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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第三章 風来人アルジェスの章

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第一話 2-2

 アルジェスの姿を見るなり、カウンターの中で大皿に料理を分けていたニーナが、ぱっと明るい表情になった。アルジェスは周りにも判りやすくニーナに片目を閉じて見せると、シチューの皿をあらかた空にしたランシィの横に腰をおろした。手には大きめの布袋を持っている。
「ニーナ、ちょっとちょっと」
 カウンターに座っているのだから周りにはすることは丸見えなのだが、アルジェスはまるで大事なことでも話すように声をひそめて手招きした。ほかの女達の手前、頑張ってそっけない顔つきを作るニーナに、アルジェスは布の袋の中から、手のひらに収まるほどの小さな布張りの箱を取り出して、ニーナの手を両手で包むように手渡した。
「な、なによこんな時に」
「ニーナに似合いそうなの見つけたから、つい買っちまったんだよ。後でいいからさ、見てみてくれよ」
「もう、みんなの前でこんなことされたら困っちゃうじゃない」
 言いながらも、ニーナはまんざらでもなさそうに小箱を開け、中をのぞき込んで目を輝かせた。
 ランシィにもちらっと見えたが、得体の知れない屋台で売っているような、安い指輪のようだというのは見て取れた。しかし女にとって、好きな男から装飾品が贈られるのはそれだけで嬉しいものだ。
「アルってばしょうがないなぁ……汚れちゃうから、後でつけるわね」
「うんうん」
 ニーナの反応に満足したらしく、アルジェスはおおげさに目元をほころばせた。オヤジさんの胡散臭そうな視線は、気にとめる様子がない。
「そうそう、ランシィにちょうどよさそうなのが、雑貨屋にあったんだよ」
 ついでのように言いながらアルジェスは、使い古した感のある帯剣用の革ベルトを布の袋から次に取り出した。とはいえ、さっきの指輪よりも値が張る物だというのは、剣を扱うランシィにはよくわかる。
「せっかくいい物持ってるんだから、ちゃんと身につけないとな」
 どうやら、オルネストの剣の為に買ってきてくれたらしい。確かに、いちいち手に持って歩くのは不便だが、なぜここまでしてくれるのだろう。やはり拾った子犬感覚なのだろうか。
「おいおい、子どもにそんなの背負わせたら、変なのにからまれたりしねぇか」
「大丈夫だよ、こんな子どもが本物の剣持ってるなんて、オヤジさんだって思わないだろ。でもこの柄は、隠しといたほうがいいな」
 言いながら、足元に立て掛けてあったオルネストの剣の柄に、皮の布をぐるぐる巻き始めた。特徴のある紋章が入っているから、見る目があるものが見たら上等のものだというのはわかるだろう。
 大人の男が使うなら片手で十分の短めの剣だから、成長途中のランシィが背負うにはかえってちょうどいいくらいだった。ランシィがオルネストの剣を背負う姿に、アルジェスはご満悦のようだ。
「よしよし、ちっこい剣士のできあがりだ。なかなかかっこいいぞ」
「やぁね、男の子みたいなことさせて」
 ニーナが呆れたように言ったが、自分が先に贈り物をもらっているせいか、あまり咎めるようなものは感じられない。
「そうそう、昨日貴族のお偉いさんが住んでる地区で、火事とかあったって話」
 カウンターに用意されている水差しから勝手にカップに水を汲みながら、アルジェスはなにげなくと言った様子で声を上げた。
「雑貨屋の客が話してるのを聞いたんだけどさ、あの地区全体が、賊に占拠されてるらしいよ」
「全体が? そんなわけあるか。城に仕えてるお偉いさん達が住んでる高級住宅地だぞ。警備の兵士がどれだけいると思ってるんだ」
 驚いた様子ながらも、オヤジさんが疑り深く聞き返した。隅で仕事をしている女達も、仕事の手を止めないまま耳を傾けている。
「俺もそう思ったんだけどさ、なんでも、そこを警備してた兵士の半分くらいが、ルトネアの送り込んだ間者だったっていうじゃない。あと、何軒かの貴族の館の使用人とかにもそういう奴らがいて、一斉に行動したって話だよ」
「それこそ変な話だろう、なんでルトネアがそんなことしなきゃならないんだ」
「え、オヤジさん知らないの?」
 アルジェスは驚いたように大げさに眉を上げた。
「ルトネア軍がアルテヤの国境に向けて進軍してるらしいよ? あっち方面の領主とか、兵士を集めて警戒してるそうだよ。サルツニアの軍が町の外で待機してるのはそのせいらしいって話」
「まさか……」
 女達が顔を見あわせる。さすがにルトネアの進軍は初耳だったのだろう。
 それにしても、アルジェスはその情報をどこから仕入れてきたのだろう。
 確かにルトネアの進軍に関しては、いつまでも伏せておけることではないだろう。だが、高級住宅街を襲った賊の正体まで、こんな短時間で噂になるものだろうか。それとも、賊のほうから、自分達はルトネアの間者だと明かしたのだろうか。それだとしても、裏付けもとれないまま国側がうかつに情報を外に流すだろうか。
 ランシィは聞き返したくなるのをこらえ、なるべく話には無関心を装って皿に残ったシチューをパンで拭って口に運んだ。なぜルトネアの進軍が確かな情報だと知っているのか、ここで明かすことは出来ない。
「いやだ、また戦争でも起こそうっていうのかい。やっと落ちついてきたっていうのに……」
「本当だよ、あの戦争のせいで兄さんが二人もとられたっていうのにさ」
 しかし、女達はアルジェスの話の出所までは追及する気がないらしい。ランシィよりひとまわり以上上の世代は、一三年前の戦争の記憶が生々しい者が多いはずだ。やはり不安が先に立つのだろう。
「まぁ、サルツニアの軍もいるし、簡単に手を出して来たりしないんじゃないの」
「そうだといいけど……」
「大丈夫、なにかあったらニーナは俺が守ってやるからさ」
「ちょ、ちょっと、やめてよアル!」
 アルジェスの軽口に、ニーナが慌てた様子で頬を赤らめた。ほかの女達は一瞬生温い笑みを浮かべたが、言った本人はしれっとした顔で、今度はカウンターに飾られた果物に勝手に手を伸ばしている。
 ひょっとして、アルジェスはあちこちでこんな風に、ルトネアの進軍や高級住宅街に現れた賊のうわさ話を流しているのだろうか。人の集まる場所で働く女達の耳に入れば、あとは女達が勝手に来る客来る客に話を広めてくれる。
 でも、なんのためだろう? アルジェスが高級住宅街の賊と何らかの関わりがあるのならなおさら、その目的を安易に広めたりするものだろうか?
 一番判りやすいのは、高級住宅街に現れた賊はルトネアとは無関係か、関係があったとしても、進軍とは別な所に行動の目的がある、というのを隠すためだろう。
 あるいは、単純に、ルトネアの力を誇示して、戦局を優位に運ばせる目的か。でもそれなら人質を取るような真似をするより、サルツニア軍が撤退するのを待つほうが賢いはずだ。アルテヤに駐留するサルツニアの部隊は、来年の春先に撤退すると決定したばかりなのだ。攻め込むなら、相手の戦力は少ない方がより有利なのは、ランシィにだって判る。
 そこまで考えて、ランシィはふとひとつのことに思い当たった。
 賊の襲撃の狙いは、アルテヤそのものではなく、駐留しているサルツニアの部隊のほうにあるのではないか。
 相談役とはいえ、タリニオールはサルツニアの騎士だ。わざわざタリニオールを離れさせた後でその屋敷を襲い、中にいる人間を捕らえようとしたのは、タリニオールと、その背後につくサルツニア軍の動きを制限する狙いがあったのではないだろうか。
 そうだとしても、具体的になにが目的かまでは、ランシィには考えつかなかった。自分の知らないところで、ほかにも別の事件が起きているのかも知れない。
「……よし、食い終わったら、行くか」
 いつの間にか綺麗に空になったシチューの皿を見て、アルジェスは身軽に立ち上がった。どこに行くのかとランシィが問う暇もなく、アルジェスはひらひらと片手を上げた。
「オヤジさん、ありがとな。また来るよ」
「ちょっと待て若いの」
 知っているはずなのに名前を呼ばない辺りが、オヤジさんのアルジェスへの好感度を物語っている。さっさと出て行こうとしたアルジェスを、オヤジさんは冷ややかに見返した。
「飯は奢るが、その子が使った分の上の部屋代がまだだ。一回使ったら掃除もしなきゃならん」
「え、まいったな。そんなに持ち合わせがないよ」
 革のベルトや指輪まで買ってきておきながら、今更持ち合わせがないもなにもない。アルジェスの大げさな声に反応したのはやはりニーナで、
「もう、アルってば考えなしなんだから。あたしが出しといてあげるから、あとでちゃんと返してね。オヤジさんもそれでいいでしょ」
「助かるよニーナ、さすが俺の女神」
 間にカウンターがなければ、人目もはばからずにニーナを抱きしめそうなくらいの調子の良さだ。オヤジさんは苦虫をかみつぶしたような顔をしたが、立ち上がったランシィが困ったように笑みを作ったせいか、それ以上はなにも言わなかった。
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