それぞれの成長
英理は事務所の明かりを消し、通用口から出できた。
鍵をかけ、すぐ階上の自宅へ引き上げようと一歩踏み出したとき、とぼとぼとやってくる人影に気がついた。
「お母さん…」
蘭だった。声を聞くまで娘だと気がつかなかったのは、廊下が暗かったからだけではない。
「蘭、ちょっと、どうしたの?」
目のまわりは泣きはらして腫れあがっており、涙が流れたままぬぐってもいないひどい顔。全身からは悲痛なオーラが放散されていた。
「とにかく、あがりなさい」
手を引いて半ば無理矢理自宅に連れ込み、とにかく居間のソファに座らせた。その間、蘭は何も言わなかった。
英理はタオルを湯に浸してしぼり、蘭に差し出した。
「ひどい顔よ。とにかく顔を拭きなさい」
「…ありがとう」
口から抜け出たのは、まるっきり生気のない声。しかし、ぐしぐしと顔をぬぐう手の動きは生々しかった。
「それで、いったい何があったの?」
このような状態の人間を相手にする場合、こちらは徹底的に冷静でなければならない。そこは弁護士たる者の勝手知ったるところだった。
「私…私…」
続く言葉は口から消え出て、よく聞き取れない。
「安心しなさい、蘭。何があったのかは知らないけれど、私はあなたの味方だから」
とりあえずそうは言ってみたものの、この落ち込みようはただごとではない。
「…新一に…」
「新一くん?」
こくりと首を動かす。
「新一くんがどうかしたの?」
「ふられたの」
ぽつり、と言った。
「う…」
また涙があふれ出す。ゆるゆるとタオルで目を覆う。
「どうして、ふられたなんてわかるの? 彼にそう言われたの?」
その程度の事態だったことに、英理は心からほっとした。
「好きな子ができたって…」
ぐすぐす泣く蘭。
ため息が出そうなところを堪える英理。思い当たることは一つしかなく、その推測は当たっているだろう。
「蘭、あなた、コナンくんと哀ちゃんの会話でも聞いたんでしょ」
全身でぎくっとする蘭。
「ど、どうして…まさか、まさかお母さんも知ってたの? コナンくんの正体!」
「そうね。私はあの人から聞かされたんだけど」
「お父さん?」
「ええ」
「ひどい…ひどいわ。二人して私をだましてたなんて!」
「別にだましてたわけじゃないわよ。コナンくんがあなたに黙っているのに、私が横から教えるわけにはいかないでしょ」
「何で? 何でなの? お父さんもお母さんも知ってるのに、どうして新一は私に教えてくれないの?」
「うぬぼれるのもいいかげんにしなさい!」
突然の厳しい言葉に、蘭の顔は凍りついた。
「蘭、あなた、新一くんの何なの?」
「な、何って…幼なじみよ」
「それだけ?」
「そ、それだけって…」
「じゃあ単刀直入に尋ねるわ。あなた、新一くんを愛してる?」
「あ愛してるって…別に…そんな…」
「その程度のことしか言えないのなら、新一くんのことはすっぱりあきらめなさい」
「ひ、ひどい、ひどいわ、いきなり…」
「新一くんはね、ある犯罪組織に殺されたことになってるの。だから、生きていることが発覚したら、また命を狙われるのよ。それで彼は正体を隠しているの。周囲の人間に危害が及ばないようにね…だから、彼には今、幼なじみの女の子とおままごとしている余裕なんてないの」
「おままごと? ひどい! いくらお母さんでもひどすぎるわ、その言い方!」
「だってそうじゃない。愛してるって即答できないんですもの」
「そ、それは…」
ふうとため息が出てしまった。
「あなた子供のときから、新一くんに対して文句ばっかり付けてたわね。新一がホームズのことばっかり話すぅ、とか、新一がお洋服に気が付いてくれない、とか…いつもいつも、新一くんに不平不満ばっかり…」
「だって、本当のことだもん」
「新一くんが、どうしてあなたの趣味に合わせなければならないの?」
「え…」
「新一くんだって、自分と趣味が合う人とつきあいたいわよ。あなた自身がそうであるように」
蘭の脳裏に、コナンの言葉が響き渡った。
『お前に出会って、俺は生まれて初めて、同い年、しかも女の子、コントロールをまったくしなくてもいい話し相手を見つけたんだ。お前は、俺が何を話しても的確に答えてくれる、いや、期待した以上の返答が返ってくる…そしてお前の話は、俺の知らない、時には圧倒されるようなレベルの高い話だ。そんな話をしてくれるのは身近には親父か博士くらいしかいない…快感なんだ。話していてこんなに楽しい相手は他にはいない』
「そ、そんな…」
悲嘆がどこかに飛んでしまった蘭の表情を見て、英理は、大丈夫だ、と思った。
「どうやら、わかってきたようね」
英理は姿勢を正した。
「今日、コナンくんと哀ちゃんがここへ来たのよ」
「えっ?」
「私が巻き込まれた例の事件、自分達で調べたって言ってね」
「やっぱり首突っ込んでたのね」
「私は、亡くなった女性、その家族のことについて、知っている秘密をこのまま墓場まで持って行かなければならない。たとえ殺人の疑いをかけられようとも。その事に気を遣ってくれたのよ。無駄と知っていながら調べずにはいられなかったんでしょう…私が負った重荷を同じように背負ってまで…うれしかったわ、そんな二人の気持ちが」
英理の言葉の意味はわかっても、意図が読み取れなかった。
「あなたにも同じことをしてほしいなんて、夢にも思わないわよ。いい、これはコナンくんだからできること。そして哀ちゃんだから、そんな彼と同じ重荷を共有することができるの」
「わ、私だってコナンくんが一緒に調べてくれって言えば!」
「あなた、彼がそう言いたくなるような存在なの?」
「え…」
「言われることを待っているだけなら、誰でもできることなの。さっきも言ったように、あなたはうぬぼれているのよ。新一くんは、どうしてあなたを特別扱いしなければならないの?」
「だって…それは…」
「今までは、特別に扱ってくれていたかもしれない。子供のときからずっとそうだったわね。でも、コナンくんは、あなたの知っている新一くんから一歩も二歩も、いいえ、百歩も二百歩も、大きく成長しているのよ。そして、心を開いて素直に話せるパートナーとも出会った。蘭、あなたは子供のときから、新一くんから与えられることしか知らない。しかも、それにすら不平不満ばかり言ってるじゃない。子供の時から全然成長していないあなたを、新一くんが特別扱いする理由なんてどこにもないのよ、もうすでに」
「いったい、私にどうしろって言うの?」
立ち上がって叫ぶ蘭。
「自分で考えなさい」
「それがわからないから聞いてるんじゃない!」
「他人に教えられなければ何もできない…その時点ですでに、あなたに勝ち目はないわね。あの灰原哀ちゃんには」
哀には勝てない、その事実を言葉で突きつけられて、蘭はただ立ちつくすしかなかった。
「蘭、冷たいことを言っているようだけど、これは私があなたの親だから、あなたのためを思って言うのよ。いいこと、もしもあなたに勝ち目があると万全の自信を持って断言できるなら、哀ちゃんに真正面から宣戦布告なさい。私はあなた達の正体を知っているってね。逆に、髪の毛一本ほどでも不安があるのなら、おとなしく撤退しなさい。そうでないと新一くんの迷惑よ」
*****
コナンは哀と一緒に阿笠邸まで歩いてきた。
「じゃ、また明日」
コナンは片手を上げて立ち去っていった。いつもと同じような仕草で。哀としてはもうちょっと演出のほしいところだが、
(彼らしいのよね)
などと無理矢理納得するのであった。
哀は、今日の事は一生忘れないと心に誓いながら、コナンが見えなくなった後、神妙な顔を作って玄関へ向かった。
さて、博士に今日の出来事を何て話そうか…
「おい、灰原」
「きゃ!」
背後にコナンがいた。
「くく工藤くん、かか帰ったんじゃ…」
「ああ、悪い。今晩泊めてくれ」
「えええ?」
「蘭が部活で帰れないんだとさ。おっちゃんも何か警視庁で用があるとかで」
コナンは携帯電話をポケットにしまった。
「ど、どうしたのよ、その携帯」
「ああ、おっちゃんから預かってきたんだ。緊急の連絡があるかもって。持ってて正解だったよ」
哀は乱れた呼吸を整えた。
「そ、そう…居候もなかなか大変ね」
「悪いな」
「ま、まあ、そういうことなら…って博士に言いなさいよ」
「ん? 何うろたえてるんだ?」
「べ別に…その代わり、食事作るの手伝ってよ」
「ああ、もちろん」
*****
月曜日は雨だった。
コナンは朝早く起きていったん事務所に行き、着替えてから学校へ向かった。
哀は、これまでよりずっと明るい、黄色の服を着ていた。それでも他の女の子に比べたら全然地味なほうであったが、クラス全員、誰一人として哀の変化に気が付かない者はいなかった。コナンは自分だけがその理由を知っていると思っていた。ところが、
「灰原さんは昨日ね、まっ青なセーラー服着てたの。真っ赤なリボン付けて。かっこよかったわよ」
などと、歩美が女の子の間を解説して回っているのだった。コナンは思わず哀を見たが、哀は手のひらを見せるだけであった。
そしてこの朝、クラスではもうひとつ意外なことが起きていた。元太が学校を休んでいたのだ。理由は降っている雨に関係があった。飛行機が欠航しているために帰れないというのである。彼はなんと沖縄にいた。コナンたちはもちろん、クラスの誰一人として、彼が沖縄に行ったことなど知らなかった。ただ一人光彦を除いて。
昼休み、その光彦は給食を急いで食べると図書室へ向かった。
図書室は数人の女子生徒が静かに本を読んでいるだけで、外の雨の音がよく聞こえるほど静かだった。
学校の歴史コーナーにある各年度ごとのアルバム。
「これだ」
光彦は小声でつぶやいた。
一冊抜き取りめくっていく。そして一枚の写真を発見した。
光彦の視線は写真に吸い込まれ、顔はみるみる厳しく険しくなった。
「やっぱり」
そのアルバムを持ってカウンターに行くと、女性司書教諭は貸出票の整理をしていた。
「あら、光彦くん」
光彦は図書室の常連である。
「あの、このアルバムは禁退出ですけど、一枚コピーを取りたいんです。すぐそこのコンビニでコピー取ってきますから昼休み中だけでも貸してもらえないでしょうか」
「そうねえ…一枚だけなの?」
「はい」
「どこ?」
光彦は栞を挟んだページをめくった。
「ここです」
「昔のクラス写真ね…どうするの、こんなもの」
「それは利用者の秘密です」
光彦は堂々と言った。
「ふふ…いいわ。一枚だけなら」
司書教諭は事務室のコピー機でコピーを取ってくれた。
「普通の本じゃないし、特別大サービス」
「ありがとうございます」
*****
妃英理の自宅があるマンションの玄関ホールに小五郎がやってきた。慣れた手つきで呼び鈴を押す。
『はい』
「ああ、俺だ」
ロックが解除されて、小五郎は中に入った。
英理は複雑な微笑みで夫を出迎えた。
「あなた、やることがえげつないわよ」
「蘭は?」
「もうすっかり落ち込んじゃって、学校もお休み。とりあえず、学校には風邪で休みますって電話入れておいたけど」
「そうか」
「コナンくんと哀ちゃんが行く場所を知ってて、そこへ蘭を呼び出したんでしょう?」
小五郎は直接その問いには答えなかった。
「人間、現実を知るってのも必要なことだ」
「でもね、実の娘なんだから、もう少しソフトな手もあったと思うけど?」
「俺はがっかりしてるんだ。蘭も今少し成長してると思ったんだがな」
「しかたないわよ。比較する相手が悪すぎるわ」
「宮野志保が掃除屋にマークされているのは紛れもない事実。工藤新一もいつ再びマークされるやもしれん…はっきり言って危険極まりない連中だ。自分の娘はそんな連中とは無関係であってほしいと思うよ。蘭は耐えられるだけの器量を持ち合わせていないんだから」
「そうね…」
「まあ、そんな器量を持ってる奴のほうが特別。工藤新一と宮野志保は特別中の特別だ…化け物級のな」
「蘭は結局、新一くんを普通のレベルでしか把握できないのね」
「俺は、正直期待してたんだがな」
「しかたないわよ。私はね、むしろほっとしてるくらい」
「そうだな…俺もこれで良かったと思ってるよ…で、蘭は今どうしてる?」
「まだ寝てるわ。かなりこたえているわよ」
「そうか…ところで例の件、先方も承諾したぞ」
「あらそう。残り物には満足しないんじゃないかと思ったんだけど」
「先方は必死なのさ。それが毛利姓の重さってやつだ」
「当人もそうなの?」
「さあ、まだ写真すら見てねえが」
「まったく、いいかげんねえ」
「そんなもん、俺に判断できるかよ。全ては蘭次第だ」
「ふふ…いろいろ考えてるのね、あなたも」
「当たり前だろ、親なんだから」
*****
放課後、コナン、哀、光彦、歩美の四人はいつものように揃って校門を出た。雨がまだ、ぱらぱらと降っていた。
「しかし元太やつ、何だって沖縄なんかに行ってたんだ?」
コナンがまっさきに、おそらくは四人共通であろう疑問を口にした。
ふふふと光彦が笑った。
「実は、昨日の夜遅く電話があったんですよ、元太くんから。クラスの皆には秘密、ってことで今まで黙ってましたけどね」
「え? それで?」
「彼はアメリカ軍の基地に行ってたんです」
「アメリカ軍? 何でまた?」
「アメリカンフットボールの練習を見に行ったんだそうです」
哀がふむと考える仕草をした。
「そういえば、今来日してる彼のおじさん、アメフトのコーチって言ってたわね。だけど、そんなことでわざわざ沖縄に行くなんて、ただごとじゃないわね」
コナンもうなずいた。
「ああ。アメフトのチームなら大学だけでも近辺にいくらでもあるし、米軍のチームってことなら横田や横須賀にだってあるはずだ」
光彦もうむとうなずいた。
「元太くんのおじさん、元太くんにアメリカンフットボールの英才教育をしようとしてるんじゃないでしょうか?」
「だけどよう、そのおじさんはアメリカに住んでるって聞いたぞ。日本へ帰ってくるつもりなのか?」
光彦が声をひそめた
「実はここだけの話ですが、そのおじさん、元太くんをアメリカに連れていくつもりなんです」
「ええーーー」
素直に、驚きに驚く歩美。
「ふうん」
これは哀。
「へえ」
これはコナン。
「元太がそう言ったのか?」
「何でも、おじさんに、アメリカに行きたくないかと何度も聞かれたそうです」
哀はなるほどとうなずいた。
「そういうことなら間違いなさそうね」
「ああ、間違いない。しかし、あの元太の体格から言うと、確かにいいアイデアかもしれない」
「そうね。こういうところがアメリカのすごいところよ。日本みたいに中学なり高校で偶然才能を発揮するまで待ってなんかいないの。才能のありそうな子は小学生でも幼稚園児でもどんどん英才教育するのよ。それも科学的に正しい方法でね」
「ふ、さすがに経験者は…」
と言いかけて、コナンがあわてて口つぐんだ。
その様子を見てくすっと哀は笑う。
「え? 何ですかコナンくん」
「ああ、いや、何でもない」
歩美は、そんなコナンと哀の微妙な親近感に、しっかりと気がついていた。
哀は粘り着くような視線に気が付いた。
「な、何? 吉田さん」
「私、私、今日から灰原さんのこと哀ちゃんって呼ぶ。いいでしょ」
「え? ええ、もちろんかまわないけど」
「じゃあ、哀ちゃんも、私のこと歩美って呼んで」
「わ、わかったわ歩美ちゃん」
哀はこの唐突な申し出の意味をはかりかねていた。
歩美はうんと自分で自分にうなずいた。そしてコナンを見た。哀を見た。
「コナンくん、哀ちゃん、私たち、友達だよね」
歩美の強い決意の言葉に、コナンと哀は顔を見合わせた。
光彦は事情を知っていたので、
(がんばれ、歩美ちゃん)
と心の中でエールを送っていた。
「これからもずっと、ずっと、友達だよね」
コナンも哀も今ひとつ釈然としなかったが、昨日の妃法律事務所での経験が言わしめていることだと理解した。
「もちろん友達だよ、これからもずっと。なあ?」
そう言ってコナンが哀に軽く視線を送ると、
「ええ、もちろん」
哀もごく自然に答えるのだった。
歩美はぱっと明るくなった。
「ほんとに、ほんとだね」
「ええ、ほんとよ」
「よかった!」
しかし、一人光彦は明るい顔をしていなかった。
(今の『…これからもずっと。なあ?』『ええ』って…この二人の関係はやっぱり!)
「ん、どうした光彦?」
「え、ああ、いえ、何でもありません」
光彦は落ち着いた顔を作って見せてから、新しい話題を持ち出した。
「ところで、言い出すのが遅れてしまいましたが…」
光彦はランドセルから三枚の封筒を取り出した。
「昨日妃先生からいただいた図書券、十万円分ありました」
「十万円!」
素直に驚く歩美。
「僕と歩美ちゃんだけでいただくわけにはいきません。そこで、四等分して二万五千円ずつ。これでどうですか?」
ふむとうなずくコナン。
「まあ、いいだろう。でも一人二万円だ。元太にも分けてやろうぜ。たまたまいなかったけどな。それでどうだ?」
哀と歩美もうなずいた。
「わかりました。では」
三枚の封筒から五千円分抜き取る。
「どうぞ。元太くんには僕が責任を持って二万円分渡します」
それぞれ封筒を受け取る三人。
しかし受け取る歩美の顔が曇った。
「どうした? 歩美ちゃん」
「ねえコナンくん?」
「ん?」
「元太くん、本当にアメリカへ行っちゃうの?」
「そうだな…別に今すぐってことはないだろう」
哀は軽く顎の下に手をやった。
「そうね。まだ一年生だし、それに行く先が外国ともなると、小学校卒業後、ってあたりじゃないかしら?」
「ま、そんなとこだろう」
コナンもうなずいた。この推測が大きく外れるとは、このとき、一秒たりとも考えていなかった。もちろん哀も。
*****
「ただいま」
米花町の閑静な高級住宅街の一角、光彦は家に帰ってきた。
「おかえりなさい」
奥で母の声。
光彦はランドセルを持ったまま居間へ行った。
と、そこに父が浴衣姿でくつろいでいた。
「あれ、お父さん、どうしたんですか?」
「おお、おかえり光彦。今日はちょっと会議の都合で早く帰れたんだよ。明日朝一の飛行機で札幌へ行かなくちゃいけないんでね」
光彦はふと思いついた。
「お父さん、コピー機を貸してください」
光彦の父は仕事上家にコピー機を置いており、光彦がコピーを必要とする場合は事前に父親に一言断ってから使っても良いという約束だった。
「ん? ああ、かまわんよ」
光彦は居間に隣接する父親の部屋に入った。父親も立ち上がって光彦の後を追った。
「何をコピーするんだ?」
「これです」
光彦が差し出したのは、拡大コピーで大きく引き延ばされた写真の一部。それは光彦が三人と別れた後、コンビニのコピー機で作成したものだった。ただ、最終的に作成したものがあと数枚いることを忘れていたのだ。同じものを三枚コピーするだけなら父親にも不審がられないだろう、という判断だった。
父親の目が一瞬細く険しくなったことに光彦は気が付かなかった。
「これは、コナンくんかい?」
「ええ、そうです」
「メガネかけてないな」
「ああ、その日はたまたま忘れたんですよ」
「ふうん」
父親はそのまま光彦から受け取った紙をセットした。
「何枚いる?」
「三枚です」
「わかった」
コピーが三枚出てくる。
「ほら」
「ありがとうございます」
光彦はそれを受け取ると、にこにこしながら二階へ上がっていった。
父親は部屋を出た。と、母親も台所から出てきた。
「あら、光彦は?」
「ん? ああ、二階に上がっていったが…」
父親の真剣な顔。
「どうかなさいました、あなた?」
*****
阿笠邸、博士はのんびりとアフタヌーンティを楽しんでいた。
電話が鳴った。
「はい、阿笠ですが…おお、円谷さん、いつもお世話になって…は?」
博士の顔が一変、真剣なものになった。
「光彦くんが、新一の…」
『ええ、間違いありません。あれは工藤新一くんの小学校のときの写真ですよ』
「ふむ…すると彼も気が付いた、ということじゃな」
『おそらく…どうしたものでしょうか、博士』
博士の顔から緊張感は消えた。
「光彦くんのことです、遅かれ早かれ気が付くとは思っていました。私たちの予想より光彦くんの成長は早かったと、そういうことです。むしろ喜ぶべきことではありませんかな?」
『ええ、それはそうなんですが、ただ、コナンくんや博士にご迷惑が…』
「ああ、それなら大丈夫。光彦くんは賢い子です。めったやたらに他人に口走るような子ではありません。それはもう、この阿笠博士が誰よりも一番良く知っています」
『ですが、今日、同じ写真を三枚コピーしていました。誰かに配るのではないかと心配で』
「おそらく、切り抜いて今のコナンくんの写真と比較でもするんでしょう。心配はいりませんよ」
『はあ…』
「ご心配なく。彼が私に何か相談してきたら必ずご連絡しますので」
『ええ…わかりました。私たちは博士を信頼しています。これからも光彦のことをどうかよろしくお願いいたします』
「ええ、お任せください。私も光彦くんのような優秀な子に出会えて幸せです」
『ありがとうございます。では、失礼いたします』
電話は静かに切れた。
博士もゆっくりと受話器を置いた。
「元太くんに続いて光彦くんもか…やれやれ、皆うれしいほうに期待を裏切ってくれるわい」
博士は楽しそうに紅茶を飲み干した。
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