挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第一章 神官グレイスの章

4/74

第一話 2-2

「傭兵というのは、志願する理由も志も様々であるそうでな」
 飲むというよりは唇を湿すように葡萄酒を口に運んで、老人は静かに息をついた。
「家柄も後ろ盾もなくても、経験を積んで功績を立てて出世したいと志願する者もあれば、身を持ち崩して行く当てもなく傭兵を続けている者もあるとか。だれもが高い志を持っているわけではなかったろうが、まさか戦争は終わったと連絡があった当日の夜に、酔いに任せて民家に押し入る者があるとは、オルネスト殿も考えなかったのだろう」 
 雇われた傭兵にしてみれば、大義など関係なく、この村はサルツニア軍の敵地だった。各地を渡り歩いてきた傭兵の中には、戦争で勝った者は負けた者から奪い取るのが当然だと思っている者も少なからずいた。略奪行為は固く禁じられていたのに、祝勝の酒を振る舞われてたがが外れた傭兵が二人、女も出せと近くの民家に押し入ったのだ。
 その家にいたのは、足が悪くて戦争にはとられなかった村の男と、その妻と、やっと首がすわるかというくらいの赤ん坊だけだった。二人の傭兵は、家人に自分たちの言うことを聞かせようと赤ん坊を奪い、赤ん坊を取り返そうとした男をあっけなく剣で突き刺した。そして、その血を見て残虐性に火がついたのか、あまりのことに動けずにいる女を脅そうと、赤ん坊の片眼をえぐり取った。
 騒ぎを聞きつけて駆け付けたオルネストやほかの傭兵達がその民家に入ったのと、半狂乱になって赤ん坊を取り返そうとした女を、赤ん坊を奪った傭兵が斬り捨てたのは同時だった。
 驚愕した様子のオルネスト相手に、酒が回った赤ら顔の傭兵は、さすがにばつが悪そうな顔でなにか言い訳しようとしたようだった。だがその言葉が声になる前に、今度はオルネストの剣が一閃し、二人の傭兵は永遠に言い訳の機会を失った。

「その部隊には、法術を使えるレマイナの神官が同行しておって」
「ああ……」
 数は少ないが、各神に仕える神官達の中には、その神に由来する奇跡の力を行使できる『法術師』と呼ばれる者がいる。大地の女神レマイナの力は傷や病を癒すことで知られていて、グレイスも旅先で何度か、レマイナの法術師が人の傷を癒す場面を見たことがあった。
「その法術師はすぐに、赤ん坊の、えぐられた左目を癒してくれた。だが、えぐり取られた眼の力は既に死んでいて、レマイナの法術でも元に戻すことはできなかったのだ」
「そんな……」 
「どういう力を施してくれたのかよくわからないが、まぶたの上から触ればランシィの左目には眼球らしいものがあるし、ちゃんと血も通っている。目の周りにも傷跡は全くないよ。ただ、まぶたが開かれることはない。もし開いたとしても、たぶん見た目は普通の目と同じものがあるのだろうが……」
 レマイナの癒しの力は、本人の回復する力を助けるものだと考えられている。だから、死んでしまった者に再び命を吹き込むことはできないし、一度失われてしまった部分を、元に戻すことも出来ないのだ。
「それで……その時ご両親は」
 聞くまでもなかったかも知れない。老人は静かに首を振った。悲壮さはなく、淡々とした表情のままだった。どんな顔をすればいいのか判らないでいるグレイスに、静かに微笑みすらしている。
「ああいうことになってしまったが、私はサルツニア軍やオルネスト殿を恨んではおらぬよ。悪いのは王をそそのかして戦争を起こした者であるし、正しくものごとを判断できなかった王であるし、それを諫めずいいなりになった多くの者達なのだ。ランシィのことは、戦争の結果のひとつに過ぎない」
「……」
「ランシィにも起きたことは伝えてあるし、左目が見えぬ事はなんの恥でもないと言ってある。ただ、これから外に出て、事情を知らぬ者達と関わりを持つようになった時、やはりあの目のせいで悲しい思いをすることがあるのだろうな。世の中のどこにでも、表面でしかものごとを見られない者はいるものだ」
 いつのまにか老人の手の中の杯は空になっている。グレイスは老人からその杯を受け取り、代わりに白湯を入れたカップを手渡した。老人はありがたそうに受け取った。
「本当は、最後の家族が出て行ったときに、ランシィも連れて行ってもらうつもりだったのだ。だが、ランシィがどうしてもわしを置いてはいけないと嫌がってな。幸い、この冬を越す程度の食料と薪は用意があるから、春先に王都からの巡視官が来るまではなんとかするつもりでいた。……しかし、この時機にカーシャムの神官殿が来てくださるというのは、ひょっとして神の指先が、私たちの道を示そうとしているのかも知れないな」
 まさかこの老人まで、自分を死を先触れる使者のように受け入れようとしているのだろうか。こんなにも聡明で思慮深い老人なのに。
 グレイスの内心の戸惑いには気付いていないのか、老人は穏やかな顔で白湯を口にしている。
「……さっき葡萄酒をとってもらった棚の奥に、万一の時のためにとオルネスト殿から預かったものがあるのだ。万一などそうそうあるものではないから、結局手つかずのままなのだが」
「はぁ……」
 その言葉の意味をどう捕らえればいいのか、グレイスが推し量れないでいるうちに、老人は話題を変え、自分の若い頃の思い出話などをし始めた。
 聞いているグレイスも、少量ではあるが疲れた体に入った酒のせいで眠気がさしてきて、いつしか黙って暖炉の炎を見つめている時間の方が長くなってきた。
 気がつけば、老人は空になったカップを抱えた手を膝において、揺り椅子の上で寝息を立てている。
 声をかけて寝室に連れて行った方がよいのかも知れないが、気持ちよさそうに寝入っているのを起こすのもためらわれた。グレイスは老人の手からカップを外して膝掛けを肩にまでかけ直してやると、自分は、自分のために暖炉の前で温められていた毛布を手に、居間の長椅子に横になった。
 ここを出たら近くの町に連絡して、雪で道が閉ざされる前に、二人が少しでも安全に冬を越せるように手を打ってもらおう。夜が明けたら、その辺りのことはどう手はずをとっているのか、老人に確認してみよう。
 目を閉じると、まぶた越しに揺らぐ暖炉の炎が心地よかった。この夜のうちに、グレイスの神カーシャムは安らかな休息の眠りと、永遠への眠りとを、同じ屋根の下にいる者に分け与えていたのだが、グレイスがそれに気がつくのは、世界が銀色に染まった朝がやってきてからだった。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ