが顔を知られているから ある程度の距離は必要だ。別に見つかっても問題があるワケじゃないのだが 碧の中で言いようのない「勘」が そうさせていた・・・
会話をしているのが遠目にも分かるが話の内容自体 周囲の雑踏で聞き取れない。
ちょうど 勝負中!と垂れ幕が目印になっている
「六本木ラーメン」の店内が見える。カウンター上の時計は午後8時を示している
3人は山王大通り沿いから少し南に建つ
「プチクラブ・ラズベリー」に入っていった。この店も「千秋企画」が経営しているのは碧も知っている。店の数だけコンセプト 店舗内装 ターゲットの客層を練りに練って出店していると面接の時 聞いた事があった。
サラダマックだけで長時間喋っていたからお腹が空いて仕方ない。一旦「探偵」を休止して六本木ラーメンに入る。
ここは 厳選された最高級素材をじっくり煮込んだトンコツスープをベースにし 乾麺より練り時間の調節に熟練を要す 腰のある超多加水麺を使って あっさり系のトンコツラーメンを出す店だ。定休日はないがスープの出来が悪い時なんか勝手に定休日にしてしまう
「ガンコさ」でも知られる。
例の3人組みは1時間ちょっとで
「プチクラブ・ラズベリー」から出てきた。
やっぱり楽しそうな感じは伝わってこない・・・・
漫画本を読むフリをして3人が通過するのを確認しラーメン店を後にする。
混みあう時間帯にラーメン1杯だけで1時間近く居座られた店は不運だったに違いない。
次に向かったのが
「トップクラブ・エバー」だった。碧は まだ好奇心を納得させるに至っていなかったから愛車に戻って缶コーヒーを飲みながらFMから流れる音楽に耳を傾けていた。秋田が全国に誇るアーティスト
「伊藤秀志」特集だ。
聴きながら一言。
「ぅん〜最悪!↓」
もうじき1時間になる 碧は
「黒メタbB 忍者仕様車」を駐車場から出し
「トップクラブ・エバー」の出口北側に停車させた。やはり10分もしないうちに3人組は出てきて南に向かって歩きだし
なかば 約束のように
「スィートクラブ・ハート」に消えていった・・・
碧は確信を得た。順番に
「千秋企画」が経営する店を訪問することが目的なんだと・・・
あと もう1店寄ってから
「碧の店」に入ると定期便の
「木曜11時」になる。
「来るのが目的・・・」
これで明白になった。
最終確認するまでもなく
「名探偵 碧」は家路についた。
翌週から その3人組に 益々興味が湧いてきて 今まで以上に観察するようになった。最初の店に入った時に持っていた手提げ袋が最後の店を出る頃に 軽くなっている事が見て取れる。
洞察するようになってから もう1つ不可解な事に気付いた。
この店に専任の店長は存在しないが川反のキャバ系5店舗を統括している店長
「野岡一禎」が毎週木曜深夜にやってきて売上金を回収していく。
毎週 仙台の本部から出張してきてワシントンホテルに宿泊しているらしい。
その回収ルートと例の3人組のルートが一致しているのだ。
「なんかヤバちっくなブツの取引?」碧が勘ぐるのも無理はない。
碧の中で好奇心の
「虫」が騒ぐ・・・
サリナに聞いてみよう!いつものブロックサインを出し
いつもの時間合わせの後 八橋公園で ガスってみる。
「店長ってヤバ系なんですぅ?」
「どっかなぁヤーさん顔だけどヤバ系じゃないよぉ」
「あの3人組 何モノなんですぅ?」
「店長とかマネージャーってアヤカさんと何か有るんですかぁ?」
「それから それから・・」
「みど〜止めときなよぉ アヤカの周囲を探るの・・・」
「・・・・・」
サリナのトークにいつものキレがないどころか表情までもが曇っていく
碧は慌てて会話の軌道修正をし キモ客やケチ客の話題に持っていき様子を見る。
でも止めろと言われると より一層 興味を持つのが人の心理。碧も例外ではない。むしろ 碧の好奇心は人並み以上と言える。
そんな碧の好奇に溢れた店内の視線にアヤカが気付かないワケがなかった。
碧をキャストにして自分の派閥を磐石な体制にしたかったアヤカだが その意に反し 急先鋒として目していた碧が見込み違いの方向へ傾きかけているのを きっと苦々しく思っていることだろう。
数日経って碧は藤近マネージャーに呼び出された
「若杉さぁ ヘンなコトに興味持つんじゃねっぞぉ」
「あの べつに・・・」
「店長に知れたらぁ めんどいっしぃ」
「そ それって・・」
「だから 興味持つなっ!」
マネージャーは一方的話を切り上げて背を向け 帳簿に目を落とし
「もぉいいぞ」と面倒くさそうに言い放ち事務所から出るように促す。
ブルーの空間に戻ると 大音響の中でアノ異質3人組みが指定席にいる。
軽薄男が碧の姿を見掛け 立ち上がって手招きをしている。
「さ い あ く ぅ」と笑顔でつぶやき奥のボックス席に向かう。
マネージャーは碧が一般の客と話をしていると不機嫌なのに この3人組みになると
「失礼のないように」と180度 豹変する。碧は自分が納得できないコトをさせられるのが耐えられなかった。碧には そんな頑固な一面もある。さらに疑問があれば その場で解決させたい性格の持ち主でもあった。それが災いしたのか・・
しばらく くだらない話に付き合わされたが 会話が途切れたのをキッカケに碧は遂に切り出した。
「何で木曜11時なんですかぁ?」
「偶然だってぇ」と軽薄男。
「他の店も決まった時間なんですよねっ?」核心に触れる投げ掛けだったから
険悪な空気に包まれるのは覚悟していた。
軽薄男は一瞬表情が強張ったものの
「まっ まいったなぁ・」
と言ったきりだった・・・
翌日 碧はアヤカから
「遊びにおいでよっ」と誘われ 日曜の夕方会うことになった。
一等地に建つ高級マンションだった。エントランスには大理石から落ちる滝が四方に流れ 乱反射し幻想的な自然光のページェントとなっている。白大理石貼りの床 リモコンオートロックの重厚なスライドドアの向こうは上質なイタリア家具を配したホテルのロビーを髣髴とさせる空間が控えている。ダークオークのカウンターと皮張りの重厚なソファーがフィックス窓の坪庭を囲むように置いてある。完全なる別世界に言葉さえ失う・・・
部屋に案内された碧は まだ落ち着かない。
「コーヒー入れてくるね」アヤカがキッチンに向かう。
「そだっ おとんにメールしよっ」碧は部屋の様子を撮って写メ送信した。
『おとん!キャストさんの部屋だよっ!』と短い本文を付けて・・・
深い意味のないメールだった。 しかし これが結果的に真相解明の重要な
「糸口」となる事を碧は知る由もない。
送信直後 鍵が掛けられたはずの玄関ドアが開き 誰かが入ってくる気配がした
「えっ?」碧は言葉を失い背筋に走る冷たいものを感じた・・・
窓の外は いつしか夕闇が支配していた。
5 緊迫
「おとん」は また残業にさしかかる時間帯に 突然プラン会議が入って面白くなかった。会議用の資料を揃えている時に携帯メール着信をバイブで気付いた。
『みど』とサブ液晶が点滅している。
「おっ!みどメールやん」と相当嬉しげだ。
急いで写メを開く。 遊びに行った先での
「部屋」が写っている・・・
会議室からの自分を呼ぶ声に 慌てて携帯をポケットにしまい込んだ。
小西建設株式会社
名古屋支店 設計課 太田一裕 45歳。
若杉 碧から「おとん」そう呼ばれている張本人だ。戸籍や血縁関係こそないが秋田の
「娘」からくるメールを最大の楽しみにしている・・・・
「この立地エリアにこのプランだとどうだ 太田チーフ?」
「まぁベストプランでしょう!」といつもの調子で会議を締めくくる。1物件当たり約15分程度の会議だが件数が多いと結構きつい。こんな会議が毎日のように午後6時前後にあり その後に物件毎の具体設計に入る・・・
精神的に張り詰めた時間帯にくる
「みどメール」は一裕にとってホッとさせる一服の清涼剤になっている。何を置いても
「みどメール」には速攻で返信しているのが一裕の
「こだわり」だ。例え現場で職人と格闘していても 役所でお詫びしていても そして会議中でも・・・
お陰で液晶面を見ないで返信できる ブラインドタッチの
「技」を密かに自慢している
困った「おっさん」だ。
翌昼のことだ・・・
「若杉 ユミ」から携帯に電話があった。碧の母親だ。
「秋田美人」の典型で一裕が仕事で秋田に出張した時 近くの喫茶店で働いていたユミと知り合った。一裕の一方的な一目惚れで出張3日目に なんとか
「メールしないから」嘘約束の末 メルアドまで聞きだした。
月日を重ねるうちに 明るく知的なユミに夢中になっていき お互い信頼できる関係を築いていた。
ただ その当時のユミは戸籍上独身でなく 複雑な想いを寄せていた時期でもあった・・・
その当時 碧は中学生だった。多感な年頃だったこともあり 母親の新たな交際相手 まして再婚など考える事 自体に不快感を露にしたことを一裕は記憶している。
そこから 碧との関係を一歩ずつだが 良好強固なものに築いてきた。
最近では突然電話してきて
「ねぇ聞いてよっ・・・」
「カレシがさぁ〜・・・」
「バイトでさぁ〜・・・」
「それがさぁ〜・・・」
「また その話かよぉ・・・」
「いいから いいから聞いてよ それでさぁ・・・」
こんな遠慮のないやりとりが一裕にとって至福の時なのは言うまでもない。
戸籍のつながりこそないが碧との親子関係は揺るぎなく強固だ。
そんな確信に似たものを感じていた矢先の電話だった。
ユミは言葉を慎重に選びながら続ける。
「碧が昨日から帰ってこないし携帯は電源が切れてるみたい」
「あぁ昨日 友達の家っぽいトコから写メきてたよ まだそこで寝てるとか」
「でも電源が・・・」
「携帯使いまくって充電してないとか」
「でも・無断外泊なんて・・」
「バイト先とか知り合いに問い合わせて また電話してよ」
「う・ん・・・分かった・・・」搾り出すように言葉を発し電話が切れた。
その日ユミからのメールはバイト先や知り合いに電話しまくっているが
行き先が分からないといった内容に終始していた。
今日連絡がなければ 明日にでも警察へ捜索願を出す方向で話がまとまった。
時間は悪戯に過ぎ・・・
状況は楽観できるものではなかった。
翌朝ユミは秋田城西署に捜索願を提出したが
警察の対応に失望したユミは 電話で こう伝えてきた
「写真と印鑑が必要とかで一旦自宅に戻り 続いて身長 体重 当日の服装 下着 アクセ 身体の特徴を詳しく聞かれ さらに異性関係・・・そして
手術跡やケガの治療跡 かかりつけ歯科医名・・・もう哀しくなってきた」と。
娘のプライバシーをさらけだすのも苦痛だったが
「失踪=最悪の結果」を事務的に進める警察の対応に落胆したようだ。そんな息遣いと 何を信じ 何に頼ったらいいのかさえ見失っている心情が携帯を通じリアルに伝わってくる。
「俺しかいない!」碧とユミを救えるのは。漠然と そう感じた。
何の準備もない 何の予備知識もない 土地勘さえ
まして 自身で探し出せる自信もない・・・・
ただ「熱い想い」だけが一裕を突き動かしていた
携帯 財布 ちょっとした着替えだけ抱えて愛車に投げ込み
夜の街へ。
夕方から降り出した強い雨と吹き荒れる風の中 東名高速へ向かう・・・
途中セルフスタンドで給油しながらナビの行き先を秋田市にセットする
午後8時を少し過ぎていた。
慌てていたためか会社へ連絡していないことを思い出し 上司の携帯へ電話し
10日間の休暇を申し出た・・・・・当然聞き入れられなかったが
身内の一大事と 固い意思を伝えると しばらくの沈黙が続き
そして電話は切られた・・・
逸る気持ちを抑えるには 相当の時間が必要だろうが すでに気持ちは北都にあり まばたき程の迷いもない。
東名へ名古屋インターから入り名神小牧ジャンクション経由で中央自動車道を
岐阜 長野方面へ急ぐ。
どう考えても東名高速を東京経由で東北自動車道に入った方が近道なのに
一裕には その冷静さ さえ欠如していた。
途中 何度も睡魔に襲われ 対向車のライトに もうろうとした意識が引き込まれそうになる非常に危険な状態。
一刻も早く秋田に行きたい 何が出来るか分からないが何かしたい
「俺がやらないと」
「俺が・・・」
意識は遠のき タイヤが路面から浮いている感覚が かすかな記憶に残り妙に心地いい・・・
すでに意識回路は麻痺しているらしい・・・
新潟 福島 宮城 岩手をノンストップで走り抜け 漆黒の闇と風雨渦巻く
秋田県に入っていた。10時間で8県走っている。途中 一般国道をつないだ区間があったから かなり 飛ばした計算になる。スピードメーターは最高で130Kmを示した いつも慎重派を自負している一裕にとっては 高校時代の全国サイクリング以来の暴挙になる。
風雨は依然として収まる気配もなく 行く手を阻む。
秋田県境からトンネルが多くなり 錦秋湖 横手 大曲を通過し いつしか 憧れの秋田市に入っていた。
朝靄にけむる北都は 突然の来客を優しく迎え そして包み込んでくれた。
千秋公園の堀脇に車を停めて 堀の水面から立ち上がる噴水の音さえ掻き消す雨音を聴きながら 警察の始業時間を待った と同時に冷静になる時間に充てていた。少し仮眠もしたいのだが 不思議と睡魔の襲来がない・・・
もう一度 経緯を整理してみる
最初に警察に行って捜索状況を確認。
そして バイト先 友達を 再度あたる・・・
そうだ!
「みどメール」に何か手掛かりがあるかも知れない
一裕は携帯メールの内容を時系列に整理しメモした。
一字一句に全神経を集中させ碧の心理状態やその場の風や空気を連想した。
どのメールも「家出」を感じさせる内容には程遠い・・・
トップキャストのこと
マネージャーのこと
ヘンな客のこと
・・・
そして最後のメールで指が止まった。
キャストさんの部屋として飛んできた写真。
この後「消息」が途絶えたのだから真相が隠されているに違いない。
ユミからの電話だとバイト先の問い合わせは何回かしていると言っていたから
「知らないフリ」が考えられる。
だとすると この写真は重要な手掛かりだ。
部屋は単身者向きのワンルームタイプ。
正面にハイサッシ 左奥にシングルベッド 右奥にローサイドボードとテレビ 床はフローリング調のクッションフロア。部屋の間口は約4m
もっと手掛かりは隠されている・・・
カーテンはベージュのドレープ サッシ側はケースメントかレース地だ。
そしてサッシ上部にエアコンが設置してあるが構造梁が見当たらない。
建築基準法の道路斜線で建物上部がカットされて逆梁になっているのかもしれないから道路は6m程度。
そして部屋の奥行き方向の梁の短部が斜めになっている 構造ハンチだ。
これは建物の最上階か または段階的に階数が変化している可能性がある。
窓の外に目を転じてみると コロニアル葺きの急勾配切妻屋根のこちら側にトップライトが見える。通常北面か最悪でも東側にしか設置しないし 隣の住宅の屋根やドーマーの向きや かすかな西陽から このマンションは西側にバルコニーが設置されていて右奥に森影らしきものが写りこんでいる。
高さだが住宅の屋根先端の高さとバルコニー中心の高さが ほぼ同じだ 写真に写っている住宅の奥行き寸法と屋根勾配から計算すると この部屋の中間の高さが11mぐらいになり天井上で約12m。つまり4階で撮影されている。
「市街地で6m道路沿いの西向き4階建ワンルームマンションの4階部分」
その仮説から真相究明をスタートさせる。
時間は午前8時半になろうとしている。警察署は犯罪や交通事故の対応は24時間だが 捜索願の事務は通常の
「お役所仕事」となる。人員の関係で仕方ないのは解るが
心配している家族の立場からすると釈然としない・・・
秋田警察城西署は千秋公園の西隣にあり 現在建て替え中で仮庁舎での執務となっていて雑然としている。仮設の総合受付で捜索願についての担当部署の場所を聞き その窓口へ向かう。
疲労からだろう 生活安全課を
「生活科学科」と言いそうになった。碧の出身学科だ。
ユミから聞いていた城西署生活安全課 巡査部長 石川和洋を訪ねる。
奥の仮設机から面倒くさそうに出てきたのは いかにも出世に背を向けた感じで定年間近とおぼしき くたびれた警察官だ。
「私になんすか?」かなりの東北なまりがある
「捜索願の出ている 若杉 碧の件で来ました」
「んで どちらさん?関係は?」あからさまに事務的かつ懐疑的だ。
「碧の親のような者です」一裕は焦りを隠せない。
「んたら 言えねな 個人情報の保護んだ」。
「一刻を争うのに 何をのん気な事を言っているんですか!
・・・碧からきたメールが 捜索の役に立てばと思ったから来たんです
話を聞いて下さい!」
「んなら 聞くだけ聞きまっしょ」
一裕は最近交わした碧との会話 メールの内容や写メの独自の分析から
バイト先でキャストとの何らかのトラブルに巻き込まれ秋田駅から川反までの徒歩圏の限られたエリアに拘束されている可能性が強い事 そして急を要することを熱く強く語った・・・
「すかしなぁ そんだけで見つかるかなっ 最近多いんだな 簡単に失踪すんのなぁ・・・警察も忙すぃんで」
「じゃ 探さないんですか? 何のための捜索願ですか! 何のための警察ですか!」
「事件の認識がないんですか!」
声は静まり返った仮設事務所に響き渡り 一裕は今にも石川巡査部長に掴み掛かる勢いだった。
「ちょっと落ち着いたらどうですか」
背後の声に振り向くと腕に
「報道」の黄色い腕章をつけた男が立っていた。
その男は自分に任せろと言わんばかりに石川を目で制し
「北都新報の佐竹です」と名乗り一裕に名刺を差し出した。
そのタイミングに救われた石川は逃げるように奥へ引っ込んでしまった。
石川に伝えたい事は山ほどあった一裕だが一旦冷静になることにした。
北都新報の佐竹は続ける
たまたま交通事故の取材で来ていて一裕と石川の会話が耳に届き興味を持ったようだ。
「捜索願は全国の各警察が検索用に登録するだけみたいですよ」
「・・・」
「あまり期待しないほうが・・・」
「でも何かしていないと落ち着かなくて・・あっ申し遅れました太田です」と一裕も名刺を佐竹に手渡す。
「あ〜小西建設さんですかぁ 大手さんですよね」
普段 建設業界でしか名刺交換しない一裕にとって
「大手さん」が新鮮に耳に残る そして多少落ち着きを取り戻し
「恥ずかしい姿をお見せしました 焦っても仕方ないのに」
「私も一応 新聞記者ですから微力ながら協力させてください」
予備知識のない一裕には励まされる一言だ。
今後連絡を取り合うことを確認し秋田城西署を後にする・・・
次に失踪直前に送られた
「写メ」の場所特定だ。そして碧が接触した人物の聞き込みから始めよう。
ナビだけでは限界があるので急いで近くの書店で市街地地図を購入し車に戻る。
西側6m程度の道路でマンションらしき建物に赤丸をつけ実際の建物を見て歩くことにした。市街地の路地は狭く一方通行が多い 車だと逆に自由に行動できない。24時間窓口で駐車禁止の心配がない警察の駐車場に車を停めて雨の街に脚を進める。
6 奮闘
どれくらい歩いただろうか・・・
朝から暗い雨雲に支配され時間の感覚さえ狂う。雨は依然降り続けている。
仕事で他社のマンションデザインを調査した事は有ったが
これだけの数を一気に見て回るのは骨が折れる。
しかも準備する時間もなく飛び出した関係で建築現場用の安全靴だった。薄い鉄板が入っていて落下物には安全なのだが距離を歩くには向かない。そして ある程度防水加工が施してあるのだが 風に乗った雨は足元を伝って靴底に
溜まり 役目を果たしていないどころか重く冷たい。 右手は風に煽られる傘
左手には湿気を吸った地図が忙しくはためく
寝不足も手伝い 徐々に体力を奪われ 気力で補うしかない状況だ。
ため息混じりに銀色に渦巻く雨空を恨めしそうに見上げた時 バイト中のユミから携帯に電話があった。
失踪数日前に親友の
「カオリ」と会っていた事が新たに分かったと言うのだしかも様子が変だったらしい。直接聞いてほしいということで
「カオリ」の携帯番号を地図の余白にメモした。
「カレシにも聞いてみてョ」ユミの提案に拒絶する理由もなく
「かずなり」の番号も ついでにメモした・・・
早速カオリに電話する。
「はい」カオリは名乗らない。電話がいくことをユミから伝えていない様子だ。
碧の「おとん」だと伝えると即通じた。親友には一裕の存在を知らせているらしく 早速本題に入る。
要約すると先々週の木曜午後6時頃に新国道のマックで別れた直後。急に方向を変えて北上したこと。そして翌日 碧からカオリに飛んできたメールには
その時 いつも話題に上る3人が乗る白のマーチを追ったこと。八橋の工場跡地に立ち寄ってから川反の千秋企画系のキャバ巡りをしていたこと・・・
「ピーピーピー」カオリとの通話が突然切れた。携帯の液晶面に
「充電してください」と表示が出る。 と同時に電源が落ちた。
当然 充電器など持ち合わせない。周囲を見渡すと200メートルぐらい先に
コンビニ 「サークルK」の看板が見える。秋田に入って驚いた事だが
名古屋に本部を置き東海地方にしかないと思い込んでいたサークルKがナゼか秋田にある。この風景には戸惑いと同時に安堵さえ覚えた。事実 秋田近県の山形県 宮城県 福島県にサークルKは存在しない。
名古屋の「ココ壱カレー」があるのにも驚いた。ついでに言うと
「若鯱家のカレーうどん」があったら ここは名古屋だ。
急いでマルKに飛び込み充電器を掴みレジへ急ぐ。
湿り気を帯びたヴィトンの長財布から小銭を取り出す時 財布にいつも入れているパウチ加工した碧のプリクラを取り出して指先で優しく水滴を拭き
「必ず助けてやるから」とつぶやいた。
と その時レジに入っていたバイトらしき若者が首をかしげてそのプリクラに視線を投げかけているのに気付いた。もしかして!
「知ってる人ですか?」「川口」と名札を付けた若者に一裕はダメもとで聞いてみた。
「はぁ たぶん・・・」一裕は目の色を変え続きをうながす。
「先月だったかな ここから宅急便を出した時 相手の名前が漢字で書けないとパニくってたから・・」
その記憶に間違いはなかった一裕への誕生日プレゼントを送る時に
「ゴメンおとん!カタカナで名前書いちゃったよっ」とメールしてきたのだ。
川口はさらに続ける。
「何か この前の日曜 そこに入ってきましたよ」
と道路反対のマンションを指差した。気が動転して情報が錯綜し整理がつかない。一気に背筋が伸び 瞳に鋭気が漲る自分自身を感じた。
「それから4階の左端の部屋に電気が点いたかな 確か・・」
詳しく聞きたかったがレジに列が出来ていてバイトの先輩らしき人の視線もあったから 一旦断念する。勤務が終わったあとに時間をもらう確約だけ強引に取り付けマルKを飛び出す。
傘をさす事も忘れ その建物を見上げた 瞼を叩く大粒の雨に歪むマンションは一裕が推理した通りのシルエットだった。
6mの西側道路に4階建ての1戸間口が4mの高級ワンルームタイプだ。
道路斜線により4階上部から壁が斜めにカットされている。そして
西側バルコニーの延長線上に千秋公園の森が借景としてつながっている・・・
急いで そのマンションエントランスに向かい 重厚なヘアライン仕上げのエントランスドアを開き中に入るが リモコンオートロックの二重扉から先に行けないことに気付く。
この扉の向こうに碧が拘束されているかもしれないと思うと胸が張り裂けそうな狭窄感と無力な自分への苛立ちが交錯し 全身が震え 唇を噛み締める。
「冷静にならないと・・・」
一裕は仕事上 オートロックでも火災時に消防隊が消火活動できるように
非常開錠ボタンがあるのを知っていた。通常は管理用郵便ポスト内部か
オートロック操作盤の横にある事が多い。
注意深くエントランス内を見渡すとオートロックセンサーの突起が天井にあるのだが その奥に見慣れた赤い小さなボタンが目に入った。
天井高がかなりあったので簡単に届くはずもない。
消防署の検査員が完成検査時に非常灯の確認に使うフック棒を思い出し一旦エントランスから外に出て それらしき代用品を探した。
ちょうど自転車置場の前カゴにしっかり雨を含んだ傘が引っ掛けてあった。
それを慌しく掴み 急いで戻り開錠ボタンを押す。
スーッっと重厚なステン扉がスライドし高級マンションへの侵入が許可される。
足早に4階に上がりマルKから見た左端の部屋へ 407の表札下部は空欄になっていて 重厚なステンダブルモールの玄関ドアが視界をふさぐ。そっとドアの中心部分辺りに右耳を押し当て左耳を手でふさぐ。そして全神経を右耳に集中させる・・・数分の沈黙。
「人の気配」は感じ取れない。
次に玄関ドア横にある設備ボックスを開き電力メーターの回転スピードを確認してみる・・
「回転していない」電気使用状態でなくても 冷蔵庫程度の電気を使うと電力メーターは ゆっくり回転しているのだが この部屋は冷蔵庫さえ置いていない事になる・・・
しかしマルKの川口は電気が点いたと証言しているから
使う時だけブレーカーを操作しているのだろう。
続けて 玄関ドアのラッチ受け金物を指先で触ってみる。ドアが最終閉まる時にガチャと音が出るドア中央端部の枠の部分だ。
指先にかすかにザラつきが残り 毎日出入りされていない玄関なのが容易に理解できる。
「居住していない部屋」そして もう・・・
「この部屋に碧はいない」一裕は そう結論付け 1階の集合ポストに向かう。
オールステンのタテ長タイプの集合ポストだ。407を探す。
やはり表札は出ていない。
郵便確認用の細いタテスリットから中をのぞくと 仙台中央の消印で社用封筒が配達されている。
あて先が このマンションの407で
「千秋企画御中」と印刷されていて その社用封筒自体も
千秋企画社用封筒になっている。
つまり 空室でなく会社契約された現在進行形の部屋になる・・・
と同時にキャスト個人のマンションでない証拠にもなる。
一裕の思考回路は いよいよ混乱した・・・・・・そして
「落ち着け」また自分自身に言い聞かせた。
ここまでの経緯を整理し 忘れや落としがないか再考してみるが進まない。
とりあえずカオリに電話している途中だったのを思い出し
充電器を携帯に差し込みカオリに電話する・・・が留守設定になっている。
待っている心の余裕など有りはしない。
次は・・・
続けて碧の もう1人の彼氏
「かずなり」に電話する。
話す事はないのだが少しでも手掛かりが欲しい。
電話の先で鈴本は戸惑っている様子だ。碧が行方不明 その事実以上に一裕の存在に対して 何と言っていいのか苦慮しているようだ。
最近気になった会話や様子の変化を聞いた。何でもいいヒントが欲しいのだ。
噛み合わない会話が続く そして明確な覇気が伝わってこない。
「鈴本君は碧が心配じゃないのか!」一裕は遂に怒鳴ってしまい その勢いで電話を切ってしまった。・・・・
冷静さの欠片もない自らの対応に瞬きほどの後悔はあったが 時間がない。
「次は・・何を・・すればいい?」自問自答してみる。
ここまでの成果をユミに電話して安心させてあげたい。バイト中は電話にでられない事は承知していたので留守電にメッセージを手短に残す。
そして ここまでの出来事を時系列に整理しメモした。時計は午後5時になっていた。
マルKの「川口」と約束していた時間になる。
裏口から出てきた川口と足早に近くの喫茶店「ルーズカフェ」に入る。
椅子に座って脚の疲れがピークだったのに気付かされた。頼んだコーヒーが来るまで待てない一裕は早速本題に入る。
目撃した時の様子だ。
「2日前にプリの子と俺のおな中のヤツが2人であのマンションに入ってった」
「オナ中?」「2人?」
「同じ男鹿の中学だった 加茂島ってヤツと」
「相手は男?何時ごろ?」矢継ぎ早に質問を浴びせ掛ける。
「最近 川反でキャバ嬢してるって噂の 加茂島友美 タメの22」
「バイト終わるチョイ前だから4時50分ごろかなぁ」
日時が部屋写メと合致する。間違いない!
「それから?」と 間髪入れず催促する。
「俺が着替え終わって出てきたら3人で歩いてた 後姿だから解らないけどぉケバ系の若い女が後ろから押すような感じかな・・・」
キャストの部屋で消息を絶ったのだから その加茂島友美が
「アヤカ」で 後から合流したのが
「ナルミ」だろう。どちらも碧からのメールで何度か目にしている名前だ。
川口に何度もお礼を言い。喫茶店を後にする。
カオリとの会話を思い出していた。
「八橋の廃工場」「アノ3人」それに加え「千秋企画」。
雨にさらされ続け 冷たくなった一裕の手には
「北都新報」の名刺が握られていた。
情報は錯綜し手詰まり感を払拭できずにいたからだ。
一裕が城西署生活安全課カウンターで 取り乱したアノ時に 差し向けられた
「お手伝いしますよ・・・」北都新報記者 佐竹の言葉に甘えるつもりだ。
人生で何度も経験しないであろう
「ワラにもすがる思い」。
幸いにも暇をもてあましていたらしく 今から会う時間を割いてくれるらしい。
北都新報の場所だけ確認し丁寧に電話を切った。
北都新報は山王十字路の少し西に位置し 5階建の古いビルだが 通りからはっきり目視できる。
受付で呼び出してもらい。応接スペースで30分ほど待たされた後 佐竹は恐縮しながら慌しく現れた。
電話を切った後に城西署管内で2日前に発生した火事が放火であり その被疑者が逮捕された事件の共同記者会見があり 急遽 城西署へ詰めていたのだという。
儀礼的な世間話の流れついでに 佐竹は元全国紙の政治部敏腕記者でスクープ狙いの勇み足が祟って退職に追い込まれたが佐竹の才能と志を認めていた
先輩記者の紹介で 北都新報に拾ってもらった事などを一方的にまくし立て
このまま 季節ネタや火事 交通事故の
「窓際記者」で終わらせてたまるか!
「こっちで特ダネ」をスッパ抜き 前職の連中を見返したい と締めくくった。
そんな野心が瞳の奥の輝きで充分過ぎるほど伝わってくる。
すがったワラは水を含んでいた・・・佐竹は警察で一裕が発した
「これは事件だ!」の一喝に埋もれかけていた記者魂と野心を呼び起こされた。
一裕は そう結論付けた。と同時に悪魔の囁きに似た取引に応じた自分に対し 言いようのない嫌悪感を覚えた・・・
武士の本懐を遂げようと 擦り寄ってきた野心家 佐竹に
碧への無償の想いを売り渡した。そんな沸々と湧き上がる嫌悪感だ・・・
碧の件を記事にする魂胆が見て取れる・・・しかし それを軽蔑できるだろうか?非難し 止めてくれと言えるのか? 他人の不幸やゴシップを対岸の火事として瞳すら揺らす事なく傍観する世論。 哀しいかな一裕もその1人なのだ。
・・・一裕は選択の余地など持ち合わせていない。
孤軍奮闘の限界は鉛のように重くなった脚が物語り 佐竹の申し出が悪魔の囁きに聞こえるほど思考の眼は混濁している。碧を救いたい・・・・
一裕はここまで掴んだ情報を 目の前の野心家に時系列に沿って伝えた。
小刻みな頷きと深い頷きを交えながら聞いていた佐竹 瞳の輝きは 初対面のそれとは明らかに異質なものになっていた。
途中 千秋企画の名前が出た時の佐竹の表情変化を一裕は見逃さなかった。
「千秋企画とはどんな組織なんです?」記者の経験と情報網に期待して ぶつけてみた。内偵取材が相当進んでいるとみえて佐竹は極めて饒舌だ。
「表向きは飲食店経営と極東貿易。実態はロシアや北朝鮮から拳銃 麻薬の密輸入 ニセ札 そしてマネーロンダリング。警察同様 我社も注視してます。」
「マネーロンダリング」つまり闇組織が犯罪行為によって得た資金を隠匿するため架空口座や複雑小額送金で不明瞭にし 資金洗浄をする行為だ。
世界的な法規制強化の流れで手口は複雑多義に渡り いっそう巧妙化している。
巨額な闇資金が動くことは減少したが 実際の経済取引や小額売上げに見せかける行為が急増しているというのだ。
「ロシア」
「北朝鮮」
「犯罪資金」
「資金洗浄」
「小額売上げ」
多くの情報を一度に整理し理解するのに多少時間を要したが 混乱しつつも 少しだけ雲の切れ間を見る思いがした。次の進展があったら お互い連絡を取り合うため 携帯電話の番号を交換し北都新報の社屋を後にした。
もう1つのキーワード
「八橋」に車を向ける。真相の一端が そこにあるはずだ。ハンドルを握る手にも自然と力が入る。
小雨を放つ暗雲に覆われているせいだろう 時間の感覚は麻痺したままだ。
カオリの言っていた新国道のモスの少し先 マルKを左折する。
碧の視界が捉えていたであろう残像・・ 一裕も 碧のそれに重ね合わせ五感の全てを働かせながらハンドルを進める。
川沿いに廃工場群が表れる 見渡す限り不況の波に浚われた工業地帯。刃こぼれした刃物が激戦を物語るように それらしき廃墟が点在する。
想像以上の数だ。
それらの1つ1つに栄華や社会貢献の自負があったに違いない しかし
息もなく横たわる残骸達は 薄暮と夜の狭間に溶け込み四角四面の樹海を構成し 今は見る影すらない・・・
その数有る廃墟の中から 一際異彩を放つ建物郡が視界に捉えられた。
すでに息絶えたと見せ掛けて かすかに数箇所明かりが漏れている これだ!
単なる直感に触発された。正面ゲートをやり過ごし道路脇に車を停めエンジンを切りゲートに歩み寄ってみる。
鉄サビに覆い尽くされ何色の塗装が施されていたか判別不能なゲートだがレールだけサビもなく 天空に滞留する微細な明かりを反射させている。奥の建物に目を配ると陸上競技ほどの敷地に大小合わせて4棟の建物が存在する。
くすんだ大波スレート外壁の工場らしき建物が2棟 そして手前に事務所らしき建物 奥にバルコニーのある3階建の建物 社員寮跡らしい そんな4棟が一塊となって闇に佇んでいる・・・
外壁に電気集合盤があるが通電のミニランプが点灯していないのに 補修のされていない外壁から かすかに明かりが漏れている。
聴覚に神経を集中させると 遠く低く機械音が鼓膜に届く。自家発電だ。
闇の先から眼光を鋭く輝かせ こちらを冷淡に睨む 息を潜めてはいるが臨戦態勢の獣。そんな廃工場だ。
直感を確信に塗り替えるには まだまだ弱い。
付近の住民なら何か見聞きしているかもしれない。辺りを見渡すが午後7時を過ぎている。こんな寂しい廃墟地帯に人など歩かないのは当然だ。
急いで川の反対側に連なる住宅地方向に脚を向ける。
犬の散歩やジョギングの人に声を掛けたが情報と呼べるものは得られなかった。
諦めかけた時だった。
マルKのビニール袋から一升瓶の頭をのぞかせて足早に歩いている中年の主婦の姿が視界に入った。お酒の追加を買いに行った帰りだろう軽装にサンダルだ。
例の工場について問い掛けてみた。この時間だからか不審の眼差しを向けられたが おおよその情報が得られた。
その工場は石油精製工場跡で何十年も前に倒産し金融系の債権者に渡ったままだったが数ヶ月前から小型ブルドーザーと細い鉄パイプを山積みしたトラックが頻繁に出入りしていたという。
小型ブルに山積みの鉄パイプ・・ボーリングマシンだろう。
「会社名わかりますか?」
「確か 仙北地質でしたよ」
狭い道路にトラックを迷惑駐車させていたから 苦情を言うため荷台の社名に目が行き何年か前に市町村合併により誕生した仙北だから記憶に残ったのだと言う。
また一歩前進。何度もお礼を言って車に戻る。
地質ボーリング会社は県の地質業協会に登録しているはずだ。
一裕は小西建設 秋田支店へ電話して聞いてみることにしたが設計課に知り合いがいなかった。たまたま家賃審査課の課長が以前同じ支店で一緒だった事を思い出し設計課に取り次いでもらい秋田県地質業協会の電話番号を聞きだした。
焦る手元を抑え 協会に電話をする。十数回のコールの後 しゃがれ声が電話に出た。電話の向こうは喧騒に支配され別の電話が鳴り続けている。
面倒臭そうに対応する声に
小西建設の設計と伝えると しゃがれ声のトーンが上がり
「いつもお世話様です」と急変した。
全国ネットの会社に成長した実感を味わう瞬間だ。小西建設は一裕が小学校の頃に名古屋で起業したリース建築の会社で起業から10数年で東京証券取引所の1部上場を果たした 信賞必罰で名を馳せる成長企業。 東京の超一等地と言われる地区 品川摩天楼に自社ビルを持つまでに至っている。
完成した本社ビルを見上げ この何千枚かの窓ガラスの一枚ぐらいは自分の働きなのかもと感慨深く見上げた記憶が蘇る・・・・
「仙北地質」の照会をしたが その社名は存在しないと遠慮がちの回答。
「仙台の北部かもしれないですよ」の進言に宮城県地質業協会の番号を聞く。
携帯の液晶は焦りを増長するかのように2023と伝えてきている。
こんな時間まで国土交通省系の外郭団体が執務している事は有り得ないのだが
昨今の耐震偽装問題の煽りを受け 地盤調査を実施しないで着工していた俗に言う地場の建設会社が一斉に地盤調査を行うようになり 業者照会や新規登録の急増につながり 処理に時間が掛かっていることは承知していた。その僅かな期待を携帯のコールに託す・・・・・
「はぃ地質業協会」やはり業務忙殺に鬱積した電話対応だった しかし 繋がった安堵感に それは掻き消さる。
やはり社名を名乗ると 何でも言ってください調に急変した。
仙北地質について照会すると 先方の役所声は幾分声のトーンを落として。
「あの会社は除名しました」「なぜ?」
「偽装データーを建設会社へ提供しましたから」
未だに構造費を安くするため目に見えない地盤データを改ざんし 引き渡して逃げる建設会社が存在し その一端を担っている地盤調査会社が暗躍していてその1社が仙北地質らしい。
仙北地質の連絡先を聞き出し 急いで電話をしてみる。
悪事に加担する業者は零細事業主が多く 自宅兼事務所の場合が多い。
この時間でも繋がる確率は高い。数十回のコールの後 電話は繋がった。
低く粗雑な声で仙北地質と名前だけ名乗った相手に対して。
「千秋企画だ!」一裕は低く悪びれた声を作り それだけ伝え様子をうかがう。
瞬時に烈火のごとき言葉が携帯全体に跳ね返った。
「早よ金払ってくれ! 秋田まで行かせて油臭い水しか出ない工場跡地なんか1500メートル掘らせて!・・おぃ返事しろ!おぃ!・・」
一裕は 罵詈雑言に微振動続く携帯を耳から離し一方的に閉じた・・・
佐竹の携帯に電話し 工場跡地の状況 千秋企画に騙されたボーリング業者の悲哀を伝える。暫くの沈黙に続いて
「原油の違法採掘と密輸出か」と やや震えた声を絞り出した。
日本も産油国であり秋田八橋地区は油田が点在し 現在でも採掘している事 石油精製工場跡地をボーリングした事 その工場が密かに稼動している事・・・
そして それらの枢軸に千秋企画の影が見え隠れしている。
愛車の電動シートを倒して身体を沈める。 冷たい雨にさらされ続けた肉体は混濁した思考では もうフォローできない。そう思い知らされた・・・
ビクッとした感覚。ポケットから まさぐった携帯の液晶は0233と目に眩しい。軽い眠りに落ちていたようだ。
身体は依然重く冷たいが首から上が数時間の休息で急激に回復しているのだろう 左脳がもう一度状況を理論整理せよ!右脳が新たな直感情報を得よ!
と全身に命令を発信している。
一裕の動作は夢遊病患者と変わらない・・・
シートを起こしてエンジンを始動させる ナビの画面が浮かび上がり闇に慣れた視覚を刺激する・・しばらくナビ画面で現在位置の点滅を見ている。右脳の直感によりパールホワイトの愛車を発進させる。草生津川沿いを南下する
左脳が聞く「どこに行く?」
右脳が答える「さぁ知らない」
車は漆黒の闇を川幅約30メートルの左岸を滑るように進む
左脳が「地名が寺内油田だ」
右脳が「そだねっ」
川は右手に大きくカーブし いたるところに原油採掘のポンプ基地や精製所だろうか
「危険入るな」「火気厳禁」などと道路や周辺に向けての看板が目立つ。
突如右手に巨大なドーム式の建物が暗黒に鈍く光を放つ。ナビは市立体育館と教える
そしてバイパスにぶつかり その先は秋田運河となっているが もう日本海と呼んでも差し支えない。
右「海の香りがしてた」
左「隣国の玄関だ」
右「道は狭くて走りにくい」
左「川なら小型船で人目に付かない」
車は全面ガラス張りのタワーがランドマークとなっている セリオンを捉えた。
単独摩天楼は展望台まで100メートルはあるだろう 暗紺の空に航空障害灯が海風に揺らめき 静かに点滅しているだけだ。
バイパス沿いには「許すな密入国」「監視と通報」といった立て看板が 荒涼とした港の風景に溶け込み 哀しくもある。
報道の向こう側が 今ヘッドライトに照らし出され真白に反射する。
ユミに連絡を入れないと・・・
だが 何と伝えたら言いのだろうか 気休めの言葉など受け入れる心理状態でないのは明らかなのだから。手にした携帯は開いては閉じの繰り返しで時間ばかりが秒針の刻みのように着実に進む。
事の真相を解明するには あの廃工場の内部で何が行われ どんな組織が繋がっているかだ そして河川と運河から直接 港へ そして日本海へ そして・・
仮説を立証するには まだまだ弱い 碧の安否さえ確認出来ていない。仮説にプロットされた点と点の どの部分に碧が存在するのか・・・
一刻を争うのに遅々として進まない進展に苛立ちばかりが募る。
7 潜入
眠れない夜を明かし 同じ街を彷徨い いつしか翌日の夕方になっていた・・・・
自分の目で確認しないと納得など出来ない。一裕は得体の知れない何かが棲む 八橋の巣窟前に戻っていた。
「ここに何かがあるはずだ」そして
「必ず真相究明してやる」
碧の屈託のない満面の笑みが脳裏をよぎり右手の拳に自然と力が入る。力みを振り払うのにも力が必要だ・・・
鉄サビに覆い尽くされた正面ゲートを静かに最低限スライドさせ一歩足を踏み入れる 同時に軽い旋律の胸騒ぎと重く圧し掛かる背筋の悪寒を感じる。
足音を忍ばせ手前の事務所棟に足を向ける。その建物からは かすかな低周のモーター音と視覚にやっと届く程度の青白い光が確認できる。
アルミ枠から自らの体を外側に外して事務所扉のドアノブを親指と人差し指で軽く回転させるが 当然のように施錠されていて動かない。
正面と側面に廻ってみるがサッシ窓にはクレセントがきっちり落としてある。
ガラスを破壊するのは簡単だが 音を出すのには勇気が要る 相手に気付かれたら目的さえ達成できない。
しかも相手の人数も把握できていないし闇の組織だから何の武器も持たずに 牙城警護しているとは考え難い。敵を知らない戦いに勝利などない・・・
冷静になれば なるほど身体は硬直し喉が急激に渇いていく。
邪悪に満ちた空気に すくむ脚を工場棟に無理やり向ける・・・
工場の正面には鉄製のハンガードアが行く手を阻んでいる 縦横5メートル角の巨大な鉄扉が2枚の引き違いとなり上部から吊り下げられ下部はレールに差し込んである。施錠されていなければ人の力でもスライドさせられるが ここも施錠されていて 微力な人間を嘲笑うかのように動じない。
しかし一裕は仕事柄このタイプのハンガードアを開けるテクニックを持っていた。小西建設は事業用の倉庫工場の管理もしており 空工場のハンガードアの開錠をしたことが何度かあったからだ。
通常古い工場のハンガードアは2枚の鉄扉を内側からのピンの抜き差しで固定と開放をする仕組みで 2枚まとめて片側の縦枠にカンヌキ状の固定金具を
180度回転させて施錠してある。このハンガーも 左側回転固定式だ。
巨大鉄扉の左端に移動し全体重を掛けて内側に押し込み数センチの隙間を確保しながら取っ手横の風除けゴムと扉の隙間から 扉と平行に右の手のひらを入れる。
指の先が回転軸に何とか触れることができた。
しかし会社で管理しているモノと比べて明らかに重く回転が硬い。しかも わずかな隙間に無理やり押し込んでいる。扉はサビつき塗装の剥がれ落ちた部分がノコギリのように手の甲を痛めつける。
ひたすら人差し指と中指の回転でカンヌキの軸を慎重に回転させる・・・
鉄扉から かすかに血の臭いが漂ってくる。右手の甲から出血しているようだ。
手の甲は視界に入らない部分だけに痛みを脳だけが感じ取っている。
臭いだけでない熱く粘度の高い液体が手の甲から滲み落ちているようだ・・・
「カシャ」軽い金属音 と同時に右手全体に乾いた振動が伝わった。
「外せた!」ゆっくり右手を抜く やはり血が滲み出ている。どこをどう怪我しているのかさえ判別できなくなる程 全体が赤茶に汚れているが 指が動くのだから問題はない。
ハンガードアを最低限スライドさせ建物内に中に入り 体勢を低くして 慎重に閉める・・・
内部は低周波振動音と高周波の金属音が混在し 思った以上の騒音が渦巻いていて 外部の人間が潜行するのには都合がいい環境のようだ。
ハンガードアの内側は奥行き10メートルほどの薄暗い空間になっている
中型トラックの荷捌きや搬出のスペースらしい。その奥に建築現場で利用される防音シートが張り巡らされた空間が視界に入った。このシートにはジョイント部分があるはずだ。体勢を低くしたまま それに沿って進みジョイントの繋ぎ目の金属穴に目を近づけて中の様子をうかがう・・・
防音機能シートなので最低限の穴だ 5ミリ程度のアキしかなく視野は限られているが贅沢は言えない。高まる胸を右手で制し 首を左右に軽く振りながら瞼をシートに押し付ける・・・
やはり内部空間全体を把握するには不充分だ 人の気配はなさそうで正面に大型機械が設置されていて低い作動音が継続して唸りをあげ 時々新聞紙面を広げた大きさの淡い紙が排出されている。大型印刷機のようだ。その淡い紙面を凝視していた・・・・次第に暗さに目が慣れていく・・・・・
次の瞬間「ハッ」と息を飲み 背中を氷の塊が流れ落ちる感覚に襲われた。
その淡い紙は数十枚に裁断される前の紙幣のかたまりだ。しかもドル札・・・
佐竹との会話を遡って探っていた。そう・・精巧な ニセドル札
危うく声を上げそうになる唇を噛み締めた。
遠い国の絵空事と 画面を通して傍観していた出来事が 今目の前で
現実として ごく自然に展開されている。ごく自然に・・・
別の工場棟へは内部密閉された連絡路で繋がっているようだ。
次の建物へ移動してみる。幾分かだが恐怖心より碧を救いたい使命感が勝ってきているようだ。足取りが確かなものになっている。
2枚のアルミ扉の向こうには やはり防音シートが張りめぐらされた二重構造になっている 同じようにジョイント部分から内部をうかがう・・・
予想通り大小のパイプ郡が縦横無尽に張り巡らされ無数のタンクに接続されている。ミニ化学プラントといった様相。しかし さっきの工場棟と明らかに違うのが臭いだ。
「油臭い」のだ。成分的に詳しくないが灯油やガソリンにも似ている。
一裕は ここまでの情報を整理分析して確信を得た
やはり「原油採掘と精製」
そして その先に裏口ハンガードアが見える。その外側には・・・・
秋田港へ注ぐ草生津川が姿を現すのは言うまでも無い。
冷静に幾辺かの現実の欠片を並べてみると 一直線上に 醜くく並んでしまう。
点上の仮説が線上の確信へと形を変えた瞬間だ。
額に粘度の高い汗が張り付いて異常な精神状態であると警告している・・・
その時 裏口のハンガードアの外側から人の気配がした。反射的に体勢を低くし 元の順路に戻りアルミ扉を視界が確保できるだけ戻して その方向に神経を集中させた。
予想通り3人の男達が何か会話をしながら裏口のハンガードアを開けている。
3人に持ち物はない様子で機械類を点検しているのかメーター類の数値を確認しているのか判別出来ないが 軽薄男が指示しているところからリーダー的な存在らしい。
3人の人相を記憶する以外に新たな情報がない限り ここに長居しても意味がないのは明白だ。しかも一裕は現在 不法侵入を犯している・・・
機械音が染み付いた内部アルミ扉を そっと閉め 印刷工場棟経由で外に出た。
闇に紛れて敷地の外に出て 草生津川沿いに停めた愛車の後部座席に潜り込んだ。運転席は目立つ 目撃されれば不自然に映る。
建物内部を引き続きうかがうのには後部座席が適している。
薄暮の一部が見え隠れしていた北都の空は 成熟した夜の顔になっていた。
しばらくして 事務所棟から3人が出てきた。工場棟から出てきたなら一裕が施錠出来ずにいたハンガードアに気付き騒ぎになっていただろうが 幸いにもその気配すらない。工場内部で目視した時と大差はない。ただロシア風の男が小さな手提げ袋を持っている以外は・・・
携帯のデジタル表示は1919を示している。
後部座席に沈み込んだ一裕の頭上をエンジン音が通過するのを感じ取った後 頭を上げ白いマーチのナンバーだけ記憶すると 運転席に移動した。大袈裟な深呼吸で胸の高鳴りを抑え 愛車を静かに始動させた。
一定の距離を確保し追尾する。確信した通りマーチは山王十字路を左折し竿燈大通り経由で右折し 赤レンガ郷土館近くの駐車場に吸い込まれる。
そのテールランプを左目で追いながら やり過ごし横町通りを左折 空倉庫の暗がりに停車させると転がるように交差点の電柱まで走り 白いマーチの入った駐車場が確認できる位置に身を潜め 様子をうかがう。
多種多様のネオンをまとった川反は彩り鮮やかで 全てを浄化 いや誤魔化す魔力が潜んでいそうな輝きを放っていて 一裕自身 食虫植物に吸い寄せられる弱小子虫と化していた・・・・
程なく軽薄男を先頭にターゲット達が現れる。ロシア風の男は手提げ袋を大切そうに抱えて真ん中の位置をキープしアジア風の男が時折後方を気にしながら まるで護衛担当といった役回りに見える。そう最小隊列の様相。隊列は北方向 山王大通り方面へ進軍し ひときわ電飾 煌びやかな雑居ビルに消えた。
「プチクラブ・ラズベリー」電飾文字を視界に捉え 車に取って返した一裕は待ちかねていた様子の北都新報の佐竹へ電話を入れていた。
八橋の廃工場で目にした 非日常の光景を伝え次のアクションはどうすべきか意見を求めた。
警察が本腰を入れない限り この秋田で頼れるのは 今のところ佐竹だけだ。
「やはりそうでしたか」佐竹は言葉を選んだが 微かに その声は弾んでいる。
警察の内偵捜査と捜査状況から時折漏れ出る千秋企画の闇の部分。
今回はそれらに加え 警察が単なる家出程度に捉えている拉致監禁疑惑・・・・・
記者の本能はこれだけの情報で充分揺り起こされたようだった。
「ここからは警察の領域です」そして
「危険なマネは控えてください」野心記者は そう結んだ。
電話を切った後 指はまた無意識にユミのメモリーを探し そして閉じた・・・
辛い声に耳を傾ける勇気が 今の一裕には無い・・ハンドルに額を静かに委ね
「もう少し待って」そう 呟くのが精一杯だった。
そのままの姿勢で 自己を奮い立たせる為の時間だけが悪戯に過ぎていく。
結論は出ている。自分自身で解決するタイミングを虎視眈々と狙い 一気呵成に攻めるしかない。あれこれ後先を考えていたのでは第一歩が踏み出せない
その一歩に深い理由や動機など要らない。
愛娘の笑顔が見たい。ただそれだけで充分だ。
ふと目線を上げると ターゲットが 三者三様の役回りを継続しつつネオン道を闊歩している姿が飛び込んできた 一裕の愛車の前方約50メートルの角を東に折れて やがて 煌びやかな電飾をくぐって消えた。
碧が好奇心に溢れた瞼に 焼き付けた その光景と同じだったろう
一裕も川反行脚をしている千秋企画隊列の背中を 今 追っている。
碧に対して 日頃のユミの様子を聞きだす時などに
「碧隊員!」としてメールを飛ばすと隊員から
「はぃっ隊長!」おどけて返メしてくる碧が好きだ・・・そんな事を思い出し きっと今回も機転を利かせて どこか安全な場所に無事でいるはずだ。
そう 自分に言い聞かせる。
碧からのメールでは メガクラブ千秋に午後11時頃に入店するはずだ
デジタル表示は1025 一裕は意を決し 虎穴に入って虎児を得る事にした。
虎穴・・・その入り口のドアを開くと大音響の空気の壁が身体全体を押し戻し 一瞬の躊躇を誘った が もう戻れない
いくつかの営業用笑顔が振り向けられる中を うつむき加減で通過すると1人のキャストが派手な衣装で近付いて
「お1人ですかぁ?」
「ご指名わぁ?」
とあくまでも明るい。その問いかけに緊張で強張る唇は
「あっサリナさん・」その一言を搾り出すのに胸の鼓動が最高潮に達している
すでに指名が入っているらしく1番手前のボックス席で待たされる
店内には幾つかのグループ客が島を形成し 合計15人程といったところか カラオケで盛り上がっている一団 キャスト達と大声で会話している一団 客同士で騒いでいる一団 様々だ。
ただ一裕だけが借りてきた猫の姿勢で身の置き場もなく小さくなっている。
15分ほど待っただろうか 少し大柄で見るからに性格の良さそうな女の子が喧騒とストロボライトの閃光の中 小走りでやって来た。
「お待たせしましたぁ」と限りなく明るい声を張り上げ サッと前髪を下げた。
「サリナですぅ お初ですぅ? よねっ」と場違いな客へ続けた。
「若杉 碧のことで・・」語尾は大音響に掻き消されたが表情が一変した様子から こちらの意図している事と一裕の素性は伝わったようだ。
碧が心底慕っているキャストに一裕も賭けた ここまでの流れについて身振り手振りを交えて手短かに そして 熱を込めて説明した。
小さな丸テーブルに注文したウーロン茶が置かれ 大音響がフェードアウトしていく。カラオケが終わった。しばらくの静寂・・・もう喉が渇ききっている。
サリナが何かスイッチでも入ったように 大きくうなずいたり 両手を左右に広げたりと 大袈裟なジェスチャーになった。 営業スマイルのままで・・・
サリナの視線の先を追う。壁鏡から奥のカウンターに 半身で立つ責任者風の黒服男が映し出されている。初来店の客が常連になるかどうか上が気にするのは当然だが それ以上に 意味深な会話に店側は神経質になる 入口に有った張り紙にもスカウト厳禁と明記してあったのを思い出した。 それで 瞬時に一般客と同様の対応に切り替えたのだ。
賢明なサリナなら核心に触れる部分に踏み込んでも問題ないだろう そう判断し一裕も大きな身振り手振りでカモフラージュし斬り込んだ。
「碧の失踪 誰が黒幕かな?」単刀直入過ぎるがサリナは表情を崩さない・・・
気味の悪い「間」が流れた・・・笑顔の奥は いくつかの疑義を照合している。
「アノ3人が怪しいかも・・」「名前は?」
「リーダー格しか知らない 最初の頃カード払いしてて・・・見た名前・・・ 確か・・・・・
加茂島・・・そう 加茂島豪太」
その時 キャスト達の笑顔が入り口方向に注がれた。
薄暗い店内の壁鏡に映るのは 加茂島豪太が率いる11時の定期便だ。
幸いにもこの位置は死角になっていて3人から一裕は見えない。
サリナは折角だからと カラオケを勧めるが 顔を見られると後の行動に支障をきたすから控えた。普段なら福山かフミヤのナンバーを熱唱する一裕だ。
それから10分もしないうちに軽薄男が胸元に手をやり まさぐり始めた。
携帯の着信だろう 慌ててデュエット曲が響く店から外へ出て行く・・・
「今しかない!」
一裕はセット料金とサリナのカクテルポイント 合わせ2万円を丸テーブルに置き釣りも受け取らずボックス席を後にし 軽薄男が消えた入口扉を顔半分開いて外の様子を探った。ちょうど道路反対側の電柱の陰で こちらに背を向け左手に携帯 右手は携帯を 覆い隠すように会話している 会話というより しきりにうなずいているといった感じで 指示を受けているようにもとれる。
一裕は音響が漏れ出す扉をそっと閉め 通りを足早に北に向かった ちょうど
こちらに向かって歩いてくるスーツ姿の5人連れの男達が目に入ったからだ。会社の同僚と居酒屋で飲み 帰ろうか カラオケに行こうか迷っている感じで目的の定まらない足取りだ。
一裕はその5人に近付くと同時に進行方向を180度反転させその集団と合流。元来た方向へ 今度は集団の先頭を歩く形にした。 男達は一様に怪訝な顔をし 状況が飲み込めないようだ。 そして一瞬にして芝居の幕が上がる・・・・・
ちょうど軽薄男が携帯を閉じて店に入ろうと道路を横断しているところでこちらをチラッと見たタイミングに重ねるように一裕は男達の一団から離れ 独り小走りで軽薄男の斜め左正面 店の入り口を塞ぐ位置に立ちふさがった。
軽薄男から見たら 突然多くの男達に囲まれた錯覚に陥り一瞬 思考は混濁し孤立無援の不安に駆られる。その男の瞳と唇は そう物語っている・・・
精神的優位に立って 一気呵成にたたみ掛け勝負に出る。右手を内懐に忍ばせ警察手帳でも取り出すフリと 上目遣いで精一杯の悪びれた顔を造ると
「加茂島だな こう言う者だが事情が・」言うが早いかのタイミングで加茂島は一裕の狙い通り 南西方向に脱兎の如く 転がるように走り出した。
8 激走
一裕は「ビンゴっ!」と小さくガッツポーズ。 即座に後を追った。
加茂島を追い込むには川反では不利だ。土地勘や縄張り内で仲間が合流する事も考え合わせると 孤軍の一裕は お寺銀座の大町方向へ 押し出し長い塀が続くこのエリアで追い詰める以外に活路はないと 瞬時に考えた。
脚には自信が有った。高校の頃 愛知県で少しは名の知れた強豪陸上部に所属していた。ロードで激闘していた当時に引き戻される・・・
「待てっ!加茂島!」どこまでも続く塀と閉ざされた山門に声が反響している。
一裕が敷いたレールの上を加茂島は走らされている 視界の限り両側にそびえ立つ白壁は逃げ込む脇道も身を潜める物陰さえ 逃亡者に与えようとしない。
ペースを無視した走りに限界はある 30メートルもあっただろう距離は徐々に詰まって行きターゲットの乱れた呼吸が聴覚を刺激する距離にまでなった。
正面に長松寺の山門が行く手を阻む。右か左に折れるしかない 一瞬躊躇した
加茂島は足がもつれ その勢いのままアスファルトに倒れ込み数回 転がった。
その方向に長崎屋の屋上看板だけが闇夜に煌々と浮かんでいる。
ヒザを押さえ苦痛に顔を歪める加茂島に馬乗りになり左手首を 一裕は両手で一気に締め上げた 刃物を隠し持っているかもしれない・・・
店内で加茂島が持つグラスや煙草 そして店のドアノブ操作から左手が利き手だと判断していたからだ。
左手は予想以上に力が有る 振り払おうと前後左右に激しく揺すり必死の形相。
右手も必死なのは同じで 一裕の腹部や顔面に容赦なく拳が浴びせられる。
一裕も相手の左手首の固定を右手だけにし 左手で応戦することにした。
上になって体重をあずけている分 一裕が有利なのは言うまでもない。
「言えっ! 若杉 碧はどこだ!!」
加茂島も鼻血を流しているが 口の中を切ったのか 大声と同時に一裕からも数滴の血が散る・・・ 見上げる相手からは 鬼の形相になっているはずだ。
「言え!」さらに恐怖をあおる声で拳を振り上げた。が 意に反し力が入らない
一裕の拳を握り締める 別の手が視界の端に入る。加茂島の手ではない・・・
「そん くれぇにしとけぇ」と懐かしい響き・・・慌てて振り向いてみる。
首を小さく左右に振りながら立っていたのは 城西署生活安全課の石川だった。
窓際に追いやられた公務員顔から 完成された警察官の顔になっている。
自尊心や使命感なのか・・・いや大きな事件に揺り起こされた警察官魂だろう。
どうして この場所に居るのだ・・・ そう 一裕の行動が解っている・・・きっと似た境遇の北都新報の佐竹が密に連絡を入れていたのだろう。
「捜査2課とウチの合同捜査になってぇ千秋企画に家宅捜索入ったす」と石川。
加茂島は 自身の置かれた立場に抵抗する気力を失い 抜け殻のように白い・・
その抜け殻から「八橋の工場・・・2階か3階・・」搾り出す声。
一裕は愛車のタイヤを鳴らし 新国道を北に駆け出た。石川巡査部長が背後で何か叫んでいた記憶が かすかに残るが もう前方を見据えるだけだ。
八橋の廃工場の正門ゲートを乗り越え一直線に社員寮跡に向かう
工場棟も事務所棟も平屋建てだから 3階建は社員寮だけになる。
正面のガラス扉を近くに放置されていた鉄パイプでガラス端部を2度3度突き砕き鍵を開け中に入った カビ臭い湿った空気が気管の奥まで刺激している。
1階はホールと食堂になっているようだ テーブルと丸イスが奥に寄せてある
階段の両サイドは束ねた古雑誌やダンボール箱が置き去りにされ埃で灰色だ。
薄暗い階段を慎重に一歩一歩上り2階ホールにたどり着く 片廊下の奥に非常階段用の扉が浮かび上がり上部の排煙窓から青白い月明かりが差し込んでいる。
1番手前の部屋に入る さらにカビ臭い空間だ 玄関から奥に大きな空間が見える LDKだろう。さらに奥にあるドアを開けるとバルコニーの見える部屋が現れた。その時
「コッコッコッ」低く鉄骨を伝導する 独特の こもった音。 続いて
「カッカッカッ」とヒールの音だろう。上階の廊下から階段を下りて行く音だ。やがて屋外の乾いた音に変わり 叫び声と重なった。バルコニーから見下ろすと月明かりに若い女が工場や事務所に向かって叫んでいる姿が照らし出された。
その叫びに呼応するように事務所から数人の男達が飛び出し 女が指差す方向を一斉に見上げた 招かざる客 一裕を指差しているのだ。・・・心臓が高ぶる
男達が社員寮に向けて走り出す。しかし その足が遅くなり・・・止まった・・
かすかに潮風に乗ってパトカーのサイレン そして無数の赤色等が こちらに向かっている・・・
一裕は我に返った。3階だ。探し続けた碧は。見張り役の女の存在は碧が無事である 何よりの証だ。一気に階段を駆け上がると さっきのヒールの歩数から階段室から遠くない位置だと確信した。少しだけ冷静さを取り戻し 携帯を取り出すと 体勢を低くし床面を下から液晶画面の明るさを利用して照らした。
うっすらと積もった白い埃が人の歩いた部分だけ黒くなっていて それが手前から3番目の部屋に続いている 立ち上がってドアノブの上部を照らす その
ドアノブだけ埃に覆われていない。間違いない この部屋だ。
慎重にドアを開けて中に入る この部屋も置き去りにされた荷物が散乱しているのは同じだが カビ臭さが強くない感じだ・・・
奥の部屋に足を踏み入れる。月明かりに照らし出された部屋には 荷物以外にコンビニの買い物袋が いたるところに散乱し その奥に2人掛けソファーがあり優しいカーブが描きだされた毛布 そして白い横顔・・しばらく見詰める・・
「碧!」凛とした空間に一裕の高鳴る鼓動だけが こだましている・・・
そっと駆け寄り ガラス細工を扱うように上半身を抱き上げた。温もりがある。
「碧大丈夫か?」小さく語り掛け軽く揺らす。碧の唇が何か言おうとしている。
「お・と・ん・・」瞼を閉じたままだ ぎこちなく動き始めた唇から
「は・ら・へ・っ・た」・・・・
一裕は溢れる涙を拭うのも忘れ 嗚咽を漏らした。喉の奥が熱く苦しい・・・
無事でいてくれた・・・安堵と同時に全身から力が抜けヒザが震えた。
外が騒然としているようだ。そして数人の階段を駆け上がる足音の後 部屋に石川巡査部長を先頭に3人の制服警察官が息せき切って入ってきた。
「無事だったっすか・・」絶句している
「簡単な検診と事情聴取さ させてもらえねっか」と落ち着きを取り戻した碧に優しく問いかけ 碧も軽くうなずく。
碧はアヤカからマンションに誘われた直後 合流したナルミと研修名目で連れ出され ここに軟禁。コンビニ食やトイレには苦労しなかったが 携帯は没収され 外部と遮断された暗い空間に押しやられた。そして・・
アヤカ派に属しマネージャーの藤近や店長の野岡の指示に従えば収入や店内での扱いを特別にする そう呪文のように言われ続け 精神的に限界に近かったのだという しかも アヤカの兄が軽薄男 加茂島だったようだ・・・・・・
外は いつしか白み始めていた。
県警の特別車両で婦人警官から簡単な問診や血圧検査を終わらせた碧は顔色も良くなり笑顔も戻っている。空は夜明け前の明るさだが ユミに電話するには少し早い・・
車で送っていく一裕の横顔に碧が
「セリオンで海見て帰ろっ!」溢れんばかりの天真無垢な笑顔を向けている。
海の玄関に 立つランドマーク ガラス張りのタワー近くで車を降りた。
もうじき陽が昇る明るさになった。潮に乗るセリオンの風は優しく心地よく 自然 2人並んで歩いていた・・・
ふと 右手の指先に柔らかい温もりが伝わる 碧の白い指先だ・・・
「おとん手ケガしてる・・・」心配そうに覗き込み顔をあげる碧 そして
「てかァ顔 ヘンだしぃ・・・」と笑いをこらえている・・・
右手のケガは工場潜入時の時 顔は加茂島と格闘した時のものだ。
ちょうど淡いオレンジ色の朝陽がセリオンタワーと父子を照らし始めている。
隣で独り盛り上がっている最愛の気紛れ娘を眩しそうに見詰めながら
ずっと この倖せが続きますよう・・・そう 祈らずにはいられない。
眩しい朝陽は穏やかな日本海と その先の遥か 斜陽の彼方を照らしている・・
真相が解明されるには 切り込めない闇の部分が大きく容易ではないだろう
捜査機関に委ねて推移を見守る他ないのかもしれない ただ 最愛の娘を護ることは誰が何と言おうと続けよう そんな想いを強くした。
碧は実の父親から言葉による暴力を受け続けていた 一裕自身 碧から告げられた過去の出来事を どう答えるか苦慮していた時期もあったが
今は否定も肯定もしない・・・
「碧の父親は俺だけでイイやん」と的を射ていない返答をしている一裕だ。
娘に通じているのか定かではないが 不器用な生き方は変えられないから仕方ない・・・・
「よし吉牛のフルコースいくかぁ?」「言ってるコトとかァわかんないしィ〜」
「そだ 彼氏が心配してるぞ」「ヤバッまだ駐車場だっ」「そっちの彼氏かよぉ〜」
2人の底抜けな笑い声が朝の埠頭に いつまでも響き渡った。いつまでも・・・
( 登場する人物 団体 などは架空のもので 実在しない。 但し娘への想いは純然たる真実である )
|