立看板
まったく嫌な雨ですねえ。
そういえばあの日も雨が降っていたんですよ。
ちょうど二週間くらい前でしたか。
わたしはやっぱり仕事で、車で山の中を走っていたんです。
辺りは暗くなりはじめていたんですが、慣れた道でしたし。
面倒でヘッドライトを点けずに運転を続けていたんです。
他の車もいませんでした。
それで、少し急なカーブを曲がったときでした。
急に視界に黄色い丸いものが飛び込んできたんです。
傘でした。子供用の。
慌ててブレーキを踏んだんですけど、間に合いませんでした。
車はその黄色いものにぶつかって、少し引きずってから止まりました。
わたしは止まった車の中で暫く呆然としてしまいました。
それから、怖かったんですが、車を降りて確認してみたんです。
そしたらなんのことは無い。
ぶつかったのは立看板だったんです。
傘をさした小学生の絵の描かれたやつ。
ほらよく通学路にあるでしょう。今はあまりみかけませんけど。
運転手にここが通学路だってことを知らせるための看板。
本物の小学生じゃなくてほっとしました。
そのまま行ってしまおうしたんですが、看板は完全に壊れてまして。
元のように立てて置いておくことができません。
それでふと心配になったんです。
これが見つかったらなにかの違反になるんじゃないかと。
看板にぶつかってどれくらいの違反になるかは分かりません。
でも、仕事柄免許の点数はいつもぎりぎりでしたから。
悪いこととはわかっていたんですが、その壊れた看板を隠してしまおうと考えました。
その日の目的地は山の奥でして。
近くに人目に触れないようにゴミを捨てられる穴があったのを思い出したんです。
そうなんです。すいません。
本当に悪いこととは思いましたけど、その看板を穴に捨てました。
免許停止になると、車を運転できなくなると、仕事がまったくできなくなるんです。
本当に困るんです。
妻は病気になったし。息子のことだってあるし。
すいません。話がそれましたね。
そんなことがあって多分二、三日後だったと思うんですが。
やっぱり雨の日の夕方。
その時はさすがにライトを点けていましたけど、いきなりでした。
人通りのないと思っていた通りで、あの時と同じ黄色い傘が目の前に現れたんです。
もちろんすぐにブレーキを踏みました。
ぶつかった衝撃がなかったんで、今度は間に合ったと思って安心したんです。
でも、そこにはだれもいませんでした。
なにもありませんでした。
そのときはわたしの見間違いだと思ったんです。
でもそれからでした。
黄色い傘の幻が、あの看板の幽霊が現れるようになったのは。
雨の日、辺りが暗くなって人通りのない道を走らせていると、車の前に必ず黄色い傘が現れるようになったんです。
でもおかしな話ですよねえ。
看板ですよ。壊れた看板。
あんなものが幽霊になるなんて、誰が思いますか?
いったいどんな未練があるというんでしょうねえ。
……ああ、雨、やみそうにありませんねえ。
明日も一日雨でしょうかねえ?
いえ、すいません。明日の仕事の段取りが気になってしまって。
雨が降ると道が込むんですよねえ。
ええと、なんの話でしたっけ?
そうです。だから看板です。
ほら今はもう梅雨に入っているじゃないですか。
雨でない日の方が少ないくらいで。
だから黄色い傘をさしたあの看板の幽霊も、ほとんど毎日のように現れてました。
最初は驚いてその度にブレーキを踏んでいたんです。
けど、しばらくする内に看板の幽霊にもすっかり慣れてしましました。
黄色い傘が出てきても、またか、と思うくらいで。
それで、今日もそうだったんです。
この雨で道がすっかり渋滞しちゃってて、約束の時間に間に合わないことが確実でした。
だからあせってました。
それでついスピードを出し過ぎちゃったんです。すいません。
黄色い傘が出てきたのはわかったんです。
でも、どうせ看板の幽霊だと思って、ブレーキを踏まなかったんです。
……だけど、今日のは幽霊じゃなかったみたいですねえ。
本物の看板にぶつけてしまったんですねえ。またわたし。
わたしの違反は重いんですかねえ?
仕事に障りありますかねえ?
看板にぶつかっただけなんですよ。
ええ、看板だったんです。この前のも今日のも。
それだけなんですよ。
ねえ、おまわりさん。
……えっ? あそこの穴を調べたんですか?
ああ、そうなんですか……。
……すいません。
わたし、ひとつ嘘ついてました。
そうなんです。
ぶつかって捨てた看板はひとつだけじゃなかったんです。
5枚。いや6枚だったかな?
こっちが急いでいるときに、いつもいつも目の前でうろちょろしてるから。
つい、邪魔だと思ってしまって……。
これでもすごく気をつけたたつもりなんですよ。
でもあの看板、夕方になると町中の通りに溢れているじゃあないですか。
ぶつかったって仕方が無いと思いませんか?
ねえ。
……どうかしましたか? おまわりさん。
どうして今わたしの息子のことなんか聞くんですか?
そうですよ。警察の方が一番ご存知でしょう?
息子はまだ見つかっていないんです。
わたしが最初に看板にぶつかった雨の日から。
小学校から帰る途中で行方不明になったきりで。
妻は心配のあまり身体を壊して入院してます。
……本当ですか?
息子が見つかったんですか?
どこにいるんですか?
無事なんですか?
教えてくださいよ。おまわりさん。
……どうしてなんですか?
どうして今からあの穴を見にいかなきゃいけないんですか?
息子とは関係ないでしょう。あそこの穴は。
そうでしょう? おまわりさん。
あそこにあるのはただの看板です。
壊れかけの看板だけです。
一応、この人は自分の息子を車で轢いてしまったショックから、傘をさして歩いている小学生を看板と思い込むようになった、という落ちなんですが、ちょっとわかりにくいかもしれません。