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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第三章 風来人アルジェスの章

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第四話 4

 それは雪に閉ざされた村の宿屋で、泣き出した赤ん坊を見てパルディナが歌った子守歌だった。


 この子はどんな子になるかしら
 その手はなにを掴むのかしら
 野に咲く水仙の花かしら
 それを大事な人にあげるのかしら

 その目はなにを見るのかしら
 夜空に流れる星の河かしら
 それを大事な人と指さすのかしら

 強さは優しさを忘れないこころ
 賢さは道を違えぬ正しい瞳
 忘れないでね 私の大事な子
 いつかあなたが私の手を離れても
 私はあなたを愛しているわ

 だから安心して
 おやすみなさい おやすみなさい


 こんな所で子守歌か、という顔をするかと思いきや、客の大人達は一様に、感慨深げな顔で聞き入っている。若い者は自分の親の気持ちを察し、年配の者は自分の子どもを思う気持ちを重ね合わせているらしく、涙ぐんでいる者もいた。
 唄の邪魔にならないように声を殺し、静かに泣いているランシィに気付いて、アルジェスはひどく驚いた様子だった。口数も少ない、笑うのも滅多にないランシィが、歌姫の歌に涙を流しているのだ。
 ランシィにとってこの歌は、自分を愛してくれている者、大事に思ってくれている者がたくさんいることを思い起こさせ、穏やかにしてくれる歌だった。
 ランシィは用意されたナプキンの端で目元を拭い、大丈夫だというように目配せした。アルジェスはしばらく気にした様子だったが、その一方でやはり歌姫の様子も気になるらしい。目の動きは正直だ。

 しっとりとした雰囲気の中、少し客達に話しかけ、給仕達の動きが落ちつくと、パルディナは最後に明るい歌を二曲続けて歌い、場を締めくくった。
 この後はしばらく歌姫は下がり、その間に舞台前の席の客を入れ替るらしい。ランシィが店にいられるのはここまでだ。
 パルディナは、舞台近くの席の客相手に、挨拶と軽い会話を交わしている。こういう時間に心付けを渡す者もいるので、演者には大事な稼ぎ時でもあるのだ。
 アルジェスは名残惜しそうだ。出来ればきっかけを作って、パルディナと会話したいと思っているのだろう。自分一人だけ帰ってもいいかと、ランシィが思っていた所に、
「歌姫がお二人にご挨拶したいとのことなので、少しお待ち頂けますか」
 皿を下げに来た給仕に小声で囁かれ、アルジェスは願ってもないとばかりに大きく頷いた。平静を装っているが、明らかに口元が緩んでいる。ほかの女達には優しい顔で甘いことを言っていたが、こんな風に嬉しさを隠しきれないでいるのは一度も見なかった。

 あらかた挨拶を済ませ、客の退席が始まると、パルディナは静かにランシィ達の席に近づいてきた。ここでは、ランシィはパルディナを一方的に知っているだけの関係だ。立ち上がろうとしたランシィを片手で制し、パルディナは二人に向けて軽く膝を折った。
「ようこそおいでくださいました。話は支配人から聞いておりますわ。お名前を聞かせてもらってもいい?」
「ら……ランシィです」
「ランシィ、私のことを覚えていてくれてありがとう。今日の私の歌は、あなたをがっかりさせたりしなかったかしら?」
「い、いえ。前に聞いたときよりもずっと素敵で、楽しかったです」
 それは本当だ。素朴な賞賛に、パルディナは嬉しそうにランシィの手を取り微笑んだ。
「それならよかったわ。次にあなたに聞いてもらう時も、同じように言ってもらえるように頑張るわね」
 そこまで言うとパルディナは、横でそわそわした様子のアルジェスに視線を向けた。
「この方が、あなたを連れてきてくれた素敵な紳士ね。どういう間柄でいらっしゃるの? お兄様かしら?」
「あ、俺は……」
 とっさのことに、アルジェスが言葉に困っている。これもランシィには意外だった。ほかの女達相手には、すらすらともっともらしい事を口にするのに。
「友達です。アルジェスはとてもいい人なの」
 ランシィの声に、パルディナは、ランシィに向けていたのとはまた違う種類の笑顔を見せた。
「とても素敵なご友人をもっているのね、うらやましいわ。アルジェスさんっておっしゃるの」
 間近で視線を捕らえられ、アルジェスは戸惑った様子で頷いた。自分でも、普段の調子が出ないことに気付いているらしい。
「支配人からあなたの話を聞いて、とても感動したの。小さなご友人が店に入れるように、熱心に頼み込んでくださったんですってね。それに、あなたの話どおり、彼女は礼儀正しい良いお嬢さんだわ。こんなお嬢さんに信頼されてるのだから、あなたはとても優しくて面倒見のよい方なのね」
「いや……そんなことは……」
 パルディナの熱っぽく潤んだ瞳に、アルジェスは照れたように笑みを見せた。年上の女達さえいいように扱うアルジェスが、パルディナの仕草ひとつ言葉ひとつに上手く対処できないでいる。やはりパルディナは、男達の目線から見たら、別格の存在なのだ。
「しばらくこの店で歌っていますから、近いうちにまたいらしてくださいね。今日はいい出会いがあって嬉しいわ」
 パルディナはそっとアルジェスの手に自分のそれを添え、軽く首を傾げた。ランシィの手を取った時とは少し違う控えめな動きが、逆になまめかしく感じられたらしく、アルジェスはパルディナの視線を受けたまま頷いた。パルディナは嬉しそうに目を細め、一瞬だけアルジェスの手を強く握って、すぐに手を離した。
「ランシィ、気をつけて帰ってね。アルジェスさんが一緒なら、大丈夫でしょうけど」
「はい、ありがとうございました」
 ランシィが立ち上がると、パルディナは握手をするようにランシィの手を握った。またアルジェスに視線を向け、来た時と同じように軽く膝を折ると、今度は舞台裏の出入り口の方に去っていった。
 アルジェスは、半分夢を見ているような目で、パルディナの後ろ姿を追っている。パルディナが最後に手を握った時、ランシィに小さな紙片を握らせたのは、全く気付いていないようだった。
 パルディナが舞台の裏手に消えていっても、アルジェスはしばらく出入り口を眺めていた。ランシィの視線に気付いてはっとした様子で、なにかを振り払うように首を振る。
「いや、その……いい人でよかったな」
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