毛利家の事情
毛利探偵事務所、ソファに向き合って座る蘭と白鳥。
二人の他には誰もいない。小五郎は外で食事をしてくるということで不在。コナンも今朝、学校の帰りに博士の家に直行すると言っていた。
「工藤くんからの電話は、どのくらいの頻度でかかってくるんですか」
白鳥は尋問調にならないよう意識して質問している。
「月に一・二回…だと思います」淡々と答える蘭。
「なるほど…」
姿勢を正す白鳥。
「その時彼は、自分の居場所とか、今何をしているか、などを詳しくは言わないんですね?」
「はい」
「蘭さんがいくら尋ねても、適当にはぐらかされると」
「いえ、私からは特に…」
「ほう」
白鳥は一寸考えるようにあごの下に手をやって、それから蘭を見た。
「なぜ尋ねないんです?」
「え?」
蘭は『来た』と思った。
「それは…聞いても教えてくれそうにないし…」
「尋ねたが拒否されたことがある、ということですね?」
「そうです」
「なるほど。その時、何か理由は言っていませんでしたか? 居場所や、やっていることを教えられない理由を」
「公にはできない重大事件に関係しているからだ、と言ってました」
「そう言われたのはいつのことですか? だいたいでかまいません」
「五月…トロピカルランドで別れてからすぐのことだったと…」
「蘭さんは工藤くんに会いたくないんですか?」
はっとして顔を上げる蘭。
穏やかな表情の白鳥。
「…あの、どういう意味でしょう?」
「一回や二回居場所を教えてもらえなかったとしても、本当に会いたいのなら繰り返し尋ねるものじゃないか、と思ってね。たとえ回答が得られないとわかっていても」
「…新一が…新一が私に何も言えない理由、私の前から…いえ、私たちの前から姿を隠さなきゃない理由、それは、私には想像もつかないほど深刻かもしれないって…そう思うから…」
「その深刻な理由、蘭さんは何だと思いますか?」
「え…」言葉に詰まる蘭。
「どうしました?」
「その…犯人に、命を狙われているんじゃないかって…」
「命を狙われているのなら、助けを求めると思いますけどね」
「私を、いえ、まわりのみんなを巻き添えにしたくない…そういうことを考えちゃうんです、新一は」
「だったら、なおのこと、警察に助けを求めるべきだ。違いますか?」
蘭は、じっと白鳥を見た。
「…あの、それ、どういう意味ですか?」
「どういう意味、とは?」
「そんな質問、なぜ私にするんですか?」
「そうだね…」
白鳥の顔から微笑みが消えた。
「蘭さんが工藤くんの行方についてどのくらい知っているか、それを知りたくてね」
「…つまり、警察も新一の行方を追っている、ということですか?」
「いや、組織としての警察は、工藤くんの行方について何も関知していないことになっている。ご両親からも学校からも、どこからも捜索願いは提出されていないのでね。これはあくまで私の個人的な調査なんです」
はっとする蘭。
「そうよ、学校よ。学校は、どうして新一について行動を起こさないんですか」
「蘭さんはなぜだと思います?」
「いえ…今言われて気がついただけで…でも、おかしいですよ。生徒が一人行方不明になってるのに、どうして!」
「まあ、帝丹高校には帝丹高校の事情があるんでしょうね」
杯戸シティホテルの展望レストラン、小五郎と英理が向き合って座っていた。
グラスを上げる英理。
「合格おめでとう」
小五郎もグラスを上げて返礼した。
「ああ…と言っても、お前には負けるがな」
「で、今後挑戦するつもり? 司法試験」
「この年だし、今更という気もするがな…」
「でも、満足してるわけじゃないんでしょ」
ぐいっとグラスのワインを飲み干す小五郎。
「そいつは落ち着いてから考えるさ」
「天下の名探偵が店じまいね」
「ふ…」
空になった小五郎のグラスにワインを注ぐ英理。
「ああ、ありがとう」
「ところで、どうするの? コナンくんのこと」
「そりゃあ…俺が名探偵と言われてるのもあいつのおかげだ。それに、蘭は気がついている。あいつの正体に」
「そうでしょうね。だとしたら蘭は、なおのことあの子と別れたくないんじゃないかしら」
「俺としては、あいつが成人するまでこのまま預かっても…というつもりだったんだが…」
「私だって、あの子ならむしろ大歓迎なくらいよ」
「一応、一緒に来るか、とは言ってみるが、たぶん来ないだろう」
「あなた、本当は来てほしくないわけ?」
「俺だって、蘭のことがなけりゃ喜んで歓迎するさ。これは本当だ。だがな、蘭のことを考えると、もうここらが潮時だと思う」
「そうね。かわいそうだけれど」
「かわいそう? どっちが?」
「二人ともよ」
「二人とも、か」
「ええ、二人とも…」
白鳥をキッと睨む蘭。
「白鳥さんも知ってるんですね」
「何の事です?」
「コナンくんの正体」
「コナンくんの正体…」
とりあえず、とぼけて見せる白鳥。
「コナンくん…コナンくんは新一なの。信じられないかもしれないけど、そうなの」
白鳥は驚く様子も見せなかった。
「ふむ…僕もそう思っていますよ」
あっさり肯定されたものだから、逆に蘭のほうが驚いた。
「そう。工藤新一は失踪したんじゃない。まさに我々の目の前にいたんですよ」
「理由をご存じなんですか?」
気が急く蘭に対して、白鳥は軽く息を整えた。
「我々の推測が当たっていると仮定しましょう。そうなるとコナンくんは、突然この世に現れた六・七歳児ということになる。しかしその子は今、公立の小学校に通っている。おかしいとは思いませんか?」
「え?」
「別に私立校でも同じことですが、住民票が無い子供を学校が受け入れるはずはありません」
「コナン君の住所はちゃんとここで届けてあるはずですけど」
「戸籍のない人間に、住民票があると思いますか?」
「戸籍?」
「そう。産まれた時に、親が届け出てはじめてつくられるもの」
蘭は立ち上がって、小五郎の机の引き出しを開けようとした。しかし鍵がかかっていて開かない。
「ここにコナンくん関係の書類を入れてるはずなんだけど…」
「ああ、いいですよ蘭さん。おそらくそこには住民票の実物はないか、あっても戸籍欄省略のものでしょうから」
手を組み替える白鳥。
「住民票の内容というのは誰でも閲覧できてね、コナンくんの住民票は確かにこの場所にある。そこまではわかっている。しかし、本籍地までは閲覧の対象になっていない。ましてその戸籍を親族ではない他人が見ることはできないんですよ」
「でも家族の私なら…」
白鳥は軽く笑った。
「蘭さん、いくら一緒に住んでいるからと言っても、法律上はコナンくんの親族ではない。だから、蘭さんがコナンくんの載っている戸籍謄本を請求することはできないんですよ」
「お父さんは? お父さんはコナン君の保護者なんだから」
「蘭さん、あなたはお父さんのこと、少し軽く見ていませんか?」
「え?」
「すべての事情を知ったうえで、コナン君を預かっているんですよ、毛利さんはね」
「うそ」
蘭は、真剣に嘘だと思った。
「ひゃくしょん!」妙な咳をする小五郎。
「どうしたの?」
「あ、いや、鼻がむずむずして…風邪かな」
「ふふ…でもね、私、あなたを見直したわ」
「ん? 何で?」
「一体いつの間に勉強したのかなって」
「ふん、俺は頭いいんだぞ」
「はいはい、それは誰よりもこの私が一番良く知っています」
「ま、これを機に、表だった韜晦はスッパリやめるさ」
「今まで韜晦してたの? 本当?」
「ああ。俺が全てを知っているということ…残酷だろ、あいつにとっては」
「そうね、残酷だわ…蘭にとっても」
「そういうこった。だから俺は、何も事情を知らない間抜けな探偵でなきゃならなかったんだ」
表情に鋭いものが走る英理。
「蘭にも本当の事を言うつもり?」
「コナンのことか?」
「まさか」
「ふむ…まだその時期じゃないだろ」
「そうね」
「これは俺とお前の背負った十字架…一生負い続けなければならない、な」
小五郎は、グラスに残ったワインを飲み干した。
「いや、参考になりました」
白鳥は、立ち上がって手帳を閉じた。
「あの…」まだ話足りない蘭。
白鳥は微笑んでいた。
「焦ってはいけないよ、蘭さん」
「え?」
片手を上げて、白鳥は事務所を後にした。
すでに日はとっぷりと暮れている。蘭は釈然としないまま台所に向かおうとした。時計の針は七時をまわっていた。コナンの帰りが遅い。
「白鳥は何しに来てたんだ?」
はっとして振り返ると、いつの間にか小五郎がそこにいた。
「お父さん!」
「この間の事件のことか?」
「え? ええ…」
「ふうん…」
小五郎はゆっくりデスクに座った。
「今日は大事なお客と外食じゃなかったの?」
「ああ、済ませてきたよ」
夕刊を広げる小五郎。
「蘭…」
「何?」
「司法書士の資格を取った」
「司法書士?」
「ああ」
「お父さんが?」
「そうだ」
「そ、そう」
「探偵業は店じまいだ」
「えっ?」
「英理の事務所の手伝いをするんだよ。あいつの事務所は人手がいくらあっても足らないからな」
「それ本当!」
「ああ」
「じゃあ、じゃあ、お母さんと仲直りするの?」
「ま、そういうことだ」
「ほんとにほんと?」
「ああ」
「よかった!」
一転、大喜びの蘭。しかし、小五郎の顔は明るくない。
「でな、お前には黙っていたんだが、杯戸町に中古住宅を買った」
「それってもしかして…一緒に住むってこと?」
「当然だろう。一家三人でな」
「やったぁ!」
狂喜する蘭をまったく無視するかのように、夕刊をめくる小五郎。
「…コナンはどうするのかな」
その瞬間、蘭は凍りついた。
「ま、まさかお父さん、コナンくんを追い出すって言うんじゃ」
「あいつにも気兼ねってもんがあるだろう」
「ちょっと、その言い方は何!」
「確かなのは、あいつは毛利家の人間ではない、ということ」
「何が毛利家よ。大名の末裔って言ったって分家の分家の分家のそのまた分家の…」
「蘭!」
いきなり飛んできた鋭い声に、蘭はぎくっとした。
「ここは、あいつにとって仮の住まい。遅かれ早かれあいつは親御さんのもとに…」
「うそよ!」
小五郎の言葉を遮った蘭。
「お父さん、知ってるんでしょ。コナンくんに、江戸川コナンに親なんかいないってことを」
「どういう意味だ?」
「白鳥さんが言ってた。お父さんは、何もかも知った上でコナンくんを預かっているんだって」
「白鳥が? …よけいなことを」
「お父さん、ほんとは知ってるんでしょ? コナンくんが、新一だってこと」
小五郎はくるりと椅子を回して蘭に背を向けた。
「それも白鳥から聞いたのか?」
「聞かなくたって知ってたわよ」
「ほう」
小五郎はそのまま黙って窓の外を見ていた。
二十秒ほどの沈黙。
「…答えて、お父さん」
「何を?」
「何をって、コナンくんのことよ」
ふん、と小五郎は笑った。
「お前は、自分の言ったことに自信がないのか?」
「変な事言ってごまかさないで!」
「白鳥から何を聞いたか知らんが、俺が知っているのは…」
くるりと振り返る小五郎。
蘭はぎょっとした。そこに、いまだかつて見たことのない父の顔があった。
「…コナンが阿笠博士の親戚の子、という事だけだ」
蘭は背中に冷たい汗を感じたまま、ただただ黙って見ていた。カミソリのように切れる父の目を。
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