挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第三章 風来人アルジェスの章

59/74

第六話 3

 パルディナはランシィから聞いたこと、自分と再会してからのことを全て話したのだろう。もしタリニオールがアルジェスを見たのが、パルディナから話を聞いた後だったら、怒りに任せて飛びかかっていたとしても責められない。
「……エリディアは?」
「まだ、情報が得られていないんだ」
 タリニオールは静かに首を振った。
「最初に解放された一般市民の中にはいなかった。二日目に、拘束された者の一覧が届けられたけれど、その中にはエリディアも、君も名前がなかった。賊は何軒かの館に火をつけていたという話だから、逃げ遅れてしまったのかと心配していた」
 タリニオールに頭を抱かれて、ランシィはとても申し訳ない気分になった。タリニオールはなにかをこらえるように少しの間歯を食いしばっていたが、すぐにランシィの頭を軽く撫でた。
「ランシィが無事でいてくれたなら、エリディアもきっと大丈夫だ。彼女は、私なんかよりずっと機転が利くからね」
 ランシィは頷いた。エリディアはあの時、賊にランシィを追わせないためにとあえて残ったのだ。きっとあの後で、そのまま捕らえられるよりも良いと思われる行動を、思いついたのだ。そう思いたい。
 横で水を飲んでいたジャンが、いつの間にか寄ってきて、心配そうにランシィの足に顔を寄せている。ランシィは少し目を細め、ジャンの首を撫でた。立ったまま話を聞いていたキアラが、穏やかに微笑んだ。
「……歌姫は、本当に聡明で博識な人だね。アドラム語だなんて、サルツニアでも読めるのは、王族以外だと、上級の貴族や専門の言語学者くらいだよ。私も騎士の修行を始めた頃から幾らか学んだけど、簡単な文を読むのがやっとで、自分では書けないんだ」
「アドラム語?」
「シャール大帝がサルツニアを興した頃に、この北西地区の一部で使われていた言葉だよ。歌姫が、しおりに書いていた文字の正しい呼び名だ」
 言いながら、タリニオールは最初のしおりを懐から取り出した。刻まれた文字を潰さないようにか、薄い板に挟まれている。
「これには、『私はオルフェシア。あなたは誰ですか』と書かれているんだ。本に挟まれていたという銀の髪も見せてもらったけど、まず殿下のものと見て間違いはないだろう。ディゼルトもそう言っていたよ」
 ということは、タリニオールには難しくさえなければ読めるのだ。ランシィは、自分が預かってきた本を思い出した。開くと、昨日別の本に挟んだしおりに、返事がついていた。
「『扉に鍵はかけられていますが、部屋の中では自由に動けます。薬や枷は使われていません。あなたは誰ですか』……そうか」
「アルジェス達は、ちゃんとお世話してるみたいだよ。食事の用意や洗濯だけじゃなく、体を洗うのにお湯を持っていってあげてるみたい」
 腕に手を触れて自分を見上げるランシィに、タリニオールは複雑な笑みをみせた。
「そうだね、本を差し入れているのも、殿下が退屈しないように気遣っているんだろう。薬で体が動けないようにしていたら、本なんて読む気にならないだろうからね。彼らが殿下を出来る限り丁寧に扱おうとしてるのは、私も判るよ。アルジェスという男が、水路から出たランシィを助けあげてくれたのも、連れ帰って世話をしてくれているというのも聞いている。根は悪い人たちではないのかも知れない」
 ランシィがなにを言いたいのか、判っているようだった。タリニオールは一旦言葉を句切ると、表情をただした。
「ランシィ、彼らにまた新しい動きは無かったかい。なにか、新しく判ったことはないかな」
「そう言えば……、時間を稼ぐために、人質の一部を開放して、その時一緒に次の要求を出そうっていってた」
 ランシィは、朝のアルジェスとギリェルの会話を思い出した。バルテロメのほかに、新しい名前が出てきたのだ。どうやらアルテヤ軍内部の情報を漏らし、密かに賊に協力している人物がいる。ある程度力があって、内部の動きに干渉できる立場の人物だ。
「……そうか、やはりそういうことか」
 驚く代わりに、腑に落ちたような顔つきで、タリニオールは頷いた。
「カルーアス公は、普段は血の気が多くて、ほかの貴族や要人と衝突が絶えないお方なのだそうだが、今回の高級住宅街の事件では非常に慎重論を唱えているらしい。家族が人質になっている貴族から、人質の安全を最優先にするようにでも泣きつかれたのかと、周りから囁かれているくらいだったんだが……」
「カルーアス公って、一三年前の戦争の時、率先して前王に従って言論弾圧とかしてた奴だよ」
 それまで黙って話に耳を傾けていたキアラが、呆れた様子でタリニオールの言葉に付け足した。
「そのくせ、サルツニアが乗り出して来て軟禁状態のリュゴー様が解放されたとたん、手のひらを返したんだ。最終的にリュゴー様についたから、戦犯扱いはなんとか逃れたんだけど、町の人間には今でも毛嫌いしてる者が多いよ」
「当時は前王に忠言して逆に不興を買い、命を落とした者もいたというし、そのあたりの心情を考慮して、リュゴー陛下は出来る限り寛大な対処で乗り切られたと聞いた。実際、それを恩義に感じて忠節を尽くす者もたくさんいたというのに、カルーアス公がこういう形で背信するとは残念なことだ」
 キアラに答えた言葉だったので、難しい言葉がたくさんあったが、ランシィもそれなりに意味は判った。
 きっと前の王様は、自分に逆らう者をいろいろな形でおさえ込もうとしたのだろう。自分だけでなく、家族の命が危ないと思えば、嫌々言うことを聞いてきた人だっていたはずだ。そういう人たちを全てひとくくりに処罰するのは、確かに酷かも知れない。
「ランシィ、歌姫から話を聞いてすぐ、アルジェス達が使っている建物の持ち主からつながりをたどったら、やはりカルーアス公の名前が出てきたんだよ。あの建物は前もって、屋根裏部屋の改装と排水の設備を整えたりしてたようだね。上手く隠してはいたけど、その工事の手配や費用の出所も、どうやらカルーアス公のようだ」
 そうか、アルジェス達が前もった準備もなく、あの建物でいきなり暮らしはじめることは出来ない。彼らが来る前に、建物を用意して人一人を隠すだけの設備を整える誰かが必要なのだ。
 前もって警備の兵士の中に人を紛れさせておいたことといい、今回のことは、かなり時間をかけて計画された事だったのだろう。アルジェス達は最初から荷担していたわけではなく、ただたまたま、王女を隠し、賊を束ねて指示を出す仕事を請け負っただけに過ぎないようだ。
「アルジェス達は、人質を解放する際に、謎めいた内容の要求を一緒にしてくるのだね。確かに、意味ありげな品物を用意するよう言われたら、どんな秘密があるものなのかと勘ぐってしまうだろう。彼は、人の心の動きをよく判っているようだ」
 アルジェスは、自分の立ち回りで女達がどう反応するかもよく判っている。悪い人ではないと思うが、人の心の動きを誘導すること自体は、あまり罪悪感を持っていないようだった。たぶん『仕事』は彼にとって、遊戯ゲームのようなものなのだろう。
「アルテヤ軍内部に内通者がいるのは推測できていたんだが、賊の目的も判らず、糸口が掴めなくて特定に手間取ってたんだ。でも、君と歌姫のおかげで、一気に形勢をひっくり返せそうだ」
 そこまで言うと、タリニオールは幾らか余裕のある笑みを見せた。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ