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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第三章 風来人アルジェスの章

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第五話 ランシィ、犬を連れたご婦人と出会う 1

「……どうも、サルツニアの方は計画通り行ってないみたいだな」
 階下から、ギリェルの声が聞こえてくる。ランシィは長椅子の上で毛布にくるまったまま、身動きしないように目をあけた。もう戻ってくる時間になったのか。
「最初は乗り気だった貴族が一部、動きが鈍いらしい。さすがに計画聞かされて腰が引けてるんじゃないか」
「ふうん……」
「あいつらが自滅しても構わないが、そうなるとこっちはどうするんだ? 適当に頃合い見て逃げちまうか?」
「ふうん……」
「アルジェス?」
 気の抜けた返事のアルジェスに、さすがにおかしく思ったらしいギリェルがきつい声で問い返した。
「どうした? 様子が変だぞ?」
「いや、別に……」
「昨日の夜からずっとこんな調子なんだ」
 黙って話を聞いていたらしいユーゴが、からかうように口を挟んだ。
「ランシィに頼まれて、一緒に今町に来てる歌姫を見に行ったんだよ。よっぽどいい女だったみたいだぞ」
「お、おい、ユーゴ」
「なんだ、また新しい女か」
 ギリェルが呆れたように息をついたのが気配で判った。
「別に暇な時はなにをしてたっていいが、仕事はきちんとしてくれよ。俺達だけの問題じゃないんだから」
「判ってるって、そんなんじゃねぇよ」
 照れ隠しにか、アルジェスがぶっきらぼうに答えた。いつも口数が多いのはアルジェスの方なのに、今は軽口を叩く気配もない。
 ランシィは壁に掛かったワンピースをちらりと眺め、寝間着のポケットに隠していた紙片を取り出して広げた。
『朝お使いに出されたら、イヘル通りの八百屋の前を通ること。犬を連れたご婦人に声をかけられたら、犬をかまう振りで話を聞くこと』
 イヘル通りは、本を受け取りに行った時に通った道のようだった。そう言えば帰り道に、八百屋の前で女達の会話を聞いた記憶があった。
 下の階の会話が途切れた頃合いをみてランシィが階下に降りていくと、ギリェルはカウンターに肘をついて生あくびをしていた。ユーゴは朝食の支度をしていて、モイセは買い物にでも行っているのか姿がない。テーブル席のアルジェスはランシィを見て軽く手を挙げたものの、どこか上の空の様子だ。
「アルジェス、昨日はありがとう」
「あ、いや、ああ……」
 ランシィの子どもらしい率直な言葉に、アルジェスは慌てた様子で取り繕うような笑みを見せた。ギリェルがじろりとアルジェスに目を向け、また視線を戻す。
 ランシィが「どうしたんだろう?」というように軽く首を傾げたので、ユーゴがおかしそうに顔の前で手を振った。
「ランシィ、顔を洗ったら、その本をこの前の婆さんの所に持っていってくれないか。場所はもう判るだろ?」
 カウンターの端には、昨日ランシィがしおりを挟んだのとは違う本が二冊ほど置いてあった。どうやら屋根裏の『誰か』はとても読書好きらしい。まぁ、読書くらいしかすることがないのかも知れないが。
 ユーゴの言葉にランシィは頷いた。外にでかける支度をすませた頃にモイセが戻ってきた。朝食のためのパンを買ってきたらしい。入れ替わりに外に出ると、ランシィはつけられていないかをそれとなく伺いながらゆっくり歩き出した。しかしアルジェスがあの様子では、みんな、ランシィの行動にまでは気が回らないようにも思えた。
 角を曲がって通りに出ると、ランシィは何食わぬ顔で預かった本を開いてみた。二冊目の中程に、外にはみ出さないように、昨日ランシィが挟んだしおりが挟まれていた。屋根裏の『誰か』が気がついたのだ。
 文字の書かれた側には特に変わったものはなかったが、裏返すと、昨日は無かったでこぼこがついている。よく見ればそれは、針のように先端の細く尖ったものを押しつけて文字を書いたようだった。ペンやインクなど渡されていないのだろう。そしてそれはランシィには読めない文字だった。
 この『文字』を潰さないようにパルディナに渡さなければいけない。しかしこれでは、不用意にポケットに入れたらなにかの拍子に文字部分が折れてしまうかも知れない。どうすればよいだろう。
 とりあえず本の間にしおりを戻し、考える時間を稼ぐようにゆっくりとランシィは歩いた。その先に、指示された八百屋があった。
 店はまだあいておらず、建物の前には樽や空き瓶の並んだ箱を乗せた荷車が停まっている。『犬を連れたご婦人』らしい姿はない。帰りがけに、店が開いた頃にまた来るかと、前を通り過ぎようとしたとき、ランシィはふと獣の息づかいに気付き視線を向けた。
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