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聖地を守れ 
作:へなへなモヘナ



第七幕 一難去って…


「はぁー…」
 斎藤一郎は会社の喫煙室で憂鬱そうに大きく肩で息をした。
「どうしたんんですか?」
 心配そうに隣で声をかける部下の顔を、覇気のない目で見返す。
「聞いてくれるか?」
 一郎はそう言って、手に持つコーヒーの入った紙コップに目を落とした。
「はい」そう返事するとゴクリと唾を飲み込む。
 部下は一郎の表情から余程のことが起きていると思ったようだ。
「実はな、朝からおかしなことがあって……」
「おかしなこと?どんなことです?」
「……」
 聞いて欲しいと自分から言いながらも躊躇する。
「どんなことです?」
 大きなトラブルか何か…言いづらい内容なのだろうと察し、部下はわずかに語気を強くしてもう一度聞いた。
 一郎はそう言われて決心したように頷く。
 視線は紙コップに落としたままだ。
「朝から数えて四回も黒猫が俺の前を横切ったんだ」
「??」
 部下は拍子抜けしたような表情をする。
「四回だぞ?四回。普通そんなに通勤の間だけで黒猫を目にするか?しかも必ず立ち止まって俺の方を見るんだ」
「……」
 部下は何と言っていいか分からない。
「それだけじゃない。車を運転していたら急に猫が飛び出してきて、いたと思って車を降りたら猫なんて居やしない。そんなことが二回もあった。通勤の間だけでだぞ!?」
 最後の部分をことさら強めて言う。
「……で、なにが言いたいんですか?」
「おかしいと思わないか?」
「まぁ、おかしいと言えばおかしいかもしれませんが……」
 そこで一度言葉を切り、部下は困った顔を一郎に向ける。
「偶然じゃないですか?」
 偶然?出勤の間だけでそんなに猫がらみのことが続いてるのにか?
 一郎はそう思うが、部下の言っていることも分かる。
 一郎自身も普段であればその程度のこと、多少おかしいとは思っても『偶然』と片付けてしまうだろう…しかし……
 先日、マンション建設の件で、妹が家に文句を言いに来たときのことを思い出す。
「お母さんは猫好きだったから」「お母さんが怒るわ」
 ……まさか……
 いや、そんなバカなことがあるか!!
 バカな考えを振り払うように頭を強く振って、一気にコーヒーを喉に流し込む。
「どうかしてるな」
「きっと疲れてるんですよ」
 一郎は苦笑いすると紙コップをゴミ箱に入れ、部下の肩をポンポンと二度叩いた。
「忘れてくれ。さぁ、午後の商談に遅れたら困る。そろそろ出よう」
「はい!」
 部下も立ち上がり、二人で午後の商談について話しながら喫煙室の出口に向かった。
 そのとき一郎は不意に背後から視線を感じて振り返ったが、視界に入ってきたのは窓と窓から見える一本の樹木だけだった。
「ここは二階だぞ。本当に疲れてるのかもな……」
 そう呟いて、もう一度苦笑いすると再び歩き出した。


「目標が動いたぞ」
 樹木の枝に乗っているタスケが下に向かって叫ぶと、下で待機していた一匹の猫が走り出した。
「へへへ、まだまだこれから」
 そう言うとヒラリと地面に飛び降り、タスケも走り去っていった。


「そんなバカな…そんなバカな……」
 一郎はそう呟き、夜の帰路を走る車のハンドルを震えながら握っていた。

 部下と午後の商談に出かけるため、営業車の停めてある駐車場に行ったときに驚くべき光景を目にした。
 営業車の上にまるで待ち構えたかのように、身体の大きな茶色いトラ柄をした猫が陣取っていたのだ。
 いや、その猫だけではない。
 その猫を頂点にして、ボンネット、トランク、タイヤと営業車の至る所に十数匹の猫が乗っていた。
 猫の群れは部下が追い払ったが、猫たちは去り際に『ギャアァオォ〜!』と一斉に威嚇してきたのだ。
 部下も「ほら、車って暖かいですから」と笑って言ったが、さすがにその笑顔が引きつっていた。
 どうやら部下もその異常さに恐怖を感じたらしく、その後は一切猫たちのことは触れて来なかった。
 そんなこともあり、午後の商談はひどいものだった。
 ソワソワと周囲を気にするばかりで、相手の言ってることは全く耳に入らない。
 気分を損ねたのは明確だろう。
 散々な商談を終え、会社に戻った後も周囲を警戒しすぎて営業車から降りることが出来なかった。やっと降りて社内に入ると、今度は恐くて外に出れない。
 早く帰りたいが帰るのが恐い…この矛盾と格闘してるうちにすっかり遅い時間になってしまった。
 ちなみに部下は会社に戻ると、それからは一郎に一切近寄って来なかった……

「うわぁ!!」
 叫びながら一郎が急ブレーキを掛けた。
 道路脇から銀色のような物体が飛び出してきたからだ。
 猫?また猫か?
 帰りだけで何度急ブレーキを掛けたか分からない。
「いや、俺は何も見てない。何も見てない」
 まるでお経のように何度も呟き、子供がイヤイヤをするように頭を振る。
 もう降りて確認する気はさらさら無い。
 早く帰りたい…ただそれだけを考え、力いっぱいアクセルを踏んだ。


 道路脇から銀色の猫が顔を出す。
 タイヤを鳴らしながら、慌てて逃げ去る車のテールランプを見て満足そうに頷いた。


「やっと着いた……」
 ゼイゼイ息を荒げて周囲を見回した。
 周囲は静寂に包まれている。
 ホッと胸をなで下ろして車のエンジンを切る。
 しかしなかなか車から降りることが出来ない。
 しばらくハンドルを握ったままジッとしていると、意を決したように飛び出す。
 車のロックを掛け、まるで死を覚悟した突撃兵のような勢いで、わき目も振らずに玄関に駆けよる。
 慌てた手つきで鍵を解除しドアに手を掛けたそのとき…
 横から無数の猫が恐ろしい鳴き声を上げながら向かってきた。
 ドアを開ける余裕もなく、一郎は叫びながら走り出した。
 そのとき書類を投げ出していたがそんなことすら気付かない。
 ただひたすら夜の道を走った。
 しばらく走ると息が切れて立ち止まり、恐々と後ろを振り返る。
 とりあえず猫の姿は見えない。来た道を引き返す気にはなれず、迂回して家に戻ることにした。
 家の近くまで戻ると、電柱の後ろに隠れて玄関付近を確認する。
 そこにも猫の姿はなかった。
 今度は一郎自身が猫のように足音を殺しながら玄関に近づく。
 書類が落ちているのを見て、やっと自分が書類を投げ出していたことに気付いた。
 慌ててそれを拾い集め、玄関のドアを開ける。
 家の中は暗闇と静寂に包まれている。ピトン……ピトン……かすかに水の落ちる音が聞こえる。
 しばらく後ろ手でドアノブに手を掛けたままジっとして、それでも何の気配もないと分かると安心して鍵を掛けた。
 ひどく喉が渇いた。
 水を飲もうとキッチンに向かいドアを開けるが、そこでもまだ安心が出来ない。
 ドアに手をかけたまま中を覗き込むが、暗くて中がよく見えない。
 しかしとりあえず大丈夫そうだ…
 やっと安心してキッチンの電気を手探りで付けた。
 しかし次の瞬間……
「ヒィィッ!!」
 電気が点くとキッチンの床一面に、血だらけになった無数の猫が横たわっている。
 一郎の意識はそこで途切れた……


 妹の陽子は一郎の家に向かっていた。
 マンション建設についてもう一度兄と話し合うためだ。
 一郎の家に着くと彼の車があることを確認する。
 どうやら帰っているようだ。
 車を停め、玄関へ行き呼び鈴を鳴らす。
「……」
 しばらく待ったが返事がない。
「おかしいわね?」
 そう首を捻ると、バックから鍵を取り出しドアを開ける。
「??」
 廊下の奥、キッチンの明かりが点いてるのを見て不信に思い声を掛けた。
「お兄ちゃ〜ん。居るの〜?」
「……」
 また返事がない。
 何かあったのかと思い、恐る恐ると廊下を進む。
 そしてキッチンにたどり着いて目にしたのは…大の字で気を失う兄の姿だった。
「お兄ちゃん!!」
 陽子は慌てて駆け寄り、身体を揺すると一郎が薄く目を開けた。
「陽子?……おまえどうして?」
 弱々しい声で陽子に問いかけてくる。
「どうしたもこうしたもないわよ!大丈夫なの!?」
 そこで一郎は我に返り、ハッと目を見開く。
「猫が……床に大量の猫の死骸が……」
 一郎は腕を上げ、前方を震える手で指差した。
「??一体なにを言っているの?」
 一郎が指した方向を見て陽子が首を捻る。
 その顔は困惑している。
 陽子の態度を見て、一郎も恐々こわごわと頭を持ち上げて覗き込む。
「!!バカな……」
「お兄ちゃん…本当に大丈夫なの?」
 キッチンの床には猫の死骸どころか、まるで舐め取ったかのようにチリ一つ落ちていなかった。
「……」
「お兄ちゃん!!」
 呆然とする一郎を見て陽子がもう一度呼びかける。
「…おまえの言った通りだ…母さんが怒ってるんだ……」
「一体何があったの?」
「……マンション建設は止めるよ……」
 その言葉を合図のように、二人が背にした廊下をゾロゾロと無数の影が玄関に向かって歩いて行った。
 しかし二人はその気配に全く気付かなかった……


「いやぁ〜、大成功ッスね!」
 カイジが意気揚揚と言う。
「フッ」先頭を歩くタマキが小さく笑った。
「あのビビり方ったら逆に気の毒になりましたね」
 タスケが肩を揺らして笑う。
 タマキ一行は夜の道をぞろぞろと歩いていた。
 全員が身体中を血に見せかけたトマトケチャップでベタ付かせていたが、皆満足そうな表情と誇らしげな足取りだった。
 ギンはそんな皆の姿を見て妙に嬉しくなった。
 作戦が成功を収めたこともそうだが、何より全員で団結した一体感が心地良かった。
 野良生活のときにはもちろんだが、きっとタマキと出会って仲間に誘われることがなかったら、こんな満足感は一生得られなかっただろうと思う。
 そっとタマキの顔を見る。
 歳を取ってはいるが、その横顔には威厳と誇りが感じられる。
「あんたは凄いよ」
 ギンは声には出さずにそっと心の中で呟いた。


 もう少しで街境の橋に差し掛かろうとするとき『それ』は来た。
 よく言う『二度あることは三度ある』というやつだ。
「は〜い、ご苦労さん」
 それは聞き覚えのない声だった。
 ギンたちの足が止まる。
 前方では無数の猫が道を塞いでいた。
 その端にある電柱の上から、その聞き覚えのない声は降ってきたようだ。
 電柱を見上げると、電柱の取っ手の部分にリンと子分が一匹上っていた。
 リンはまるで事故にあったように、アゴから頭の天辺にかけて包帯を巻いている。
 リンがなにか隣にいる子分に耳打ちをする。
 部下は何度か頷くと
「おまえたちが何をしているかは調べさせてもらったぜ」
 どうやらリンは口が利けないらしく、隣にいる子分が代わりに言っている。
 勘に触る口調はそっくり真似ているが、聞き慣れない声なのはそれが原因らしい。
「バカなやつらだ。のこのこ全員揃ってこの街まで来るなんてなぁ。おまえたちが守った物は、ここでおまえたちを倒して、縄張りごとこのリン様が頂いてやるよ」
 リンの口調を真似た子分の言葉に合わせて、リンが自分を親指で差している。
「…なんかホント面倒臭いやつッスね」
 その光景を見てカイジが言った。
 言いたいことを言い終えたのか、リンが両足をバタつかせながら、下にいる子分たちに手を借りて地面に降りてきた。
「…なんだあいつは??笑いを取りにきたのか?」
 タマキが呆れたように言った。
「一匹で降りることが出来ないなら、何でわざわざあんな所に上ったんだ?」
 そんなタスケのもっともな疑問にギンが答えた。
「あいつは『可哀相なやつ』なんだよ」
「なるほど……」
 その言葉を最後に、両軍が威嚇の声を上げながら低く身構える。


 縄張りを賭け、誇りを掛けた戦いが今幕を開けた……






話も終わりに近づいてきました。
楽しんでくれてる方は居るのでしょうか…












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