深まる謎と男の決意
一駅戻って、コナンと哀は目的の駅に降り立った。
古い木造の駅舎。大型の木製ベンチには老人たち五人ほどが座って、世間話をしながらのんびりと列車を待っていた。壁面に張られた色とりどりのポスターは真新しいが、木製の改札口といい、丸い穴あきガラスのはまった出札口といい、昔の駅のたたずまいがそのまま残されているようであった。
「さてと…」
コナンはポケットから、がさがさと紙を取り出した。ネットであらかじめ調べてあったバスの時刻表。
「一本逃したから、あと四十分あるな」
哀が、駅前に昔の商店を改造した洒落た喫茶店があるのを見つけた。
「ねえ、あそこで一服していかない?」
「子供二人で大丈夫かな?」
「大丈夫でしょ」
そこへ、身なりのきちんとした五十歳くらいの男が話しかけてきた。
「坊ちゃん嬢ちゃん、どこへ行くんだい? パパかママは?」
さきほど同じ車両から降りた男だった。
「僕たち二人だよ」
「二人? どこへ行くんだい?」
ベンチに座っていた白髪の老人が身を乗り出した。
「どうしたんだね、田中さん」
「ああ、この子たちがね、どうも親がいないみたいなんだ」
待合室に居た皆の視線がさっとコナンと哀に集まる。
「あ、ええと…バスの時刻もちゃんと調べてあるから」
コナンは紙を差し出した。
「日向支所行き…どこのバス停で降りるの?」
田中氏はまったくの善意から尋ねてくる。哀は素知らぬふりをしてコナンに対応を任せていた。
「日向小学校前」
「…あの近所に親戚でも住んでいるのかい?」
「いえ、森田高光さんの家に」
うっかり個人名を出してしまい、しまったと顔に出すコナン。
「ん? 森田さんの家だとバス停から結構歩くな」
田中氏は森田家の人々を知っている様子だった。
「よし、じゃあ私が車で送ってあげよう」
「あ、いえ、僕たちバスで行きますから」
「なに、ちょうど通り道だから、遠慮はいらないよ」
「そうそう、田中さんに送ってもらうといい」優しげに言う老人。
顔を見合わせるコナンと哀。
「待ってな、今車を回してくるから」
田中氏はにこにこしながら駅舎を出ていった。
子供扱いされてやや気分斜めのコナン。
「一服がふいになっちまったな」
「帰りに寄ればいいじゃない」
哀は微笑んでいた。
「でも、いいの? 知らない人の車に乗るなんて。今日も先生、言ってたじゃない。知らないおじさんの車には絶対に乗っちゃだめって。もろにそのパターンなんだけど」
「まあ、誘拐犯が男とは限らないから、その注意はまったくの不十分だが…今の人が誘拐犯に見えるか? それに、こんなに地元の人たちの視線がある中で誘拐なんかしないよ」
「それはそのとおり、として、森田家訪問の目的を質問されたらどう答えるつもり? 必ず質問されるわよ」
「正直に答えるさ。さっきの様子だと田中さんと森田さんは知り合いだ。だとしたら、変にはぐらかすと、後々問題になる可能性がある」
「つまり、私たちの帰った後で森田さんと田中さんが会ったら、私たちの事は必ず話題になる。そこで話が食い違っていることがわかると、森田さんが不審がって、再度話を聞く必要が出てきたときに問題になる…ってとこかしら」
「そういうこと。それに、田中さんにも森田家のことを聞けるだろ」
そこでようやく、周囲の大人たちの怪訝な視線に気がつく二人。
「待たせたね」いいタイミングで戻ってきた田中氏。
二人は視線を逃れるように駅舎を出た。そこに停まっていたのは国産の最高級乗用車。見るからに車体の丸みが少ない一昔前の旧型。しかし、手入れが行き届いるのか、ぴかぴかだった。
コナンは一瞬ひるんだが、すぐに子供の表情を作った。
「わあ、すごい車だ」
「ははは…わかるかい?」
「これ、とっても高い車でしょ。お父さんの友達が同じ車に乗ってるんだ」
「ほう、そうか」
「あの、おじさまのお仕事は何ですか?」
目いっぱい可愛く尋ねる哀。思わず身を引くコナン。
「ああ、酒屋をやってるんだ」
「酒屋ってお酒作ってるんですか?」
「ほう、酒屋って聞いてよくわかったね」
「だってこの車、社長さんが乗る車だもん」
「ははは…なるほど。うんそうだよ。でもなあ、本当はこんな堅い車好きじゃないんだけどね、嬢ちゃんの言うとおり、社長ってのは世間体ってものがあるからなあ…と、こんなこと言ってもわからないかな、ははは」
「あの、何て言うお酒作っているんですか?」
「七冠王って知ってるかな、いわゆる地酒なんだけどね…まあ知らないよなあ、ははは…」
にっこり、可愛げに微笑む哀。ますますあきれるコナン。
(こわい女…)
気のいい蔵元のおかげで、コナンと哀は無事に森田邸に到着した。
土塀に囲まれた、大きな二階建ての家。そして広い庭。
「私って恵まれてるのよね」
唐突に哀はそう言った。
「え? 何の話だ?」意味を理解できないコナン。
「博士の家よ。庭も広いし家も大きいし…よく考えたら、博士の家って都心ではものすごく恵まれているのよね」
哀の表情は暗くない。コナンはその表情を見てほっとした。
庭で森田夫人らしき人物が物干しに布団を取り込んでいるところであった。義理の母親が亡くなったというわりには、平静な感じだ。毒物による中毒死ということもあり、司法解剖その他でまだ遺体が戻っていないことはわかっているが、家族としても、ある程度心の準備はできていた、ということだろうか。
「こんにちわ」
「はい?」顔をこちらに向けた婦人は、二人を見て笑顔を見せた。毛利小五郎の電話が効いている、ということだろう。ただし『私が電話したことは内密に』と言ってある。
「僕は江戸川コナン。毛利探偵の助手です」
子供の姿とは便利なもので、簡単な挨拶だけでちゃっかり客間に上がってしまった。
「コナンくんのこと、うちの人から聞いてるわよ。満洲のことをさんざん聞き出されたって」
「毛利探偵の友達に満洲から引き上げて来た大学の先生がいて、そのおじさんからいっぱい話を聞いてるんだ」
「でもねえ、コナンくんにとって、満洲なんてもう、別世界の話でしょう?」
「僕、そのおじさんみたいに、将来、歴史の先生になりたいんだ」
「そう、えらいわね」
「それほどでも…」
照れ笑いをするコナン。一方、哀は静かに出されたお茶を飲んでいた。
(この人、お茶の基本を知ってるわね…さすが農家の主婦だわ)
「やあ、お待たせ」
携帯電話で呼び出された高光が戻ってきた。たとえ母親が亡くなろうとも、農作業を休むわけにはいかないのだ。
「こんにちわ」
「おやコナンくん、今日はガールフレンドもいっしょかい」
「灰原哀です。よろしく」
ガールフレンドと言われてもにこやかに可愛げに答えた。やれやれのコナン。
「森田高光です」
小学生にもきちんと挨拶する高光。親の躾というものが窺われるところだ。
「しかし、本当に二人だけでここまで来たのかい?」
「駅から、田中さんっていう酒屋の社長さんが、車で送ってくれたんだ」
コナンは、めいっぱい小学生の演技をした。
「そうか、田中さんに。あの人、いい人だろ」
「うん、とっても助かっちゃった」
本題に入るきっかけを探るコナン。しかし哀は、一気にそこに踏み込んだ。
「お葬式なのに、黒い幕はないんですか?」
哀もいかにも子供らしい表情で尋ねた。言葉遣いが子供らしからぬ、という点はあきらめであった。しかし、この単刀直入さが許されるのは、ある意味子供の特権かもしれない。コナンは、急ぎすぎだ、という視線を哀に送る。
「ん…ああ、葬式はまだだよ。まだ、警察が調べているからね」
田中氏も森田家の悲劇をまったく知らなかった。高光としても、母親の死をどのように周囲に知らせるか、まだ決めかねている、というところだろう。
やむなく、コナンも子供からギヤを一段シフトした。
「小五郎のおじさん…毛利探偵が教えてくれたんだけど、春江さん、ガンだったんじゃないかって」
「え? なぜそのことを?」
「毛利探偵の目は何でもお見通しだよ。ガン患者の顔には特有の雰囲気があって、見ればすぐにわかるんだって」
「なるほど。そうかもしれない。痩せ方が見るからに異常だからね」
「春江さん、自分の病気のことでひどく落ち込んだり、ものすごく悩んだりしてなかった?」
「…そう、母さん、ここ何日か思い詰めた様子だったな」
妻もうんとうなずいた。
「そうね、お義母さん、先々週の病院での検査の後、だいぶ落胆していらしたわね」
「お医者さん、春江さんにガンだって話してたの? 話さないこともあるって毛利探偵が言ってたけど」
高光は軽くうなずいた。
「告知のことだね。告知はしていなかった。ガンだとは話していなかったんだよ。でも、先生の態度や雰囲気でわかったんじゃないかな」
一呼吸おいて高光は続けた。コナンの意図に気がついたのだろう。
「実を言うと、私たちも、母は自殺したんじゃないかと思ってる。妃先生が母を殺す理由なんて、あるはずがないからね」
高光の言葉に、顔を見合わせるコナンと哀。
「遺書があったの?」
「いや、遺書はない。でもそれは、妃先生に疑いをかけるためだったんだと思う」
「どうしてそう思うの?」
「…母は言ってたんだ。『罪を償うのは約束だったのに、あの弁護士に丸め込まれて!』と。見たこともない怖い顔でね。だから、妃先生を怨んでいたのは間違いない」
妻も重い表情でうなずく。
(罪を償うのは約束、だった?)
コナンは子供を完全にかなぐり捨てた。
「約束ってそれ、誰と誰の約束?」
高光にはコナンの疑問が理解できないようだった。
「え? …もちろん父と母だよ。あの事件は…まず泥棒が侵入してきて物音がした。それで父は包丁を持って様子を見にいった。たぶん廊下で鉢合わせになって、逃げる泥棒を父が追いかけて刺したんだよ。泥棒が父を刺そうとしたんじゃない…たぶん、そういうことなんだ」
「宗太郎さんから直接聞いたの?」
「いや、必死だったから良く覚えていないとしか言わなかった。でも、父はうろたえると我を失ってあたりかまわず暴れるような人だから…」
コナンは確信した。事件解決の糸口を。
哀は、ちらっとコナンを見てから口を開いた。
「春江さんが言っていたという約束、それは、間違いなく春江さんと宗太郎さんの間で交わされたものなんですか?」
「え? いや、誰と誰って言っても、父と母しか考えられないだろ?」
哀も、子供の顔をあきらめた。
「大事なことなの。春江さんは、宗太郎さんとの間の約束だとは言ってないのね」
「あ、ああ、そうだよ」
コナンは一呼吸置いて、質問を続けた。
「高光さん、宗太郎さんが暴れたっていうのは…毛利探偵の推理だと『といつめられて、こたえにきゅうしたり』とか、『せまいばしょにおいつめられたり』とか、そういうときじゃないかって」
「…そういえば、高校生のとき、父と些細なことで口論になったことがあって、父を廊下の突き当たりに追いつめる格好になったことがある。そしたら父は、みるみる青ざめて、まるで別人のように、物を投げるわ、わけのわからない大声を出すわ、大暴れでもう大変だったな」
顔を見合わせ、小さくうなずきあうコナンと哀。
「宗太郎さん、昔、何かの事件に巻き込まれたりしてない?」
「いや、特に…でも、私もかすかに憶えているけど、満洲から引き上げるとき、船に乗るまで狭い収容所にいたし、銃を持ったソ連兵に追われたことがあると言っていたから、そのときの記憶が蘇るんじゃないかな、と思ってね」
光彦と歩美は、がらんとした駅前広場に立ちつくしていた。駅前といっても、ビルはもちろん商店の一軒さえ見あたらず、民家が数軒あるばかり。あとは広がる田んぼと雑木林。電車からの降車客が数人、それぞれに立ち去ってしまえば、残るは二人きり。無人駅なので駅員の姿もない。
「灰原さんの格好目立つもん、きっと誰か覚えてるよ」
そう言って歩美は一軒の民家を指さした。
しかし光彦は、ゆっくり首を横に振った。
「いえ、無駄でしょう」
「どうして?」
「この駅は目的地じゃないんです」
「違うの?」
「ええ。僕たちの尾行を知って、わざと乗り過ごしたんですよ。そしてほら、この駅を発車したすぐ後に上り電車とすれちがったでしょ? あの電車で折り返したんです。時刻表を見れば上下がすれ違う場所はわかりますから」
「じゃ、私たちも、ええと、上り電車で…」
光彦が手を大きく開いて制した。
「だめです。このあたり、三十分に一本しか電車がありません。目的地がどの駅かわからないことにはどうしようも…それに、駅からさらにバスに乗ったとすればそれこそ…」
「そっか…」
歩美も事態が絶望的なことに納得したようだった。
「だけどあの二人、僕たちをああまでして遠ざけるなんて、今までになかったことですね」
「うん…」
さびしそうにうつむく歩美。
「コナンくんは、よほどの理由がなければ僕たちを遠ざけたりしません。つまり、よほどの理由があるんでしょうね」
「じゃあ灰原さんは? 灰原さんはどうして遠ざけないの?」
歩美の顔を見た。歩美は泣き出すのをこらえているようだ。
光彦は、ある重大な決心をした。
「あ、歩美ちゃん…その、僕がいるじゃありませんか」
「え?」
歩美は意味がわからない。頭に血が上る光彦。
「その、あの、だから…」
「なあに? 光彦くん」
歩美の質問はいつもと同じように無邪気だ。
「僕は、僕は、コナンくんの代わりと言えるほどの男ではあり、あり、ありませんが…」
「コナンくんの代わり? どうしたの? 顔、真っ赤だよ」
「とととにかく、今日のところは帰りましょう。ぼ僕が、歩美ちゃんを絶対に守りますから」
「…うん…でもどうしたの? 大丈夫? 光彦くん」
「べべ別に、何でもありません!」
コナンと哀は仏間に案内された。
「あれが父だよ」
高光が見上げる視線の先、欄間に飾られた宗太郎の写真。哀は背伸びしてその写真を見た。そして高光の顔を見る。
コナンに視線を向けると、コナンもまた哀のほうを見ていた。
そう、二人は同じことに気が付いたのだ。
(親子にしては似ている点がない。なさすぎる)
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