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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第三章 風来人アルジェスの章

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第一話 2-3

 夕暮れが近くなって日は大きく傾き、通りの両側に建物が並ぶ狭い通りで
は店先のランタンや松明に火を灯す店もちらほら出はじめている。仕事を終えて、家路につく大人達の姿が通りに目立つ。
 どうやらこの界隈は、安い宿屋や飲食店が多く並ぶ区画らしい。それも、かなり庶民的で雑多な雰囲気の店ばかりだ。まだ夜になっていないのでそんなに物騒な気配もなかったが、住人ではない子どもがお使いで通るような雰囲気ではなかったし、実際ランシィも通ったことがない所だ。町を囲む市壁に近い、旅人や一般の労働者向けの飲食街だろう。
 アルジェスは散歩でもするように軽い足取りでランシィの先を歩き、角を曲がって雑貨屋の扉をくぐった。狭い店の中に、服や靴など普段使いするためのいろいろなものが置いてある。
「やぁベス」
「あら、どうしたのアル、子どもなんか連れて」
 店番をしていたのは、アルジェスより年上らしい女だった。アルジェスはベスと呼んだ女の手を取って、彼女の頬に軽く唇を寄せた。呆れるほど行動が自然でそつがない。
「ちょっと訳ありでさ。こいつ、これしか服がないんだけど、せめて夜着になるようなの、おいてない?」
「子ども用のはちょっとねぇ……女ものの小さいのなら、あるかも知れないけど」
 くすぐったそうに笑って体を離すと、ベスは壁際の棚を探り始めた。
「で、わけありってなに? なにか悪さでもしてきたの?」
「なに言ってるんだよ、やましいことがあったら、ベスの所まで連れてくるわけないだろ。ちょっと知り合いから預かっただけさ」
「アルに預けるなんて、よっぽどせっぱ詰まってたのねぇ。……あ、これなら着られるんじゃないかしら、ちょっと端が日に焼けてるけど」
「お、上等なもんだ。ついでに少しまけてくれると助かるな」
「その子の親に後で返してもらえばいいじゃない」
「そういうわけにもいかなくてさ、なんとかならないかなぁ、ベス」
 言いながら、甘えるような口調でベスの腰を引き寄せる。目を丸くしているランシィの手前か、ベスは困ったように身をすくませたものの、
「仕方ないわね、持って行きなさいよ。その代わり、あとでちゃんと埋め合わせしてもらうからね」
「ベスのためならなんでもするよ。ありがとうベス」
 ベスを抱き寄せて囁く一方で、アルジェスは受け取った服をさっさと布袋に突っ込んでいる。
 ほんのり頬を上気させたベスに見送られて店を出ると、その後に寄ったのは酒屋と総菜屋で、
「会いたかったよ、マルタ。マルタの顔を見ないと眠れないんだよ」
「エマ、やっぱりエマに会わないと生きた気がしないんだ」
 行く先々で親しげに女の名前を呼んでは、頬を寄せたり囁いたりしているうちに、アルジェスは酒瓶二本につまみになりそうな食べ物まで『後払い』で仕入れてしまった。鮮やかすぎてランシィは声も出ない。
 最後に連れて行かれたのは、狭い路地裏の古くて狭い酒場だった。ただ外観は酒場だが、そろそろ外は薄暗いというのに、店先のランタンに明かりは灯っておらず、営業の看板も出ていない。中から明かりが漏れてくるから無人ではないだろうが、酒場として賑わっているようには見えなかった。
「お早いお帰りだな、アル」
 アルジェスが扉を押し開けると、狭い店の中のひとつのテーブルを挟んで、アルジェスよりも年上の男が二人、ランプの灯りを頼りに真剣な顔で将棋チェスをさしていた。一人はいかついがひとの好さそうな体格のいい大男で、もう一人は背が低くてどこか神経質そうな丸顔の男だ。
 酒場なのだが、厨房に火は入っていないようだ。カウンターの上に、飲みかけの酒瓶やかごに入った食材などが置いてあるが、店にあるテーブルの大半は布がかけられている。どうやら今は酒場としては営業しておらず、彼らの生活の場として利用しているらしい。
「それがギリェルの言ってた子どもか? お前、女の扱いは上手いのに、子どもには弱いよな」
 どうやら優勢らしい丸顔の男が、呆れたようにアルジェスの後ろのランシィに目を向けた。
「前のボウズはお前の財布持って逃げちまったろ。何人拾ってくれば懲りるんだよ」
「まぁそう言うなって、酒持ってきたし、それが終わったら一杯やろうぜ」
「またエレナの店か?」
「違うよ、今日のはマルタ。マルタは小金ため込んでるから、これくらいなんともない」
 まだほかにも『後払い』の効く店があるらしい。
「そういや、晩飯は?」
「準備はしてあるよ」
「じゃ、ちょいと済ませてくるか。ランシィ、ちょっとそこで待ってな」
 その言葉に、それまで黙って悩んでいた大柄の男が、自分の腰に下げていた鍵束をアルジェスに向かって放り投げた。アルジェスはそれを器用に受け取ると、カウンターに荷物を置き、店の奥の階段をさっさと上っていった。
 足音は一度二階でなにかを探すように止まった後、奥に向かって進んでいく。ランシィの耳には、鍵を使って扉を開け、再び閉じられた音までが聞こえてきた。
「飯」といったが、自分一人、別の場所で夕食を済ませる気なのだろうか。もしこの二人が先に夕飯を済ませていたのだとしても、一人別の場所でというのは、人なつっこいアルジェスには似つかわしくない行為に思える。
「ちっこいの、そこ座ってな。アルならすぐ来るから」
 入り口の近くに立ったまま耳を澄ませていたランシィに向かって、丸顔の小男が声をかけてきた。大柄の男は、まだ次の一手を悩んでいるようだ。
 二人とも、やはり一見しただけでは職業が推測できない。軽快な服装と、それなりにしっかりした体つきを見ると、ただの町人というより、南方の船乗りや漁師とでも言われた方がしっくり来る。
 大柄の男は、胡散臭そうにランシィを横目で見たが、今は自分の次の手を考えるのにいっぱいいっぱいなのか、すぐに深刻な顔で将棋盤に目を戻した。耳を澄ませても、上の階からそれ以上物音は聞こえてこなかったので、ランシィは静かに、示された椅子に腰をおろした。
 将棋は騎士のたしなみなのだそうだ。ディゼルトが館に遊びに来ると、夕飯前の時間によくタリニオールが相手をしていた。ただ、タリニオールはあまり将棋が上手くなくて、規定ルールを覚えたランシィが、横から助け船を出すこともままあった。
 必死で考え込む大柄の男が、途方に暮れたように腕組みするタリニオールを思い起こさせて、ランシィは思わず横から指を差していた。
 大柄の男はひとつ瞬きをしたあと、ランシィの指先の意味に気がついてぱっと顔を明るくした。逆に丸顔の男が、慌てた様子でランシィと大柄の男を交互に見返した。
「そうかこう動けたか!」
「待て待て、子どもの力を借りるなんてずるいぞ」
「別に決着が着いたわけじゃないからいいだろ、ほら、お前の番」
「くっそぅー」
 今度は丸顔の男が考え込む番だった。大柄の男は、それまでの曇った表情から一転した明るい笑顔で、ランシィの頭をぽんぽん撫でた。
「アルの拾ってきたガキのくせに、なかなかやるじゃないか。どこで将棋なんか教わったんだ?」
 ランシィは黙って頭を撫でられたまま、曖昧に首を振った。別に詳しい答えなど期待していなかったらしく、男は手を引っ込めた後も、浮かれた様子で、丸顔の男が悩む姿を眺めている。
 上の階で、また扉が開く音が耳に入ってきた。鍵束の鍵が触れあう音と、閉じた扉に鍵をかける音。ランシィは、顔を動かさないまま注意深く耳を傾けた。扉から出てきた足音は、今度は迷うことなくそのまま階段を降りてきた。
「おや、今日は珍しくユーゴが勝ってるのか?」
 階段を降りてきたアルジェスが、背の高い男に向けたらしいからかうような声を上げたところで、ランシィはやっとアルジェスの方に向かって目を向けた。アルジェスはさっきと同じ姿だが、手には何冊か、古びた本を持っている。
「珍しくってなんだよ。一〇回に一回は勝ってるぞ」
「それを珍しいって言うんじゃねぇか」
 言いながら、アルジェスはユーゴと呼んだ男に向かって鍵束を放り投げた。ユーゴはそれをまた自分の腰にくくりつける。
 腕が通るほどの金属の輪に、三本の鍵が通されている。みんな同じような黒金だったが、二本の鍵には色違いの紐が結んであり、残りの一本にはなにもついていない。なにかの目印なのだろうか。
 将棋を見物するのを装いながら、ランシィはそれとなくアルジェスの様子を伺った。本を持ってきた以外、さっきと別段変わった様子は見えない。「晩飯」を済ませてきたにしては、なにか食べてきた様子もなかった。アルジェスは持ってきた本もカウンターに置くと、ランシィの斜め後ろにあるテーブルに寄りかかった。
「そっちがユーゴで、今悩んでるのがモイセ。ランシィも、行くアテが出来たらいつでも出て行ってもいいが、ここにいる間はみんなと仲良くするんだぞ」
 どうやらアルジェスは、本気でランシィの世話をするつもりらしかった。
 今までの口ぶりからして、彼らと、ギリェルという男は、ここで生活しているようだ。しかし彼らはどういう仲間なのだろう。
 ギリェルとアルジェスの会話を、ランシィは思い返した。
「バルテロメ」と言う名前。「前金が少なくてかつかつ」というのとあわせると、彼らは「バルテロメという名前の何者かから仕事を請け負っている」と受け取れる。そしてその仕事は、高級住宅街で起きた事件と関係があるかも知れない。
 アルジェスは少し黙って、モイセとユーゴが将棋をさすのを見ていたが、双方が考え込んでなかなか対局が進まないのですぐに飽きたらしく、カウンターの裏の厨房に入って杯や皿を探り始めた。
 ランシィも飽きたような素振りを装い、カウンターの周囲を見回し、埃をかぶった呼び鈴や猫の形のした置物などを撫でながら、それとなく今アルジェスが持ってきた本を眺めた。
 学のある大人が読むような、題名だけでは内容のよく判らない本ばかりだ。しかし、アルジェス達の中の誰かが、こんな難しそうな本を好んで読むのだろうか。アルジェスは確かに頭の働きはよさそうだが、あまり本を好みそうな雰囲気ではない。ギリェルという男のものだろうか。
 ランシィはふと、一番下の本の隙間から、きらきら輝く糸のようなものがはみ出しているのに気付いた。
 猫の置物から埃を払うふりでよく見ると、それは糸ではなく髪の毛のようだった。この中の誰のものでもなく、もちろんギリェルという男のものでもない、長さのある銀の髪だった。
「ランシィ、さっきもらった総菜とってくれよ」
 カウンターの向こう側から声をかけられ、ランシィは頷いてカウンターに上がったままの総菜の包みを手渡した。中身は、小麦の皮で具を包んで油であげたものだ。アルジェスは大皿にそれをあけ、ついでにひとつ口に放り込んでいる。
「お前らも、早く済ませないと先に食っちまうぞ、腹減っちまった」
「勝てそうなんだからせかすなよ」
 ユーゴが抗議の声を上げる。アルジェスはカウンターのこちら側に戻ってくると、もらってきた葡萄酒の栓をあけて杯に注ぎ始めた。
 やはり、さっき済ませた「晩飯」はアルジェスのものではないのだ。すぐ上の階に人の気配はしないから、その奥、鍵をかけた扉の奥に誰かがいるのだ。本は、その人物に「晩飯」を持っていったときに渡されてきたのかも知れない。
 彼らはここで、一体何をしているのだろう。
 いつでも出て行っていいとは言われたし、実際、タリニオールに昨日のことを早く伝え、自分が無事なことも知らせなければいけない。だが、どうにもアルジェスの言動が気になった。身に危険がないのなら、少し様子を見た方がいいかもしれない。
 アルジェスは、猫の置物を並べて遊ぶ素振りのランシィを見て笑みを浮かべると、自分は椅子に腰掛けて足を組み、モイセとユーゴの様子を眺めながら葡萄酒を傾け始めた。
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