挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第三章 風来人アルジェスの章

43/74

第二話 4

 食事が終わると、ギリェルはまた眠そうな顔で二階に戻っていった。夜中はいなかったから、明け方に戻ってきて休んでいくらしい。
 ランシィは、ユーゴが出してくれたスープを半分も食べられないまま、隅にぼんやりと座っていた。
 いろいろな事が頭を巡って、整理がつかなかったせいなのだが、アルジェスはランシィが戦争が起きるかも知れないと心配しているのだと思っているらしい。自分が食べ終わった後も、しばらくランシィの隣で黙って座っていた。
 悪い人ではないような気がする。そもそも、水路から川に出たものの、岸に上がれないまま水の中を歩いていたランシィを助けてくれたのはアルジェスなのだ。
 だからといって、ではアルジェスが高級住宅街を占拠している賊と関わりがあるとは信じられない、ということもなかった。
 多くの女達を口先と人なつっこい笑顔で魅了することに、アルジェスはなんら罪悪感を感じている様子はない。それと同じで、高級住宅街を占拠し「ぬるぬる時間を稼ぐ」のは、アルジェスにとって、遊技ゲームのような感覚なのではないか。
 そしてその遊技では、高級住宅街を占拠することそのものは、目的ではなく手段のひとつなのではないかと感じられた。
 将棋の指し手が、将棋盤を上から眺め、相手と自分の駒それぞれの動きを連動させて王を追い詰めようとするように、アルジェスも、ひとつ上の場所から全体を眺めているのかも知れない。高級住宅街を占拠することは、なにか別な目的を果たすための手段のひとつに過ぎないのかも知れない。なんのために『時間を稼ぐ』必要があるのか、それを知っておかないといけない気がする。
 アルジェスは少しの間、黙ってランシィにつきあっていたが、しばらくすると次第にそわそわし始めた。
 あまり気のすすまない様子ながらも、「ちょっと用事を済ませてくる」と後をユーゴとモイセに任せ、外に出かけていってしまった。行き先がケティかパオラかはよく判らない。
「ちっこいの。買い物に行くから、一緒に来ないか」
 厨房を片付けていたユーゴが、黙ったままのランシィを見かねた様子で声をかけてきた。ランシィが頷くと、ユーゴは、買い物したものを入れるための空の麻袋を持って、厨房から出てきた。
「ちっこいのは、おいら達がなんであんな所に住んでるかとか、どんな仕事をしているのかなんて、聞かないんだな」
 どこか決まって買い物に行く店があるのだろう。ランシィの歩幅に合わせるように歩きながら、ユーゴは言った。
「なにか聞いたら、すぐ怒られるような所にでもいたのか?」
 ランシィは首を振った。
 ニーナの店の二階で目が覚めたとき、アルジェスとギリェルの会話が耳に入ったことで、聞く機会タイミングを逃してしまったというのが大きい。きっと聞けば、アルジェスはそつなく返すのだろうが、何を言われてもそのまま鵜呑みに出来ないのは判っていたので、どうも聞く気にもなれなかったのだ。
「アルジェスも、ちっこいのが今までどこにいて、どんなことがあったか、あまり聞かないだろ」
 そう言われればそうだった。アルジェスが勝手に、ランシィがどこか環境の悪い場所でこき使われていたように思いこんでいるから、ランシィもそれに乗っているのだが、普通は子どもが夜中に川を歩いていたら、もう少しいきさつを突っ込んで聞いてきそうなものだ。
「おいら達もそうだった。アルジェスはなんにも聞かない。行く場所が見つかったら出て行けばいいし、いたければいろって言う。なんでかって聞いたら、自分もそうだったからだって言うんだ」
「……」
 ユーゴもモイセもギリェルも見た感じ、アルジェスよりずっと年上だ。でもアルジェスは、彼らと対等の友達のようでいて、実は彼らの中心になっている。
「今、おいら達はちょっと難しい仕事をしてるんだ。ちっこいのから見たら、遊んでるだけにしか見えないだろうけどさ」
 ランシィが余計な口を狭まずに耳を傾けているせいか、逆にユーゴは聞かれてもいないことを話し始めた。
「いつもなら引き受けないような仕事なんだけど、困ってる知り合いを助けるために、アルジェスはしょうがなく請け負ったんだ。なにをやってるかは言えないが、アルジェスは自分が拾ってきた奴を騙すようなことはしないよ。頭がいい奴だから、あいつが戦争なんか起きないって言うなら、きっとそうなんだ」
 やはり彼らは、ランシィが戦争が起きるかも知れないという情報に怯えていると思っているようだ。
 ランシィは小さく頷いた。ユーゴはそれを、それなりにランシィが納得したのだと受け取ったらしい。不器用に笑うと、後は黙って歩き続けた。
 どうやらアルジェスは、ランシィに「肝心なところは伏せても、嘘はつかない」。そう考えて構わないようだ。
 高級住宅街の占拠に、ルトネアの侵攻を有利にする意図はない。ではいったい、なにが目的なのだろう。彼らが最終的に追い詰めようとしている王はなんなのだ。
 今のランシィは、アルジェスの後ろから将棋盤をのぞいているようなものだった。アルジェスがどう駒を動かしているのか、部分的には見えるのだが、アルジェスの背中が邪魔になって、背の低いランシィには将棋盤全体の動きを把握することが出来ない。
 せめて全体の情勢が見えれば。アルテヤとサルツニア、それにルトニアで起きていることが把握できれば、狙われている本当の王がなんなのかが判るかも知れない。
 早いうちにタリニオールに合流し、アルジェス達のことを打ち明けるべきなのだろうか。アルジェスは、高級住宅街が正規軍に踏み込まれれば、そこで素直に賊を引かせるだろう。彼らの目的は『ぬるぬる時間を稼ぐ』ことで、「焦らせて踏み込ませたら負け」なのだ。
 しかし今彼らがしていることと、屋根裏にいるはずの『シア』はどういう関わりがあるのだろう。状況が変わったとき、『シア』はどうなるのだろう。
 さすがに、ランシィ一人で流れを整理するのは荷が重かった。誰か相談できる相手が欲しい。大人の視点から客観的にものごとを判断できる、信頼できる人……
 人通りの多くなった通りの片隅にふと、覚えのある文字がよぎった気がして、ランシィは思わず目を向けた。人混みの隙間から、その店の出し物を予告する張り紙が、扉の横に貼ってあるのが見えたのだ。それにはひときわ目立つ色遣いの大きな文字で、こう書かれていた。

『月光の歌声・美貌の歌姫パルディナきたる』
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ