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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第三章 風来人アルジェスの章

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第五話 4

「朝のうちにパルディナが、あんたが暮らしてた孤児院に顔を出しにいったら、昨日はタリニオール卿が来ていたと言われたそうだ。あまり多くは語らなかったようだけど、もしランシィが訪ねるような事があったら知らせて欲しいと言っていたって。パルディナが来てることを聞いて驚いていたらしいから、時間を見つけてタリニオール卿からパルディナに会いに行くかもしれないね」
 パルディナは町に来てすぐ孤児院に行ったと言っていたから、それを孤児院の大人がタリニオールに伝えたのだろう。その気になれば、パルディナの歌う店を探すのも容易いはずだ。
 心配させているのだろうな。高級住宅街の中の様子がわからなくて、駄目でもともとで孤児院にまで出向いたのだろう。
 エリディアの行方を、タリニオールは掴んでいるのだろうか。賊の本当の目的を、タリニオール達は知っているのだろうか。会って聞きたいことはたくさんあった。でも一度会ってしまったら、ランシィがアルジェス達の所で様子を伺うことは、もう出来なくなってしまうだろう。
「もし本当に屋根裏に王女様がいて、それを助けたとしてさ」
 ジャンがまだ飲み足りなそうな顔をしたので、手のひらに水をつぎ足してやりながら、キアラは訊ねた。
「ランシィは、アルジェス達にどうなって欲しいんだい?」
「どう……?」
「人さらいは悪いことだよ。ましてや、相手は王女様だ。それに、高級住宅街の賊とも関わりがあるかも知れないんだろ? アルジェス達が捕まったら、それなりの罰は受けなきゃいけない」
「うん……」
「高級住宅街の中じゃまだ、賊に捕らえられたままの人がいる。賊は、特になにかを要求してはいないそうだけど、捕まっている人たちは恐ろしいだろうね。家に火をかけられて怖い思いをしたのは、ランシィたちだけじゃない。ランシィの所は使用人がいなかったからまだ冷静でいられたかも知れないけど、自分達が信用していた使用人が、賊に荷担してたって家もあるようなんだよ。驚く以上に、がっかりした人も多いだろう」
 キアラがなにを言いたいのかが掴めず、ランシィは黙って彼女を見返した。手のひらの中の水が無くなって、ジャンが口を離したので、キアラは湿った自分の手を前掛けにこすりつけた。
「アルジェスみたいな奴は、世間がそこそこ平和なほうが、生きやすいんじゃないかと思ってね。サルツニアにもアルテヤにも含むものはなさそうなのに、なんでそんなことをしてるかが、ちょっと気になったのさ」
「それは……」
 普段は請け負わない仕事だけど、仕方なく、とユーゴは言っていた。多くの人を不安にさせて、ひょっとしたら平和なサルツニアがひっくり返りかねないようなことに協力するだけの事情がある、ということなのだろうか。
「どんな理由があっても、駄目なものは駄目なんだがね。もしあたしが被害者なら、何も悪いことをしてないのに突然、それまでの生活を滅茶苦茶にされたら、絶対許さないだろうしさ」
「……」
「まぁ、あまり無茶はしないんだよ。辛くなったり、危ないと思ったら、あたしの所でもパルディナの所でもすぐ来るんだよ」
 ランシィが小さく頷くと、キアラは軽く手を挙げて、また荷車を引いて歩いていった。ジャンがその横をつかず離れずついていく。
 なにを考えればいいのかも判らなくなって、ランシィはしばらくその後ろ姿を眺めていた。
 パルディナがタリニオールと会えることになったら、やはりランシィの居場所も、ランシィを助けた人物が高級住宅街の賊と関係があるかも知れないことも、そこの屋根裏に王女がいるかも知れないことも、話すことになるだろう。もし兵士に踏み込まれるようなことがあったら、アルジェス達はどうするのだろう。身を守るために、自分や屋根裏の『誰か』を盾にしたりするのだろうか。
 アルジェス達は全く、そうした事態を想定していないように見える。アルジェスは、自分達のしていることそのものは、あまり深刻に考えていない様子だ。高級住宅街の賊の動きさえ計画通りなら、自分達の身に危険があるとは考えていないのだろう。
 もしアルジェスがランシィを拾わなかったら、誰にも知られようが無かったことだったから、それも無理はないのかも知れない。

 歩いているうちに、だんだん人通りが増えてきたようだったので、ランシィはふわふわした足取りで酒場の建物に戻っていった。ギリェルはもうでかけたらしく、代わりに、二階で転がるのも飽きたらしいアルジェスが、テーブルに肘をついてぼんやりとしている。
「これなら、女達の所で遊んでてくれた方がいいよ」
 モイセがぼやきながら、取り込んだ洗濯物をたたんでいる。時折思い出したようにニヤニヤするアルジェスを遠巻きに見ていたら、厨房の中で作業しているユーゴが、苦笑いしながらカウンター越しに声をかけてきた。
「ちっこいの、アルジェスは構わなくていいからこっちへおいで。今日は木の実が手に入ったから、ちょっと甘いパンを焼くぞ」
 なにか固いものを刻んでいるような音をさせていたが、のぞき込んでみると、それは乾燥させた胡桃の実だった。ユーゴは刻んでない実をひとつランシィにくわえさせると、先にある程度こねていたらしい生地に刻んだ胡桃を放り込んだ。ざっくりと混ぜて生地を分け、半分をランシィに渡してきた。
「木の実は栄養があるからな。ちっこいのもちゃんと食べて、もうちょっと肉をつけないとな」
 ユーゴは笑って、こねた生地を小分けにして形をつけ始めた。何気ないひとことなのだろうが、ランシィは上手く答えられず、同じように小分けにした生地で形を作った。
 一見これは、とても平和な風景だった。
 高級住宅街の中で、不安な気持ちでいる人質達も、あの日まではこういう日常があったのだ。自分だってそうだった。もしエリディアが機転を利かせてくれなかったら、自分もあの中で今、不安な時間を過ごしていたのだ。
 一日も早く、人質達は無事に解放されなくてはいけない。それは同時に、アルジェス達のこの日常が消えることだ。それは仕方がないことなのだけれど、もしその時が来たら、彼らはどうなるのだろう。
 悪いことをしたら、罰は受けなくてはいけない。それと判っていて、みんなに悲しい思いや辛い思いをさせた人が、自分達はその責任を負わずにいるのはよくないことだ。
 でも、ランシィを不憫な子どもだと思って、親切にしてくれているのも事実なのだ。本当は、悪い人たちではないのだと思う。それとも、自分が親切にされているから、悪い人たちだと思いたくないだけなのだろうか。
「ちっこいの、なかなか筋がいいよな。修行すれば料理人もいけるぞ」
「女の子なんだから『いい嫁さんになれるぞ』くらい言ってやれよ」
「あ、そうか、女の子か」
 モイセの言葉で、思い出したようにユーゴが声を上げる。
 ランシィがもう少し大きかったら、微妙な気分になるようなやりとりだったかも知れない。でもランシィは、ユーゴの間の抜けた声がおかしくて、思わず小さな笑みを漏らした。
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