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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第三章 風来人アルジェスの章

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第二話 ランシィ、アルジェスを観察する 1

「……じょうぶなのか、ガキを二階にあげちまって」
「子どもが来たのはシアには言ってあるし」
 階下から、男の声がする。ランシィは長椅子に横になったまま目をあけた。窓の外に朝の光が差し込んでいるのはわかるが、隣の建物が影を作っていて二階のこの部屋はまだ薄暗い。
「今までだって、夜に特に物音をたてたりはしなかったろ。あれで聞き分けはいいから、変なことはないさ」
「しかしなぁ……」
「大丈夫だって。俺が仕事でヘマしたことはないだろ」
 どうやら、アルジェスと話しているのはギリェルという男らしい。ランシィは身動きしないように耳をそばだてた。二人は一応声をひそめて話しているが、階段につながる扉は開け放たれているので、ランシィには苦もなく聞き取れた。
「で、その後どうなってんの?」
「言われたとおり、通いの使用人とか、たまたま居合わせただけの無関係な商人なんかは解放させた。水も食糧も、貴族の館に置いてあるのが山ほどあるから、人質の分とあわせても、半月ぐらいは外からの補給なしでいけるだろうってさ」
「そんならよかった。あとは折を見て、子どもと母親は解放してやれよ」
「お前は本当に子どもには甘いなぁ」
「ほんとに力のない弱い奴は、早めに解放した方がこっちのためなんだぞ。アルテヤ側を焦らせて踏み込ませたら、そこで俺達の負けなんだ。人質の犠牲を覚悟で本気でかかってこられたら、あの数じゃどうしようもないんだしさ。ぬるぬる時間を稼ぐなら、思わせぶりに振り回して、ほどほどに安心させてやるのが一番。女と同じだよ」
「お前に女の講釈されるとなんだかむかつくな」
 やはり、高級住宅街の事件の話のようだった。ランシィは心臓が跳ねて呼吸が速くなるのを必死でこらえ、話の内容を聞き漏らさないように耳を傾けた。
 この話しぶりだと、現地で指示をしているのはギリェルだが、そのギリェルはアルジェスの命令で動いているように思える。
「やっぱり、お前があっちに行ってくれると楽なんだがな。俺じゃ、とっさの判断ができないし」
「ダメダメ、司令官は全体の情報が掴める場所にいないと話にならないだろ。それに、今日はケティとパオラと約束してるしさ」
「お前なぁ」
「アルジェス、湯の用意が出来るけど、どうする」
 二人の会話に割って入ったのはユーゴの声だった。
「どうするって、持っていけば」
「上に子どもがいるだろう」
「あ、そっか。起こしてくるか」
 すぐに、階段を上る軽い足音が聞こえてきた。
「ランシィ、ちょっとお使いを頼まれてくれよ」
 階段を上りきらず、顔だけをのぞかせてアルジェスが声をかけてきた。ランシィは、驚いたとでもいうように長椅子の上に飛び起き、きょろきょろと周りを見渡した。
「あ、悪い悪い、びっくりさせちまったな。支度して、ちょっとお使い頼まれてくれよ。お前が戻ったら朝飯にするから」
 アルジェスの表情は、昨日と全く変わらない人なつっこいものだった。呼吸を整えながらランシィが頷くと、アルジェスは片手をひらひらさせてまた階下に降りていった。
 あとは、どこの店のパンを買ってくるとか、果物が食べたいとかいう他愛もない話になったので、ランシィは手早く着替えて、アルジェスからもらったベルトを使って剣を背負い、改めて部屋の中を見まわした。
 二階は仕切りがなく、無駄な家具もないので、一階の酒場部分よりずっと広く感じられる。全体的に古びてはいるが意外に小綺麗だ。
 ランシィに長椅子を明け渡した大人達は、床に雑魚寝をしていたはずなのだが、彼らが使っていた毛布もきちんと隅にたたまれて重なっている。毛布以外は、荷物入れを兼ねているらしい木箱が隅に重なっているくらいだったが、特に不審なものはなさそうだった。
 奥の壁際には納戸が作り付けられているが、その横につい最近つけられたらしい鍵穴つきの扉があった。それがどうやら、昨日アルジェスが鍵を開けて入っていった扉のようだ。
 建物の大きさを考えると、あの奥に部屋があるとは考えにくい。屋根裏につながる階段があるのかも知れない。しかし何度か夜中に目を覚ましたが、屋根裏から特に大きな物音がすることもなかった。
 ランシィが階下に降りていくと、厨房の窯に火を入れて、ユーゴが大きな鍋に湯を沸かしていた。湯を運ぶのに使うらしい木桶も、いくつか用意されている。一体、なんに使うのだろう。
「裏に井戸があるから、顔を洗ってきな」
 アルジェスに小さなタオルを渡され、ランシィは寝ぼけた素振りで頷いた。
 昨日の夜は気付かなかったが、厨房の裏手から奥が洗い場になっていて、井戸と流しが作り付けられている。水音がすると思ったら、先に来ていたギリェルが桶に汲んだ水で顔を洗っていた。
 ランシィと目が合うと、ギリェルはつまらなそうな顔のまま、桶に新しく水を汲んでくれた。どうやら彼らは基本的に、アルジェスが連れてきた子どもは邪険にしないようだ。
「……お前、本当に片目が動かないんだな」
 タオルで顔を拭くランシィを遠慮なく見下ろしながら、ギリェルはぼそりと呟いた。からかっているわけでもない、ただ事実をそのまま口にしただけのような口調だった。ランシィが黙って見返すと、ギリェルはあきらめたように肩をすくめ、先に厨房の方に戻っていった。
 ランシィは、桶の水を排水路に流そうとして、排水用らしい管が壁伝いに上に伸びているのに気付いた。屋根に雨樋でもあるのかと思ったが、見上げると、その管は二階より上の、屋根裏に当たる部分の壁から伸びていた。
 二階より上の部屋で、部屋から水を流せるような設備を作るのは、ちょっと高値の宿屋か貴族の屋敷くらいだろう。ましてや庶民の住む建物の屋根裏部屋など、寝るだけか、納戸の代わりにする程度だから、普通は排水用の管など設けない。
 建物自体は古いのに、この管と周りの金具だけは、つい最近作り付けられたもののようだった。ランシィは少しの間、管の伸びた上の階を眺めていたが、自分が不審がっているのを気取られてもまずい気がしたので、すぐに中に戻った。
「ランシィ、ここからあっちの角を曲がって通りみっつ先に、雑貨屋があるからさ」
 言いながら、アルジェスがランシィに手渡したのは、昨日の夜、アルジェスが上の階から持ってきた本だった。
「共同井戸の前にある、八百屋じゃない店だからすぐに判る。そこの婆さんに俺からだって言ってこれを渡してきてくれ。代わりのをくれるから。俺は果物を買うついでに、預けた馬の様子を見てくるよ」
 最後は、厨房で沸かした湯を桶に移しているユーゴとモイセに向けた言葉だった。ギリェルは椅子に腰かけ、眠そうな顔で軽く手を振っている。
 アルジェスはランシィと一緒に外に出ると、ランシィが角を曲がるまで建物の前でにこにことこちらを見守っていた。
 少しの間、ランシィを建物から遠ざけたい理由があるのだろう。一旦様子を見に戻りたい気もしたが、昨日、本の間からのぞいた銀色の髪のことを思い出し、ランシィはそのまま言われたとおりに通りを真っ直ぐに歩いた。
 朝もやがやっと消えるかという早い時間なので、通りの人影はまだまばらだった。この界隈が、主に昼から夜遅くにかけて賑わう飲食店街ということもあるかも知れない。歩いているのは、朝が早くて時間をもてあました老人か、これから働きに行くような体格のいい男達ぐらいだ。
 後ろからアルジェスやギリェルがついてきていないことをそれとなく確認し、それでも念のために、「これはなんの本だろう?」と子供らしい好奇心を装いながら、ランシィは銀色の髪のちらつく本をそれとなく開いてみた。
 どうやら、それは各国の昔話を集めたもののようだった。ランシィは自分がまだ村を出たばかりで何も知らなかった頃、パルディナが各地のおとぎ話を歌で聞かせてくれたことを思いだした。ぱらぱらとめくっていくと、銀色の髪が挟まったページは最後の話の題名が書かれた部分だった。
 それは、魔法使いに城から連れ出され、街の中心にある塔に閉じこめられたお姫様の話だった。塔からは町の様子が見渡せるのに、兵士達も町の人たちもそれに気がつかないで、いなくなった姫君を足元で探している。
 挟まっている髪は、ランシィのそれの倍以上の長さがあった。この世に髪の長い男がいないわけではないが、ここまで伸ばすのはだいたい女だろう。ランシィはさりげなく銀色の髪をつまみ、ズボンのポケットに押し込んだ。
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