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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第三章 風来人アルジェスの章

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第四話 2

 ランシィが、歌姫の名前を最初から出さなかったのも、店の名前を知らない振りをしたのも、パルディナの助言があったからだ。人は、自ら苦労して探し出したものを、まさか他人にそうするようにし向けられているとは思わないものなのだ。
 パルディナの手の回し方は更に巧妙だった。なにしろアルジェスには、歌姫の公演を見に来るように誘導されていると、気取らせてはいけないのだ。あまりあっさり入場を承諾されたら、逆に不審に思われる可能性がある。
 大人が落ちついて酒を飲む店だから子ども連れは断っている、という支配人の言葉に、アルジェスは引き下がらなかった。
『おとなしくしていられる年齢の子どもだから、目立たないように隅にいさせてくれれば、場の雰囲気を壊すようなことはない。それに、昔歌姫の歌を聞いたことが心の支えになっているようだ、ぜひもう一度聞かせてやりたい』
と熱弁を振るったらしいのを、後になってランシィはパルディナから聞かされた。
 支配人は、ランシィとその同伴者に、「貴族や名士も来る店だから、高価なとは言わないが、店の雰囲気にそった服装で来ること。子どもを遅くまでいさせないこと」を条件に、アルジェスの頼みに折れた。
 アルジェスは人脈を駆使し、ランシィのだけでなく、自分があわせて着る服まで調達してきた。ランシィの服は、大人の女の人が着てもおかしくない、清楚なワンピースだった。少し寸法が大きかったが、ぶかぶかというほどでもないので大丈夫だろう。
 なにより、あわせて靴まで用意してきたのには驚いた。アルジェスがランシィの期待を裏切らないようにそこまで頑張ってくれたのは、さすがに胸が痛む気がしたのだ。
 そんな服ではさすがに剣を背負っていくわけにはいかない。剣はユーゴとモイセに預け、外がだいぶ暗くなって街灯の弱い灯りが通りを照らす中、ランシィはアルジェスに連れられてパルディナのいる店に向かった。タリニオールの館に迎えらてからも、裾のひらひらした服を着る機会は滅多になかったので、なんだか落ち着かない。
 入り口の扉を開けると、店員が出迎えて席まで案内するような、格式のある店だった。広い店の中は、鉢植えの植物や洒落た布を使ったついたてでいくらか仕切られ、数人で訪れた者も、一人で来る者も落ちついて過ごせるように配慮されている。
 店の奥には、大きな鍵琴ピアノが置かれ、そのそばには少し高さを作った簡単な舞台がある。今は舞台の上には誰もおらず、店で雇っているらしい演奏者がピアノの前に座って、ゆったりとした音楽を奏でていた。
 通されたのは、舞台から少し離れた、ついたてで仕切られた区画の一席だった。離れてはいるが、舞台はよく見えるし、逆に周りの客達からは目につかない場所だ。万一客の中に、ランシィの知り合いがいた場合も考えてのパルディナの配慮だったが、アルジェスは『子どもが目立たないように』という店側の都合のせいだと思っている。
 歌姫の評判もあってか、まだ夜は始まったばかりだというのに店は混み合っていた。舞台の前の場所など、あらかじめ食事の予約をした上で歌姫の公演料まで払わないと座れない場所らしいが、おしゃれをした若い男女や、年配の夫婦らしい二人連れなどでほとんど埋まっている。
 村からの旅の間、いろいろな宿屋に入ったし、舞台のある食堂の様子も見てきたが、さすがにこういう雰囲気の店は初めてだ。貴族の晩餐の会場を、少し庶民的にしたような店とでも言えばいいのだろうか。
 ランシィが物珍しげに辺りを眺めているのが、アルジェスは嬉しいようだ。

 食事は、ランシィが戸惑わないようにか、鶏の肉と野菜を煮込んだシチューに、パンと生野菜という簡単なものだ。実はランシィは、いずれタリニオールの知人と同席しても大丈夫なように、それなりの食事の作法を学んでいたのだが、アルジェスにそれを悟らせるわけにもいかない。
 二人があらかた食事を食べ終わり、アルジェスが追加で葡萄酒を頼むと、それと一緒にランシィには、卵のプディングを主にした可愛らしいデザートの皿が運ばれてきた。
「……ん? 頼んでないけど」
「歌姫から、小さな貴婦人へとのことです。どうぞお召し上がりください」
 中年の給仕が、恭しく頭を下げる。ランシィが伺うように視線を向けると、アルジェスは感心した様子で呟いた。
「有名な歌姫って言うからどんな女かと思ってたけど、子ども相手でも馬鹿にしたりしないんだな」
 ランシィがデザートを食べている間に、ほかの席の客もあらかた夕食を終えたらしく、ピアノの曲調が少しテンポの良いものに変わり、同時に舞台の照明も幾らか明るく調整されている。進行役らしい男が舞台の隅に上がると、それまでお喋りに興じていた舞台前の席の客達が静かになった。
 進行役がパルディナを紹介する口上を述べはじめる。場所の関係か、アルジェスにはあまりはっきり聞こえていないらしい。ランシィには聞き取れていたが、アルジェス少し眉を寄せて耳を澄ませる素振りを見せたので、それにあわせて自分も舞台の方に気持ち首を傾けた。
 拍手と一緒にパルディナが舞台の上に現れる。今日の衣装は、店の雰囲気に合わせた裾の長い青みがかった薄手のドレスだった。肌の露出は多くないが、胸から腰にかけてがぴったりと作られていて、パルディナの均整のとれた体つきが際だっている。
 金色の髪がまるで後光のようにパルディナの周囲に煌めき、アルジェスは眩しそうに目を細めた。自分の恋人や妻を連れてきた男達も、一瞬うっとりとした顔つきになり、めざとい女達が自分の恋人の肘をつついたりむっとした表情を浮かべている。
 だがその光景も、ひとたびパルディナが歌い始めたらすぐに収まった。パルディナの声量は、進行役の男など比較にならない。そんなに張り上げている様子もないのに、月光が闇を貫くように、遠くの者の耳にまではっきりと届くのだ。
 舞台のまったく反対側の店の出入り口で、勘定を済ませようとしていた客が驚いて振り向き、この状況で店を出て行く自分達の間の悪さに失望したような顔つきになった。女達も、パルディナの張りのある美しい声に聞き入っている。
『美貌の歌姫』など、よく使われるただの宣伝文句だとたかをくくっていたに違いないアルジェスは、そんな言葉では足りないくらいの美しい歌姫の姿にまず驚き、そのあとから耳に入った歌声に更に驚いた様子だった。反応が、ほかの男達とまるっきり同じなので、ランシィのほうがあっけにとられたくらいだった。あれだけ女達をそつなくあしらうのに、不思議なものだ。

 最初の歌は、どの国にも広く知られている、季節の移り変わりを数えながら遠くに行った友達を思う童謡だった。ただこの歌は大人が聞くと、別れた恋人や、亡くなった父母に当てはめられるようになっているのだ。
 最後には新しい春と一緒に大事な人が戻ってくるので、いつの間にか歌の内容に引き込まれていた大人達は、歌が終わると一様に明るい表情になって大きな拍手で歌姫を賞賛した。久々に聞くパルディナの歌声に、初めてパルディナの歌を聴いたときの驚きと感動が蘇って、ランシィも目をきらきらさせて一緒になって手を打った。
 拍手がおさまるのを待って、パルディナは優雅に膝を折り、観客をゆっくり見回した。
「ご紹介にあずかりましたパルディナでございます。このラウザの町は二度目の訪問ですので、ひょっとしたら以前もお目にかかった方がいらっしゃるかも知れません」
 パルディナの視線が気持ちこちらに向くと、なぜかアルジェスが居住まいを正した。もちろん、これまでの話の流れで、歌姫の視線がランシィに向けられているは判っているはずなのだが、たぶん無意識の動作なのだろう。パルディナは優しく目を細め、すぐに視線を戻した。
 パルディナはあまり、自分の紹介に時間を使わない。名前さえ覚えてもらえば、後は歌が自己紹介代わりだという自信があるのだ。
 最初の歌で春が帰ってきたので、次は夏の歌だった。大陸北部の内陸に位置するラウザの人間がほとんどが見たことのない、四方を海に囲まれた南国の小島を舞台にした歌だ。
 貝殻が砕けて出来た白い砂浜と、空と溶け合う青い海。波の上に揺れる小舟、その上を飛び交う白い鳥の群れ。ランシィも海は見たことがないが、パルディナの歌は見たこともないものまで、鮮やかに脳裏に描いてくれる。
 空と海を赤く染める夕焼けを、砂浜に座って恋人と並んで眺める光景に、女達はうっとりとした様子だった。男達も同じように夢見心地の様子で聞き惚れていたが、彼らの大半が砂浜で隣に寄り添わせていたのは、目の前の恋人ではなく美しい歌姫のようだった。
 そういえば、グレイスもなんだかんだ言いながら、パルディナの歌を聞くときはそれ以外のことがあまり目にも耳にも入らない様子だった。
 ランシィから見てもパルディナはとても美しいので、全く気持ちが判らないわけではないのだが、どうも大人の男の人は、ランシィとは少し違った視点からパルディナを見ているらしい。特に恋の歌を歌っているときなど、一瞬でも目を話すのが惜しい様子で見入っている者が多い。
 今のアルジェスの表情が、まさにそれだった。
 ランシィがそれとなく様子を見ているのにも、アルジェスは全く気がついていない。ランシィのためにここに来ているはずなのに、ランシィがいることも忘れているかのような顔つきだ。
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