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〜シックス〜
作:悠栖



決意


 バスで弥央の家に着くまでの間、真一は一言も口をきかなかった。
 弥央は心配した。自分が言い出した事なのだが、果たして真一は自分と一緒に暮らすことに本当に賛成なのだろうか。

 思えば奇妙な運命だった。父親を殺した男と、この子は生まれた時から共に居たのだから。

 バスから降りて先導して歩いた。真一は少し具合が悪そうだ。

「どうしたの? 気分悪い?」
「バスって初めて乗ったから」

 真一は弥央を心配させまいと、笑って返事をした。

「これから初めての経験がたくさんあると思うよ」

 弥央もまた、真一のことを思って励ました。
 何も怖くないから、大丈夫だと。

「ねえ、弥央」

 真一が立ち止まって話し掛ける。

「何?」
「僕は本当に一緒に居ていいんだろうか」

 真一の瞳は不安の色でいっぱいだった。

 嫌な思いをさせないだろうか。本当は自分は邪魔者ではないか……。

「何を言ってるの。二人で幸せになるんだよ。人生まだまだなんだもん」

 弥央は自分も不安を抱えていることを悟らせないように言った。
 十五年間不自由だった生活を取り戻させたい。真一には幸せになって欲しいのだ。
 自分の為に謝って、笑顔を見せてくれたこの子を──。

 真一は「ありがとう」と呟いた。

 初めて会った時から気になっていた。お父さんの映る赤い光景──影のある雰囲気を醸し出していた彼女は、次に会った時には既に前進していたのだ。

 どこからその強さが生まれたのだろう。お父さんは彼女を選んだ理由があったのだろうか。

 家に行って謝った時には憎まれた。だけど次は彼女から歩み寄ってくれたのだ。これ以上の喜びはなかった。

 近付いてはいけないと思っていただけに、真一は弥央にこれまで以上に惹かれていった。

 二人は家にたどり着いた。真一にとっては初めての他人の家である。

「何日か空けてたから掃除しなきゃ。ちょっと寝室だけでも用意済ませてくるね」

 弥央は振り返って真一の顔を見た。
 真一は家の玄関で立ち止まって、中へ入ろうとしなかった。

「真一……?」

 返事がない。真一は玄関の床を見つめて体を震わせていた。

 まさかと思った。忘れていた弥央の脳裏に、殺人現場の悪夢が甦る。

「僕……ごめん、弥央……」
「……何が? どうしたの真一」

 弥央の瞳を見つめる真一。今にも泣きそうな顔をしていた。
 そして静かに口を開く。

「……辛い思いをさせてごめんね」

 真一は玄関を飛び出した。

「真一!」

 来た道を走り抜けて、総ての思考をシャットした。
 彼女が失った父親の影を見るのは、どうしても辛い。

 初めて会った時、弥央の後ろに映った竹内の姿。
 玄関で立ち止まって床を見つめた真一には、再びそれが見えてしまった。あの家には、今も事件の傷跡が まざまざと残っていたのだ。

 僕が居なければきっと、弥央のお父さんは死なずに済んだんだ。

 自分を責めずにはいられない──。

「真一! お願い、戻ってきて」

 弥央が真一に追い付いて、走るスピードのまま抱きついた。

「もう一人は嫌なの……お願い、一緒に居て……」
「弥央……」

 真一はその言葉に心を打たれた。

 僕も一人は嫌だ。でも、君と居てもいいの?

「弥央……僕は弥央と一緒に居てもいいのかな……?」
「一緒に居て欲しいよ。真一を一人にできない」

 気付けば真一の瞳から大粒の涙が出てきた。
 こんなにも僕を必要としてくれた人が今まで居ただろうか。

「ありがとう……ありがとう、弥央……」


 高井と山崎は揃って駅に向かっていた。この事件の捜査が始まってから数えるしか帰っていない自分の家に戻るのだ。

「山崎は本当に弥央が好きなんだな」
「なっ、何? 急にっ」

 高井が星を見上げて煙草の煙を吐いた。紫煙は夜空の星を隠すように昇っていった。

「俺は恋してないから、安心しろ」

 山崎はそれを聞いて何も言えなくなってしまった。高井が続けて話し出す。

「恋に墜ちた経験なんて一度もねえな。お前を見てると強くなれるんだなと思ったよ」
「そんなことない。……格好悪いばっかりさ」

 溜め息混じりに語る山崎。けれどその顔はどこか幸せそうだった。

「ショックでどうしようもない深い悲しみに落ち込んだ女の子をさ、守ってやりたいと思うのは男なら誰だってあると思うんだ」

 高井はにやけながら「なるほどなあ」と呟いた。山崎は怒って「茶化さないで下さいよ」と文句を言った。

「けどさ……葬儀の次の日だよ。声が出たかと思ったら、実家で頑張って暮らすって……。
 気が付けば、彼女と長い間居れる事だけ考えてた。もっともっと、変化を側で見ていたかったんだ」

 空は突き抜けるような藍色だった。

「今頃どうしてるのかな……」

 山崎の呟きは、夜空の遠い向こうへと吸い込まれていった。


 薄暗い廊下を歩いていた。
 ここは病院? それとも警察……?

「真一」

 呼ぶ声に振り返った。大谷さんが居た。

 ──どうしたの?

「真一」

 ──どうしてそんなに悲しい顔をしてるの?

「誰にだって、忘れたい事はあるさ……」

 大谷さんは後ろを向いて、僕から離れて歩いて行ってしまった。

 ──待って、大谷さん。

 僕は走って追いかけた。だけどうまく走れなくて、ちっとも追いつけやしなかった。

 急に、目の前に扉が現われた。病室の扉だ。
 その向こうに大谷さんが居るのかと、迷う事なく扉を開けた。

 ──そんな。

「警察は今頃来てどういうつもりだ!」

 僕の本当のお父さんが 昔病院で怒鳴っているのと同じように叫んでいた。

 でも、顔は笑っているのだ。
 笑いながら僕に近付いてくるんだ。

 ──やめろ。

 ──近寄るな。

「清子、お前を手に入れる為なら……」

 笑いながらゆっくりと近付いてくる姿は、まるで走っている時のスローモーションのようで……。

 ──恐ろしかった。

「愛さない子どもも、お前に産ませてやる」

「必ずだ。お前を縛り付ける為だけに、子どもを産ませてやるからな」

 ──やめてくれ!


「真一、真一……」


 弥央の声が、聞こえた。

「弥央……?」

 僕の両肩を掴んで、しかめっ面して見下ろしていた。弥央はぽろぽろと涙を流した。
 頬に落ちる水滴。拭うと、僕も泣いていた。

「真一、辛い……?」

 喉の奥から絞り出される、細い声。そう問い掛けるそちらの方が辛そうだった。

「ずっとずっと、泣いてるよ。あたしが退院して真一に会いに行ってから、真一はどこか泣いてるよ……」

 弥央はずっと真一を心配していたのだ。
 伊藤隆吉が真一を襲ってから、真一は総ての感覚を閉ざした。それに気付いていて、聞かなかった。

「ねえ、何があったの。嫌な事があったんでしょう」

 真一は また 一筋涙を流した。


「……お父さんが……」

「本当のお父さんは……」

「僕を必要としていなかったんだ……」


 辛い夢を見た。
 怒鳴るあの人を見た。
 僕の目の前に現われた黒い影も……あの人だったんだ。

 真一は全てを弥央に打ち明けた。
 伊藤隆吉が病室に侵入してきたあの夜の事。そして大谷に救われた事を。

「大丈夫なの?」
「いや……」
「本当のお父さんなんでしょ? 高井さんが言ってたよね……」

 二人はここに来る前に高井と話した事を思い出した。
 弥央はその時横で聞いていて、ほんの少し焦燥感を覚えていた。
 大事な話を先延ばしにして、二人で暮らしていいのだろうかと……。

「弥央、僕……」

 真一は勝手に溢れ出る涙を拭いながら、決意を新たに口を開いた。

「もう一度、会いに行ってくるよ──」


 翌日 署の玄関で真一を出迎えたのは、微笑みながらこちらに手を振る大谷刑事だった。

「真一、来てくれてありがとよ」
「大谷さん……僕……」

 申し訳なさそうに近寄る真一。大谷は「どうしたんだい」と頭を軽く叩いた。

「大丈夫だ。俺達が真一を守ってやる」

 二人は玄関をくぐって、署の中へと消えていった。

 昨日高井が連絡のついた、伊藤清子に会う為に──。












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