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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第三章 風来人アルジェスの章

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第六話 ランシィ、アルジェスの仲間達のことを考える 1

 屋根裏の「誰か」への食事は、ふた付きの籐のかごに、弁当のように詰められて運ばれているらしい。ランシィをお使いに出せない夜の分は、食事の支度のしている間にユーゴがそれとなく詰めて、ランシィに片付けの手伝いをさせたり将棋の相手をさせて気を引いている間に、モイセやアルジェスが持って行っているようだった。
 ただ今日のアルジェスは、パンをつまんだだけで、すぐによそ行きに着替えてそわそわと出て行ってしまった。それでも、ランシィが形を作った不揃いなものを選んで食べて、
「個性的な形だな。個性は大事だぞ」
 と、褒めているのかよく判らない感想を言っていた。
 アルジェスが戻ってきたのは、昨日の夜にランシィと帰ってきたのと、そんなに変わらない時間だった。夕方の部と夜の部と、歌姫の公演は二回あるはずだから、もっと遅くまでいるものだと思っていたのだが、お忍びの貴族らしい者が、夜の部の時間、店全体を貸しきったとかで、ほかの客はそれ以上いられなかったらしい。世間は未だに騒がしいのに、豪儀な者もいるものだ。
「でも、歌姫がわざわざ挨拶に来てくれてさ」
 早く帰されたことを悔しがる素振りもなく、酒も入ったアルジェスはいつも以上に陽気だった。
「夜の部は、夕方の部と違った趣向なんだってさ。『ぜひ遅い時間の方を、あなたに見ていただきたいわ』なんて言うんだよ。『そのほうが、終わった後にゆっくりお話しできますし』って、いやぁ参ったな」
 説明と一緒に、パルディナの仕草を真似てしなを作り、モイセに気持ち悪がられている。ユーゴは、アルジェスが一五歳以下に聞かせるにはあまりふさわしくないことを口走らないかとはらはらしていたようだったが、アルジェスでもこんな風に鼻の下が伸びるのだなぁと、ランシィは感心して眺めていた。
 しかし、聞いているとどうもパルディナは、本気でアルジェスを「落とし」にかかっているようだ。アルジェスが何を落とすのかランシィはよく判らないが、きっとなにか考えがあるのだろう。
「そうそう、ランシィにはこれな。あの店で作ってるんだってさ」
 ひとしきり話した後、アルジェスは手に持っていた包みをランシィに手渡した。中には、丁寧に作られた綺麗な焼き菓子が入っている。ランシィを置いて歌姫の歌を聞きに行ったことに、多少気が引けていたのだろう。
 歌姫に目がくらんでしまっているように見えて、こういう分別はちゃんとあるのだ。それなのに、気のある素振りをされてその気になっているほかの女達のことは、今はどうでもいいらしい。
 こういうところの男のちぐはぐさが、ランシィにはよく判らなかった。パルディナなら、判るように説明してくれるだろうか。
 話すだけ話したら気が済んでしまったらしく、アルジェスは雲の上を歩くような足取りで二階に上がっていった。危なっかしいのでついていったモイセが、「寝るなら服くらい着替えろ」などと声を上げている。
「ユーゴ、この前、困ってる知り合いを助ける為に仕事を引き受けたって、言ったよね」
 天井を眺め、苦笑いしているユーゴに、ランシィは思い切って聞いてみた。
 ユーゴは不意を突かれた様子でランシィを見返したが、自分で口にしたことだからか、話を誤魔化したりはせず小さく頷いた。
「困ってた知り合いの人は、まだ困ってるままなの?」
「いや……、俺達が仕事を引き受けたから、そっちはもう大丈夫なんだ。でも、仕事として引き受けたからには、最後までやらないとな」
「ふうん……」
「なんでそんなことを?」
「ちょっと、気になっただけ」
 ランシィは静かに首を振った。ユーゴは少し困ったように頭をかいた。
「おいらがそんなことを離したなんて、みんなには言わないでくれよ。お喋りな奴だって思われちまう」
「うん」
 どんな事情かはやはり判らないが、仕事自体が失敗したら知り合いも助けられない、ということではないらしい。
 いつもはランシィが一番に休まされるのだが、寝る前の支度を終わらせてランシィが二階に上がると、アルジェスはモイセが用意したらしい寝具の上にかろうじてのっかって、気持ちよさそうに軽いいびきまでかいていた。気のせいかなんだか部屋も酒臭い気がする。
 ランシィは少しの間、無防備に眠るアルジェスを眺めていた。女達の前では、垢抜けた澄ました顔をしているくせに、今は大人の男の人のようには見えない幼さがある。
 自分は、彼らにどうなって欲しいのだろう。
 アルジェス達だけじゃない、今高級住宅街にいる人たち、この町にいて、賊やルトネアの動向を不安に思いながら暮らしている人たち。アルテヤの軍の人たち、サルツニアからやってきた人たち。
 ランシィは小さく息をつき、弱く絞った燭台の灯りを頼りに、寝台代わりの長椅子に横になった。人より耳の良いランシィは、特に就寝前の雑音は寝付きに関わってくるのだが、アルジェスのいびきも、今はあまり気にならなかった。

「……そろそろ、軍の内部でも、強行突入の意見が強まってるらしい」
 階下から、ひそめたギリェルの声が聞こえる。早く寝てすっきりしたのか、アルジェスはもう階下に降りたようだった。
「カルーアス公がのらくら押さえてるらしいが、そろそろ難しいかも知れないって話だ」
「こっちの動きがないから焦れてきたかな。んじゃ、そろそろ小さい子どもと母親は解放してやるか」
 なんでもなさそうに、アルジェスが答える。昨日よりは気分が落ちついたのか、受け答えはうわの空という感じではない。
「あと、残っている者を解放して欲しければ身代金代わりの品物を準備しとけって、適当に要求させるよ。金と馬あたりが無難かなぁ。あ、前王の妃の財宝の中にある首飾りとかがいいかな」
「金はともかく、なんでそんなのを?」
「相手に『こんなものを要求する理由はなんだろう』って考えさせるためさ。高級住宅街を占拠してまでそれを欲しがるなら、きっとなにか重要な意味があるに違いないって、連中は思うだろ。その宝物にどんないわくがあるかくらいは調べたくなる。それで三日は稼げらぁ」
 確かに、ただ時間稼ぎのためだけに高価なものを要求するなどとは普通は考えない。普通は要求された側が、多額の身代金を用意するために時間を稼ぐものなのだ。
「昨日の様子だとこれからどうなるかと思ったが、大丈夫みたいだな」
「俺か? 当たり前だろ」
 安心したようなギリェルの声に、にやりと笑みを作ったような声でアルジェスが答えた。
「踏み込まれたら俺達もここから出て行かなきゃいかなくなるだろ。パルディナといちゃいちゃできるまであと一歩なのに、ここで終わらせたらもったいない」
「そこかよ!」
 そこからは、パルディナがどれだけ自分に興味があるらしいかを、たぶん身振り手振りまで交えながらの説明が始まって、ギリェルはうんざりした様子で適当に返事をしているだけだった。しばらくすると、『飯まで寝る』と一言言い捨てて、ギリェルが階段を上ってきた。
 いつもは朝食を食べるまでは階下にいるのだが、よほどアルジェスがうっとおしかったらしい。足音をあまり立てないように上がってきたギリェルは、そのまま床に転がるかと思ったら、少し考え込むように立ち止まった。寝たふりをしているランシィを、離れたところから眺めているのが判る。
「……こんな仕事、さっさと終わらせてぇよ」
 ため息のように呟くと、ギリェルは今度こそ、床に横になったようだった。驚きに呼吸を乱さないように気をつけ、ランシィはそのまま寝たふりをしていた。
 ギリェルは一日の半分を、高級住宅街の中で過ごしているのだ。中でなにをしているのかは判らないけれど、賊に直接会って行動を指示したり、捕らわれている者達を実際に間近に見ているはずだ。
 自分達は害を与える気はなくても、抵抗する気力を奪うために、人質達はそれなりに怖がらせなければいけないだろう。アルジェスの仲間なら、弱い者を力で脅して怯えさせるのはあまり好まないのではないか。
 それでも、自分が中でどんな思いをしているかは全く見せず、淡々とアルジェスに報告し、指示を受けて、ギリェルは毎日穏やかな外の世界とを往復している。
『お前、本当に左目が動かないんだな』
 自分を見たときの、なんの同情も侮蔑も感じられない、ただ事実を口にしただけのギリェルの声を、ランシィは思い出した。でもけして、ギリェルは冷淡な人ではない。今だって、ランシィが寝ていると思って足音をひそめて上がってきた。
 アルジェスやユーゴのように自分の感情を行動や言葉に表すのが、ギリェルは苦手なだけなのではないか。アルジェス達には出来ない役を、なんでもないような顔で引き受けて、見えないところで一人、苦しんだり傷ついているのかも知れない。
 いつしかギリェルが浅い寝息を立て始めたのを、ランシィは動きを押し殺して聞いていた。そして考えていた。
 自分はみんなに、どうなってほしいだろう。自分は、どうしたいだろう。
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