真実は重く醜く汚く
「森田宗太郎…」
コナンはつぶやくようにそう言った。
「どういうこと?」
哀も意外な名前に驚く。
コナンは焦る心を抑えて、表紙の部分をめくった。
「昭和二十年4月現在…」
昭和二十年四月、新京東病院薬剤部には森田宗太郎と春江の二人が勤務していたのだ。
「ちゃんと昭和十七年分からあるぞ」
博士が少し自慢げに言う。
「あ、ああ」
コナンは紙をめくっていった。
「昭和十九年…同じだ」
さらにめくる。
「昭和十八年…」
昭和十八年四月現在の名簿、そこには森田宗太郎と種子田春江の名があった。
「おい、たしか十周年記念誌の発行日は昭和十八年十月一日だったな」
哀はスキャンしたデータをプリントした紙をめくった。
「ええ、そうよ。そして二人が結婚したのは…」
同じくプリントした戸籍の写しを見る。
「昭和十八年五月三日」
「春江さんの旧姓は種子田だな?」
「そうよ」
「こ、これは!」
*****
日曜日の午後三時、妃法律事務所にも近いショッピングセンターの屋内ベンチ。
買い物客で八割がたの席が埋まっている。
コナンは着慣れたブレザーだったが、哀は目にも鮮やかなブルーのセーラー服に深紅のリボンが映えている。
「しかしなあ、お前、その格好、かなり目立ってるぞ」
「そうかしら?」
「一体どうしたんだよ、地味な格好しかしていなかったお前が急に」
「いいじゃない。私だって女の子なのよ」
哀はにこにこ笑っていた。
ふうとコナンは息をついた。
哀はさっさと本題に入った。
「ところで、貴方の推理、本当に妃先生に披露するの?」
「もちろん」
「子供のすることじゃない、分をわきまえなさい、とか言われるんじゃないかしら」
「かもな…だけど、三人の秘密をこのまま墓場まで持って行こうとしてる妃先生の気持ちを思うとな…」
「でもね、本当に、小学一年生の子供のやることじゃないわよ」
「…お前、いつから、本当に小学一年生になったんだ?」
「実体はともかく、外見はどうにもならないでしょ」
「毛利小五郎が知っているのなら、妃英理だって知っているのさ、俺の正体を」
「それはそうかもしれないけど…」
「…わかるよ、お前の気持ちは。確かに、心に封印した秘密を、100%事情を知っているわけでもない他人に、今さらあれこれ詮索されるのは気分のいい物じゃないかもしれない。でもな…」
コナンは、言い終わらないうちに、哀の表情が厳しくなったことに気がついた。
「…本当にわかってる? 私の気持ち」
「え?」
一瞬二人は、言葉失ったまま見つめ合った。
「コナンくん」
光彦だった。
「わあ、何、灰原さん、すてき!」
歩美が哀に駆け寄った。
哀はすかさずいつもの表情を取り戻した。
「続きは後で」
「あ、ああ」
コナンはそう答えるのが精一杯だった。
「え、何、どうしたの?」
歩美は、二人の微妙な表情にしっかり気づいていた。
「二人とも、どうしてここに?」
哀は歩美の質問には答えず、逆に質問する。
「僕たち、コナン君に呼ばれたんですけど?」
光彦が答えた。
「え?」
「ああ、そうだ、俺が呼んだ。これからちょっと付き合ってもらう」
コナンもすっかり表情を整えていた。
「付き合うってどこへですか?」
「お前らが知りたがっていた事件の現場にだよ」
そんなことは聞かされていない哀。
「ちょ、ちょっと?」
「いい機会さ。俺と灰原がここ数日何をしていたか、そしてなぜお前達を遠ざけていたのか、それをこれから教えてやる」
じろりと光彦と歩美を見た。
「ただし、二人は黙って話を聞くだけだぞ。まあ、言わなくてもすぐにわかるだろうがな」
今一つピンとこない歩美に対して、光彦はうんとうなずいた。
「わかりました」
*****
「あらまあ、四人で来たの?」
事務所通用口で出迎えた英理の第一声はそれだった。
「うん、どうしても話を聞きたいって言うから連れてきちゃった」
コナンは子供モードでにこやかに言う。
「そう…ところで、灰原さん、ずいぶん気合いの入った服装ね。何かいいことでも?」
「今まで地味すぎるって言われてたので、思い切って」
「そう…女の決意を見せるには、そのくらいやらないとね」
ぎくっとする哀。
「あら、図星? ふふ…」
英理は楽しそうに笑って、コナンをちらりと見た。
「さ、上がってちょうだい」
英理の言葉が理解できない光彦と歩美であったが、コナンの言葉に素直に従って黙っていた。
応接室の扉には警視庁の立ち入り禁止のテープが未だに貼られている。四人は英理の執務室に案内された。執務室には秘書の栗山緑が待機していた。
「さ、掛けてちょうだい」
ソファにコナンと哀、光彦と歩美がそれぞれ並んで座る。
「栗山さん」
「はい」
「この子たちにジュースを…そうそう、この間頂いた、温州みかんジュースを」
コナンが立ち上がった。
「あ、いえ、お茶にしてください」
「え?」
「僕たちは子供だけど、今日の話は大人の話なんだ」
英理は真面目な表情でコナンを見た。
「そう…わかったわ。じゃあお茶を淹れてくれる?」
「あ、はい」
緑は不思議そうな顔をして出ていった。
英理も腰掛けると、仕事モードの顔になった。
「それでコナンくん、今日私に話したい大人の話ってなあに?」
「今回の事件、僕たちなりに調べたんだ」
「森田高光さんから聞いたわよ。昨日、家に行ったんですって?」
コナンはゆっくりとうなずいた。
緑がお盆を持って戻ってきた。そして五人の前にお茶を置いた。
コナンは茶碗を手に取って一口飲んだ。
「三年前の事件、そして今回の事件、そもそもは五十年前、満州であった出来事が原因なんだ。昭和十八年五月、新京東病院の薬剤部に勤務していた森田宗太郎さんと種子田春江さんは結婚した。そして高光、千里の二人の子供をもうけた。昭和二十年八月、ソ連軍が日ソ不可侵条約を無視して満州に侵攻、一家は大連に逃れた。ここからはあくまで僕の想像なんだけど、おそらく夫の宗太郎さんは戦闘で怪我をしてしまったんだ。日本に帰ることができないほどの重傷だった。そこで宗太郎さんは、一緒に避難してきた薬問屋のセールスマン、奈良井剛市さんに、自分の名前、森田宗太郎を名乗って一家を日本に連れ帰ってほしいと頼んだ。年格好が同じで独身だった奈良井さんは、森田宗太郎を名乗り、一家を連れて帰国の船に乗った。やっとの思いで日本に帰ってきてみると、森田さんの実家は空襲で焼失し、父親以下親族一同ことごとく亡くなっていた。つまり、森田さんの顔を知っている人は皆死んでしまっていたんだ。満州に残してきた森田さんは、もう助からないと思えるような重傷だったから、二人は森田さんは死んだものと思っていた。そこで以前から春江さんと親しく付き合っていたであろう奈良井さんは、以後森田宗太郎と名乗って生きていくことを決意し、春江さんもそれを受け入れた。二人は郊外に土地を買い、以後米の専業農家として堅実な人生を送った。ところが、本当の森田宗太郎さんは生きていたんだ。何年か遅れて日本に戻ってきた彼は、一家四人が農家として堅実な人生を送っている事を知る。名乗り出ることはできなかった。奈良井剛市の名で生きていくしかなかったんだろう。本当の奈良井さんが堅実な人生を送ったの対して、本当の森田さんの人生は荒れていた。昭和四十七年には余罪五十件以上という空き巣の罪で捕まっている。服役した後の本当の森田さんの人生についてはわからないけれど、七十歳を過ぎて、死期が近いことを悟った彼は、森田家を訪ねた。本当の奈良井さんが招いたのかもしれない。そこで、長年入れ替わっていた二人が話をしているうちに、何らかのはずみで口論となり、本当の森田さんは包丁で怪我をしてしまった。このままでは二人が入れ替わっていたという事実が明るみに出てしまう。本当の森田さんにとって、自分の子供である高光さんや千里さんに、本当の父親が空き巣の常習犯だったと知られることはどうしても避けたい。もちろん本当の奈良井さんとて、自分が二人の父親ではなかったと知られるのは避けたい。そこで冷静になった二人は、空き巣とその空き巣に過剰防衛で怪我を負わせた者、というシナリオを作って、二人共に罰せられることで秘密を守ろうとしたんだ。だから本当の森田さんは、病院でそのシナリオに沿った供述をした。一方の本当の奈良井さんは、必死だったので覚えていないという曖昧な供述をすることで、過剰防衛による障害容疑を被るつもりだった。ところが、本当の森田さんは容態が急変して亡くなってしまう。しかも、本当の森田さんが怪我をした包丁からは、奈良井剛市、つまり本当の森田さんが握っていたことを示す指紋が検出されていた。公判が始まった場合、本当の奈良井さんにとって、有利な状況証拠があるにもかかわらず、あえて過剰防衛による障害致死の罪を被るような態度を取り続ければ、ひょんなことから二人の関係が明るみに出ないとも限らない。本当の森田さんの死後、詳しい事情を本当の奈良井さんから打ち明けられた妃先生は、正当防衛による無罪を勝ち取るほうが、二人の関係に疑念を抱かれなくてすむのだと、本当の奈良井さんを説得した。結果、裁判は妃先生の狙い通り、正当防衛による無罪判決が出て、そのまま確定した」
コナンはそこで一息ついて、お茶を飲んだ。
目を閉じてじっと聞いている英理。
ぽかんとしている歩美。コナンをじっと見つめる光彦。
「春江さんは、本来の夫である、本当の森田さんとの約束を破った本当の奈良井さんのことが許せなかった。彼女はおそらくこう思ったんだ。連勝記録を伸ばしていた女弁護士の口車に乗せられて、約束を破ったのだと。そして妃先生に対する深い怨みを抱いた。その後三年は大きな問題もなく過ぎ、本当の奈良井さんは森田宗太郎として病気で亡くなった。春江さんもまたガンにかかっており、もはや余命いくばくもないことを知る。強いモルヒネ錠が処方されていたから、ガンの痛みは相当のものだったはずだ。彼女はガンの痛みから逃れるため、またかねて抱いていた妃先生への怨みを晴らすべく、妃先生に疑いがかかるようにして自殺したんだ。それも農家なら比較的容易に手に入るであろう農薬は使わず、満州から密かに持ち帰っていた青酸カリを使って」
コナンは言い終わって、一息つくとまたお茶を飲んだ。
英理はゆっくりと目を開けた。
「素晴らしい推理だわ。でも、仮にコナンくんが推理したことが事実だとしても、春江さんの自殺を証明することにはならないわね」
「はい、そうです」
「つまり、貴方の推理を警察、検察に披露したところで、私への処分が変わる可能性はまったくないのよ」
「わかっています。奈良井剛市さん、森田宗太郎さん、春江さん、この三人が守り抜いた秘密は、僕も、灰原も、このまま墓場まで持っていきます」
英理は、ふう、と一つ息を吐いた。
「甘いわね…いえ、優しすぎる、とでも言うのかしら。現実はね、もっとどろどろとして醜く汚いものなのよ」
英理はお茶を一口飲んだ。
「森田宗太郎と名乗っていた人物が実は別人であったこと、奈良井剛市と名乗っていた人物が本当の森田宗太郎だということ、それは貴方の言うとおり。でもね、森田宗太郎さんの本当の名前は武市明。奈良井剛市という名前は、新京から逃れるさいにソ連軍に撃たれて死亡した武市さんの同僚の名前。本当の森田さんが武市さんに身代わりになってもらったのは、病気でも怪我でもない、彼がソ連軍に追われていたからよ。兵舎から金を盗もうとしてソ連兵に見つかり、兵士数人を殺して逃げたから。本当の森田さんは、病院勤務時代から薬を横流しするなど手癖が悪かった。結婚後そのことを知った春江さんの相談に乗っていたのが武市明さんというわけ。ソ連兵に顔を見られていた本当の森田さんは、もはや逃れられないと覚悟した。そこで、家族だけは無事に日本に帰すために、武市さんに身代わりを依頼した。武市さんは、殺人まで犯してしまった本当の森田さんが、自首することを条件に依頼を受諾したのよ。本当の森田さんは、すでに亡くなっていた奈良井剛市さんの名を名乗ってソ連軍に自首した。だから、武市さんも春江さんも、本当の森田さんは死んだものと思っていたの。ところが本当の森田さんは、なぜか殺されずにシベリアに送られた。このへんの詳しい経緯はわからないけれど、とにかく彼はシベリア抑留を生き抜いて、奈良井剛市として生きて日本に帰ってきた。その後の彼は、もっぱら空き巣をしながら生きた。一度捕まって服役した後も、彼はふたたび空き巣を繰り返した。そして年を取って足腰の弱ってきた彼は、警戒の手薄な農家を狙うようになった…そう、森田邸に侵入したのは偶然だったのよ。そして武市さんに見つかった。二人は、お互いに相手のことがすぐにわかったそうよ。本当の森田さんは、武市さんから子供たちの成長ぶり、6人の孫がいることなどを聞かされる。自分の人生を恥じた彼は、発作的に包丁で割腹自殺しようとした。だから包丁には、奈良井剛市が持っていた、という指紋が残ったの…後はだいたいコナンくんの推理したとおり。春江さんが私に怨みを抱いた理由は、彼女と会ったときにその視線でわかったわ。私が自分の無敗記録を伸ばすために色香で夫をたぶらかした、とでも思ったんでしょう」
真実は、コナンの想像よりも重く、醜く、汚いものだった。
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