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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第三章 風来人アルジェスの章

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第三話 2-1

 起きたこと自体は、たった二日前のことだ。だが、二日間の中で、ランシィは常ならぬ経験だけでなく、自分の中では整理しきれない情報まで手にいれている。それをどう順序立てて話すかに戸惑ってしまったが、さすが稀代の歌姫は理解力も優れていた。
「なるほど、アルジェスって男とその仲間が、高級住宅街の賊の動きを指示してるかも知れないのね。で、それは、バルテロメっていう人からの依頼である可能性があって、それも普段なら受けない仕事を、仕方なく受けているらしい、と」
 どうやら、話の要点はきちんと伝わったらしい。ランシィはほっとして、カップの水を飲みほした。パルディナは形のよい唇に人差し指で触れながら、少しの間黙って考え込んだ後、
「ギリェルって言う男は、どうやら自由に、高級住宅街を出入りしてるようなのよね? あの地区は治安保持のために壁で覆われてて、今はアルテヤの兵士で包囲されてるはずなんだけど……」
 言われてみればそうだ。どうやってギリェルは出入りしているのだろう。
 昨日も、宿屋で姿を見たが、夜はあの住処にはいなかった。明け方にいつの間にか戻って来て、アルジェスに報告がてら住処で眠った後、昼過ぎにまた出て行くらしい。ランシィは昼食を済ませた後、散歩してくると言って出てきたのだが、その時にはまだギリェルは二階で横になったまま、階下に降りてこなかった。アルジェスはまだ戻ってきていなかった。
「……ねぇランシィ、どんな目的があるにしろ、高級住宅街の警備兵や、館の使用人に間者を何人も紛れ込ませて、一斉に地区全体を占拠するだなんて、思いついて数日で出来る事じゃないわよね。何ヶ月も、ひょっとしたら年単位で準備して、徐々に間者を送り込まなきゃ無理だし、人をそこに送り込むのだって、偶然に任せてたら何年経っても計画は進まないわ」
 確かにそうだ。パルディナは、ランシィのカップに水を注ぎ足し、自分もカップに口をつけた。
「賊として占拠してる者以外にも、まだ、賊に協力してる人がアルテヤの内部にいるのよ。それも、ある程度人事に口を出せるような地位の人が関わってるんじゃないかしら。現場で高級住宅地を包囲してる兵士の中にもまだ協力者がいて、例えば隠し通路なんかを使って行き来するギリェルを知らん顔して見逃してたり、軍内部の情報をギリェルに伝えて、それをアルジェスに伝えにギリェルが戻ってくる」
『司令官は全体の情報を掴める場所にいないと話にならない』というアルジェスの言葉は、裏を返せば『現在のアルジェスは全体の情報を把握できる場所にいる』ということだ。もちろんほかにも情報を得るルートはあるのだろうが、いかに包囲しているアルテヤ軍も、今の状態では高級住宅街の中の様子までは把握できない。
「ということは、今はなりをひそめてるけど、アルテア軍のほかの部署にも、情報を得られる程度の間者がいるかも知れないってことよね……。館の使用人達の中に紛れ込んでたっていうなら、ひょっとしたら、街の中で普通に生活してる人の中にも潜んでるかも知れない」
 さすがにそこまではランシィには考えつかなかった。加えて、アルジェスは女達の心を掴むのが上手い。噂を流すだけではなく、さりげなく情報を集めるために、なにも知らない女達を利用しているのかも知れない。
「……アルジェスの話だと、タリニオール卿の奥方と『その子ども』は、まだ見つかってないのよね? 」
「うん、厨房がひどく燃えて焼け落ちてるから、調べるにしても時間がかかるだろうって言ってた。その後の話は今の所聞けてない」
「ランシィを送り出す機転と勇気のある人だから、煙に巻かれてそのままってことはないと思いたいわね。ほかにも隠し通路があって、賊に悟られずに無事に館から逃げてるかも知れないし」
 ランシィは不安を押し殺して頷いた。情報もないし、今の状態で確認に行くことも出来ない。無事であることを信じるしかない。
「とにかく、上手く逃げ出して、ほかの貴族の館にでもかくまわれてたとして、よ。ランシィが不用意にアルテヤ軍に無事を名乗り出て、『奥方も無事に館から逃げ出してるかも知れない、でも行方が判らない』という情報が賊の耳に入ったら……。あたしが賊のお頭なら、ほかの館にいる人質の中に、奥方が隠れてないかまず探るわね。住宅街全体を占拠して、館に火をかけて燻り出そうとしたほどの大事な人質要員のひとりだもの、無事なら手に入れておきたいでしょう」
 そうか、エリディアが無事であって、まだ高級住宅街から出られていないのなら、逆に行方不明ということにしておいた方がまだ安全なのだ。もう少し経てば、アルジェスはまた、力のない女子どもは解放するように指示するだろう。
「ランシィの無事を知らせるにしても、確実に信頼できる人に直接じゃないと危ないわね。それに、内通者がアルテヤ軍内部にほかにもいるかも知れないって事を一緒に伝えないと。……アルテヤの貴族が人事に介入できないのは、サルツニアから来た支援部隊の人たちだけよね。タリニオール卿のほかに、確実に信頼できる知り合いはいる?」
「支援部隊を統括してるディゼルトなら……タリニオールが騎士になった頃からの友達なんだって。年齢はひとまわり上だけど、よく遊びに来てた。わたしの左目の事情のこともよく知ってる」
「じゃあ、そっちとの連絡はあたしも考えてみるわ。タリニオール卿には、あたしたちのことも話してあるんでしょ?」
「うん、歌姫殿と神官殿にはいくら礼を言っても言い足りないくらいだって、よく言ってた。いつか直接会って話してみたいって」
「……なんだか、とってもいい人みたいじゃない」
 パルディナは表情を和らげた。
「ランシィって、ほんと出会いの運がすごいわ。最初は剣を預けていったオルネスト卿で、次がグレイスとあたし達で、ここに来たら今度はオルネスト卿の弟子だったタリニオール卿でしょ。全員があなたをすごく大事に思ってる。グレイスが、『なにかに導かれてるような気がする』って言ってたのも、判る気がするわ」
 そうかも知れないと、ランシィは思う。彼らとの糸は、ランシィの生まれた直後の出来事からつながっているような気がする。最初は哀しい事件で、忘れることは出来ないけれど、失ったものと同じくらい、大事なものをランシィは得てきたのだ。
「……話を戻すけど、確かに、ここに来るまでに、変な噂は耳にしたの。サルツニア王女のオルフェシア様が、国内の貴族の領地を訪問中に、失踪したかも知れないって話」
 表情を引き締めたパルディナの声に、ランシィも頷いた。
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