たとえ他の全てが偽りでも
給食後の昼休み、少年探偵団の五人は校舎屋上にいた。
「みんなと別れるのは辛いが、俺はアメリカへ行くことにした」
元太がそう宣言した。
「決心したんですね」
光彦は深くうなずいた。
ここまでの急展開は予想外だったコナン。
「元太、今日この場でそんなことを言うってことは、まさか、すぐにでも行くってことか?」
ぎょっとする歩美。
「横浜港三月三一日午前十時三十分、さんらいず丸だ」
これにはさすがに驚くコナン、哀、光彦の三人。
「ちょっと、それってまさか、船で行くってこと?」
目が丸くなっている哀。
「そうだ」
「しかし、また何で船なんだ?」
コナンも思わず声が上ずる。
「向こうの新学期は九月なんだ。だからそれに間に合えばいいってな」
「そりゃそうかもしれねえけど」
「だけど、もう半年もありませんよ」
光彦の言葉にさらにぎくっとする歩美。
「俺もみんなと別れるのは辛いぜ。けどな、プロになってスーパーボウルに出るんだ。人生の目標ってやつができたんだ」
元太は胸を張った。
歩美はもう泣き出しそうだった。
「元太くん、ほんとに行っちゃうの? アメリカに」
「ああ」
「そんな…」
歩美は言葉が続かなかった。しかし、光彦は驚いてもいなければ、悲しんでもいなかった。
「歩美ちゃん、元太くんは、人生の目標に向かって旅立つんです。だから、めでたいことじゃないですか」
コナンも驚きから現実への対処に頭を切り換えた。
「そうだな…それに、まだ今日明日ってわけじゃないんだし、今からそんな顔してたら、元太だって辛いぞ」
歩美ははっとした。そして泣きそうなところを我慢した。
「ところで小嶋くん、どうしてアメフトの選手を目指すことにしたの?」
哀には確認しなければならないことがあった。
「お、おう…それはだな、かっこいいからだよ」
「かっこいいって?」
「でかい男がさ、思いっ切りぶつかり合って、一個のボールを前に持っていく…すげえ迫力なんだぜ」
「でも、それならラグビーのほうが迫力あると思うけど? アメフトみたいにプレーが切れないし」
「お、おい灰原?」
哀の意図を掴みかねるコナン。
しかし、元太は悠然と言った。
「直感だ。それも強烈な直感だ」
「直感?」
「ああ。これが俺のやるべきことだってな」
「それだけ?」
真剣に問う哀。
「おじさん言ってたぞ。人間の大きさは直感を信じられるかどうかだってな。俺もそう思う」
「そう…でも、お父さんお母さん、よく許してくれたわね」
「おお、それは博士だよ。博士が…ええと…何とか金ってやつをくれたんだ。だからお金の心配はないし、博士が認めるなら間違いないって父ちゃんも言ってた」
「何とか金って、それ、もしかして奨学金のこと?」
「おお、それだ、それ」
「ふうん」
哀はかなり真剣に何事か考え込んでいた。コナンも途中から険しい表情に変わっていた。
*****
今日も引き続き阿笠邸に泊まることになったコナン。哀と二人で帰ってくると、博士は居間のパソコンに向かって何やらデータベースにアクセスしていた。
「おお、おかえり」
コナンと哀はランドセルを椅子の上に置くと、お互いに見合った。そして、うんとうなずいた。
「博士、話がある」
コナンが口火を切った。
「ん? 何じゃ?」
博士が振り向くと、二人とも恐ろしく真剣な表情だった。
「どうしたんじゃ? 二人とも。そんな顔して」
「元太がアメリカに行くことになった」
「ああ、知っとるぞ。トミーから聞いた」
「トミー?」
「元太のおじさんじゃよ」
「知り合いだったのか」
「まあな」
「どういう知り合い?」
哀も完全に大人モードだ。
「ど、どういうって…」
「博士、世話になっててこういう質問するのは失礼かもしれねえけど、博士はいったい何者なんだ?」
眼光鋭く迫るコナン。
「何者って、わしゃあ一介の発明家じゃよ」
「俺たちの戸籍はどうした?」
「戸籍?」
「ああ、そうさ。江戸川コナンと灰原哀の戸籍だ。そんなもの、どうやって作ったんだよ」
ふむ、と博士は微笑んだ。
「まあ、お前たちが気が付かんはずもないか」
「それともう一つ。小嶋くんだけじゃない。円谷くんも吉田さんも、彼らの両親とどういう関係なの?」
哀の言葉に、博士は感心したようにうなずいた。
「ほう、そこまで気がついとったか」
「当然だぜ。だいたい、ツインタワービル事件の後にしたってそうだ。あんな危険な目に会えば、普通の親なら、もう阿笠博士の家に行っちゃいけません、って言うぜ。それ以前からでもずっと思ってたんだ。三人の両親はあまりにも寛容にすぎるってな」
博士は穏やかに微笑んでいた。
「ここはひとつ、わしを信じてはくれんか」
予期せぬ言葉に、二人は絶句した。
「確かに、お前たちの言うとおり、わしはお前たち二人だけじゃあない、元太くん、光彦くん、歩美くんの三人にもある関わりを持っておる。じゃがその関わりの中身について、今は何も言えん」
「俺たちが薬でこんな体になったのは偶然のできごと…もしかして、それすらも違うんじゃねえか?」
予想だにしなかったコナンの言葉に、哀はぎょっとした。
「偶然でないとしたら、どうなんじゃ?」
哀の驚きと不安をよそに、コナンは思わぬことを言った。
「光彦」
「ん?」
「あいつ、明らかに小学一年生の頭脳じゃない。俺たちのように年上の経験があるようには見えないけど、それだからこそ余計に、あいつの分析力、知識の豊富さは尋常じゃねえ」
「ふむ、確かにのう」
博士はあごに手をやってしばし考えた。そして、二人に優しげな視線を向けた。
「今は言えないことじゃが、いつか話すこともあるじゃろう。理由もその時にわかる。その時まで、このわしを信じていてはくれんか」
コナンと哀はお互い見合った。そしてコナンが口を開いた。
「俺たちも、博士が俺たちを犯罪に巻き込むような悪人じゃないってことはわかってる。俺と、特に灰原、二人の防波堤になってくれているってこともな。今ここで、博士から全ての秘密が聞けるとは思ってない。でも、これだけは知りたい。俺たち五人は、何か、実験の駒なのか?」
「駒だなんてとんでもない。わしはお前たちの輝かしい未来への手伝いをしておるだけじゃ。わしには子供がおらん。じゃからわしは、お前たちに、わしの想いというものを伝えたい、伝えていってほしい、そう思っておるだけじゃよ」
「博士の想い?」
「そうじゃ。次の世代により素晴らしい未来を、とな。人間は一人一人がリレーの選手なんじゃよ。歴史というバトンを前の世代から渡される。渡されたバトンは少しでもより良いものにして、次の世代に渡さなければならない…その連続なんじゃ。わしは、わしが受け継いだこのバトンをお前たちに手渡したい、そう思っておるんじゃよ」
コナンが泊まっている二階の部屋、といってもベッドと机しかない部屋。
食事の後、コナンと哀はベッドに並んで座っていた。机の上にはポット。
コナンはポットからカップにコーヒーを注いだ。
「もう一杯どうだ?」
「もらうわ」
コナンは哀のカップにもコーヒーを注いだ。
「ふふ…あなたって、本当にコーヒーが好きなのね」
「おっちゃんの家にいたときはなかなか飲めなかったから、だから、今は幸せだよ。ささやかだけど」
二人でコーヒーを飲む。
カップを口から離したコナンは、哀を横目に見た。
「博士のこと、どう思う?」
「そうね…その前に、一つあなたに質問」
「ん?」
「私たち二人が小さくなったのも偶然ではない…そんなことがあり得るのかしら」
「俺がトロピカルランドでジンに薬を飲まされた…あれは本当に偶然だったかもしれない。だがお前は…薬を飲んだ、そこまではお前の意思だったとしても、その先は、俺が知っている範囲で考えても偶然ではないと思う」
「どういうこと?」
「お前がいた研究所、茨城県つくば市にあったんだよな」
「ええ。でも、市の中心部からは離れた、四方を田畑や山林に囲まれた田舎だったけど」
「お前はその研究所内で薬を飲み、拘束を逃れた。その後、直線距離で60キロ以上離れたここまでやってきた。そのときの経緯を覚えているか?」
哀は少し考えてから、
「よく覚えてないわ…」
ぽつっと言った。
「不思議だとは思わないか?」
「え?」
「そもそも、どうやって研究所を抜け出したんだ? 警備はかなり厳重だったんだろ? 仮に、研究所の敷地からはうまく逃れられたとしても、お前は大人の服を身にまとっていたはずだ。だぼだぼの格好で小さな女の子がよたよた歩いてたら、通りがかった大人が声かけてくるんじゃないか? あの田中さんみたいに」
はっとする哀。顔はみるみる青ざめていく。
「研究所から、一番近い駅までだって十キロはある。その間どうやって移動したんだ? バスにでも乗ったのか?」
全身震える哀。
「実を言うとな、俺自身にも不審な点はあるんだ。お前が転校してきた日、俺はお前に、研究所が炎上したという新聞記事を見せられてる。当然、研究所の場所も目に入った。今から考えれば不思議でしかたない。俺はなぜ、60キロもの移動に疑問を抱かなかったのか」
「ありえない…覚えてないなんて、そんなこと、ありえない!」
言葉も震えていた。
「お前、俺の家を二度訪れたって言ってたよな。その時は当然、研究所の車、だろ?」
小さくうなずく。
「つまり、同じように車で運ばれたのさ。その日も」
ぎくっと体が動いた。
「小さくなったお前が工藤新一の家に向かう、そして阿笠博士に助けられる…全てはシナリオに書かれていたことだったんだ」
認めたくない事実に、哀は震える顔をかすかに横に振った。
「それじゃ、私たちの出会いは…」
「ああ、最初から全て仕組まれたことだったんだ」
コナンは落ち着いていた。微笑も忘れなかった。
「心配するな。偶然であろうとなかろうと、俺はお前に出会えてよかったと思ってる」
視線も定まらない哀。
「工藤くん、私…私、怖いわ」
「怖い?」
「もしかしたら記憶、そればかりか思考まで誰かに操作されているんじゃないかって、そう思うと…私…私はいったい…」
コナンは震える哀の両肩を持った。
「え?」
そしてそのまま自分の体に引き寄せた。
「あ、ちょちょっと」
「静かに」
コナンは哀の背中に手を回し抱きしめた。そして、耳元でささやくように言った。
「考え出したらきりがないさ…けどな、俺がお前に出会えて良かったと思っていること、お前を好きだ、愛してるってこと、こいつだけは絶対に誰かの仕業じゃない、俺の本当の気持ちだ」
コナンの腕にぎゅっと力が入る。
哀は目をつむった。
「ありがとう、工藤くん」
「…それだけか?」
堰を切ったように、その言葉は出た。
「愛してる。あなたを」
心臓はどきどきしていたが、心はすうっと落ち着いてきた。
「その気持ちも他人の仕業だと思うか?」
哀は首を小さく横に振った。
「私の気持ちよ。これだけは絶対」
瞬間、心と体を一条の閃光が貫いた。
そうだ。だから、たとえ他の全てが偽りでも私は生きていけるのだ、と。
コナンは体を離した。
哀もゆっくり目を開ける。目の前に、コナンのやさしい顔があった。
「俺たちってミステリアスだな」
哀の心から、恐怖は嘘のように消え去っていた。
「それもいいんじゃない? 自分の人生が平穏なものだって予感、ないんでしょ?」
「ああ、全然」
ふふっと笑いの漏れる二人。
だが、すぐにコナンの表情は怪訝なものに変わった。
「怖いってのはどうしたんだ?」
「博士に全てを教えてもらうときまで、棚に上げとくわ」
哀は明るく微笑んでいた。
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