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同人誌(上巻)初版原稿の最小限訂正版です。第9話まで。
The day after
 ツインタワービルA棟はまだ燃えていた。駐車場には消防車や救急車がたくさん停まって赤色灯を回転させており、消防士たちが緊張した面持ちで燃えるビルに出入りしている。
B棟のエレベーターでようやく地上に降りてきた少年探偵団の子供たちは、火と煙に包まれたA棟を見上げて言葉を失った。
 歩美は思わず光彦の腕にしがみつく。しかし光彦はそのことにも気がつかず、ただ呆然と見上げたままだった。元太は今頃になって恐ろしさに気がついたのか、顔がひきつっている。
 それでも、火災発生直後に比べればだいぶおさまってきた。窓から吹き出している火の勢いもあきらかに衰え、消防士たちの表情にも多少の余裕は出てきたようだ。
 子供たちに遅れて、蘭と園子も地上に降りてきた。
「あ、いたよ、園子」
 子供たちを見つけた蘭は走り出した。
 しかし、そこにコナンはいなかった。
「コナンくんは?」
 一番近くにいた元太が振り向いた。
「あれ、一緒じゃなかったのか?」
「ううん。私はてっきり、みんなと一緒だと…」
 そこへ、目暮警部がやってきた。
「夜も遅いし、少年探偵団のみんなには後日ゆっくり話を聞くことにしよう。今日はもう家に帰ってかまわないよ」
 それだけ言うと、警部は小走りに立ち去った。このまま徹夜になるのだろう。まだまだこれからが忙しいに違いない。
 警部と入れ替わるように、やってくる小五郎。
「蘭、お前は子供たちと一緒に先に帰れ」
「う、うん」
 蘭は小五郎のほうをちらっと見ただけ。コナンがいない。
「ん? どうした?」
「コナンくんが…」
「ああ、あいつならさっき、阿笠博士と一緒にいたぞ」
「え? どこに?」
「あっちのほうだ」そちらへ向かって歩き出す小五郎。
 父の背中を追う蘭。並んで停まっている消防車を回り込む。
 パーティの招待客が数十人、不安げな表情を抱えビルを見上げている。
 コナンがいた。
 哀と阿笠博士、三人並んで、やはり上を見上げていた。
 哀に向かって何事か話すコナン。おそろしく真剣な眼差しで受け答えする哀。
 その様子は、少年探偵団の子供たち三人とはまるで違う。全然違う。
 今までも、コナンを見て「とても小学生とは思えない」と言う大人はたくさんいた。けれどもそれは、子供の顔をしたコナンだ。今、コナンは子供の顔ではない。蘭にさえ滅多に見せない、いや、隠そうとさえしているあの顔。
 それを、哀には見せているのだ。隠そうともしていない。
「阿笠博士!」
 小五郎は三人に向かって歩み寄った。こちらを振り向く三人。
「博士、すみませんが、私はもう少し残りますので、子供たちと蘭を家まで送っていただけませんか」
「ああ、それはかまわんが」
「では、よろしくお願いします」
 小五郎は、言い終わるや否や、Uターンして消防車の向こうに消えた。
 蘭はその場に取り残されてしまった。
「ふむ…毛利くんも大変じゃなあ…一円の収入にもならんというのに」
 博士の言葉に、蘭も軽くため息をついた。
「ほんと、もう少しお金のこと考えてくれると助かるんだけど。お母さんがいたら、私立探偵の出る幕じゃないって怒るわよ」
「そんなことないと思うよ」コナンの声。
 はっとして下を見ると、子供の顔だった。コナンは。
「どうして?」
「おばさん、そんなおじさんだから結婚しちゃったのよ、って言ってたもん」
 驚く蘭。
「お母さん、コナンくんにそんなこと言ったの?」
「うん」
「そう…」
 そんなこと、自分には一度も教えてくれたことはない。
「蘭ねえちゃん」
「なに?」
「僕、今夜博士の家に泊まるから…その…」
 あまりに予想外の言葉。
「おいおい、どうしたんじゃ?」博士も驚いたようだ。
「大事な話があるんだ」
「いや、別に泊めるのがいやだということではないがな、こんな事件のあった夜くらい…」
「事件があったからだよ」
 そう言ってコナンは哀を見た。コナンの視界に蘭は入っていないのだ。蘭はコナンに向かって何か言おうとしたが、言葉がなかった。
 と、いつの間にかその場にいた園子が助け船を出してくれた。
「それじゃあ蘭、私の家に来ない? 台無しになった夕食くらいごちそうするわよ」
 コナンは反応しない。
「う、うん…ありがとう園子」
 蘭はもう一度コナンを見た。コナンはやっぱり、蘭を見ていなかった。

 午前〇時過ぎ、博士のワーゲンビートルはようやく米花町に戻ってきた。高層マンションの駐車場手前で停車する。歩道では歩美の両親が待っていた。
「おやすみ、コナンくん!」
 歩美はにこやかに車を降りた。九死に一生を得たと言う言葉が何も大げさではない、そんな大変な事件の後だというのに、歩美はまったく動じていない。博士も車を降りて、歩美の両親と挨拶を交わす。ほんの数時間前、生死をかけた大ジャンプがあったことなど、夢だったのか、それとも幻だったのか。
 哀は、車内から歩美と両親を見ていた。やがて三人は、明かりが煌々と灯るエントランスの中へと戻っていった。たとえどんなに怖ろしい目に遭っても、歩美には帰る家と温かく迎えてくれる両親がいるのだ。
 光彦の家、元太の家をまわって二人を降ろすと、車内は博士と哀、そしてコナンの三人になった。コナンは助手席から後部座席に移って、哀の隣に座っていた。
「で、大事な話って何?」
 コナンの横顔をよぎる街路灯の光。
「ま、家に着いてからだ…あ、博士、三丁目角のコンビニに寄ってくれねえか?」
「それは構わんが…しかし、いいのか新一?」
「何が?」
「蘭くんじゃよ」
「ん…まあ、園子がいるし…それに、目を離すと死んでしまうような心配はないから」
 さっとうつむく哀。
「おいおい」
 博士は、ようやく何かあることに気がついたようだ。

 阿笠邸に到着するや否や、哀はつとめて冷静に口を開いた。
「大事な話というのは何?」
 コナンはふっと息を漏らした。
「まあまあ、そう焦るなって。コーヒー淹れてケーキ食おうぜ、ケーキ。これ、コンビニで売ってるからって、甘く見ちゃいけない」
 ケーキの箱をにこやかに持ち上げる。本人は洒落を入れたつもりなのだろう。
「しかしのう、蘭くんを一人にしてまで今夜わしらに話す必要のあることとは一体何じゃ?」
 博士は洒落にはまったく気がつかなかったようだ。コナンは短いため息をついた。
「コーヒー淹れたあとあと」
 コナンはそう言って、台所のほうへさっさと行ってしまった。哀もコナンを追って台所に向かう。しかし、ケーキ皿とカップを戸棚から出すと、ヤカンを火にかけたコナンを残して先に戻った。テーブルに皿を並べケーキを置く。
 しばらくして、コナンが戻ってきた。お盆の上にはコーヒーサーバー。コーヒーの香りが漂ってきた。コナンは、手際よくコーヒーをそれぞれのカップに注ぎ終えると、嬉々としてソファに座り、ケーキを手に取った。その様子はまるっきり子供そのものだった。
 哀の視線に気がつくコナン。
「どうかしたか?」
「どうかしたか、じゃなくて、話っていうのは何?」
「ん、ああ…」
 コーヒーを一口飲むコナン。
「…俺や蘭が乗っていた展望エレベーター、途中で停まっていただろ。あれ、なぜだと思う?」
「火事のせいではないのか?」博士が怪訝そうに尋ねる。
「何者かが機器室を破壊したのさ。動いてるままでは不可能だからな」
「不可能? 何がじゃ?」
「乗客の狙撃」
 コナンが平静に言ったものだから、博士は一瞬遅れて驚いた。
「狙撃!」
「ああ」
「いったい誰を…ま、まさか!」
「俺じゃないさ、園子だよ」
「な、何で園子くんが…」
 すぐにピンときた。
「あの髪型…狙撃手が私と誤認したから」
「何!」
「そのとおり。目標はシェリー。そう、狙われたのはお前だったんだ、灰原」
「い、一体どういうことじゃ?」
「ビルを爆破するために会場に来て、そこでたまたまお前に似た園子を目撃。シェリーが来たと勘違いして、急遽あんな作戦を立てた、ってシナリオもなくはないが…連絡橋や屋上にも爆弾を仕掛けてあったこと、女子供が展望エレベーターで避難することを見越して狙撃ポイントで待機していたこと…にわかに準備できることじゃねえさ。つまり、奴らは事前に知っていたんだ。シェリーがあのパーティに現れることを」
「…あの電話、というわけね」
「ああそうだ。向こうの回線に盗聴器が仕掛けられていたのさ」
「そ、それじゃこの家は…」顔がひきつる博士。
「いや、逆探知でここが特定できたんなら、とっくの昔にこの家を襲撃してるさ。直接な」
「もし、あのまま通話を続けていたら…」
 コナンは黙ってうなずいた。
「むむむ…」
「ま、その件の続きは後でゆっくりと…もっと重要な話があるんだ」
 コナンは悠然とケーキを食べコーヒーを飲む。哀は、とても何かを口にする気分ではない。その哀をコナンはじろりと見た。
「今日、俺がここへ来た最大の目的は、灰原、お前が死のうとしたことについてだよ」
 コナンはそう切り出した。
「ど、どういうことじゃ」大いに驚く博士。
「車で脱出しようとしたとき、こいつ、車に乗らないで、その場に留まろうとしたんだ。幸い、元太の機転でことなきを得たがな」
 博士は大げさにぎょっとした。
「お、おい、哀くん、それは本当か?」
 とても博士を直視できない。下を向く哀。
「…ええ」
「どうしてそんな!」
「まあ、お前には深く追及されたくない話題かもしれないが…」
「だったら追及しないで」
「そうはいかない。目の前で死のうとした人間がいるのに、ほっておけるか」
 哀には小声しか出なかった。
「私が死んだら、工藤新一に戻れなくなるから?」
 頬に走る痛み!
 ぱーんという音!
 コナンの左手が飛んでいた。
「お、おい新一!」
 コナンは哀を睨みつけるようにして、しかし冷静な口調で言った。
「お前、俺がそんなことを考える人間だと思ってたのか?」
 ようやく、叩かれた頬を手で押さえる哀。
「違うって言うの?」
「理由なんか何もない。お前に死んでほしくないだけだ」
 視線を外す哀。
「…工藤くん、あなた…あなた、残酷だわ」
「お前、自分に自信がねえのかよ?」
「それ、どういう意味?」
「お前にもチャンスはある、ってことだよ」
 頭が真っ白になった。息が止まった。

 鈴木邸、園子の部屋。風呂上りの二人がベッドを整えていた。園子の部屋は十二畳もあるから、蘭のためにベッドを持ち込んでも全然余裕だ。
 蘭の顔色は冴えないままだ。ごちそうを揃えた食事の最中も、大きいほうの風呂に入っても。
「蘭、蘭ったら」
「え、何?」
 振り向く蘭の表情は本当に暗かった。
「布団、それで足りる?」
「うん、大丈夫」そう言うだけでさっと視線をそらす蘭。
「ちょっと、どうしたの? あんな事件があった後で気が動転してるのはわかるけど…」
 突然、蘭はふっと自嘲の笑みを浮かべた。
「ふふ…」
 それは、園子が初めてみる姿だった。
「ねえ園子、十七歳の人間が六歳に逆戻りする、なんてこと、あると思う?」
「はあ?」
「コナンくん…あの子ね、本当は新一なのよ」
「…ちょっと?」
「理屈じゃそんなことありえないと思う…でも、間違いない。コナンくんは新一なのよ」
「…言ってることが矛盾してるわよ」
 蘭は財布から写真を取り出した。
「これ見て」
 それは小学校入学記念に撮った蘭の姿。
「あら、可愛い…」
「違うの…見てほしいのはこの子よ」
 蘭のとなりに背筋を伸ばしてポーズをとっている男の子。
「あら、これ…もしかして新一くん?」
「そうよ、小学一年生、六歳の時の新一」
「…そういえば、コナンくんに似てるわね」
「当然よ。本人なんだから」
「で、でも、ほら、学園祭の時…」
「あのコナンくんは多分、哀ちゃんの変装だわ」
「ええ?」
「コナンくん、あの子、阿笠博士の作った薬か何かで小さくなった新一なのよ」
「…だ、だけど、仮にそれが本当だとして、理由は何? あの博士の人体実験の犠牲者ってわけ?」
「多分、何かの事件で犯人に命を狙われてて、姿を隠す必要があるからよ。私に黙っているのは私を巻き添えにしたくないから…」
「ま、まあ妄想としては面白いけどねえ…」
「妄想なんかじゃない。今日、確信したの。あの子は新一に間違いない、って」
「うーん、だとしたら許せないわね。こんな事件があった日くらい、なんで側にいてあげないのかしら」
「今日の事件、新一が姿を隠さなきゃならない理由と関係あるとしたら?」
 思わず首を振る園子。
「…蘭、あんた、それ、本気で言ってるの?」
「…コナンくん、哀ちゃんと真剣に話してた…」
「はあ?」
「あの顔、私には見せまい、見せまいとしてるのに…」
「そりゃまあ、あの二人ができているってことじゃないの? …って言っても小学一年生じゃねえ…」
「新一、姿形が変わって、あの子のことが好きになったんじゃ…」
「ちょ、ちょっと…あんたまさか、コナンくんが新一くんだと本気で信じてて、それで、やきもちやいてるわけ?」
「そんなんじゃないよ…でも…」
 蘭は、本気で落ち込んでいるのだ。
「ああ…もう、しっかりしなさいよ。今だって時々彼から電話、かかってくるんでしょ?」
「声だけだもの。どうにでもなるでしょ」
 園子は大きく天井を仰いだ。そして、蘭に強い視線を向けた。
「あのね蘭、新一くんがいなくて寂しいのはわかるけど、そんな不健康な妄想にふけるのはやめなよ」
 軽く笑う蘭。
「そうだね。ふふ…私、何言ってるんだろ」
 園子は、とても笑ってはいられなかった。

「チャンスって、何のこと?」小さな声しか出ない哀。
「お前の気持ち、俺が知らないとでも思ってたのか?」
 知られたくなかった。
「私に、どうチャンスがあるって言うの?」やっぱり小さな声。
 一歩近づくコナン。
「言葉どおりの意味さ。だから…」
 顎の下にコナンの手が。ぐいっと持ち上げられる頭。真正面、コナンの顔。
「だから、二度と死のうなんて考えるな。いいな!」
 見つめ合う目と目。そのまま二秒。
 哀は力任せに体を引いて、コナンの手から逃れた。
「…うん」小さく小さくしか声が出なかった。
 コナンの表情もすっと緩む。
「コーヒー冷めちまったな。淹れなおしてくる」
 立ち上がるコナン。お盆を持って台所に。
 成り行きを見守っていた博士は、とても優しげな顔だった。
「まあまあ、座ったらどうじゃ」
 哀は、黙ったままゆっくりと椅子に腰を下ろした。

 その頃、西多摩警察署に如月峰水容疑者を連行した高木は、控室にあてられた会議室のパイプ椅子に腰を下ろした。
「ふう…」
「お疲れ様です」
 西多摩署の婦人警官がお茶を持ってきてくれた。
「ああ、すみません」
 署内は騒然としており、電話の鳴る音がひっきりなしに聞こえてくる。
 しかし高木は、事件の事よりも別のことを考えていた。
「どうしたんだ」
 白鳥であった。
「警部…現場のほうは?」
「だいぶ落ち着いてきたし、そのうち目暮警部も戻られるだろう」
「そうですか」
「何を考えているんだ?」
「は?」
「その顔、何か腑に落ちないことでも考えているんだろう」
「え、いえ、たいしたことでは…」
 にやっと白鳥が笑った。
「コナンくんのこと、だな?」
 図星をつかれて、ぎくっとする高木。
「え、ええそうです。あの子…あの子は一体何者なんだろうって」
「とても小学一年生には思えない…と?」
「ええ。別に今日に始まったことじゃありませんが…」
「詮索しないことだな」
「は?」
「あの子は帝丹小学校に通う小学一年生。それ以上でも以下でも、あってはならない」
 白鳥の顔を見つめる高木。
「余計なことを考える暇など我々にはないはずだ。とりあえず仮眠でも取っておくんだな」
 口の端に浮かぶ薄い笑み。
「実は、僕も調べようとしたんだが、松本管理官に止められたんだよ。立場というものをわきまえろ、とね」

 深夜、明かりの落とされた阿笠邸。
 パジャマ姿のコナン。トイレから出て、音を立てないように手を洗う。
「感心じゃな」
 博士が立っていた。
「…何が?」
「音を立てないように手を洗っとることじゃよ」
「真夜中だし、常識だと思うけど」
「哀くんやわしの寝とる部屋までは聞こえんじゃろ」
「念のためだよ」
 博士は穏やかに微笑んでいた。トイレに入ろうともせず。
コナンは水栓を閉じ、タオルで手を拭く。
「…トイレ、入らないのか?」
「新一、ありがとう」
 きょとんとするコナン。
「わしにとって今や、あの子は娘も同然。だから、親の代わりとしてあの子を助けてくれたことに対して礼を言う」
「それを言うなら俺より元太だよ。元太があいつを抱えて車に乗せたんだから」
「ところで、礼を言ったばかりでなんなんじゃが、お前の本音を聞きたい」
「本音?」
「哀くんにチャンスがあると言ったじゃろ。だが新一、お前には蘭くんという…」
 博士が言い終わらないうちに、コナンは口を開いた。
「もしも、俺がこのまま新一に戻れない、としたら?」
「む?」
「そういうこともあるってことさ…」
 タオルを元に戻す。
「…蘭は強いんだ。たとえ俺がいなくても大丈夫。だけど、灰原は…」
 コナンは意外にも明るい表情で続けた。
「いずれにせよ、あいつにとって絶望的じゃないことだけは確かだ」


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