あんたの負けかもしれない
「博士、悪いけど、今夜も泊めてくれないか」
学校から阿笠邸に直行したコナンは、居間でくつろいでいた博士にそう言った。
「ん? わしは全然かまわんが、毛利くんはまだ家に戻れんのか?」
「ああ、おっちゃんは何だか昨日からずっと警察の仕事に関わってるみたいだし、蘭は妃先生のところに泊まるそうだ」
「ほう…蘭くんに何かあったのかのう?」
「それが良くわからないんだけど、子供が詮索することじゃないって、おっちゃんが…」
「その言い方は何やら意味ありげじゃな」
「まあ、おっちゃんが詮索するなって言うんだから…」
「工藤くん、手伝って!」
台所から哀が呼んだ。
「お、おう」
コナンはランドセルを置くと、台所へ急いだ。
博士は、台所のほうをじっと見ていた。
夕食後、コナンは庭に出て、小五郎の携帯を使って英理の自宅に電話した。
『はい、もしもし』
「あ、妃先生、コナンです」
『あらコナンくん、どうしたの?』
英理の声は明るかった。コナンからの電話で焦っている様子もない。しかし相手は百戦錬磨の弁護士。額面通りに受け取ることはできない。
「その、蘭ねえちゃんに何かあったんですか?」
『え? ああ、大丈夫よ心配いらないわ。ちょっと学校でいやなことがあってね、それでね』
「いやな事?」
『大丈夫よ。二・三日したら帰るから』
「蘭ねえちゃんに代わってもらえませんか?」
『ごめんね、今電話に出られないの』
「え?」
『ごめんねコナンくん。今は詮索しないでちょうだい…でも大丈夫よ。体はどこも何ともないから』
こう言われては、コナンとしてもそれ以上追及することはできなかった。
「わかりました。それじゃ、おやすみなさい」
『ええ、おやすみなさい』
電話は切れた。
「蘭によろしく伝えてくれって、言ったほうが良かったな」
*****
九州沖縄地方は今日も大荒れの天候だと天気予報は伝えていた。こちら米花町の空も昨日に引き続きどんより曇っていた。
下校時刻、元太を除く四人はいつものように一緒に校門を出た。
「今日も元太くん来なかったね」
歩美が心配そうに言った。
「でも、沖縄の天気も回復しつつあるそうですし、今夜中には帰ってきますよ」
光彦は明るく言った。
コナンは授業中もずっと考えていた。英理のマンションを訪ねるべきだろうかと。哀は、コナンが考えている内容はわかっているものの、かける言葉が見つからない。
すると四人の目の前に、この近所では滅多に見かけない、一台の黒塗り高級乗用車がゆっくり停車した。
「まさか誘拐!」
光彦が口走った。
「まさか」
違うイントネーションでコナンがつぶやく。
と、後部座席から降り立ったのは、制服姿の鈴木園子であった。
「ちょうどよかった。コナンくん、ちょっとつきあってもらうわよ。さ、乗って」
「え、僕?」
「そうよ」
蘭のからみだということは明らかだった。
コナンが乗り込もうとすると、まるで当然のように歩美と光彦も続いた。
「ちょっと、コナンくんだけに用事があるの」
「ええ?」
歩美が不満の声をあげる。
「そういうことらしいから、二人とも、遠慮しなさい」
哀が声をかけると、光彦も歩美もしぶしぶ車から離れた。
「じゃあ灰原、後で電話するから」
コナンが車内から言うと、
「ええ、わかったわ」
哀は余裕の表情で答えた。園子はそんな哀をムッとした表情で見つめた。
そして園子が乗り込むと、車はあっと言う間に発車して去っていった。
「な、何だったんでしょうね」
光彦と歩美は唖然と見送った。周囲にいた他の生徒たちが不安げにひそひそ話している。哀はこれから起きるであろうことを予想して、ふう、とため息をついた。
「誘拐犯がいるって本当か?」
「おおい、大丈夫か!」
「誰か車に乗ってない?」
校庭にいた教師数人が走ってやってきた。誰かが知らせたのだろう。
「大丈夫です、先生。江戸川くんが、知り合いのお姉さんの車に乗っていっただけですから」
哀が可愛げに言う。
一年国語担当の女性教師が腰を落とした。
「灰原さん、それ間違いない?」
「はい。お姉さんの名前も知ってます。鈴木園子さんです」
うん、と光彦もうなずいた。
「そうです。僕たちの良く知ってる人ですから間違いありません。ねえ、歩美ちゃん」
「うん」
三人の様子を見て、教師たちはほっとした。
「それじゃ、本当に誘拐じゃないのね」
光彦はふふっと笑った。
「鈴木財閥の園子令嬢が、誘拐なんかしませんよ」
「鈴木財閥?」
教師たちは顔を見合わせた。
*****
後部座席に座るコナン。隣に座る園子の機嫌はあまりよろしくない。
「園子ねえちゃん、僕に用事って何?」
「蘭が学校休んでるわね。昨日も今日も」
「え、あ、そう」
コナンの反応に園子は驚いた。
「ちょっとあんた、知らないの?」
「たぶんそうだろうとは思ってたけど…僕、博士の家に泊まってたから。おじさんの指示で」
「で、おじさんから理由は聞いてないの?」
「子供の詮索することじゃないって言われたから…」
「それで詮索をやめたの? いつものあんたらしくないじゃない」
「何があったの、学校で?」
「学校? 違うわよ。あの子、新一くんにふられたのよ」
コナンはびっくりしたが、かろうじて外見の平静さを保った。
「それ、どういうこと?」
「日曜日の夜に電話があったの。新一が別の子を好きになった云々って。もう、泣きじゃくっててよく聞き取れなかったけど、とにかく、そういうことらしいわ」
「夜って何時頃?」
「八時すぎよ」
(八時? …ってことは俺と灰原がショッピングセンターで話した後だ…まさかあの場に蘭が…まさかそんな!)
しかしコナンはもう一つ、当面の疑問を解決しなければならなかった。
「だけど僕、新一兄ちゃんからは何も聞いてないよ」
そんなコナンの言葉など聞いていないかのように、園子はポケットからすっと写真を取り出した。
「眼鏡を取って」
「え?」
「いいから取りなさい」
園子は眼鏡を取り上げた。
「あ、ちょ、ちょっと」
写真とコナンの顔を見比べる。
「似てる…いいえ、同じ人よ」
無駄なことだが、ひととおりの演技はしなければならない。
「ちょっと、眼鏡返して」
素早く眼鏡を奪い返すコナン。大きく見開かれていた園子の目。すうっと細くなった。
「コナンくん、あなた、新一くんね」
「へ? 何言ってるの? 園子ねえちゃん」
「ごまかさないで。蘭だってとっくの昔に気がついてるのよ」
「や、やだなあ…蘭ねえちゃんは勘違いしてるんだよ」
そんな言葉は想定の内。
「いいわ。あんたがあくまで隠しとおす覚悟なら、それはそれでいいわよ。あんたにもいろいろ事情はあるだろうしね。でも、これだけは忘れないで。いい、蘭は、あんたのことひたすら信じて待っているのよ。だから…わかってるでしょ、新一くん!」
「待ってるだけじゃだめなんじゃない?」
コナンの声は低く重かった。
「ちょっと、それどういうことよ」
「自分の幸せは自分の手で掴み取るものなんだ。誰も与えてはくれないよ」
キッとコナンをにらむ園子。コナンの胸元を掴む。
「あんたねえ、それのどこが小学一年生のセリフなのよ!」
にっこり子供モードのコナン。
「…って左文字が言ってたよ」
コナンが見せたあまりの落差に、思わず手の力がゆるむ園子。
「…と、ところであんた、哀ちゃんが好きなの?」
「大好きだよ。友達だもん」
園子の手を逃れ、しっかり子供モードで答えるコナン。
「そうじゃなくて!」
コナンは、そうだ思い出した、という露骨な演技をしてみせた。
「ねえ、園子ねえちゃん、園子ねえちゃんを好きだって言ってた若王子さんって人、覚えてる?」
「わかおうじ?」
「テレビ局で声を掛けて来た人で、ほら、喫茶店で待ち合わせしてたじゃない」
「覚えてない。その人が何?」
「その人が今、園子ねえちゃんを好きだって言ったら、園子ねえちゃんはどうする?」
「どうするって…そりゃ顔を見て…」
「相手が好きだって言っても、園子ねえちゃんも好きになるわけじゃないでしょ」
「当然じゃない」
コナンの目が細くなった。
「新一兄ちゃんだって同じだと思うよ」
くわっと睨む園子。
「それどういうこと? あんたまさか、蘭はただのお友達だった、って言うんじゃないでしょうね」
「だ、だから、僕は新一兄ちゃんじゃないんだってば」
「じゃあ新一くんに伝えてくれる? あんたと新一くんは不思議な連絡手段があるみたいだから。いい、このとおりに伝えるのよ。今すぐ帰ってきなさい。蘭はあんたにふられたと思いこんで、自殺するかもしれないわよって。わかった?」
「無駄だと思うよ」
「何で!」
「言ったでしょ、自分の幸せは自分の手で掴み取るものなんだって。それに、蘭ねえちゃんはそんなことで自殺なんかしないよ」
「さてはあんた、確信犯ね」
「かくしんはんって何?」
とぼけるコナンを園子は無視した。
「灰原哀って子を好きになったから、蘭のことは捨てるって言うのね。さんざん待っててくれって言い続けてのは、どこの誰なのよ!」
コナンはうつむいた。
「園子ねえちゃん…」
それは低く悲しげな声だった。
「何よ」
「人が生きていくってことは、どこかで必ず他の誰かに悲しみをもたらしてる…受験だってそうでしょ。合格した人がいれば、不合格の人もいるんだ」
「だから何!」
「人を愛するってことも同じだよ。もし新一兄ちゃんが蘭ねえちゃんを選んだとしたら、今度は別の女の人が泣くことになるんだよ」
「それが、あの灰原って子なわけ?」
顔を上げるコナン。
「人を本当に愛するってことは、そういうことなんだ。子供のおままごととは違う」
「おままごとって…あんたまさか、自分と蘭の関係がおままごとだった、なんて言うんじゃないでしょうね」
「園子ねえちゃんの知ってる新一兄ちゃんは、昔の新一兄ちゃんだよ。今はもう違う新一兄ちゃんになってるんだよ、きっと」
「へえ、蘭も私も知らないようなことを、よく知ってるわね、小学一年生のあんたが」
コナンは園子から視線をはずした。
「蘭ねえちゃんだって気がついてるよ」
「どういうこと?」
「気がついてても、怖いから認めたくないだけなんだ」
「勝手なこと言わないで! そもそも待っててくれって言い続けてたのはあんたじゃない! あれは全部嘘だったの?」
コナンは園子に顔を向けた。悲しみを湛えた、厳しい顔だった。
「その罪は一生負わなければならない。それだけの覚悟が無ければ、人を愛する資格なんてない。それが人間なんだ」
園子ははっとした。コナンの言葉に驚いたのではない。コナンが見せた不動の覚悟に、心打たれた自分自身に驚いたのだった。
「…あんた、本気なのね」
「僕はいつも本気だよ」
コナンは子供モードに戻っている。
園子はしばしコナンの顔を見つめ、まいったというように頭を振った。
「そう、わかった」
自分に言い聞かせるように言い切った。
「悪かったわね、変なことに付き合わせて…で、どこに送ればいいの?」
園子があっさり撤退したことに、コナンはほっとした。園子の口から蘭に何が伝わるかはわからないが、蘭があの日の哀との会話を聞いてしまっている以上、もはや後戻りは許されない。
「それじゃ、とりあえず博士の家に」
コナンは完全に子供モードだった。
園子は神妙な面持ちで前の席に身を乗り出した。
「米花町二丁目へ行ってくれる? 22番地の阿笠邸よ」
「かしこまりました、お嬢様」
コナンは窓の外の、流れる景色を見ていた。口元にはかすかに微笑みすらたたえているかのように。
園子は、驚きと半ば羨望も混じったような奇妙な表情でコナンを見ていた。
(蘭、これはもう、あんたの負けかもしれないわよ)
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