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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第一章 神官グレイスの章

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第二話 月下の盗賊 <後>

 ……どれだけ足音を消しているつもりでも、衣擦れや、枯れ葉や枯れ枝を踏む音までは普通の人間には隠しきれない。それがなくても、人の気配がだいぶ建物に近づいているのがグレイスにも判る。何度かここを利用している者なら、扉の錠が簡単に木で閂をしただけだとも知っているだろう。ひょっとして、外からでも開けやすいように細工してあるかも知れない。
 ランシィは、建物の裏側に当たる窓を少しあけて、グレイスの相図を待っている。あえて外套は羽織らず、法衣の上にいつもどおり剣を背負い、小窓から外を伺っていたグレイスは、頃合いを見てランシィに向けて片手をあげた。
 窓には外から格子板が何枚か打ち付けてあるから、そこからは出入りはできないが、人の腕が抜けるほどの隙間はある。ランシィは、簡単に縛った数本の木片の束に、重しになる小石をくくりつけたものを、なるべく建物から離れた場所に落ちるように窓から放り投げた。
 少し遅れて、建物の裏手で、乾いた木片がからからとぶつかりあう音が響いた。
 近づいてきていた足音がとまり、すぐに慌てた様子で音のした方に駆けていく。獲物が気付いて逃げだしたと思ったのだろう。
 グレイスは静かに扉を開け、滑るように外に体を押し出し、またすぐ扉を閉じた。近づいてきた人影達よりは上手に気配も足音も殺し、素早く自分も建物の裏側に回る。
「……誰かお探しかな」
 重く多少芝居がかった声で、グレイスは声をかけた。建物の裏の木立の中で、おろおろと辺りをうかがっていた三人の人影が、驚いたように振り返る。
 月明かりの中に伺えるのは、グレイスより多少年が上くらいの男達だった。手に持っているのは、木の枝を削って作ったらしい棍棒や、作業に使うのを持ち出してきたらしい長い棒で、刃物はないようだ。
 三人は戸惑ったように顔を見あわせると、グレイスの手が空なのを見て、意を決したように頷きあった。やはりグレイスが黒い法衣を着ていることも、背中に剣を背負っているのにも気付いていない。
「い、痛い目にあいたくなかったら金をだせ!」
「ほう」
 グレイスは夜目でも判るように、少し大げさに首を傾げた。
「嫌だと言ったら、どのようなことをされるおつもりかな」
 まったく慌てる様子がないグレイスに、男達の方がたじろいだようだった。しかし、仲間と一緒の手前、引くに引けないのだろう。最初に声を上げた男が、すぐに棍棒を振り上げ、殴りかかってきた。
 別に、素手でも構わない程度の相手だ。相手から仕掛けてきたのだから、気絶させる程度に打ちのめしてもいいのだが、その後にこの寒さの中で放置するのも気が引ける。それに、大事なのは追い払った後に逆恨みされたりまた襲いに来るがないよう、徹底的に戦意を喪失させることだ。
 グレイスは構えも避けもせず、男の体が自分の間合いに入ったところで素早く背中の剣を引き抜いた。青い月明かりの中に銀色の光がひらめいて、男がグレイスに向けて振り下ろしたはずの棍棒は空を切った。
 男が握った棍棒の先は、見事に一断されて、長さが三分の一ほどになっていた。その喉元に、月と同じ輝きをした剣の刃がつきつけられ、男は棒を振り下ろした姿のままで硬直した。斬られて支えを失った棍棒の先が、土の上に重い音を立てて転がった。
「ひょっとしたら、ここで私と出会ったのは、これ以上そなたらが罪を重ねることがないようにというカーシャムのご意志であるかも知れぬ」
 男に剣を突きつけているのがほかの男達からもよく判るように、軽く体を横によけ、グレイスはあまり感情を込めないよう声を張り上げた。
「悔い改める気がないのであれば、カーシャムの慈悲の指として、すぐにでも苦しみなく罪からの解放を施せるが、いかがだろうか」
「か、カーシャムの神官……」
 呆然と後ろで突っ立っていた男が、怯えたように声を上げた。もう一人も驚いた様子で身をすくめる。ランシィとグレイスがここにたどり着いた時、二人はそれぞれ外套を羽織っていた。遠目ではこの青年が剣を背負っていることにも、男達は気付かなかったのだろう。
 カーシャムの神官が持つ剣技のすさまじさを知らない者は、どこの国にもまずいない。ある村を、三〇人からで襲撃した盗賊団を、たった一人で壊滅させたという話もある。手加減をする理由がなければ、下手な国の治安部隊よりもカーシャムの神官は容赦がないのだ。
 剣を突きつけられている男は言葉を失い、月明かりの下で更に顔を青白くさせている。腰を抜かさず立っていられるのは、刃が喉に触れるほどの位置にあるから、かろうじて堪えているのだろう。
 グレイスは問いかけるように、大げさに首を傾げた。
「いかがいたす? もうこのようなことはしないと約束できるなら、今回ばかりはこちらも剣をおさめよう」
「も、もももももうしません、み、見逃してくださ……」
「そなたらはいかがかな」
 視線をゆっくり、逃げ腰になっている後ろの二人に向ける。彼らは首が振り切れるほどの勢いで首を縦に振った。
 グレイスは笑い出したいのを堪え、真面目な顔で静かに頷いた。
 突きつけていた刃を喉元から少しだけ離し、下がるようにあごで促すと、崩れそうになりながらも男は慌てて後ろに飛び退いた。腰が抜けそうになった男を、後ろの二人が両脇から抱え、転げるように敷地の外へと逃げていく。
 彼らの姿が一目散に、東へ続く道の先に遠ざかっていくのを見送って、グレイスは苦笑いしながら剣を背中の鞘に収めた。ほかに仲間はいないようだし、あの様子ならもう戻っては来ないだろう。
 気がつけば、男達が武器代わりに持ってきた木の棒と、まっぷたつになった棍棒が地面に残されている。
 これではどちらが追いはぎかわからない。でもせっかくだから、折って薪の代わりにしようと、拾い集めて小屋の前に戻ると、ランシィが扉の前で自分を待っていた。
 もう自分達以外の人間は近くにはいないと、耳で判断したのだろう。普通の子供なら、グレイスが大丈夫だと言うまでは、怯えて扉を閉ざしたままだろうに、なかなか肝が据わった子だ。
 グレイスは膝をかがめてランシィと視線を合わせ、その頭を軽く撫でた。
「君が早くに気付いてくれたおかげで、おおごとにせずに済んだよ。ありがとう」
 ランシィは小さく首を振ると、感心したようにグレイスを見返した。
「おじさん、強いんだね」
 どうやら、小屋の裏での様子を、窓の隙間から見ていたらしい。グレイスは笑顔を見せようとしたが、ランシィの目に単純な賞賛だけではないなにかを感じて、黙って目を瞬かせた。
「……ノムスは、自分で自分を守れるように、賢くて強い人になれって言った。わたしも、頑張ればおじさんみたいに強くなれる?」
 グレイスは、胸に針の先が触れるような微かな痛みを覚えた。
 この子は、今の自分自身が無力でか弱い存在だと知っているのだ。普通なら、あたりまえに大人に守られて、自分が小さな存在であることを歯がゆくも思わない年齢のはずだ。自分を守る大人の力を自分の力と勘違いして、わがままに自由に振る舞えるのも、子供の特権であるはずなのに。
「……そうだね」
 グレイスは胸の痛みをごまかすように、小さく微笑んだ。
「でも、おじいさんの言ってる『強さ』って、こういう事だけじゃないとも思うよ」
「……?」
「その話はおいおいゆっくりすることにして、とりあえず、冷えちゃったから寝直す前にお湯でも沸かそうか。燃やすものもできたし」
 言いながら、自分が切って短くなった棍棒をランシィに手渡す。あまり太さはないが、その綺麗な切り口にランシィはまた驚いた様子だった。
 刃を痛めかねないから、こんなことはあまりしないのだが、相手を脅かすのには多少派手に力を示すのも有効だ。力で相手を傷つけることだけが、強さの表れではないのだ。
「それと、『おじさん』じゃなく名前で呼んでくれると、僕ももう少し、お喋りになるかもしれないよ?」
 このままだと最後まで『おじさん』のまま、後になったら名前なんか思い出してもらえないかも知れない。そもそも『おじさん』という呼称の微妙な意味あいすら判っていないらしいランシィは、腑に落ちない様子ながらも小さく頷いた。

 外套も羽織らず待っていた小さな体は、すっかり冷えてしまっている。その肩を抱くように小屋の中に戻ると、月明かりを頼りに改めて火を起こし、二人は同じ毛布にくるまって、湯が沸くのを待っていた。人の体温に安心したのか、ランシィはグレイスに寄り添ったまま、また眠りに落ちようとしている。
 今ので少しは、頼りになる大人だと思ってもらえたのだろうか。
 自分の膝に頭を預けて眠るランシィにもう一枚毛布を掛け、無意識に頭を撫でてやる。囲炉裏で揺らぐ炎を眺めながら、先の不安とは別の、不思議と満たされたような気分をグレイスは感じていた。
 自分の力で、誰かのための役に立ちたい。グレイスが剣を学んだのは、最初はそんな素朴な願いからだったような気がしたのだ。
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