挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第三章 風来人アルジェスの章

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

54/74

第五話 2

 軽い吠え声がして、八百屋と隣の建物との間から、白い犬が飛び出してきた。大きさは人間の幼児ほどだが、犬としてみるとかなり大きい。
 驚いて足を止めると、犬はそのままランシィに駆け寄り、じゃれるように足元にまとわりついてきた。
 どうやら害意はないらしいが、それなりに大きいのでさすがにランシィも戸惑ってしまった。邪険に振り払うのも気が咎める。それに手を伸べてうっかり噛まれでもしたら、周りに危険な犬だと思われて可哀相なことにならないだろうか。
「こらジャン、坊やがびっくりしてるだろ」
 犬が飛び出してきた所から、今度は空き瓶の入った木箱を持った女が現れた。背が高く、力仕事が生業なのか、肥っているわけではないのに腕も足も逞しい。中途半端に伸びた茶色の髪を後ろで束ね、化粧気もない。しかしもとの顔立ちが整っているせいか、あまり粗雑さも感じない。
 犬は反省した様子で少し下がると、ランシィの足元に行儀良く座り込んだ。
「おや、坊やじゃないのか。ジャンが喜んで男の子に寄っていくなんて、珍しいとは思ったんだ。失礼、お嬢ちゃん」
 女は木箱を荷車に載せると、あっけにとられているランシィに男気のある笑顔を見せた。
「ジャンに気に入られたみたいだね。パルディナの匂いでもするのかな」
 ランシィははっとして女を見返した。『犬を連れたご婦人』などというから、可愛らしい小犬を連れて日傘でも差して歩くような物静かな女性を想像していたのだ。
「こう見えてもジャンは紳士だからね、女の子に噛みついたりしないよ。なでてごらん」
 言われてランシィは、犬の前にかがみ込むと首元に手を伸ばした。犬は気持ちよさそうに目を細め、ランシィのするに任せている。女もランシィの横にかがみ込んだ。
「ランシィだね? あたしはキアラ。家で酒屋をやっててね、朝はこうやって、配達ついでにお得意さんの店先から空き瓶や樽を集めて回ってるのさ」
 それで荷車なのだ。馬もロバもいないから、自分でひいているのだろう。
「前にパルディナが町に来た時に知り合ってね。パルディナのおかげでお得意さんが増えて、なんとか店が持ち直したんだ。今歌ってる店にもうちが酒を卸してるんだよ」
 ランシィは頷いた。パルディナは気ままで奔放だが、力を誇るものに媚びたりはしないし、逆に弱い立場の人にはとても優しい。
「話はあらかた聞いてる。アルジェスは、半月ぐらい前に突然この界隈に現れてね、『知り合いが店を始めるからその下準備に来た』なんて上手いこと言ってたけど、気がついたらあちこちの店の若い娘から若くない娘にまで取り入って、よろしくやってるじゃないか。それなのに、実際の仕事はなにをやってるんだかさっぱり判らないだろ。このあたりの人間はそれぞれ事情を持ってる人が多いから、余計な詮索をしないことになっちゃいるけど、目をつけてた女を横からかっさらわれた男等にしたら、面白くはないやね」
 なかなか歯に衣を着せない性格らしい。目を白黒させているランシィの手に、ジャンが気持ちよさそうに頬ずりした。
「まぁ、あんな奴でもパルディナにかかればなんてことはなさそうだ。ただ、あんたとパルディナが知り合いだってアルジェスにばれたらまずいんだろ? どうしても必要な時以外は、あたしが間に入って連絡とってくれって頼まれたんだ」
 キアラは立ち上がり、荷台の中から、中身が入っている小さな瓶を取り出した。中身はどうやら酒ではなく、果物の汁のようだ。
 瓶の胴体に紐が巻かれていて、そこに二枚の紙が挟まれていた。一枚は折りたたまれた新しい白い紙で、もう一枚はこの前のしおりと同じ形の、古びた感じのものだった。キアラが開いた白い紙はには、ランシィが読めない文字が書き込まれている。。
「もしあんたがしおりに『返事』をもらっているようなら、その中にこの文字が入っていないか確認してくれって言われた。王女様のお名前だそうだ」
 ランシィは辺りに注意を払いながら、本の間に挟んだままのしおりを抜き出した。白い紙に書かれているのと同じ文字が、光の加減で浮き上がったしおりの文字の中に、確かに存在していた。
「それなら、これはパルディナに渡しておくよ。で、次はこれを挟んで渡しなさいってさ。あ、まだビンにつけておくといいよ」
 ランシィに瓶を押しつけ、かわりにしおりを受け取ると、キアラはそれを、白い紙と一緒に大きな前掛けのポケットの中に入れた。きちんとボタンを留めるのも忘れない。
「そっちには、『迎えに行ったら自力で歩けるか。拘束されていないか』と書かれてる。仮に扉を開けたとしても、本人に枷をされてたり、薬で体の動きが制限されてるってこともあるからね。それによって、打つ手も変わって来るだろうってさ」
 そういう心配もあるのだ。ランシィには思いつかなかったことだった。
 ただ、アルジェスの話しぶりだと、夜に大きな物音をたてないのは本人が気をつけているだけのようだ。昼は自分でお湯を使ったり、食事もとれるようだから、動き自体に問題は無いように思える。そう伝えると、キアラは感心したようにランシィを見返した。
「あんた、なかなかしっかりものを見てるようだね。さすがパルディナが妹分だって可愛がってるだけのことはあるよ」
 ランシィは少し驚き、微かに笑みを浮かべた。確かに、自分がユーシフの娘と同じなら、パルディナにとっては妹と同じだろう。
「言伝は以上だけど、なにかパルディナに伝えることはあるかい?」
 ランシィは、ギリェルの出入りする時刻を確かめるように言われていたことを思いだした。ギリェルはいつも、日が昇ってから半刻(一時間)ほど経った頃に戻ってくる。そして、昼を過ぎて一刻(二時間)ほどすると起きてきて、一人で食事をとっていなくなる。
「なるほど、一日の半分は姿を消してるんだ。夜はいないんだね」
 キアラは頷いた。
「その瓶のラベルに、うちの店の名前と場所が書いてあるから、なにかあったら訪ねておいで。アルジェス達に聞かれたら、『暇なら配達の手伝いをしないかって勧誘された』とでも言っておくといい。実際、人手不足は年中だからね」
 キアラは豪快に笑い、ランシィの頭を軽く撫でて立ち上がった。ジャンが名残惜しそうにランシィの足に頭をすり寄せ、荷車を引く主人の後についていった。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ